第三章 盗賊領主はハンコウする編 「別離の朝を踏み越えてでも征く」Cパート
……生命の根幹をも揺るがすティンの荒業によって知性化を施された五人のゴブリンたち。
言わずもがな、内二人はその骨格から変貌を遂げ、より人類に近い姿となっている。
全員、モンテの予想と大幅にズレた『変異』ではあるのだが、実の所、知性化前後で容姿に変化が見られなかったイチタロウ、マイケル、ロジャーの方が強化という意味合いでは著しく、最早ゴブリンとは別種と言っても過言ではなかった。
三人共に身長140〜150cmにも満たず、ゴブリン族の標準よりはやや恵まれた程度の体格であったが、細胞レベルでの変異により別次元の思考力と戦闘力を有している。
「………。」
……相手に合わせ、こちらも死人として戦えばいい。
『生きる』事への固執が遅れや無駄な所作に繋がるのならばただ前へ、キャサリンの元へと……それが紅き蝶の消失を目にした瞬間にマイケルが出した答えであった。
脅威となり得る速度と剛力を以て圧倒的な数で潰しに掛かる破壊衝動の権化、ここまでならマイケルにとって然程の脅威でもなかっただろう。
しかし生前の習慣や癖という形骸の中から稀に放たれる戦技……修練や教練の残滓、おそらくはグールの大半が元民間人なのも一因であろうが意図せず虚を突いてくる。
マイケル、否、生者にとって理外の範疇、読み切れないのだろう、この『切れない』が何より厄介……元よりグールを駆り立てている原動力、衝動たる本能には『生存』や『闘争』といった生命に必要不可欠な雑味が紐付いていないのだ。
人間と違いグール化にある程度の耐性を有しているマイケルであっても圧倒的に不利であり、故の取捨選択、八割強死に逝く覚悟の一点突破であった。
「ーーーッ!!」
前方から迫る者、後方から追い縋る者、その全てがマイケルに奇声を上げて手を伸ばす。
マイケルは疾走りながら鉈を逆手持ち水平に変え、目線の高さに据えるがまだ打撃は放たない……その行為が自身の速度を落とすと熟知していた。
僅かに鉈を引き、立ち塞がるグール共に接敵した刹那、僅かな隙間へ左肩から飛び込む!!
低い軌道での体当たりはほぼ背中をぶつけるに等しく、左側のグール数体を押しやりつつ半回転で隙間へ身体を捩じ入れる。
この際、右側のグールの爪が脇腹を掠めたが、マイケルは鉈をグールの下っ腹に引っ掛け、櫂を漕ぐ様に裂いて推し進む。
が、まだ屍肉の壁は抜けない、連携もクソもない殺到と云う名の突撃……しかし見抜く、圧力を掛ける五体の真ん中、そのグールだけ明らかに腰が沈んでいる、得体の知れない技の予感、そう断じた次の瞬間ーー。
狙いを絞る、最速を以て一番の脅威であろう真ん中のグールを起点として右方向へ斬り払う、当然だが逆側はおざなりであり、肩口と前腕を掴まれ、衣服ごと多少の肉を引き千切られるが構わず押し通る。
ほんの二拍後、やっと通り抜けたのか急に景色が開ける……否、抜けて等いない、おそらく敵群の中間、気持ち密度が薄いだけ、足を止めれば追い縋る死者たちに囚われるは必定であった。
しかしそれだけでもマイケルにとってはチャンスに違いない、僅かでも予備動作を広く取る余裕が生まれたからだ。
息を大きく肺に取り込み、踏み込みを強く振り出し地を蹴って更なる加速を生む!!
そうして背中側から伸ばされた無数の手を置き去りにした刹那……確信、マイケルにとっての目的地を目撃する。
途切れたグールの群れのその奥、約100mも無いであろう右方向に続く通路への切れ目から、群れが押し戻され、あまつさえ数体のグールが宙に舞っていた。
(……こんな芸当が出来るのはアイツしかいない。)
厳しい修羅の相貌に僅かな焦燥が混じる……この時点で蝶の消失から二分弱が経過していた。
漸くだ……間に合う、間に合わせてみせる!!それは決死で手繰り寄せた希望であったのだろう。
ーーもう止まらないーー止めようもない、今すぐに駆けつける、そう己を鼓舞し死者の間を縫う様に進むマイケル。
「………。」
……それは異様な静寂であった。
心中で想いを募らせ、猛れば猛る程に目につく、否応なしに不安が広がる。
重圧、抵抗、反発、何ひとつ感じられない……何故?意気込んで再び敵群へ突入した瞬間、そこには確かな殺意があった、在った筈なのだ。
だが右側の分岐へ突入してから景色が一変、全てのグールが反応を示さず、それどころか立ち尽くしマイケルの目指す方へ『意識』を傾けている?
