7.温かい冬
《冬》
思い切り足を伸ばす。じんわりと温かく、柔らかい湯はとろりと肌に吸い付くようだ。
湯気が立ちのぼり、貸し切りの広々とした風呂は実に気持ちがいい。
肩を湯から出すとスーッとするような冷たい風が吹き抜けるが、それよりも下が熱い湯船にあるとその冷気すらも心地良い。
「やっぱり、富士山は大きいなあ」
私はありきたりな感想として富士山の勇壮さを口に出していた。地元神戸にも六甲山という山があるが、やはり日本一たる山はその佇まいが別格だ。
冬の快晴を背景にその霊峰は山頂から裾野までがほとんど雪に覆われている。均整のとれた二等辺三角形は高いだけでなく、横にも広く何処までが麓かよくわからないほどた。
「はあ〜……ええ湯じゃんねぇ……」
甲斐は頭にタオルを乗せて、溶けたように甲斐は小さな手足を湯船の中で広げていた。
給湯口からはこんこんと湯が溢れ、二人だけでは有り余る浴槽から止めどなく流れ出していく。
私は浴槽の石の縁に片腕を乗せ、そばにおいてあったペットボトルのミネラルウォーターを飲みながら、一月の澄み渡る空と富士山を見る。
「アンタ、エエとこに生まれたなあ」
「えへへへ。小野先輩。山梨、ええところでしょぉ」
すっぴんで化粧もしていない甲斐の肌は幼子のようにきめ細やかで、素朴でいて少女らしい笑みが本当に子供のようだ。
「せやなあ。この景色見ながら、温泉浸かるのはホンマに贅沢やなあ」
ちゃぷんと手のひらでお湯をすくい、外に出している腕に流しかける。その流れる湯を見ながら甲斐は私に近づいてきた。
「今度は有馬温泉行ってみたいっちょ」
「有馬かあ……意外と地元って近いから行かへんのよな。また、今度は年度末が済んだら行こか」
年度末。その言葉を聞いて甲斐は大きくため息を吐く。
「はあ〜……それがありましたねえ。大変じゃあ……」
「ま、アンタなら大丈夫やって。ウチもフォローするし、課長も認めとるから」
タオルで顔を拭きながら甲斐は私を怪訝そうに見る。
「ええ? あの鬼の課長がけぇ? 信じれんじゃんねぇ」
私は湯から上がり、洗い場の椅子に腰かけ身体を洗う。遠くから名も知らぬ鳥の鳴き声が聞こえてくる。突き刺すような寒さであるが、火照った身体を冷ますのにいい風だ。
「ホンマやって。来年から一人で任そうかなあ。って言うてたよ」
「え? それは困りますよぉ。小野先輩とコンビで仕事するの楽しいですからぁ」
「はははっ、ウチもや」
同じように甲斐も浴槽から上がり、洗い場で身体を洗いはじめる。彼女のうなじは白く細い。滑らかな湯上がりは少しだけ赤くなっている。
「ところで、甲斐。今日はええ写真撮れたん?」
足、背中、腕と順に洗いながら私は甲斐に聞く。
夏場に行った雄山で懲りていた私は別に富士山に登った訳ではない。甲斐も今回は登るつもりはなく、ただ景色を楽しむために来たと言っていた。
「はい。あと、フィルムが一枚だけ残っとるじゃんね」
「あと一枚かあ。撮るものは決めとるん?」
「一応、先輩と二人でツーショットの自撮りでもしようかなと」
「フィルムカメラで? うまくいくかなあ?」
「まあ、物は試しじゃん。お風呂あがったら富士山バックに撮ってみましょう」
甲斐は私よりも先に身体を洗い終え、シャワーでその泡を流す。
「うわー、やっぱり冷えるじゃん。内風呂入って、部屋戻りましょう~」
腕を交差させ、少し寒そうに甲斐は笑った。
浴衣姿で旅館の廊下を歩く。通り過ぎる道すがらにはカラオケルームや卓球台があった。カラオケは若者が入っていき、卓球は親子が軽い球を軽く打ちながら遊ぶ。実に温泉旅館らしい光景だ。
緑色の絨毯を薄いつっかけで部屋に戻っていく。窓からは差し込む光は日中であるが、冬特有の弱さで熱を強くは感じない。
三階にある部屋の鍵を開け、出入り口でつっかけを脱ぐ。
甲斐は裸足でパタパタと緑と赤のチェックのバッグに近づき、古ぼけたカメラを手に取る。
「小野先輩、この旅館、屋上のテラスからも綺麗な富士山が見えるんですよ。そこから撮りましょう~」
「そうやな、最後の一枚綺麗に撮りや」
「任せてくりょうし!」
小さな手をピッと額に当てて甲斐は敬礼してからカメラだけを手に取り、再び私たちは部屋を出る。先ほどと同じルートをたどり、エレベータホールから屋上を目指す。
旅館の古いエレベータで屋上にまで出ると、再び富士山と相まみえる。
「お、ラッキー。人いませんねぇ。今のうちに撮っちゃいましょう」
手慣れたものだ。一年ほど前はレンズカバーを外すことさえ忘れるようなどんくささを見せていたものだが。手元で操作する手つきは素人感はなくなっていた。
早いものだ。甲斐と出会って二年近く。出会ったときはこうして一緒に旅行をするなんて思いもしなかった。
「先輩、撮りますよぉ~」
「ん。よし、美人に撮ってやぁ」
甲斐はカメラを近くの椅子において、私にピントを合わせる。そして、タイマーをかけ小走りで私の隣にまでやってきた。
「いい感じに収まってるじゃん。小野先輩」
「ホンマに? よし。じゃあ最後の一枚はとっておきで笑いながら撮ろうか」
甲斐は口角をあげレンズに目を向けてピースする。私も同じようにそのレンズに向かってピースした。
カシャリ。
春からは始まった三十六枚のフィルムはこれですべて撮り切った。
「温かい冬」いかがだったでしょうか。
冬の旅の醍醐味と言えば温泉ですね。湯に浸かってボーッとする時間は癒しそのものです。




