時間は止められる? ならば熱運動で未来へ押し通るまで
飛行特性すらも「空気柱」で強行崩壊させたレオンの存在は、ついに聖王国の最高禁忌――時空魔導の領域へと火をつけた。
「あり得ん……物理攻撃の射程、耐性、そして高度すら意味をなさないだと……?」
王宮の最深部、禁書庫の奥に潜む老人――王国最強の時空魔導師クロノスは、冷や汗を流しながら古代の魔導書を開いていた。
「だが、奴とて時間の流れからは逃れられまい。我が血族にのみ伝わる究極の時空魔法。世界そのものの時間を停止させれば、どれほど強大な物理エネルギーとて、起点すら作れずに凍りつく」
クロノスは歪んだ笑みを浮かべ、時を刻む金の懐中時計を握りしめた。
翌日。王都の迎賓館の庭園。
レオン、エレナ、聖女リアの三人が、今後の話し合いのために歩いていた。
「ねえレオン。第一騎士団も魔導隊も壊滅させたけど、これからどうするつもりなの?」
エレナが呆れ混じりに尋ねる。
「どうするもこうするもない。美味しい飯を食って、筋トレをするだけだ」
レオンが素っ気なく答えた、その瞬間だった。
カチリ。
静寂の中、硬質な金属音が響いた。
次の瞬間、世界から一切の「動き」と「音」が吹き飛んだ。
風に舞っていた木の葉が空中で静止し、水差しから落ちる水滴が宙に留まる。
話しかけようとしていたエレナの表情も、心配そうに手を添えていたリアの体も、彫像のようにピタリと固まっていた。
「クハハハハ! 見事なまでに止まったな!」
庭園の奥から、悠然と歩み出てくるクロノス。
「これぞ時空魔法の神髄。この停止した時間の中では、いかなる存在も思考することすら許されん。世界の時間が止まっているのだからな」
クロノスは静止したレオンの目の前に立ち、懐から鋭利な時空の短剣を取り出した。
「どれほど異常な肉体を持っていようと、動けなければただの肉の塊。停止した時間の中で、無防備な首を刈り取ってくれる――」
「時間が止まっている、か」
「――なっ!?」
クロノスは自分の耳を疑った。
静止しているはずのレオンの口から、低く落ち着いた声が漏れ聞こえたからだ。
首を動かすことすら不可能なはずの停止時間の中で、レオンはゆっくりとクロノスを見下ろしていた。
「ば、馬鹿な!? なぜ動ける!? 時間は完全に停止しているのだぞ!?」
「お前の言う『時間の停止』とは、要するにこの空間に存在するすべての分子と粒子の熱運動を、物理的に強制停止に固定している状態のことだろう」
レオンは止まった空気の中で、静かに右拳を握り込んだ。
「ひ、熱運動の停止……!?」
「そうだ。物理学において、時間経過とはシステムの不可逆的な状態変化――つまり粒子の運動とエントロピーの増大そのものだ。運動が完全にゼロになった状態を、お前たちは『時間が止まった』と呼んでいるだけに過ぎない」
「な、何を言っている……! 時間とは概念であり、世界の法則だぞ! 運動がどうのという話では――」
「運動がゼロなら、動かせばいい」
レオンの全身の筋肉が、ピキピキと音を立てて膨張を始めた。
超高密度の肉体から、極限まで圧縮された熱と運動エネルギーが爆発的に生み出される。
「俺の筋肉細胞が爆発的なミトコンドリア反応を起こし、熱運動を開始すればどうなる? 停止した空間の絶対零度の分子に、強制的に運動エネルギーが伝導する」
「ひっ……! 奴の周囲の空間だけ……時間が……熱が動き出している!?」
クロノスの目が恐怖で飛び出しかけた。
レオンの全身から立ち上る凄まじい熱気と振動によって、周囲の「止まっていた空間」が物理的に融解し、バリバリと時空の歪む音が響き始めたのだ。
「時間の停止という設定がある? 世界の法則で動けない? 知るかそんなこと」
レオンは腰を極限まで落とし、右拳を引き絞った。
「システムが時間を止めたというなら、俺の筋肉が発生させる熱と物理エネルギーで、強制的に未来へ押し通るだけだ」
「ひ、ひぃぃぃっ! 時空の法則を熱運動でねじ切るなど、そんな不条理があってたまるかぁぁぁっ!!」
クロノスが悲鳴を上げながら短剣を振り下ろそうとした瞬間。
「見せてやる。これが――【物理(熱運動突破)】だ!!」
レオンの拳が放たれた。
ドドォォォォォォンッ!!
停止した時間の中で、超高圧の運動熱エネルギーが爆発。
物理的に「凍りついていた時間」そのものが、レオンの拳の熱と衝撃によってバリバリと音を立てて粉砕された。
パリリンッ! と、概念が砕けるガラスのような音が響き渡り、停止していた世界が一気に動き出す。
「がはぁぁぁぁぁっ!?」
時間停止の維持空間ごと殴り飛ばされたクロノスは、衝撃波に巻き込まれて庭園の壁を何重にも突き破り、遥か彼方へと吹き飛んでいった。
カチ、カチ、カチ……。
風が再び吹き始め、舞っていた木の葉が地面に落ちる。
「……で、どうするつもりなの?」
「ん? 何の話だ、エレナ」
時間が再始動した瞬間、何事もなかったかのように拳を引いているレオンを見て、エレナとリアは呆然と首をかしげた。
「え? いま、一瞬だけ変な音がしなかった……? それに、向こうの壁に巨大な穴が開いてるんだけど……」
「ああ、風で少し壁が崩れただけだ」
「風で壁が突き破れるわけないでしょ!!」
エレナが激しく突っ込む中、遠くの瓦礫の中からピクピクと痙攣するクロノスの手が伸びているのを、リアだけが目撃していた。
「ねえ、レオン……」
エレナが引きつった笑顔で尋ねる。
「さっきの穴、もしかして……本当に時間を殴ったんじゃないでしょうね……?」
「言ったろう。時間も粒子の運動に過ぎない。熱量と運動エネルギーさえ足りていれば、殴り抜けるのは簡単なことだ」
「本当に時間を殴ってたぁぁぁぁぁーーーっ!!」
庭園に響き渡るエレナの金切声。
こうして、世界の絶対法則であるはずの「時間停止」すらも、レオンの細胞が生み出す圧倒的な物理熱運動の前に、何の意味もなさず打ち砕かれたのだった。