否、意識と云う表現はあり得ない……しかし、そう考えざるを得ない程に、グール或いは別の意志が介在しているかの様な光景。
葬列に居並ぶ者達の黙祷、もしくは厳かに崇拝物に伏す儀式にも思えるだろうか?
言わずもがな、生死相喰む縮図たる戦場において、この異常事態は明確な好機に違いない、違いなかったが、マイケルに沸き上がった感情は説明のつかない『嫌悪感』であったという。
何故か?と自問しても論理を汲めない、組めようもないが心の真芯、核とも云おう部分から拒絶している……後にマイケルはこの感情が正しかった事を思い知る事となる。
「………!?」
見据えた先、死者の列から遂に垣間見えたキャサリンの姿……だがそれは想像だにしていなかったものであった。
ーーー何としてもキャスを助ける……あいつの代わりにはなれねぇけど、せめて連れて帰るからな。
……確かに誓った、自分がキャサリンにとっての帰る場所にはなれないと、嫌になる程思い知ったから……それこそこんな思いをする位ならと、知性化を後悔しかけた。
その果てに選んだ、得た全ての経験を注ぎ込んででも『二人』を守護るのだと……。
呑み込んだ筈の痛みが胸を衝く最中、視線の先ーー、キャサリンの傍らに居る巨躯のゴブリン……見慣れた広い背中。
居る訳がない、フェデルに置いてきた筈のマッコイが事もあろうか、正気とは思えぬ面持ちでキャサリンに喉輪を掛け、岩肌に沿って彼女の身体を吊り上げていた。
ーー刹那、マイケルの耳の奥で何かが焼き切れた音が聞こえる。
直後、グールの群れを抜ける、否、突き抜ける凄まじき速度で飛び出したマイケルの右手が体格差を物ともせずマッコイの左肩を掴み、振り向かせ様に一閃!!左拳がマッコイの頬骨を砕く!!
勢いがまま首が捻じれ、横方向へ巨体が流れた事でキャサリンの喉輪も外れたのだろう、力無く岩壁に凭れる形で崩れてゆく。
……が次の瞬間、今度はマイケルの顔面が首根っこから引き抜かれる様に爆ぜた。
マッコイの裏拳が下方から宙空で無防備となったマイケルを捉えたからだ。
小柄故に後方ヘ脆くも吹き飛ばされるが即座に態勢を翻し、四肢で着地、大地を掻き掴んで停まると間髪入れず、再びマッコイへと飛び込む。
マッコイもまた、迎撃の概念すら忘れたと言わんばかりに距離を詰めてゆくーー。
ゴブリン本来の獣性に立ち返ったかの様に、二匹の鬼は狂気に染まった咆哮を上げ、至近距離で互いの骨肉を潰し合う。
凄惨を究めてゆく打撃の応酬、だが一方でその優劣は最初からはっきりと付いていた。
正気を失いながらもマッコイの体格差を生かした攻め手は脅威であり、その勢いは増し続け、対するマイケルは初撃に受けた裏拳によって顎の追加ダメージだけでなく、鼓膜引いては三半規管にも損傷を負ってしまっていたが為にジリ貧にならざるを得なかったのかもしれない。
交錯し、独特の炸裂音が響く最中、視界の端で項垂れるキャサリンを捉えるマイケル……僅かに拳が鈍り、その振り抜きの硬直にマッコイの膝蹴りが突き刺さる!!
爆ぜる衣服と共に抉られて逝く血肉!!仰け反り、右胸から肩ヘとインパクトの衝撃を逃した事で致命傷は何とか避けられた。
「ーーオオオオオォォォォッ!!!」
直後、マッコイが吼えた、負けじとマイケルも裂帛の気合で全身を奮わせるーー
ーー最高潮に達しようとする二人の戦いを見やるグールの大群は不気味な程に沈黙を守っていたが……もうひとり、この様子を見ざるをえなかった者がいる、そう他でもないキャサリンだ。
(あのバカ……何で!?)
