霊体は物理透過? ならば空気ごと殴るまで
ルベライトの街から北へ数キロ。かつて大戦時に魔族の軍勢が封印されたとされる『封印の洞窟』の周辺は、すでに生者の踏み込める空気ではなくなっていた。
紫色の不吉な瘴気が地表を覆い、植物は一瞬で枯れ落ちて黒ずんでいる。
「ひ、ひぃぃぃっ! 助けてくれッ!」
「剣が……剣がすり抜ける!? 攻撃が届かないぞっ!!」
洞窟の前に展開していた王国の警備兵たちが、悲鳴を上げて散り散りに逃げ惑っていた。
彼らを追い詰めるのは、ゆらゆらと宙に揺れる漆黒の影――『影の旅団』。
その体は実体を持たない『純粋な霊体』であり、物理的な刃や矢を100%透過させる。
本来ならば、聖属性の神聖魔法か、強力な魔力付与を施した魔導具でしか傷つけることができない凶悪なモンスターだ。
「レオン、止まりなさい! 前線は崩壊してるわ!」
追いついてきたエレナが、慌てて杖を構えながら叫ぶ。
「見てみなさい! 兵士たちの剣が影をそのまま通り抜けているでしょう!? あれが実体を持たない霊体……アンデッド系の最悪な特性よ! 物理的な質感が存在しない敵に、あなたのパンチが届くわけがないわ!」
「なるほど。質感が存在しない、か」
俺は足を止め、逃げ惑う兵士を追い詰める1体の影の旅団を観察した。
たしかに影の旅団の体内には骨も肉もない。剣で斬りつけても、煙を斬るように刃が虚空を滑るだけだ。
「レオン、下がりなさい! 私の《ライト・バレット》で聖属性ダメージを与えて足止めするわ! 詠唱を開始――」
「待て、エレナ。詠唱は要らない」
「なっ……何言ってるの!? 早くしないと兵士さんが殺されるわ!」
「実体がないということは、だ」
俺は腰を深く落とし、右拳を限界まで後ろへ引き引いた。
「敵の体と、周囲の『空気』の間に境界線が存在しないということだ。なら――影が存在しているその空間の空気ごと、真空に破砕すればどうなる?」
「え……? 空間の空気を……真空に……?」
エレナが呆然と口を開ぐ。
そう。実体がない霊体といえど、この世界という『物理的空間』の上に存在している以上、必ず周囲の空気分子と接触し、光の屈折を生み出している。
ならば、霊体そのものを殴る必要はない。
霊体を包み込む『気体』を、音速を超える衝撃圧で一瞬にして完全圧縮し、超高圧の衝撃波とともに空間ごと粉砕すればいい!
「見せてやるよ。これが――【物理(真空破砕)】だ!!」
俺の脚力が爆発した。
踏み込んだ大足が地面の岩盤を直径数メートルにわたって削り取り、その反動が腰から背中、そして右腕へと一瞬で駆け抜ける。
――ドォォォォンッ!!
空気が死んだ。
音速の数倍に達した俺の拳の先端から、視覚化された高密度の圧縮空気が『巨大な槍』となって放たれる。
衝撃波が巻き起こした超絶的な気圧差により、拳の射線上にあった気体がすべて一瞬にして吹き飛ばされ、完全な『無音の真空地帯』が削り出された。
「ギ……ギャアアアアアアッ!?」
兵士に襲いかかろうとしていた影の旅団が、絶叫を上げた。
実体を持たないはずの影の体が、真空の引きずり込み現象(圧力の急激な不均衡)と、それに続く衝撃圧の波に捕まり、逃げる間もなく極限まで引き引き裂かれて四散していく!
実体がない? 透過する?
関係ない。圧力がゼロになれば、存在を維持する空間の形そのものが崩壊するのだから!
――ドバァァァンッ!!
真空が戻る際の激烈な空気の破砕音が響き渡り、前方の樹木や瘴気、そして30体以上の影の旅団が一瞬にして跡形もなく消滅した。
あとに残ったのは、直線状に綺麗に削り取られた地面と、恐ろしいほどの静寂だけだった。
「ふぅ……。やっぱり空気の密度が足りないと、少し衝撃波の伸びが悪いな」
俺は拳についたチリを払い、満足げに頷いた。
「……………………………………」
後ろを振り返ると、エレナが杖を握りしめたまま、魂が抜けたような顔で空を見上げていた。
「エレナ?」
「ねえ……レオン……」
「なんだ?」
「聖属性魔法って……必要だったのかな……?」
「何を言ってるんだエレナ。魔法は便利だぞ。火も点けられるしな」
「私はそんな雑用雑用魔法のために毎日血の滲むような勉強をしてきたんじゃないわよぉぉぉぉーーーっ!!」
森と洞窟の入口に、本日何度目か分からない天才魔導士の悲鳴がこだました。
逃げ延びた警備兵たちは、影の旅団を一撃で吹き飛ばした俺の姿を「神の御使い」を見るような目で見つめている。
不遇な脳筋前衛・レオンの伝説は、こうして不本意(?)にも着実に街全体へと広まっていくのだった。




