名前も知らない君へ
第6話
「名前も知らない君へ」
アレンのお好み焼き大失敗映像は、星野家に長く語り継がれることになった。
水を入れすぎた生地。
小麦粉の少なさ。
重曹を忘れた衝撃。
そして、母エレナの一言。
『失敗作や』
ヒカリはその場面だけを何度も再生していた。
「ここ、何回見ても腹筋にくる」
ユウも笑いながらうなずく。
「エレナさん、ツッコミ鋭すぎるね」
ミラは少し困ったように笑った。
「でも、アレンさんの名前、やっとちゃんと覚えた気がする」
ヒカリが振り向く。
「え? 今さら?」
「違うと。名前は最初から聞いとったけど……」
ミラは端末を見つめた。
「声だけやった時は、ただの遠い人やった。でも映像を見たら、アレンさんの家があって、お母さんがおって、台所があって、失敗したお好み焼きがあって……名前の中に、生活が入ってきた感じがしたと」
ユウは静かにうなずいた。
「名前って、そういうものかもしれんね」
その日の夜。
惑星ルミナスには、また三つの月が浮かんでいた。
真っ暗にならない夜。
洗濯槽みたいにうねる海。
ミラは窓辺で、返信映像の準備をしていた。
題名は――
《名前も知らない君へ》
ヒカリが覗き込む。
「いや、もう名前知っとるやん」
「これは最初に送るつもりだった題名たい」
「なるほど。乙女の名残り」
「黙って」
ユウがカメラをセットする。
「じゃあ、今日はちゃんと落ち着いた映像にしようね」
ヒカリが胸を張る。
「任せんね。今回は真面目に行く」
ミラとユウは同時に言った。
「信用できん」
録画が始まった。
ミラは少し緊張しながら話し始めた。
「アレンさんへ。星野ミラです。お好み焼きの映像、見ました」
後ろでヒカリが吹き出しかける。
ユウがその口を押さえる。
ミラは必死に笑いをこらえた。
「えっと……まず、水は計量した方がいいと思います」
ヒカリが我慢できずに小声で言う。
「宇宙の鉄則たい」
ミラは咳払いした。
「それと、名前の話をしたいです」
ミラは少しだけ視線を落とした。
「最初にあなたの声が届いた時、うちはあなたのことを何も知りませんでした。名前も、顔も、住んでる星も、どんなふうに笑う人なのかも」
カメラの向こうに、アレンがいるわけではない。
この映像が届くのは、ずっと先。
それでもミラは、まるで目の前にいる人へ話すように続けた。
「でも、声を聞いて、映像を見て、少しだけわかりました。あなたは、よくしゃべる人です。料理はたぶん苦手です。お母さんにツッコまれても、ちゃんと笑える人です」
ヒカリが後ろで親指を立てる。
ユウはやさしく微笑んでいた。
「うちは、星野ミラです。惑星ルミナスで暮らしています。月が三つある星です。家族はうるさいです。妹たちはもっと騒がしいです。でも、大事な家族です」
そこへ、ヒカリが割り込んだ。
「次女のヒカリです! アレンさん、お好み焼きは液体やなかです!」
「ちょっと!」
ユウも顔を出す。
「三女のユウです。今度はちゃんと分量を確認して作ってください」
ミラは頭を抱えた。
「真面目に行くって言ったやん!」
ヒカリは笑った。
「真面目たい。料理の安全指導」
ユウも言う。
「名前を知るには、失敗も知ることやけん」
ミラは、思わず笑ってしまった。
その笑いが、映像に残った。
作り直すこともできた。
でもミラは、止めなかった。
このままでいいと思った。
きれいに整えた言葉より、家族の声が混ざった方が、ルミナスらしい。
ミラはもう一度カメラを見た。
「アレンさん。いつか、あなたの星のことをもっと教えてください。アステリアの空。リングの光。あなたの家族。好きな食べ物。好きなチーム」
ヒカリが横から入る。
「阪神かオリックスか、そこ大事たい」
ユウが続ける。
「セレッソかガンバかもね」
ミラは苦笑した。
「そこも含めて、教えてください」
そして最後に、静かに言った。
「名前も知らなかった君へ。今は、ちゃんと名前を呼べます。アレンさん。また声を聞かせてください」
録画終了。
送信。
光の速さで、映像は宇宙へ旅立った。
それは、名前を呼ぶための手紙だった。
名前を知るということは、相手を少しだけ自分の世界に迎えること。
遠い星の青年は、もうただの通信相手ではなくなっていた。
百光年先の、アレンさん。
ミラの中で、その名前が静かに灯り始めていた。
次回予告
ミラは、アレンの名前を初めて本当の意味で呼んだ。
だが、百光年の距離は簡単には縮まらない。
返信を送っても、返事はすぐには来ない。
そんな中、ヒカリは「待つ時間を楽しくする方法」を考え始める。
そしてユウは、遠い星へ届ける歌を作ろうとする。
次回、
第7話
「六年遅れのこんにちは」
返事は遅れて届く。けれど、想いまで遅れるとは限らない。