マイケルの一撃で解放されたキャサリンは身動きの取れる状態ではなかったが意識を失ってはおらず、この不毛な戦いを歯噛みする様な心境で見ていたのだ。
『不毛』……何故そんな思いが彼女に去来したのか?
一方的であるから?元々戦う意味等無いから?違う、そもそもマイケルには勝つ意志がないからだ。
この場に居る理由は不明だが、状況的に鑑みてマッコイがグールに転化しているのはキャサリンから見ても確実であり、マイケルにとっての勝利とはマッコイを無力化=完全に殺し切る事での解放であろう。
体格差やダメージは問題ではない、マイケルには出来た筈なのだ……しかし、彼が拳を振るう度、その精度が鈍ってゆく。
キャサリンにはマイケルの苦悩が手に取る様に理解出来たという。
だからこそ自分が止めなければならない。
意志を奪われた哀しき獣の咆哮と、最後の一線を踏みあぐねる悲痛なる叫びが混ざり合って響き渡る。
その瞬間、キャサリンもまた声を上げ、岩壁に凭れた身体を押し上げて踏み出す!!ーーそして。
染み付いていたのであろう、左右から繰り出されたマッコイの十字連撃(ショートアッパー+フック)が骨をひしゃげ、割砕く鈍い音がキャサリンの耳に届く。
彼女の目からはマッコイの背中越しでマイケルの姿は視えなかった……視えなかったが直後、その巨躯の頭上まで飛び上がる小さな人影を目撃する。
だらんと歪な形で垂れ下がる両腕を振り乱しながら、上半身を弓なりにしならせるマイケル。
(……いい加減にしろよ、バカヤロー。)
『仕方ねぇな』……そう何時も割に合わないと悪態をつきつつ、それでも仲間の側に立ち続けてしまう男の……諦めたと言わんばかりのはにかみが、そこには在ったという。
小さな打撃音、まるで額を合わせにいっただけの様な『懇願』にも似た頭突き、否、無言の問い掛け……暫し訪れる……静寂。
「………。」
当然の帰結であろうか、マイケルの行為は無防備となる事と同義であり次の瞬間、その身体は無常にも蹴り飛ばされ無様に地ヘ落ちた。
ピクリとも動かないマイケル……ただゼンマイが切れた様に立つマッコイ……その両者を見据え唇を噛むキャサリン。
やがて長いとも思えた沈黙を破り、マッコイは再びゆるりとキャサリンヘ何の感情も抱かぬ無機質な相貌を向ける。
今まで誰よりも側にいた筈のマッコイの変貌、改めて突き付けられた絶望に手の震えが止まない……だがそれでもとキャサリンは思う。
「ごめんマイケル……後は私がケリをつけるから。」
重低音に近しい呻きを洩らし、牙を剥きながらキャサリンヘ距離を詰め始めるマッコイ。
キャサリンもまた懐からナイフを取り出し、スタンスを広げて構えた……刺し違えてでも、マッコイを死の呪縛から解放すると覚悟を決める。
「………。」
そう決めた筈なのに……踏み出せない、結果として迎撃するしか出来ぬ状況は不利以外の何物でもなかった。
迷いを断ち切れない選択、いや選んだとも言えぬ曖昧さに、その瞬間、もうひとつの絶望が首をもたげキャサリンの『背後』から姿を現した。
……全身から白煙を吹き上げ、内側から灼かれる痛みにむせび泣く……転化を終えたダナンがぽっかりと口を開けキャサリンの肩を掴む。
不意を突かれ、肩越しに視たダナンの相貌に彼女の思考が止まってしまう。
ーー次の瞬間、血飛沫が宙ヘと舞った。
◆
◇
「完全に陽が昇ったかの……。」
蒼空を見上げ、息を吐くナーサ……返り血に染まった小柄な老婆は静かに辺りを見回す。
周辺はグールであったであろう夥しい数の腐肉が散乱し、どれもが陽光に晒され塵へと還されて往く。
不意に声を洩らして笑い、ナーサは遠く……こちらヘ進むグールの大群を睨めつけた。
(陽光の中でも活動出来る個体がけっこうおるわい。)
まずギャンビット号の救援は忘れよう……自身が死する迄、その武力を振るい続けると決めていたナーサに死角などあろうか?
