5 ライラック王国の新しい聖女
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「――シシリティアお嬢様、どうかお急ぎ下さい。このままでは王都への到着が遅れてしまいますぞ!」
「分かったわ、アドニス。すぐに馬車に戻るから、ちょっとだけ待っていてね!」
ライラック王国の王都、パルティンへ向かう為。
遠いフォルス家の領地から馬車に乗って、薄暗い森の中の道を進んでいた次期聖女候補のシシリティア・フォルスは、慌てて馬車の中へと駆け戻っていく。
彼女の手には、森の中で見つけた『赤い花』が握られていた。
それは彼女の母親で、現在はライラック王エルムハルトの妻であるアリスティア王妃が好きな色の花であった。
シシリティアはその赤い花を手土産として持参する為に。馬車を途中で止めて、薄暗い森の小道の脇に咲いていた花を摘んでいたのだ。
「全く……少しは自制して下さい。シシリティアお嬢様。もうすぐあなた様は、この国を守護する『聖女』になられるお方なのですよ? 聖女継承の儀式の日も近づいきているのですから、くれぐれも危険な行為は避けて下さい」
「フフ、ごめんなさいね、アドニス。でも、だからこそお母様のご機嫌をとっておかないといけないのでしょう? いつも持病の神経痛を患っているお母様に、心を落ち着ける香りを持つ『フェリスの花』をプレゼントしたいと思ったのよ」
白いドレスを身にまとうシシリティアは、平然とした表情で、まるで何事も無かったかのように馬車の中に颯爽と乗り込むと。
彼女に仕える老齢の執事アドニスに、片目でウインクをしてみせた。
その様子を見て、執事のアドニスは『ハァ……』と、いつものように深いため息をこぼす。
銀色の綺麗な髪を持ち、美しい容姿をしているシシリティアは、ライラック王国の次期聖女後継者でありながら。子供の頃から勝ち気で、男勝りな性格をしている事で有名な女性だった。
彼女はピアノや裁縫、料理などといった貴族の令嬢に相応しいイメージのある趣味には一切興味を示さず。
王宮に仕える騎士達の中に混じり。子供の頃から剣術の稽古ばかりするという、次期聖女候補とはとても思えないお転婆ぶりを披露している。
シシリティアの父親である、ライラック王国第一王子であったエルムハルトと。聖女の地位を継承したフォルス家のアリスティア王妃は、今から約30年前に婚姻を結び。
その後2人の間には長い間、子供を授かる事が出来ないでいた。
そんな中……ようやくアリスティア王妃が29歳の時に生まれてきた一人娘がシシリティアだ。
シシリティアは幼少の時は体も小さく、周囲から健康面を心配されていたのだが……。
成長して蓋を開けてみると、こんなにも元気でお転婆な性格をした、たくましい女性に育っていた。
その事を、彼女の執事であるアドニスは内心では喜びつつも……。彼女が王国を守護する『聖女』としての役職を母親のアリスティアから受け継ぎ。
これから立派に国を守っていけるのかと、つい心配をしてしまうのである。
「……ねぇ、ところでアドニス? 今度王都で開かれる舞踏会には、ソレイユも参加するのよね?」
「その通りでございます、シシリティアお嬢様。お嬢様の婚約者であられるソレイユ様は、モノリス家の嫡男として立派に成長なさっていると聞いています。舞踏会では、ソレイユ様のダンスの相手をちゃんとして頂き。エルムハルト王やアリスティア王妃に恥をかかせない、優雅な立ち振る舞いをしなくてはいけませんぞ!」
「ええっ、それやだなぁ……。だって私、ダンスとか超苦手だし。ソレイユとは1年くらい顔をまともに合わせてないんだから。きっと私の顔を見ても、向こうは気付かないんじゃないのかしら?」
「な、何を仰いますか……! ソレイユ様は先日のライラック王国辺境への遠征軍にも参加し。戦場で立派な戦功を立てて戻られたと聞き及んでおります。その際に遠い戦地からお嬢様に向けて、ソレイユ様は毎日お手紙を送って下さっていたではないですか?」
「ああ、それね。全部読んでないわ。部屋の中の引き出しに入れっぱなしにしてるもの」
「な、何たる事を……! ソレイユ様は仮にもライラック王国の中で最も権勢を誇る大貴族、モノリス家の嫡男であられるお方ですぞ。しかもお嬢様の婚約者でもあられるお方ではないですか。それをそのような態度で……!」
興奮して口から唾を吹き出しそうになっているアドニスの口元を、ハンカチで優しく拭き取り。
シシリティアは、彼女にとっての不快な話題を変える為に。落ち着いた声音で、執事のアドニスに向けて話しかけた。
