第二章 領主編 『ナボル村の真相(ニッカの主観)。』
それからほんの数分……胸を押さえ、乱れた呼吸を僅かに整えてニッカは意を決して俺達に詳細を話し始めた。
事の発端は六日前……キシリア派上層部からの要請を受け、その日の内に巡回牧師ニッカ・ボルカはナボル村へ赴いた。
要請内容は新しい領主の補佐として同様に派遣されるキュベレーヌ派の人員と協力し、測量にあたる事である。
「依頼主はティガー殿か……相変わらず垣根を気になさらない御仁だな。」
そう呟き、命令書を懐へ差し入れて微笑むニッカ。
二日後の夕方には領主と共にナボルへ到着するという。
多くの人にとって懐かしい思い出とは日常の中に宿っているものである。
ニッカとてそれは例外ではなく、彼が日々の奉仕活動に勤しむ時、或いは何気ない所作の中にティガーという男を見出だす事ができた。
……新米牧師時代、奉仕者としてのイロハだけでなく、魔物への対処法や野外でのあらゆる知識を学んだ師と仰ぐ存在として……。
だからこそ、二日後までにある程度の足掛かりを作っておく必要があると張り切りもするのだ。
……しかし道すがら聞いた噂と違い、デュラハンとゴブリンによる被害は差して大したものではなかったようである。
ニッカは村長に挨拶を済ませ、測量に必要な人員の確認をした後、改めて村を回りに出る事にした。
(それにしても……被害に反して測量し直すという事は新しい領主はナボルを拠点とする気だろうか?)
そう思案し、ニッカが退室間際に村長へ確認すると、彼もまた、やけに張り切った様子であった……ナボルはこの地方では珍しく特産と交易に力を入れている、更に領主のお膝元となれば張り切らざるを得ないだろう。
それから夕刻まで外回りをし、幾つか再開発の目処を付けた頃には手にした手拭いが汗で湿っていた。
だが彼に疲労感はない、何故なら村長の便宜で数日間ではあるが久し振りにまともな宿泊施設に寝泊まり出来るからである。
巡回牧師と言えど、その奉仕活動は多岐にわたる……都合の良い小間使いと信徒内で揶揄される事も多々あるが、集落間を繋ぐ重要な役目であるのも、また事実なのだ。
少なくともニッカ自身は目まぐるしく日々に追われる日常を苦だと思った事は一度たりともなかった。
とはいえ、一時の安らぎや憩いを求めていない訳でもない。
「………♪」
久し振りのベッドに心を踊らせ、埃を払いながら宿屋に到着した時……その女性は後ろから声を掛けてきた。
……栗色の髪を揺らし、鋭い眼差しは何処か嘲りを含んでいる様な印象を受ける。
身に纏った法衣から、キュベレーヌ派の人間であるのは一目瞭然であったが、同じ要請を賜った派遣人員だとニッカは思いもつかない。
何故ならその法衣は教内において助祭の位階を示すものであったからだ。
外回り専門の己れのくたびれた礼服とは天地の差であろうと思わず苦笑いを浮かべてしまうニッカ。
女性はソニア・ハルバートと名乗った。
恐縮するニッカに対し、彼女は物腰柔らかく接してきたが、どうやら協力する気はないようで、言葉の端々から派閥の垣根を感じてニッカは重ねて苦笑いをするばかりだった。
……形式的な挨拶を交わしに来ただけだったんだろうか。
宿には入らず、村の出入口の方向へ歩きだすソニアにニッカが尋ねた所、『粗末な部屋に泊まる気はないわ。』とだけ言って去ってしまった。
自分に対する皮肉以外の何物でもない……より一層、歓迎出来ない心境でニッカは溜め息をつくだけだった。
しかし、村で一軒の宿屋に泊まらないなら何処で寝泊まりするというのか?
そんな疑問がふと浮かび、ソニアの後ろ姿を見送っていると従者らしき人間が数人、通りの脇から現れ、彼女に付き従うのが見えた。
顔どころか風体すらわからない、みなキュベレーヌ派の法衣についているフードを目深に被っていたからだ。
気分の悪さで早々に背を向けて宿に入ろうとするニッカ……だが刹那、脳裏にある疑念が涌く。
今感じている気分の悪さの正体……それはソニアに対してのものなのか?
