第四章 王都騒乱編 「甘やかされた記憶。」
……雑多な喧騒で溢れる貧民街。
まぁ貧民と言っても街並みや治安もそこまで酷くはなく、今の俺の様に気軽に朝市へ出向いても問題ない。
アームベルンに帰って来て、すぐ修道院に缶詰の上に行儀作法の特訓だ、しかも二日漬けだったからな……正直気軽に出歩けるって最高だわ。
◇
お茶会から戻った夜、シスターデロリスに大司教不在の件を聞いた。
彼女自身は今回の大司教選任の流れを認知していないと断言したが、二十数年前に空位となった経緯については頑として語ろうとしなかった。
ーー曰く、それはガルマ派の人間が墓まで持ってゆかねばならないもの……であり、知らなくともよろしいとの事だ。
余りの圧力にそれ以上の追求は憚られた。
まぁ必要以上に聞くのも野暮か、だがそのまま自室へ戻ろう……と思った矢先に声を掛けられた。
「明日、ちょっとこのババアに付き合ってくれんかね。」
ちょっと含みのある言葉が気になったが、気晴らしも兼ねて……という事で現在、シスターデロリスと共に朝市を歩いている訳だ。
「悪いね、ちょいと手を借しておくれ。」
「世話になってるんだ、荷物係くらい何でもするよ。」
今や俺だけじゃなく仲間まで居候しちまってるしな、そんぐらいはふたつ返事でやらんと駄目だろ……。
そんな風に恐縮する俺を微笑みで一瞥してから、シスターはオススメの露店情報をぼやきながら歩いてゆく。
その時に聞いた話だが、二番街と遜色なく貧民街の方も流通網は整っているらしく、朝市は週五日、年二回行われる建国祭と収穫祭では二週間休みなく開催いているという。
実際に見ると、種類も豊富で食材や雑貨は無論、珍しい料理、惣菜まで売られていたが具体的にはやはり海鮮類だろう。
王国領内で港湾を有するのは南方領だけだそうだ、そういや確かにウェストバークでも魚介料理を食った覚えが無い。
そんなやり取り……というかシスターが一方的に話しているんだが、先を歩く彼女の背中を追いながら不意に、些細な疑問が過ぎった。
確か、修道院には出入りの行商が何人か居た筈だ……わざわざシスターが買い出しに出向かなくてもいいだろう、個人的な買い物だろうか?
んな事を考えている間もシスターはお構い無しに、しゃかしゃかと老人とは思えない健脚で人混みを縫って進んで行く、下手したら置いて行かれるレベルだ。
だが俺が足を速めようとした、まさにその時だった……露店が立ち並ぶ通路の先、建物に面した曲がり角に佇む子供の姿が目に入ってくる。
ボロボロの身なりからひと目でストリートチルドレンだと判るその子は明らかにシスターを視ていた。
異様だ、異様な光景だった……多分小学生低学年位の男の子がふらつきながらもシスターへ意図的に向かって行く。
違う、異様だったのは周りの者達、露店の店主や買い物客の男の子に向ける敵意にも似たあからさまな視線もだ。
だからこそ、このガキが何を仕出かそうとしているのか瞬時に「またか」と理解し、俺は対応しようとした。
しかしその刹那、視た……僅かだったがシスターデロリスが肩越しに後ろを、俺に視線を向けていたのだ。
「………。」
俺が躊躇った隙に、ふたりは疎らな人混みの中でぶつかり、シスターの「……ごめんよ。」と呻く声を無視して男の子は走ってゆく。
振り切る様に、俺の横をすり抜けて去って行った……。
シスターの方もそのまま振り返りもせず、再び歩き始める。
「………。」
何も語らない……無言で前をゆくシスターに「何をスられたのか?」と声を掛けるのが憚れる気がした。
「……ごめんよ。」先程男の子に向けて呟かれた言葉の響きが俺の言葉を押し留めていた。
どれ程そうして歩いただろう……露店通りを抜けて、二番街の境に近い路地の裏へ入った時、不意にシスターが立ち止まり振り返る。
「……ここだよ。」
軽く顎をしゃくって見せた先、突き当りに一件の古びた店舗がひっそりとオープンの立札を掛けている……。
「雑貨屋か?」
「いんや、『砂城亭』……偏屈なジジイが営んでる砂糖菓子店さ。」