「ねぇねぇ。そういえば今回の辺境への遠征で、ライラック王国軍は魔族軍に対して大勝利を収めたんでしょう? 国境に侵入してきた魔族軍を見事に蹴散らしたって聞いたわよ? それには辺境の新興貴族である『ゴールドハルト辺境伯』の活躍が大きかったって、王都では噂になっているみたいね!」
「は、はぁ……左様でございますな。まだ名前の知られていない貴族ゆえ、どのような人物なのかは爺も存じ上げませんが。何でも辺境の領土に、無限に黄金を生み出せる『金鉱』を所持しているとか。王都ではそのゴールドハルト辺境伯が、金の力で爵位も買ったのでは……という、良ろしくない噂もあるようです」
「ふーん、そうなんだ。私も噂は聞いていたけど、それ本当なのかしらね? 何でも黄金を無限に持っていて、彼の着ている鎧は全て黄金で作られているそうじゃないの」
「シシリティアお嬢様。それはあくまでも噂でございます。成り上がり者の新興貴族として、あまり評判も良からぬお方のようですので……王都に着きましたら、その話題は出さぬ方がよろしいかと爺は進言致しますぞ」
「えぇ、何でよぉ〜〜! めちゃくちゃ面白そうな話題なのに。お金持ちで強くて、しかもミステリアスな騎士様なんでしょう? もしかしたらそのうちにこの国の権力を欲して、そのゴールドハルト辺境伯が王都に攻め寄せてくる事だってあるもしれないわよ!」
「お、お嬢様っ!! そのような不穏な話を口にされてはいけませぬ! しかもどうして……そんなに嬉しそうに話されるですかっ!」
「ウフフ、ごめんごめん! 冗談よアドニス。謝るから本気にしないで!」
シシリティアは、呆気らかんとした態度で。口元を押さえながら笑ってみせた。
彼女も次期聖女候補として、王宮で厳しい教育を受けて育てられた身だ。だから軽々しく王家に災いをもたらすような話題を、口にすべきでない事は心得ている。
けれど、元々勝ち気な性格をしているシシリティアは……遠い辺境の地で強力な軍事力を持ち。
王国と敵対する魔族軍に対して、大勝利をもたらしたといわれている見知らぬ辺境伯の存在に。どこか……遠い憧れのような感情を抱いていた。
シシリティアは『聖女』としての型にはめられた、堅苦しい生き方を好まない。
どちらかといえば、乱世をたくましく生き抜く。騎士としての生き方にこそ強く惹かれてしまう。
子供の頃から剣術の修行をして、他の騎士達よりも遥かに強い剣の腕前を持つほどに成長したシシリティアは、もしも自分が聖女を排出するフォルス家に生まれていなければ……。
きっと剣を片手に戦場で己の武勲のみを頼りに生きる騎士として、最前線の戦場で大活躍していたかもしれない。
だから遠い辺境の地で、戦場で輝かしい武勲を立てたと噂になっている成り上がりの辺境貴族の存在に。心のどこかで、強い憧れを抱かずにはいられなかったのだ。
「ハァ……。私もいつかお会いしてみたいなぁ。そのゴールドハルト辺境伯様に……」
””ヒヒーーーーーン!!!””
その時、シシリティア達を運んでいた馬車の馬が――森の中で鳴き声を上げて急に立ち止まった。
「――どうしたの? 一体、何が起きたの!?」
異変を察知して、シシリティアはすぐさま馬車の外の様子を覗き見る。
すると護衛の任に就いていた前衛の騎士達が、大声でシシリティアに対して呼びかけてきた。
「シシリティア様! 大変です、巨大な魔物達が群れをなして馬車を襲撃してきています!」
「……何ですって、魔物が!?」
シシリティアはとっさに、馬車の奥にしまいこんでいた自分の愛用の剣を引き抜くと。戦闘態勢を整えて、外の状況を窺う事にした。
「お、お嬢様……! 危険な行為は、どうかおやめ下さい! 魔物退治は外の騎士達に任せておけば良いではないですか!」
「アドニスは、馬車から外に出ないでね! 私は外の様子を見てきます!」
勇猛なシシリティアは、馬車から飛び降りると。剣を構えて周囲の様子を注意深く見つめる。
馬車の周りには全長3メートルはある、大型のトカゲタイプの魔物達が大量にひしめいていた。
そして馬車を護衛していた5人の騎士達は、魔物との戦闘で負傷して地面の上に倒れ伏している。
つまりはもう……馬車を守る護衛の騎士は、誰一人として残っていなかった。
でも、どうしてライラック王国の王都へと繋がる森の小道に、突然『魔物』が出現したのだろう?
それもただの魔物ではない。魔族領の奥地に生息するような巨大な大トカゲの魔物が、まさかこんな所にまで出現するなんて……!
全ての出来事が、あまりにも想定外過ぎた。
だが……勇敢なシシリティアは、決して魔物の群れに恐れをなして怯んだりする事はない。
彼女は得意の剣術を駆使して、少しでも敵の数を減らそうと。馬車の中に残した老執事のアドニスを守る為に、大トカゲの魔物達に向けて大きくジャンプをしながら斬りかかっていく。
”カキーーーーーン!!!”