今一度振り返って確認しようとしたが其処に彼女の姿は既になかった。
通りを曲がってしまったのか?……村に滞在しないのなら、村外で野営するつもりで従者を連れだったのだろう。
無言で佇むニッカ……この時、彼は感じた違和感に自身も気付かぬ内に都合の良い理由で蓋をしてしまった。
たら、れば、もし……そんな言葉に如何程の価値があろうか。
しかしニッカはこの時に疑念を突き詰めなかったという事実をすぐに後悔する事となる。
その日の夜更け過ぎ……。
……ベッドは申し分ない、食事にも満足出来た、だが全てを投げ棄て、微睡みへ没頭していた筈のニッカの意識がそれらに反旗を翻す様にして目覚めていた……。
暗闇をぼんやりと見詰め、微睡みの再来を待つがその兆しすら訪れない。
枕に顔を埋めても効果が期待出来ないのか……未練がましく布団にくるまろうとも思考が冴えてゆく。
ついに上半身を起こすまでになり、ようやく諦めてベッドから足を降ろした。
ニッカは何気なくサイドテーブルに置かれた懐中時計を取り、左手の中で撫でる。
暗闇の最中 ……真鍮の冷たい感触へ次第に体温が移ってゆく。
その間に 完全に醒めた思考で考えてみる……普段から寝つきが良い方である自分が眠れない理由、何故なのか?
しかし理屈をいくらこねくり回そうとも核心に至るまでになろう筈もない、堂々巡りである。
むしろこの無駄な時間によって眠気に襲われる事を期待していたのだろう。
だが彼の思考は期せずして想定外の事実に気付く、否、眼にする。
「………。」
不意に懐中時計のロケット部の隙間から見慣れた光が洩れていた……。
(隠行術が発動してる?……また何時ものクセでやってしまったか。)
何時ものクセ……魔族領に隣接するウェストバークにおいて、魔物の自然発生率の高さと被害は日常である。
先のデュラハン事件同様に人里に被害が及ぶ事は過去にもあった。
そんな死と隣り合わせの地域で野営を余儀なくされるのが巡回牧師の性であればこそ、準備は決して怠れない。
隠行(認識阻害)の宝珠をキシリア派の開発局が改良し、制式配給したアイテムをニッカが更に懐中時計へ仕込んだもの……。
おもむろにベッドから立ち上がり、壁に掛けられた上着の内ポケットをまさぐると数枚の紙切れを取り出す。
(………。)
紙切れを扇状に広げ、書かれた神言へ眼を向けたニッカの眉が訝しげに上がった。
特殊な霊紙に聖なる染料で誂えた祝詞符……本来はそれを魔物の眼から遠ざけたい場所へ一点以上貼る事で効力を発揮させる。
つまり祝詞符を入れたままの礼服を壁に掛けてしまい、貴重な符を無駄に使ってしまうというのがニッカの悪いクセであった……のだが、今回は彼の予想とは違った。
今一度……懐中時計を開くと秒針が淡く緑色に発光している、確かに術は発動しているようだ。
(おかしい……カードは発動していない、この懐中時計はあくまで補助の筈、単体で光る等ありえない、なら何に反応している!?)
微かな不安が思考の底で燻り始めた……今、このナボルには自分以外にキシリア派の関係者はいない、間違って懐中時計が反応する事はない。
刹那、ニッカの脳裏に夕方の出来事が過る。
(いや、待て……同じエレメンツ教の人間なら居る。)
その瞬間、ソニア達が村の外で野営している筈だという思考が強く湧き上がった……。
(何かがおかしい……何だこの違和感は……まるで思考がねじ曲げられた様な……。)
違和感を感じれば感じる程、思考が回らなくなる感覚……次第に懐中時計の反応すらただの誤作動ではとさえ思えてくる。
そんな……堂々巡りへ陥りかけた時だった。
『ニッカは難しく考え過ぎなんだよ……時には単純な行動が必要な事もあるさ。』
(………ティガー。)
不意に記憶の片隅から呼び起こされた声……当時は理解しようともせずに忘れてしまった言葉が不意に停滞した心を解きほぐしてゆく。
ほんの……それはほんの数秒の沈黙だった。
(懐中時計の反応……補助祭具が発動している事実、これは私の祝詞符以外の魔法、呪法に反応していると仮定しても補助としての有効範囲はせいぜい5~7m四方内……だがこの部屋自体に問題があるなら別の祝詞符が反応する筈、ならば範囲内で懐中時計が反応する要因、問題点は……まさか?)
