概念防御は物理の敵? ならば概念ごと殴り割るまで
影の旅団を一撃で粉砕した真空破砕拳の衝撃は、逃げ惑っていた警備兵たちを完全に硬直させた。彼らにとって、実体を持たない霊体は魔法でしか倒せない絶望の象徴だったからだ。
それを、素手の一撃で空間ごと吹き飛ばした。この男は一体何なのだという、畏怖の混じった視線がレオンに集まる。
レオン、あなた本当に、自分が何をやったか分かっているの。
エレナが、杖を震わせながら歩み寄ってきた。彼女の天才的な魔力感知能力は、今のレオンの一撃に魔力が一切含まれていなかったことを正確に捉えていた。
ただの空気の振動と、圧力差だ。物理を極めれば、霊体だろうが概念だろうが、干渉できないものはない。
意味が分からないわよ。霊体は物理的な存在じゃないの。概念って何よ。
存在している以上、この世界の物理法則からは逃れられない。それが霊体だろうが、神の加護だろうが、魔王の呪いだろうがな。
レオンはそう言って、砂煙が晴れつつある封印の洞窟の奥へと視線を向けた。
さて、雑魚掃除は終わった。奥に、この瘴気を発生させている大物がいるな。エレナ、行くぞ。
ちょっと、待ちなさいよ。まだ警備兵の救援が。
奴らを放っておけば、この街の兵士は全滅する。エレナ、お前はここで負傷者の手当てと、残党の処理を頼む。奥は俺一人で十分だ。
一人で、って。相手は魔王軍の先遣隊幹部かもしれないのよ。
だからこそ、俺が行く。
レオンは止めるエレナを背に、迷いのない足取りで洞窟の闇へと消えていった。
原作ゲームにおいて、このイベントの奥に潜むのは影の旅団の指揮官、影竜将ゴルゴス。彼は実体を持たないだけでなく、自身を「虚数空間」に置くことで、この世界のあらゆる干渉を無効化する「概念防御」を持っていた。
普通のプレイヤーは、ここで聖女リアの「真実の聖光」によって虚数空間を暴き、実体化させたところを叩くというイベント戦を強いられる。
だが、今のレオンにそのような手順は必要ない。
洞窟の最奥。瘴気が渦巻く巨大な空洞に、奴はいた。
漆黒の霧で形成された、巨大な竜の姿。それが影竜将ゴルゴスだ。その周囲の空間は微かに歪み、現実世界との境界が曖昧になっている。
ほう、人間が一人。我の影を、真空で破砕したか。面白い物理現象を操る輩だ。
ゴルゴスの、空気を振動させない、直接脳内に響くような声がした。
だが、無駄だ。我が身は「虚数」の彼方。現実世界の理である物理攻撃など、どれほど威力を高めようとも、我に触れることすら叶わん。
概念防御、か。いい仕様だ。
レオンは大剣を抜かず、ゴルゴスの前に立った。
貴様らの理、すなわち「現実世界の物理法則」では、我を倒せない。それは世界そのもののシステムデータとして書き込まれた、絶対の「概念」なのだ。
なるほど。この世界のシステムが、俺の攻撃を「当たらない」と判定しているわけか。
そうだ。理解したなら、絶望と共に影に飲まれるがいい。
ゴルゴスが漆黒の瘴気を巨大な爪の形に成形し、現実に干渉してレオンを切り裂こうと振り下ろした。
レオンは逃げなかった。
頭の中で、前世のゲーマー知識と、この体の肉体スペックを高速で連動させる。
システムデータの判定。概念防御。要するに、それは「俺の攻撃が貴様に届くという計算式」が、世界のプログラムに存在しないということだ。
俺はゆっくりと腰を落とし、ゴルゴスに向けて右拳を突き出した。
ならば、計算式そのものを、俺の筋肉で書き換えればいいだけの話だ。
ゴルゴスの爪が、レオンの頭上に迫る。
貴様の言う「概念」が現実世界の理に基づくなら、俺の筋肉は「現実世界の理を越えた、超現実の物理」へ到達する。
レオンの全身の筋肉が、異常な微振動を始めた。細胞一つ一つが爆発的なエネルギーを生み出し、熱と光を放ち始める。
概念防御? 虚数空間? そんなデータ上の設定など知るか。
俺の拳に宿るのは、この宇宙の開闢に匹敵する、絶対的な運動エネルギーだ。
世界のシステムが、俺の攻撃を無効だと判定するなら、その判定プログラムごと、俺の筋肉で殴り砕くッ!!
俺の右拳が、現実世界と虚数空間の境界線に向けて、放たれた。
それは、音速も、光速も、そして概念の壁すらも越えた、純粋な物理の奔流。
――ドォォォォォォォォォォォォンッ!!
洞窟全体が、悲鳴を上げた。
レオンの拳が、ゴルゴスの概念防御――世界のシステムが用意した「干渉不可の障壁」に激突した瞬間。
砕け散ったのは、レオンの拳ではなかった。
パリリンッ! という、まるでガラスが砕けるような、この世のものではない音が響き渡る。
ゴルゴスの周囲に展開されていた「虚数空間」が、レオンの圧倒的な運動エネルギーに耐えきれず、物理的に粉砕されたのだ。
な……に……!? 我の概念防御が……虚数空間が……物理的に……砕かれた……だと……!?
ゴルゴスの竜の体が、現実世界に引きずり出され、驚愕に歪む。
物理耐性がある? 概念で守られている? システムが干渉を許さない?
笑わせるな。俺の筋肉の前では、世界の仕様も、神の法則も、ただの弱い壁に過ぎない。
レオンは、概念を砕いたその拳を、そのまま実体化したゴルゴスの顔面へと叩き込んだ。
――ズバァァァァァァァァァンッ!!
衝撃波が洞窟の最奥を完全に吹き飛ばし、影竜将ゴルゴスは絶叫を上げる暇すらなく、その巨体を粉微塵に破砕されて瘴気へと霧散した。
洞窟に、静寂が戻る。
崩れ落ちた岩石の中で、レオンはゆっくりと挙げた拳を引き、息を吐き出した。
ふぅ……。概念を殴るのは、さすがに少し硬かったな。
レオンは、少し赤くなった自分の拳を見つめて、満足げに頷いた。
こうして、本来ならば中盤の山場である「魔王軍幹部」との戦いは、レオンの「概念防御ごと筋肉で殴り割る」という、世界の理を無視した圧倒的物理によって、一撃で幕を閉じたのであった。
逃げ遅れた兵士たちは、瘴気が晴れた洞窟の奥から現れた、拳一つで魔王軍幹部を粉砕した男の姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
不遇な脳筋前衛・レオンの伝説は、世界のシステムそのものを脅かす存在として、ここから本格的に始まっていくのだった。