ただひたすらに……そう心中で念じたナーサであったが、ここで予想外の出来事に遭遇してしまう。
大群の足音が唐突に止まったのだ。
「………?」
土煙が舞い、ナーサの後方から大群へと吹き抜けていく……が、それは彼女の認識を阻害出来る程の規模では無かった筈であった。
「………。」
その存在は確かに相対したナーサとグール群の中間に居た……否、突然に現れたと表した方が正しいのだろうか。
この大陸では見られない服装に身を包んだ長身の若い女性?何処か神事に通じる宗教色が見受けられる印象であるとナーサは感じ取った。
またその表情は見知らぬ文字を書き連ねた呪布の様な物で巻かれ、呪術的に隠蔽してるようにも見え、紅を差した口元だけが露出していたという。
「ヌシは何者か?」
ナーサの問いに女性は答えない、風に靡く白髪とは裏腹に全体像はやはり若い印象を受ける。
「三度目は訊かん……黙すれば敵として屠る!!」
「………。」
暫し……暫しの沈黙……一足飛びで刈り取れる間合いであると見切り、その機を覗うナーサとそんなナーサに無機質にただ正対していた女性。
しかしナーサが初動へと踏み出すより先に、女性が口角を上げ嗤う。
「路傍の石は捨て置くが必定よ……。」
呪詛そのものとも思える昏い声が紡がれた次の瞬間、突如として女性及びグール群の周辺に黒い霧が立ち込め、ナーサが動きだす間も無く黒い霧ごと消失してしまった。
再び訪れた静寂に暫く事態が呑み込めず、一人立ち尽くすナーサであったが、直ぐに気付く。
「転移というヤツか……。」
最大限に顔を顰め、牙を軋ませつつ……ナーサは状況を確認する為に走り出した。
◇
◆
ーー終局。
「……何で、マコ?」
キャサリンを懐へ抱き寄せ、右腕を突き出している巨躯……その先ではダナンが開放した口を覆う様に顎部ごと掴まれ、吊り上げられていた。
「ごめんなさい、状況はよく判らないけど、ワタシがキャスをいっぱいキズつけたのは判ってるから……。」
そう呟きキャサリンを覗き込むマッコイの表情にはいつもの穏やかさが戻っており、その様子を視たキャサリンの身体からは力が抜け、ただその分厚過ぎる胸板へ顔を埋める……。
「………。」
そんなふたりをマイケルは一歩引いた面持ちで見上げていたが……一息つき、両腕が粉砕骨折で使えないのだろう、直ぐ様芋虫の要領でのたくり回りながら何とか片膝立ちまで持ち直すと、側に落ちている鉈へ視線を向ける。
(……まだやらなきゃならねぇ事が残ってんな、俺にはよ。)
そこからのマイケルは速かった。
マッコイの認識より速く瞬く一閃、いや、もしかしたら薄々は気付いていたのかもしれない。
身体の内側から灼かれ、もがき苦しんでいたダナンの頭部の上半分が斬り飛ばされて……粛々とマッコイの手の中で残された身体が塵へと還って逝く。
「マイケル……あんた……。」
絶句するマッコイの視線の先には背中を向け、鉈の柄を無理矢理に噛み締めるマイケルが立っていた。
(まだ終わりじゃねぇだろ。)
敢えて突き離す様に冷たい眼差しを向け、ふたりに鉈をしゃくって後ろを振り向くよう促すマイケル……まだ敵の大群は残っているのだ。
満身創痍での総力戦、敵が動きを見せない不気味さも相まってか最悪の結末が三人の脳裏へ過る。
ならばせめて誰よりも速く飛び込んでやろう、そう各々が覚悟を固めてグール共を睨みつけ対峙したその瞬間……やはり時を同じくして、それは起こったという。
黒い霧がグール群を包むかの様に発生したのだ。
だがしかし、次々にグールが消失してゆく最中で、一体のグールが自分を視ている事に気付くマイケル。
やがてその一体が最後に消える寸前、昏き呪詛の声が響く。
『釈壁の従者よ、お前は合格だ……仲間を優先順位に従って冷酷に斬り捨てる様、惚れ々れしたぞ。』
「…………。」
『いずれ迎えに行くその時、新しい価値観、世界をお前に与えよう……。』
そう呪詛を結び……余りに悍ましい余韻だけを残してグールは消えていった。
まるで凄惨な出来事など元から無かったかの様に差し込む穏やかな朝焼け、マイケルは戦塵の名残りが空へ吸い込まれるのをただ見つめていた。
そしてキャサリンとマッコイもそんなマイケルの背中を同様に見つめる事しか出来なかったという。
コルカド編 エピローグへつづく