次の瞬間、意を決してニッカは礼服を手に取ると袖を裏通しにしてリバーシブルで着込む。
「フラムベールの名において、戒めを解け。」
そうニッカが呟いた刹那、全身を包む紫光の術式……その発動を認め、確信を得て思わず舌打ちをしてしまう。
唱えられた呪文、否、祝詞自体はエレメンツ教内では中級に位置する解呪法を短縮詠唱したものであり、彼は今……それを自身に定めて唱えた。
懐中時計が反応した原因は自分にあったのだ……そして同時に思い当たる。
(……今なら分かる、さっきまで思考にまとわりついていたモヤが晴れた、九分九厘、精神誘導系か、具体的な誘導目的は……分からないが、おそらくまだ終わりじゃない。)
ニッカは左手の中で尚も淡く光を放ち続ける懐中時計へ視線を落として気を引き締めた。
……荷物からいくつかの符束と鉄棒、更に獣の皮片を取り出し、礼服の隠しポケットへ符束を仕舞いながら祝詞を呟くと、続けて三本の鉄棒を手にし各々の先端を合わせて回す事で、頭にランタンが備え付けられた錫杖へと組み上げる。
(静かだ……静か過ぎる、いくら夜明け前とはいえ人の気配さえないとはな。)
宿は貸し切りではなかった、数組の宿泊客があった筈だ……そう思い返し、カーテンの隙間から外を覗くと濃霧が全てを覆っていた。
だが異変はそれだけではない、濃霧の中を夥しい数の影が一定の方向へと移動しているのだ……。
刹那、彼の脳裏に真っ先に浮かんだのはグールの群れの襲来であった……それはここ数ヵ月間におけるグールの異常発生と被害を嫌という程に実感していたからだ。
壊滅した集落を回った事もある。
巡回牧師として、闇に堕ちた魂の浄化は今まで幾度もあった、だがここまでの頻度は想定を遥かに上回っていると言わざるを得ない。
しかし、現状においてグールが無関係であるとニッカは思い当たる。
……そもそもグールを使役する邪悪な黒魔術とエレメンツ教が連綿と練り上げ続けた法術とは本質的に対極に位置するものであり、懐中時計が反応を示す事などありえないからだ。
(自分の眼で真偽を確かめるしかないな。)
慣れた手付きでポケットからマッチを取り出し、燭台に火を灯すと先程の皮片を燃やしはじめる。
特殊な燐を背中に纏う獣の皮が青白く燃えていた。
それをランタンへくべ……ニッカは視線をドアに向ける、おそらくは準備が整ったのだろう。
廊下へ出て道すがら部屋のドアを開け放ってみたが、やはり宿泊客の姿はない……軋む階段を降りてロビーに着くとすぐに正面入口が眼に入ってきた。
両開きの硝子製ドアが無残に割れ、血液が付着している……。
不透明な状況において初めて確認出来た破壊の痕跡にニッカの緊張がにわかに高まってゆく。
その時、不意に流れ込んできた霧に礼服が反応を見せる。
ニッカにとってそれは予測の範疇を越えた想定外の出来事だった……。
礼服には同じ色合いで全く異なる霊糸が四種類、刺繍されており、対魔物、魔族に則した法力付加であり、効果発動時にのみ、その色合いを変えるのだ。
(ジャケットに出た術式は橙色……反魔法効果、この霧には状態異常を引き起こす何かがあるというのか!?)