菓子店?……首を捻る俺を他所に、シスターが扉を引くと真鍮の鈴の音が鳴る。
店内は古き良き純喫茶の様な、懐かしい、これはコーヒーの薫りか?それに菓子店というだけあって甘い匂いも混在しているようだ。
「ようババア!まだ生きてたか?」
カウンターの奥に居たひとりの老人が鈴の音で気付いたのか、こちらに目を向け開口一番悪態をつきやがった。
「お互い様さ……未だに死に損なってるよ。」
ふんっ!と鼻息を洩らしながらシスターはカウンター席に腰を降ろす。
「珍しいな、今日は連れが居るのか。」
「手伝いで来てもらったのさ。」
「そうかい……まぁ、あんちゃんも座れよ、注文はババアと同じもんでいいだろ?」
促されるまま、シスターの隣りに座ってから軽く自己紹介をすると、店主の爺さんは小鉢に入ったピーナッツ?に似た豆菓子を俺達に差し出す。
「モルダーだ、一応このババアとは昔馴染みとして通ってる。」
「ただの腐れ縁さね……誤解される様な言い方は止しておくれ。」
何だ?このふたりの間に流れる独特の雰囲気は……ちょっと気圧されるのだが。
モルダーと名乗った爺さんは華奢で小柄な風貌だが、実に堂々とした空っ風みたいな印象だったな。
次にカウンターの棚へ目をやると様々な瓶詰めが陳列されていたが、一番気になったのは両手で抱えられる程度の木樽が計八つ、横倒しでその全てに蛇口が差し込まれ、二列で棚へ嵌め込まれる様に積まれていた。
……どうやらコーヒーに似た匂いもそこから漂ってきている。
「おお、何だ、ルアック・ボーが気になるのか?」
「……ルアック・ボー?」
「特殊な方法で採取したコルダ豆を乾燥、浅く焙煎した後に冷水抽出し、更にエルダー酒の三十年ものを寝かしていたオーグ材の空樽に豆ごと入れて香り付けしたドリンクさ……因みにここに有る樽は約1年分だな。」
「1年を掛けて飲み切るのか?」
「ああ、時期ものだしな、残っても1年以降はエグみが増して飲めなくなっちまう……飲んでみるか?初飲はタダにしてやるぞ。」
「……是非!!」
『………。』
「特殊な採取方法ね……あたしはいつもの緑茶と金星糖でいいよ。」
「相変わらず付き合いが悪いな!?」
「どうとでも言っておくれ。」……と吐き捨てながら、右手をひらひらと振るシスター……そんなに好き嫌いが分かれる飲み物なんか?
まぁいい、何事も試してみるもんだろ。
若干わくわくしつつ、俺はモルダーの一挙手一投足を見守る事にした。
彼は恭しく、真摯な表情で戸棚から白く小さなカップを取り出す……さり気なく縁と取手に施された金彩が気位の高さを証明し、尚更に期待感を増幅してくる。
そして、ひとつの樽の蛇口を慎重に捻るのをモルダーの背中越しに目にした瞬間、得も言われぬ芳醇な薫りが店内へ拡がった。
「………。」
「まだ飲むなよ、焦るな。」
俺の眼前にカップを置きながら、お預けを命じる爺さんに少し苛ついてしまうが、仕方ない。
その間に爺さんは手早くカウンターの下から大きな紙袋を取り出し、口を開けると銀製のハンドシャベルでジャリッ!と何かを掬い上げて小鉢へ盛る……差し出されたそれは俺が日本に居た頃に視た和菓子にとても類似したものだった。
「金星糖だ……まず一口目はルアック・ボー本来の風味を口内で回すんだ。
そうしたら金星糖をひとつ食べて甘みを加えてみろ……ガチで飛ぶぞ。」
「講釈はいいが、あたしの緑茶はまだなのかい?」
冷静なツッコミが入った途端、モルダーの眉が吊り上がる。
「わぁーとるわいっ!!直ぐに出したるから待っとれ!!」
そう怒りを露わにしつつ、モルダーの興味は俺に注がれていた……良いだろう、俺も本気で味わおうじゃないか!!
恐る恐る金色の取手に人差し指を差し込み、少し引き上げたその瞬間、やはり漆黒の水面が艶かしく俺を誘う……。
「………!?」
これは……この感覚!?ファーストコンタクトは鈍重な印象を抱いたが、それも直ぐに露と消え……瞬時に口内に広がり、鼻から脳天へと駆け抜けてゆく余りに豊穣な薫り。
1Cc程の少量を含んだだけなのに、ここまで爽やかにローストされた苦味が味わえるのか!?
