冒険者ギルドの測量器と、壊れた常識
「……で? 街の外縁部でアモルファススライムの変異種を討伐した、と」
ルベライト冒険者支部。
無骨な木製カウンターの奥で、受付嬢のベテラン職員・セアラが、信じられないものを見るような目で受付票を見つめていた。
「ええ。間違いありません。現場に残されていた討伐痕跡と、蒸発した粘液の残留成分を魔法検知器で確認しました」
エレナがまだ疲労の抜けきらない声で証言する。その隣で、俺は腕を組んで静かに立っていた。
「おかしいわね……アモルファススライムといえば、物理攻撃を一切遮断する特殊個体よ。駆け出しのパーティーなら、上級魔法使いが同行してでもいない限り即全滅レベルの難敵だわ。エレナちゃん、あなたが火炎魔法で焼き尽くしたの?」
「いいえ……」
エレナは深々と溜息をつき、恨めしそうな視線を俺に向けて指差した。
「そこの脳筋が、素手で殴って煮たぎらせて水蒸気爆発させました」
「……は?」
セアラの手が止まった。
数秒間、沈黙が受付周りを支配する。やがて彼女は諦めたように肩をすくめ、苦笑いを浮かべた。
「冗談はやめなさいな、エレナちゃん。いくらレオンくんが筋力自慢の重戦士だからって、物理無効のモンスターを素手で殴り殺せるわけがないでしょう? 魔法耐性を下げる魔導具でも使ったのなら、正直に言いなさい」
「本当なんだってば! 私は一発も魔法を唱えてないわよ! こいつが拳を音速で連打して熱力学がどうとか言い出して――」
「まあまあ、エレナ。説明しても理解できない者に無理に理論を押し付けるのは良くないぞ。百聞は一見に如かざるだ」
俺は口を挟み、カウンターの上に置かれた鉄製の『魔力・打撃力測定用魔導器』に目を向けた。
これは冒険者のランク昇格試験などで使われる測定器具だ。
内部に衝撃を吸収・計測する特殊な魔石が組み込まれており、叩き込んだ威力を数値化して正面の水晶体に表示する仕組みになっている。
「セアラさん。これで俺の打撃力を測れば、少しは信じてもらえるか?」
「ええ、構わないわよ? ただし、その測定器は鋼鉄製で重戦士のフルスイングでも『100』前後しか出ない高級品なんだから、手を痛めないように気をつけなさい――」
「よし、いくぞ」
俺は軽く手首を回すと、深呼吸をひとつ。
大袈裟な溜め動作も、魔力の展開も一切行わない。ただ、足裏から大地の反力を引き上げ、骨盤を回転させ、広背筋の収縮を右拳へと最短距離で伝達させる。
人間が運動エネルギーを伝達する際の『伝達ロス』を、極限までゼロに近づける完璧な身体操作。
――パスンッ。
鳴ったのは、手触りの良い小さな空気音だけだった。
俺の右拳が、測定器の衝撃吸収面に軽やかに触れる。
「……ふふ、やっぱり力任せに殴ってもそんなもの――」
セアラが微笑みかけた、その瞬間。
測定器の内部で、**ギャリギャリギャリッ!!**という凄まじい金属摩擦音が鳴り響いた。
衝撃波が外部に逃げないよう、運動エネルギーの100%が測定器内部の魔石へ一瞬で直接注入されたのだ。
――ドォォンッ!!
次の瞬間、頑丈な測定器の裏側から真っ赤に熱した鉄の破片が爆発的に弾け飛び、ギルドの頑丈な石壁へと深く突き刺さった。
水晶体の表示数値が狂ったように跳ね上がる。
『100』……『500』……『2000』……『9999(測定不能)』――
パリンッ! という音とともに水晶体が過熱して砕け散り、測定器全体から激しい黒煙が立ち上った。
「……………………は?」
セアラの顎が外れんばかりに下がり、手に持っていた羽ペンがハラリと床へ落ちた。
ギルド内で酒を飲んでいたベテラン冒険者たちも、全員が固まり、黒煙を上げる測定器と俺の拳を二度見、三度見している。
「あー……すまん、壊すつもりはなかったんだが。衝撃の集中率が高すぎたみたいだな」
俺は申し訳なさそうに拳を引っ込めた。
「レオン……あなた、またやったわね……?」
エレナが乾いた笑いを浮かべながら、俺の服の裾を引っ張る。
「だから言ったろ、エレナ。物理とは純粋な運動エネルギーだ。魔力なんて生ぬるいものに頼らなくても、完璧なベクトル伝播さえ行えば、物質は簡単に崩壊する」
「だから意味が分からないって言ってるでしょーーーっ!!」
悲鳴を上げるエレナと、泡を吹いて倒れそうになるセアラ。
だが、俺たちがそんなやり取りをしている最中――ギルドの重い両開き扉が、勢いよく叩き開けられた。
「大変だッ! ギルドマスターを出せ!!」
血まみれの鎧を着た偵察兵が、息も絶え絶えに滑り込んでくる。
「どうした!? 何があった!」
「『封印の洞窟』の結界が破られた! 中から、中盤以降に現れるはずの魔王軍先遣隊――『影の旅団』が溢れ出している! このままじゃ、この街が包囲されるぞ!!」
その言葉に、ギルド内が一瞬で静まり返り、恐怖の波が広がった。
(……ほう? シナリオの進行度が早まっているな)
俺はニヤリと口元を緩めた。
『影の旅団』。原作ゲームでは、実体を持たない『物理攻撃完全透過(アンデッド/スピリット系)』の敵が大量に押し寄せる、第一の絶望イベントだ。
普通の物理職なら「攻撃がすり抜けて何もできない」と絶望する場面。
だが――今の俺には、最高の実験場にしかならない。
「行くぞエレナ。俺たちの初仕事だ」
「ちょっとレオン!? 霊体の敵に剣や拳は通らないのよ!? 物理でどうにかできる相手じゃないわ!!」
「フッ……実体がない? 影だろうが霊体だろうが、空間に存在している以上、そこには『空気の振動』と『光の屈折』が存在する。なら、それを拳で殴り潰せばいいだけの話だ」
「だからなんでそうなるのよーーーっ!?」
絶叫する幼馴染を従え、不遇な脳筋前衛は、概念すら殴り倒す戦場へと足を踏み出すのだった。