グール所の話し等ではない、何者かの意思による大規模な襲撃の渦中に今、自分は巻き込まれている…… そう理解した瞬間から逡巡が身体を強張らせてゆく。
だが迷っている時間はない、聖職者として……事態を把握しなければ更なる悪化を招くと本能が告げていたからだ。
尚も警鐘を鳴らし続ける恐怖心を無理矢理に抑え込んで、ニッカは濃霧の中へと一歩を踏み出す……。
(………。)
静寂と冷たい空気に身震いしそうになるのを耐え、余りに息を殺し過ぎて目眩を起こしそうになる。
そして何より視界が悪く、5m先も見えない状況で強く握り続けたせいか、錫杖から手が離れなくなっていた。
(……おそらく体感では宿屋に面した路地を抜け、ナボルの村の真ん中を貫く大通りへと出た辺りの筈だが。)
そう思案を巡らせていた矢先だった。
前方の霧の中に複数の影が揺れている……緊迫感に全身が更に強張るのを耐え忍びながら、極力気配を殺して近付いてゆく。
(………。)
(………。)
濃霧の中から姿を現したのは人間の背中だった。
即座に戦闘へ移る事を念頭に、ニッカが一人の襟元を引き掴むと呻き声を上げ後ろへ倒れ込む。
錫杖の先端を突きつけ、その男の顔を確認した瞬間、ニッカに衝撃が疾る。
それは昼間にナボルを回った際に顔を合わせた村人の一人だった。
「………。」
虚ろな瞳をさ迷わせ、無表情で何事もなかった様に立ち上がり、また覚束ない足取りで歩きだす男……ニッカの呼び掛けも当然のように届く筈もない。
(意識がない?……操られているのか、だが生きている、何処かへ誘導されているのなら様子をみるのが得策だな。)
そう思案し、小さく祝詞を唱えると礼服に緑色の刺繍が浮かび上がる。
それは魔の者から身を隠す法力結界を纏う術式であり、防御にもなっていた。
村人達の背中を見失わぬよう、濃霧を再び進み始めるニッカ……。
(私の予想が正しければ、この霧が村人を操る触媒となっているのだろう、だがここまで大掛かりな法術となれば他にも触媒が必要な筈。)
大掛かり……この時既にニッカは最悪の想定をしていたのだろう。
そして彼の想定は然程の時を必要とせずに実証されてしまう。
冷やかな霧の中……気付けば周囲に人影が増えてゆく。
数十の人影、ニッカは戦慄を抑えつける様に眉間へ皺を寄せた。
最初に窓から目撃した時から、思考の片隅で燻っていた直感……今、何者かの手によって、自分を除く全ての村人が操られ、拐かされようとしているのではないか?
前例等勿論ない、状況の大半が未だ不透明である以上は『線引き』が必要だと瞬時に判断する。
シビアだとニッカは己れを恥じる……だが村人全員を救い、規模も判らぬ敵を撃退、或いはこちらが撤退出来る道筋がつかないのだ。
慎重かつ迅速に判断材料を集め、退路の確保が為されている内にナボル村から離脱を試みる……。
線引きを済ませ、人波の中心から外れて流れの先へと進んでゆく。
周囲へ警戒を強め建物の位置取りを確かめると、人の流れは大通りを東へ移動しているのが伺える。
やがて遠くの井戸を取り巻く灯りが『見えた』時、ニッカは気付く……霧が薄くなっていると。
否、その気付きは副次的なものに過ぎない……ほぼ同時に彼はひとつの答えに辿り着き、一層緊迫感に苛まれる事になったからだ。
……井戸の傍に見えた灯りの正体、それは人買い等が使う輸送用の竜車のものだった。
数台停車した鉄柵の荷台へと、虚ろな瞳で人々が自ら進んで収容されてゆく……。
(奴隷を取り扱うシンジケートがあるとは聞いていたが……集落ごと拐う強引な連中なのか?)
疑念を確かめるべく竜車の操縦者が見える距離まで近付いていく、幸い収容待ちの人だかりに混ざれば、それは容易であった。
(………!?)
その瞬間……ニッカの世界を揺るがす、否、決して許してはならない光景を彼は目撃してしまう。
竜車の操縦者、そしてその傍で村人を嘲笑う者達……それは、同じエレメンツ教団であるキュベレーヌ派の法衣に身を包んだ、何よりソニアの姿が其所には在ったのだ。
己れの信念を踏みにじられた怒りがニッカから慎重さを奪い、駆り立てる!!
直接問い質さねば気が済まなかったのだろう、ソニアに向かって怒りを吐き出しながら進み出てゆく。
「………。」
両者の距離は数メートル程に縮まり、ニッカはソニアの肩を掴もうと手を延ばした刹那だった……。
そう、その刹那に確かに両者の視線は交わった……交わった筈なのだ。
手を延ばしたまま寸前で止まるニッカ……彼女は気付いていないのか?そう考えた時、彼の脳裏にまたもおぞましい直感が迸る。
(……まさか、私が見えていない。)
見えていない……それはつまり、礼服に織り込まれた人間相手には意味を成さない筈の法術が発動しているという事実に他ならない。
確証はない、また確かめようとすればこちらが墓穴を掘りかねない、だが思い至った推測は代わりに忘却の彼方からある疑念を呼び戻す。
ソニアに声を掛けられたあの時に確かめられなかった違和感の正体……それはソニアにではなく、従者達に感じたものだったのだ。
(あの時、一瞬の出来事とはいえ従者達の風体や性別といった記憶が思い出せなかった……いや、それ自体が阻害されていたのだとしたら。)
認識阻害能力を有する法衣そのものは教会内においてポプュラーなものである……問題は公式に派遣された教会員が何故に認識阻害を使う必要があったのか?
