聖女の祈りはデバフ無効? ならば筋肉で呪いをねじ切るまで
封印の洞窟での影竜将ゴルゴス討伐の報は、瞬く間に聖王国全土を駆け巡った。
実体を持たない霊体はおろか、世界のシステムが保障する概念防御すらも素手で殴り砕いた男、レオン。彼の名は、王都にある聖教会の本山へも届いていた。
「まさか、概念防御を……物理で……?」
聖教会の奥座敷、白亜の私室にて、聖女リアは報告書を手に、信じられないものを見るかのように呟いた。
彼女は原作ゲームにおける正ヒロインであり、中盤以降の敵が多用する、即死呪いや全ステータスダウンといった悪辣な「状態異常」を唯一無効化できる強力なパッシブスキルを持っていた。
そのため、彼女が仲間になるまで、プレイヤーはデバフのインフレに苦しめられることになる。
「リア様、このレオンという男、直ちに聖教会へ招き、その力を調査すべきです。もしや、失われた古代の身体強化魔法を無自覚に使っているのでは……」
「ええ、そうね。司教様。私が直接、会いに行きますわ」
リアは、神聖な魔力を帯びた瞳を輝かせ、決意を口にした。
数日後。ルベライトの街は、王都からやってきた聖女リアの歓迎に沸いていた。
だが、その歓迎ムードを一変させる事件が起きる。
「……あ、熱い……! 助けて……!」
街の広場にいた人々が、次々と倒れ始めたのだ。
彼らの体からは黒い瘴気が立ち上り、皮膚がまるで焼かれるようにただれていく。
「これは……! 広域呪い魔法!? なぜ、街の中に……!」
街の警備にあたっていたエレナが、蒼白な顔で呪いの正体を看破する。これは、本来なら後半のダンジョンに配置されている強力な即死デバフだ。
「皆さん、落ち着いて! 私が、この呪いを鎮めますわ!」
リアが広場の中央へ駆け込み、神聖な魔力を解き放った。
「神の御名において、この地に満ちる呪いを浄化せん! 《エリア・ハイ・ヒール》!!」
リアの祈りとともに、神聖な光が広場を包み込む。倒れていた人々を蝕んでいた瘴気が薄くなり、ただれが癒えていく。
「おお……さすが聖女様だ……!」
だが、人々が安堵したのも束の間。
「――無駄な抵抗を」
広場の時計塔の上に、漆黑のローブを纏った男が姿を現した。魔王軍のデバフ使い、怨嗟公マレフィクス。彼もまた、本来なら中盤の終わりまで現れないはずの強敵だ。
「聖女リアよ。貴様の祈りは、この地に刻まれた我の呪いの『概念』を上書きできん」
マレフィクスが杖を振ると、リアの聖光を切り裂き、さらに強力な漆黒の瘴気が広場を覆った。
「ああっ……! 呪いが、さらに強くなって……!」
リアの《エリア・ハイ・ヒール》による浄化が追いつかない。人々の体は再び瘴気に蝕まれ、今度はリア自身も呪いの影響で膝をついた。
「この呪いは、この世界のシステムが判定した、確実な『デバフ』。貴様がどれほど清らかな魔力を持とうとも、システムデータそのものを書き換えぬ限り、呪いは解除されぬ」
マレフィクスが嘲笑う。
リアのデバフ無効スキルも、マレフィクスの呪いの概念が強大すぎて、効果を発揮しきれていないのだ。
(くっ……私の祈りが……届かない……!?)
「理解したか、愚かな人間どもよ。概念の前には、神への祈りも、魔力も、すべては無力なデータに過ぎん」
「――なるほど。データ上のデバフ判定、か」
その声を、マレフィクスは理解できなかった。
瘴気の中から、一人の男が、呑気に歩いてきたからだ。
「貴様……! なぜ、この呪いの中で立っていられる……!? システムデータ上、貴様の全ステータスは90%カットされ、即死判定が続いているはずだ!」
マレフィクスが驚愕に声を荒らげる。レオンには、聖女の加護も、魔法の防御も一切かかっていない。
「データ上のカット? 即死判定?」
レオンは、時計塔の上に立つマレフィクスを見上げた。
「要するに、それは世界のシステムが『俺の体細胞は機能停止すべきだ』と計算しているわけか」
「そうだ! それがこの世界の真理! データこそが絶対なのだ!」
「なるほど、いい仕様だ。なら――」
レオンは腰を落とし、マレフィクスに向けて右拳を突き出した。
「その判定プログラムごと、俺の筋肉で殴り砕くッ!!」
「は……? 貴様、何を――」
レオンの全身の筋肉が、異常な微振動を始めた。細胞一つ一つが、世界の判定システムが要求する「機能停止」を拒絶し、超現実的な運動エネルギーを生み出し始める。
デバフ判定? ステータス90%カット? 即死?
知るか、そんなデータの設定。
「俺の筋肉細胞が、この瞬間に求めているのは『機能継続』、ただそれだけだ!」
レオンの拳に、世界のシステムが判定した「デバフの概念」を、物理的にねじ切る超・運動エネルギーが宿る。
判定プログラムが、俺の細胞は死んでいると判定するなら、その判定プログラムのサーバーごと、俺の筋肉で殴り壊すッ!!
世界のシステムそのものを脅かす、純粋物理の奔流。
「オオオオオオオオオオオオオッ!!!」
レオンが、時計塔のマレフィクスに向けて、右拳を放った。
――ドドォォォォォォォォォォォォンッ!!
広場の時計塔が、悲鳴を上げた。
レオンの拳から放たれた真空破砕拳の衝撃は、マレフィクスの呪いの瘴気を、空間ごと、物理的に粉砕した。
砕け散ったのは、瘴気だけではなかった。
パリリンッ! という、ゴルゴス戦でも聞いた、概念が砕けるガラスのような音が広場に響き渡る。
マレフィクスがこの街に刻んでいた「呪いの概念」――世界の判定システムが保障するデバフの設定そのものが、レオンの圧倒的な運動エネルギーに耐えきれず、物理的に粉砕されたのだ。
「な……に……!? 我のデバフの概念が……即死判定の設定が……物理的に……砕かれた……だと……!?」
マレフィクスが時計塔の上で、驚愕に歪む。
「……あれ? 呪いが……消えた……?」
人々を蝕んでいた瘴気が一瞬にして消え去り、彼らは傷つきながらも立ち上がった。リアもまた、呪いの重圧から解放され、目を見開いた。
「デバフの設定がある? ステータスがカットされる? 即死判定? 笑わせるな」
レオンは、時計塔を粉砕したその拳を、そのまま実体化して慌てふためくマレフィクスへと叩き込んだ。
――ズバァァァァァァァァンッ!!
衝撃波が時計塔を完全に吹き飛ばし、怨嗟公マレフィクスは絶叫を上げる暇すらなく、その巨体を粉微塵に破砕されて瘴気へと霧散した。
時計塔が崩れ落ちた岩石の中で、レオンはゆっくりと挙げた拳を引き、息を吐き出した。
「ふぅ……。デバフの概念を殴るのは、少し細胞が疲れるな」
レオンは、少しピクピクと動く自分の拳を見つめて、満足げに頷いた。
こうして、聖女の祈りでも解除できなかった「デバフの概念」は、レオンの「設定ごと筋肉で殴り砕く」という、世界の判定システムを無視した圧倒的物理によって、一撃で幕を閉じたのであった。
聖女リアは、瘴気が晴れた広場で、拳一つで呪いの判定を粉砕した男の姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。