「えっ……!? そんな………!!」
硬い金属のような強度を誇る大トカゲの皮膚は、シシリティアの振るう剣の一撃をあっさりと弾き返し。彼女が持つ剣を真っ二つにへし折ってしまった。
これではもう、魔物達と戦う術が無い。
いくら剣術の修行を積み、普通の騎士達よりも遥かに優れた強さを誇るシシリティアといえども……。
鋼鉄の皮膚を持ち、規格外な強さを持つ大トカゲの魔物達の相手をするには、あまりにも分が悪すぎた。
やがて馬車を取り囲むトカゲの魔物達は、集団でじわじわとシシリティアに向けて接近してくる。
この時……ようやくシシリティアは、自分が『死』の恐怖に晒されている事実を悟り。
生まれて初めて、全身がガクガクと震え上がっている事に気付いた。
自分はここで、魔物の群れに襲われて殺されてしまうのだろうか?
せっかく子供の頃から剣術を習っていたというのに、まさかこれほどまでに自分は無力な存在だったなんて……。
「……ごめんなさい、お父様、お母様。シシリティアは、ここで命を落としてしまうかもしれません……」
死を覚悟したシシリティアは両目をつぶり。その場で腰を屈めて地面に膝を屈しそうになっていた、その時――。
””ヒヒーーーーーン!!””
森の奥から、白馬に乗った金色の鎧を着た騎士が颯爽とシシリティアの前に飛び出してきた。
「えっ………!?」
驚きの声を上げるシシリティアを尻目に、黄金の騎士は目にも止まらぬ高速の剣技で、巨大なトカゲの魔物達を切り刻み。
シシリティアが気付いた時には――合計10匹を超えていた大トカゲの魔物達は、黄金の騎士によってあっという間に制圧され、全滅していたのである。
剣術の心得があり、子供の時から剣の修行をしてきたシシリティアにとって。それはあまりにも驚きの光景だった。
目の前に出現した黄金の騎士は、とんでもない程の実力を持った手練れの騎士である事が分かる。
シシリティアは生まれて初めて、自分よりも遥かに強い。本物の実力を持った『騎士』に出会えたと思った。
驚くべき出来事が立て続けに起こり。半ば放心状態になって、その場に倒れ込みそうになったシシリティアの体を――。
白馬から颯爽と地面に降り立った黄金の騎士が、彼女の肩に手を回して見事に受け止めてみせた。
「……大丈夫ですか、シシリティア様?」
「私の事を、知っているのですか……?」
「ええ、もちろんです。あなた様はエルムハルト王とアリスティア王妃の間に生まれた、次期聖女後継者。シシリティア・フォルス様ですよね?」
黄金の騎士に優しい声で呼びかけられたシシリティアは、騎士の発した予想外な声音に驚く。
自分を助けてくれた騎士の声は、まるで若い女性の声のような美しい響きをしていた。
黄金の騎士は顔に装着していた兜を取ると、自分の顔をシシリティアの前にさらけ出してみせる。
「――――!?」
シシリティアは、この時に見た黄金の騎士の顔を――生涯、決して忘れる事は無いだろう。
黄金の鎧を着た騎士の顔は、この世の誰よりも美しく整っていて。まさにおとぎ話の中に登場する、白馬の王子様に相応しい顔をしていた。
顔の3分の1を覆い隠す金色の眼帯を左眼に付けた騎士の顔は……まるで伝説の女神様のように美しい。
そして、背は決して高くはなかった。そう……こんなにも恐ろしい実力と強さを兼ね揃えているのに。騎士の体型はまるで女性のような、中性的な美しさを保っていた事にも驚いてしまう。
どんなに剣術の修行をしても、男性としての筋肉質な体格がなければ及ばない事は多々あった。
だからシシリティアは、男性という存在そのものに。いつしかコンプレックスを抱くようになっていた。
それなのに目の前にいる黄金の騎士は、女性と変わらない体格で、あれだけの強さを示して見せたのだ。その姿にシシリティアが、憧れを抱かないはすが無かった。
聖女候補としての生き方に窮屈さを抱き。独自に剣術を習い、男勝りな性格と生き方をしてきたシシリティアは……。
生まれて初めて――『異性』に対して。全身から湧き上がるようなときめきと、燃え上がるような興奮に体を熱く焦がしてしまう。
なぜなら、黄金の騎士に体を抱きしめられているシシリティアの鼓動は――。もう歯止めが効かない程に強く、太鼓のように連続で脈打ち続けていたからだ。
「あ、あなた様は……一体、どなたなのですか?」
「――申し遅れました。私はルームハルト地方を統べる辺境地方の領主、クルス・ゴールドハルトと申します。王都パルティンに向かう途中、森の中で魔物の大群を見かけましたので急ぎ駆けつけさせて頂きました。次期聖女候補であるシシリティア様の窮地をお救いする事が出来て、本当に良かったです」
その女性のように美しい、中性的な魅力を持つ青年に真っ直ぐに顔を見つめられて。
シシリティアの頬は、リンゴのように真っ赤に染まってしまう。
ああ……無理だ。我慢なんてもう、とても出来ない。
自分はこの黄金の騎士の、透き通るように美しく青い瞳に魅せられて。
二度と後戻りする事の出来ない、本物の『恋』に落ちてしまったのだという事を……。シシリティアこの時、生まれて初めて実感してしまったのだった。