後退りしながら、眉間から伝う汗をぬぐうニッカ……。
信じたくもない推測を裏付ける断片的な事実の符合、辻褄が余りにも合い過ぎていた。
少なくとも今、自分が目にしているのは人間以外の『何か』であり、その存在は既に静謐たる神の聖域にまで侵食しているかもしれない。
これ程の恐怖が果たしてあっただろうか?
「………。」
ニッカの本能は即座の撤退を主張し、理性はあと一押しの確証をやはり望む……。
結果として彼はどちらも選ばぬ保留、停滞に陥ってしまう。
それは流動する状況の最中において、生死を分かちかねない愚行、愚策でしかない……平常であれば正否に関わらず、必ず選択を選び行動に移していた筈のニッカだが、やはり冷静さを欠いていたのだろう。
「………。」
事態が急変したのはほんの僅かな瞬きの後だった……。
従者の一人がソニアへ言葉を発したのだ。
ニッカもその声を確かに聞き取っていた……『邪魔者が網に掛かる時刻』だと。
刹那、言葉の意味を理解出来ないでいるニッカの前でソニアは厭らしく歪んだ笑みを洩らして唇を舐めた。
次の瞬間、ソニアの両眼が白黒反転し、瞳孔部分は白く濁った様に膜が掛かる。
確信を得る人外の証し……だがその威容に動けないニッカ。
そして再び両者の視線が交差した時だった。
「なんだ……やっぱり居るんじゃないか、ニッカ・ボルカ。」
刹那、心臓を鷲掴みにされる様な恐怖がニッカの時を凍らせる……だが彼の後悔を置き去りに、事態はニッカを呑み込んでゆく。
従者が二人、瞬時にニッカの背後へと回り込み、そして……。
「………!?」
想像を絶する熱痛と肉を斬られた感触がニッカの背中を襲う。
加速度的に身心の自由が萎えてゆく最中、崩れ落ちながらも何とか従者の一人のフードを引き掴んで見上げる。
呻き、血を吐き、ぼやける視界を呪って砂利を掻きむしる……礼服は切り裂かれた事でその効力を失ない、錫杖も背中と共に寸断されてしまった。
ニッカには最早、拠り所となるもの等残されていない。
あれ程渇望していた微睡みが今更になって意識を狩りにやってきた。
忌むべき魔族達に見下ろされ、嘲笑に囲まれ痛ぶられる。
響き渡る鈍く、重い、骨肉が軋み潰れてゆく音……。
「……お、お前……の、その眼……『邪眼』か……。」
一頻りの暴行を受け、虫の息となったニッカの言葉に満面の笑みで応え、従者達を退らせるソニア。
代わりに、ゆっくりと厭らしく……地に伏したニッカを舐める様に眺めながら、周囲を回ると何かを思い付いたのか、勿体ぶった仕草で口を開く。
「へぇ、さすがに物知りだね牧師様、じゃあ何でボクがキミがここに居るのを知っていたと思う?」
認識阻害の法術を看破されたのは邪眼のせいだろう……分かりきった答えに一瞬、小馬鹿にされた気になり表情を歪めるニッカ。
だがすぐに質問の意図が違う事に気づく。
小馬鹿にして貶める目的に違いはない、しかし邪眼は手段のひとつでしかない……問題は何故に手段を行使するに至ったのか?
