8.終幕―またあなたと旅を―
「えぇ……小野先輩、いなくなっちゃうじゃんけぇ?!」
休日の午後、私は小野先輩が予約してくれたオシャレなカフェでバカでかい声を出してしまった。
「アホ、声が大きい。他のお客さんびっくりしてしまうやろ」
周囲を見渡すと私に確かに耳目が集まる。恥ずかしい。
「す、すみません……」
困ったように小野先輩は笑い、ブラックコーヒーの氷をかき混ぜる。からりと氷の音が店内のBGMと重なっていく。
「いなくなる言うても一年間の海外出張や。別に会社辞めるわけちゃうねんから」
「そうだだけん……寂しくなるじゃんねぇ」
私はレモンティーにガムシロップを入れる。シロップは紅茶の中で溶けていく。ガラスコップは結露した雫が流れ、木製のコースターを濡らす。
「まあ、海外言うても韓国やし、甲斐も観光ついでにいつでもおいでや」
「……はい。先輩、戻ってきたら今度は甲府営業所に異動してくりょうしね。私は戻ってるかもしれませんから」
苦し紛れに私も小野先輩を誘う。
「あははは! それはないわ。課長、アンタのこと気に入ってるから、しばらくは関西やで」
「ほんとですかあ……ああ、課長もいい人ですけど、うんと厳しいじゃんねぇ」
「そうや。今まで撮った写真、見せてよ」
テーブルに両肘をつき、小野先輩は私がずっと手にしていた封筒のような入れ物を指差す。今では珍しくなったフィルム現像を一緒に見ることにしたのだ。
「はい。これ、私も見るのは初めてですよ……」
折り曲げられた封筒のような入れ物から三十六枚の写真を取り出す。
「これは……あははは! 綺麗にピンボケしてますねえ」
春に撮った写真は一枚目からいきなりボケていた。
でも――
「あぁ……ええ塩梅にボケとるなあ。あ、これええんちゃうん?」
小野先輩が一枚をピッと取り出すと、桜と風見鶏と海がきれいに映っていた。
「あ……これ……」
私はバッグの中からもう一つの封筒を取り出し、一枚の写真を取り出す。
少し色あせた写真。
これは、祖父が撮ったものだ。
「それは?」
「ふふっ、これ私のおじいちゃんが撮った写真じゃんねぇ」
「おぉ! 見事に似た景色やなあ」
「そう! これが私もやりたかったんです! おじいちゃんと同じ景色を、撮ってみたかったんです!」
二枚の写真を小野先輩は並べて、神戸の春を切り取った写真を覗き込む。髪をかき上げ、耳の後ろに回す。
「んー。ええやん。でも、他の写真はもひとつやなあ」
嘘偽りなく私が春先に撮った写真の評価を下していく。もちろん、私も上手く撮れたとは思っていない。
「あははは、まあ、一枚だけでもきれいに撮れて私としては万々歳じゃんねぇ」
そして封筒の中にある祖父の撮った写真を春夏秋冬の順で並べ、自分の撮った春夏秋冬と比べる。
「お。夏は全然違うけど、これが狙ってた一枚?」
小野先輩がスッと選んだ写真は黒部ダムの一望を撮ったものだ。
「そう。それなんですけど、おじいちゃんが撮った時はブワァーって放水してただけん、私たちのときは全然じゃんねぇ」
雄山に向かう道中、行きがけに黒部ダムを撮った一枚は祖父のものとは異なり、放水はほとんどなかった。
「秋は……全然わからんですね。ここどこなんだろう? 調べても今ひとつわからなかったじゃん」
次第にピンぼけの写真は少なくなっていくが、同時に祖父の写真とも明らかに映し出したものが異なることに気づく。
「ん……これ、東福寺やなくて蹴上のインクラインちゃう?」
「蹴上?」
「うん、ここ。見てみ。線路みたいなんあるやろ?」
人差し指で二度ほど、とんとんと写真の端にある部分をたたく。
秋の紅葉ばかりに気を取られていたが、言われてみると確かに線路のようなものが見切れ気味に写っていた。
「ホントじゃんねぇ……うわあ、気づかんかった」
コーヒーで一息つきながら小野先輩は私が撮っ
た秋の写真を見ていく。
「でも、ピンぼけも少なくなってきて上手くなっとるやん」
「えへへ、ありがとうございます」
そして冬の写真は撮った場所こそ違うが紛れもなく祖父と私の写真は冬の富士山を写していた。
「富士山は……全然似たような絵がないけど、よかったん?」
「小野先輩、富士山はどこから撮っても日本一の山じゃん。つまり、どこから撮っても美しいもんだよぉ」
「ははっ、ならええわ」
こうして私の三十六枚を写し撮る一年を通した旅は終わりを告げたのだ。祖父の足跡をたどってみて遠い祖父とこのカメラを通じて繋がれたような気がした。
「今度は秋の蹴上でも撮りに行くか。ま、その前に韓国遊びにおいでな」
そして、祖父と私が写してきた世界で決定的に違う自分だけの世界もあった。
「はい! 焼き肉食べて、ピビンバ食べて、冷麺食べて、キムチお土産にするっちょ!」
そう。代えがたい人との一瞬を収めた時間。
「何で食べもんばっかりやねん。エステとかコスメも向こうはいっぱいあるから、色々体験してみようや」
「あははは! そうですね……小野先輩」
これからも私はきっと移り行く景色を撮っていくだろう。
「ん? なに?」
同じ景色だったとしても、一つとして同じことはない。ガードレールの手触り、高山の薄い酸素、観光地の満員電車、日本一の山。
「また、私と一緒に色々、旅行してくりょうしね?」
「当たり前やろ。今度の春はウチが企画するから、韓国行くまでに考えとくわ」
「はい! よろしくお願いします!」
季節を巡る旅はまだまだ終わりそうにない。
「じゃあ、今日も一枚、撮るじゃんね!」
カシャリ。
古いフィルムカメラは私の旅をまた彩っていってくれるはずだ。
了