カップを見つめたまま硬直する俺の姿を満足気に見下ろすモルダー……。
「さぁ、今度はそいつを食え、食ってみるんだ……次の快楽が待っているぞ。」
モルダーの言葉に不可思議な恐怖を抱きながらも、俺は……俺は抗えなかった。
「ーーーッ!!?」
次の段階は……まさに革命的の一言に尽きる、いや尽きた。
口内に残ったルアック・ボーの後味に金星糖の甘さが渾然一体となって余韻を奏上してゆく。
この時、きっと俺はだらしなく恍惚の表情を浮かべていたに違いない、もう黙るしかなかったと言っても良い。
余韻が消えるまで……そして消えた後に小さな溜め息がつい洩れた。
「フフッ……どうだ?ぶっ飛んだだろ。」
「……正直、毎日通い詰めたくなったよ。」
「そうかい、因みに一杯銀貨20枚だ♪」
は?……銀貨20枚って……。
『およそ30万円の貨幣価値になります。』
「あぁっ!?金貨一枚と殆ど一緒じゃん!!」
「こればっかりは時価だからな、それでも通って来てくれる客が居るから繁盛してるよ。」
こんな体験させといて、それはねぇだろ?……初飲タダって悪辣過ぎて笑えねぇわ。
何だか恨めしくなってきた、だからカップも小さいのか、せめてちびちびと残されたルアック・ボーを楽しむしかねぇじゃん……。
◇
◇
「……ほらよ、持っていきな。」
一時の憩いを満喫している最中、唐突にモルダーが紙袋をカウンターへ乗せた。
ああ、シスターはこれを買いに来たのか……そう直感的に察すると同時に先程の朝市での光景を思い出す。
「あの……ここでの払いは俺が持ちますよ。」
咄嗟だったが俺なりに気を利かせたつもりの発言だ……だが。
「初回はタダだと言ったろう?それにコレにも料金は掛からんよ。」
「……え、でも……。」
戸惑いながらシスターを視るとほんのりと上気した微笑みで緑茶を啜っている……。
「……大方あたしの持ち合わせが無いだろうと気を遣ったんだろ?」
「なるほどそういう事かい……。」
シスターの短い言葉で何事か察したモルダーが豪快に笑い声を上げ、紙袋を小気味良く二回叩いてみせる。
「ここに来る前にサイフでもスられたってか?この腹黒因業ババアが?んなタマかよ。」
「………?」
「……一言余計だねジジイ。」
「デロリスはな元からスられる様な金を持ち歩いてねぇ、じゃあガキが掠め盗っていったもんは何だ?って話だろあんちゃん。」
「俺の主観では確かに何か盗まれている様だったけど……。」
「だからその盗まれてるブツがこれなんだな。」
そう言ってモルダーは俺に紙袋の中身を見せてくれたのだが……そこには包装された菓子や飴玉が詰められていた。
「廃棄間際のべっこう飴や砂糖菓子なんかを引き取ってもらってんだよ、タダで。」
「シスター……あんた、まさかワザとガキ共に盗ませてやってるのか?」
その瞬間、俺の声音に含まれた感情に対しモルダーの表情からは笑みが消え、シスターはゆっくりと湯呑みをカウンターへ置く……。
当然だ、全てのストリートチルドレンを救える訳ではない、寧ろ中途半端な介入は彼らをより惨めに傷付けるだろう。
はっきり言ってーーー
「……偽善だろうね。」
「!?……それが判ってて何故なんですか。」
俺の心情を言い当てて、彼女は一呼吸置いて口を開く。
「あんたの言いたい事も判るさ……けどね、これに関しちゃ最善も次善も無い。
大概が偽善になっちまうし正しい答えなんざ都合よく捻り出せんよ、それこそあたしら神様じゃないしね。」
「ーーだったら!」
「あたしとしちゃ、気付かない内に菓子が減ってるってだけさ……ボケて知らずに自分で喰ってるか、誰かが喰ってるかなんざどうでもいいんだよ。」
「ワシもひとついいか……盗みであれ真っ当に得たものであれ、あの子たちが手にした金では商店の連中は受け取らん、寧ろ何処かで盗んだものとして袋叩きで奪うだろうよ。
一方でそれを利用し、僅かな食料と引き換えに盗品を吸い上げているクソ虫が居るのも事実だ。
だがよ……何よりクソなのは人狩りの奴らだろうぜ。」
「人狩り?」
「政府公認で定期的に路上浮浪児を狩りに来る奴隷商さ。」
胸糞悪い……奴隷商と聞いた瞬間、俺は思わず奥歯を軋ませていた……だが。
「それでも手を出すべきじゃない……過酷で辛くても、テメェで這い上がるしかねぇだろ。」
我ながら寒々しい詭弁だ、俺は一体何を守ろうってんだ?
「そうだね、正しいよ、モンテ様は正しい。」
「シスター……。」
「人は痛みを伴って育まれる、確かに自分の足で立たなきゃ何時か立ち往かなくなるさ……けどね、辛いだけじゃない、誰かに甘えたり頼りにされた記憶だって在って良いじゃないか。」
「………。」
「あの子らに味方は居ないんだ、解ってるさ、所詮あたしのやってる事なんざ些末で下らない。
それでもあたしだけはあの子らを甘やかしてやりたいじゃないか。」
「………。」
返す言葉が見つからない……あの子たちには『味方』がいないか、最初から出来っこないと割り切って重要な事から目を逸らしていた。
今更だ……折角転生してしがらみ無く自由に生きるって決めたのに、俺はまだ世間体や常識ってヤツに振り回されていやがった。
深呼吸してから残ったルアック・ボーを飲み干して……俺は紙袋に手を突っ込む。
「俺にも分けてもらうよ……それと相談なんだがーー」
つづく