薄れゆく意識を叱咤しながら、先程の『言葉』を反芻し続ける……やがて。
「お、お前の……仲間は時刻と……言っていた。」
「………。」
「予知……或いは高確率のルート予測。」
ルート予測……その答えを聴いた瞬間、ソニアの表情から笑みが消え失せ、つまらなそうにニッカを見下ろす。
「そのワードを使うって事は目星まで付けちゃった訳だ……キミって、あの女が言うようにホントに優秀なんだね。」
予想だにしていなかった……ソニアの言葉はそのままニッカの推測を肯定しているとも受け取れるものだったからだ。
あくまで額面通りに解釈すればだが……。
「さて……それじゃあお別れだよニッカくん♪」
そう宣い、ニッカの背中へ腰を降ろし髪を引き掴むと、血に染まる彼の頬へ口づけをするソニア。
唇に残る彼の血液を嬉しそうに舐めとり、傍らで転がっていた錫杖の一本を拾い上げると無造作に回してから先端で狙いを付ける。
抗い難い死が間近まで迫っている……だがこの時、ニッカから恐れは消え去っていた。
徹底的に痛めつけられ、最早指一本動かす力もない、何も成せない。
そう自力では……。
側頭部を狙い、軽快に錫杖を撃ち出した刹那……引き掴んでいた髪の感触が消えた。
液体が溢れ落ちるように、感触だけが消えたのだ。
そして頭蓋を無惨に撃ち砕く筈の錫杖がニッカをすり抜け、砂利へ打ち込まれた光景を目にして理解する。
しかし事は既に遅い……一瞬の後、ニッカの姿は陽炎の様に歪み消えてしまった。
「……自動始式転移法術か、あの女狐め……最後まで予測を話さなかったな。」
舌打ちを洩らし、忌々しそうに立ち上がると周囲を見回すソニア。
「何をしている捜せ!!遠くに転移は出来ない筈だよ!!」
ソニアの威容に充ちた号令で一瞬の内に従者達の姿が消える……否、一人だけフードが裂け、美しい顔を晒す少年が残っていた。
「……顔を見られたのか。」
土の匂いがする……身体が重く、動く事さえもう叶わない。
(これは死ぬな……。)
……最後の転移術、万が一の事態を想定し懐中時計に仕込まれたもうひとつの切り札。
持ち主の生命力が瀕死の状態に陥った際に発動し、発動地点から半径20km圏内の何処かにランダムで転移させる、まだ試作段階の術式である。
伏したままの姿で森林内へ転移し、半死半生であるニッカには何かを選ぶ事等出来ない。
追手に見つかるか、或いは魔獣に食い殺されるか……放っておいても死に至るだろう。
既に意識は微睡みに落ちていた……。
だからこそ、この時、近付いてくる茂みの音に気づかなかった。
恐ろしい顔だが、気の良いゴブリンが近付く音に……。
「……そうか、ティガー殿は逝かれたのか。」
話しを終え、ゆっくりと瞼を閉じるニッカ……。
本来なら、重症である彼にティガーの死に際を伝えるべきじゃなかった。
だが、ティガーについて語る時の彼の眼を見た時、正直に話さなければいけない気がした。
俺は一息つき、懐からタバコを取り出して食わえる……火は点けない、婆ちゃんズに睨まれた。
さて……ニッカの主観で語られたナボルの真相だが、やっぱり不明瞭な部分があるのは否めない。
けどこれ以上、突っ込んで質問するのは無理だろう。
快方へ向かっているとはいえ、消耗しきっている事に変わりないのだから。
だが、ニッカが眠りにつく前に気になる事を言っていた。
それは彼が引き裂いたフードの少年の顔……曰く、鬼族だったらしい。
一緒に話しを聞いていた婆ちゃん(妹)が教えてくれた。
魔族領にある鬼の集落では奴隷の売買を生業としているらしい……。
何ともか細いが、点が線へと繋がった気がする……もうこれは行くしかないだろう。
だが意を決して立ち上がろうとした瞬間、後ろからイチタロウに押さえつけられた。
「ひぇへへ、何処へ行かれるお若いの……オメー様はまだ『治療』が済んどらんだろぉ?」
壊れたブリキの玩具の様に震え、ケタケタと笑う婆ちゃんズ……覚悟はしてたが、いざとなると洒落にならない。
結局、俺は阿鼻叫喚の絶唱を上げ、数時間程気絶する事となってしまった……。
つづく
……久し振りの更新となります。
私事ですが、三月一杯で仕事を退職する事となりかなり長い期間、腐っておりました。
というか大剣担いで狩りに出ておりました♪
細々と原稿を書きつつも職探しは難航し、鬱憤を晴らす様に夜な夜な狩りに出る。
ふう……しかし、やっと一区切り書けました。
あっ、もし大剣を担いでモンスターの傍でキュートなポーズをとるハンターが貴方の前に居たのなら……是非、パンチングしてやってください、喜びますので。
って、まず職探しだろ!!……まぁ発酵期間は過ぎたので、また隔週ごとの更新を目処に頑張りますので、どうかまた読んでやってつかぁさい。




