スライムは物理無効? ならば熱力学の出番だな
翌朝。ルベライトの街の郊外にある『静寂の森』。
日差しが木々の隙間から漏れ出す中、俺とエレナは森の浅い階層を進んでいた。
「いい、レオン? 今日はあくまでリハビリと簡単な素材採取よ。無茶は絶対にダメだからね!」
先頭を歩くエレナが、背中の杖を握り直しながら念を押してくる。
彼女の心配も無理はない。原作ゲームにおけるレオンは、レベル1の段階ではHPと筋力こそ高いものの、敵の特殊能力に対する知識も術策も一切持たない「素直すぎる脳筋」だった。
「分かってるさ、エレナ。俺だって無意味な危険を冒すつもりはない」
「本当に分かってるのかしら……。昨日の岩を砂にした技だって、絶対に何か危ない怪しい術を使ったに決まってるわ。魔力の波長は感じられなかったけど……」
エレナはぶつぶつと呟きながら、警戒を怠らずに周囲を見渡している。さすがは後に『千の呪文を持つ英傑』と呼ばれる天才魔導士の卵だ。観察力が鋭い。
だが、その天才魔導士でも気づいていない『このゲームの罠』が、目と鼻の先に迫っていた。
草むらが、ガサリと揺れる。
「――警戒して、来るわ!」
エレナが素早く詠唱の構えを取る。
草むらから滑り出してきたのは、半透明の青い粘液で構成された、直径1メートルほどの球体だった。
『グチュ……グチュ……』
「……スライム?」
エレナが少し肩の力を抜く。
「なーんだ、ただの通常スライムじゃない。これなら私の初期魔法一発で撃破できるわ。レオン、あなたは下がってて――」
「待て、エレナ。よく見ろ」
俺はエレナの肩を軽く叩き、前へ出た。
「え? 何よ、ただのスライムでしょ――」
「体の色だ。青みの中に、かすかに不気味な紫色の斑点が混ざっている。あれは通常種じゃない。『変異種・アモルファススライム』だ」
「変異種……!?」
エレナが息をのむ。
そう、これこそが初心者泣かせとして有名な『アルカディア・ストーリー』初期の罠。
このアモルファススライムは、序盤の森に極稀にスポーンするモンスターなのだが……その最大の特性は【物理ダメージ100%カット】という理不尽なパッシブスキルにある。
物理攻撃の衝撃を自身の流動体ボディで完全に吸収・分散し、無効化する。
剣で斬ろうが、斧で叩こうが、ダメージは一切通らない。知識のない初心者剣士が通りがかりに殴りかかり、武器を体内に取り込まれて溶解・殺害されるという、まさに不遇な脳筋前衛を殺すために作られたような敵なのだ。
「そんな……! 初期ダンジョンの周辺に、どうしてそんな変異種が!? レオン、ダメよ! 剣で斬っても衝撃が吸収されるわ、下がって! 私が魔法で――」
「エレナ、お前の《ファイアボルト》の詠唱には約3秒かかる。だが奴の交戦間隔はおよそ1.5秒。お前が呪文を唱え終わる前に、あの粘液弾が飛んでくるぞ」
「くっ……! でも、あなたの攻撃じゃダメージが入らないのよ!?」
『シャーッ!!』
アモルファススライムが身体を著しく収縮させ、弾丸のような速度で俺に向かって跳躍してきた。
狙いは俺の顔面。体内に取り込んで窒息&溶解させる気満々だ。
「レオンっ!!」
エレナの悲鳴が森にこだまする。
だが、俺は逃げなかった。大剣すら抜かない。
ただ静かに腰を落とし、半身に構えて右拳を極限まで引く。
(物理ダメージ100%カット、か。いい仕様だ)
頭の中で、前世で叩き込んだ物理学の公式と、この体の肉体スペックを高速で連動させる。
(衝撃を完全に吸収・分散するということは、言い換えれば『叩き込まれた運動エネルギーのすべてを逃がさず、自身の体内に蓄積する』ということだ)
逃げ場のない運動エネルギーは、どこへ行く?
分子の振動へと変換される。すなわち――【熱】だ!
(熱力学第一法則。エネルギー保存の法則。物理耐性などというシステムデータで、この宇宙の根本法則を書き換えられると思うなよ!)
「物理が効かないなら――熱に変わるまで殴るだけだ!!」
俺の右拳が、不可視の音速壁を突破した。
――ドォンッ!!
空気が爆発するような重低音。
俺の超高速の正拳突きが、跳びかかってきたスライムの正面にズドンと突き刺さる。
『グヂュッ……!?』
スライムの表面が大きく歪む。
物理100%カットのスキルの通り、確かにスライムのHPゲージは一ミリも減っていない。衝撃そのものは粘液の弾性によって殺されている。
――だが、俺の攻撃は一発では終わらない。
「オラオラオラオラオラオラオラオラッ!!!」
毎秒三十発を超える、超高密度の連続正拳突き。
残像すら残さない拳のラッシュが、スライムの同一箇所へと正確無比に叩き込まれ続ける。
ドドドドドドドドドドドドドドンッ!!!
「な、何が起きてるの……!? 拳が……早すぎて見えない……!?」
エレナが目を見開き、開いた口が塞がらない様子で固まっている。
スライムの体内で、異常な現象が起き始めていた。
俺が打ち込む途方もない運動エネルギーが、逃げ場を失ってすべて熱エネルギーへと変換されていく。
青かった粘液ボディが、瞬く間に赤く変色し、ジュージューと凄まじい蒸気を吹き上げ始めた。
『グギャ……!? ギャ熱い! 熱いィィッ!?』
物理ダメージはゼロ。だが、体腔内の温度は一瞬にして摂氏千度を突破!
「物理耐性があるからって調子に乗るなよ……! 摩擦と圧縮熱で、分子結合ごと蒸発しろッ! ――チェストォォォッ!!」
仕上げの最大威力の一撃。
音速を超えた右ストレートが、限界まで加熱されたスライムの中心部を穿った。
――ズボォォォォンッ!!!
瞬間、スライムは衝撃で弾け飛ぶのではなく、高熱による水蒸気爆発を起こして内部から激しく爆散した。
沸騰した粘液が霧となって空中に消え去り、後には何も残らない。
しんと静まり返る森。
俺はゆっくりと挙げた拳を引き、息を吐き出した。
「ふぅ……。いい準備運動になったな」
「………………」
振り返ると、エレナが杖を地面に落とし、自分の頭を抱えてしゃがみ込んでいた。
「エレナ? どうした、怪我でもしたのか?」
「ねえレオン……お願いだから本当のことを言って……」
エレナが涙目で俺を見上げてくる。
「あなた、本当は拳に《超級火炎魔法》を纏わせてたでしょ……? そうでなきゃ、パンチの連打でスライムが沸騰して爆発するわけないじゃないのぉぉぉ!!」
「だから魔法じゃないって。ただの熱力学だ。衝撃吸収の限界値を超えた運動エネルギーを熱に変換しただけだよ」
「熱力学って何よーーーっ!! 物理攻撃で熱魔法以上の火力を出すなーーーっ!!」
森に響き渡るエレナの絶叫。
こうして、俺の「物理耐性突破」の第一歩は、無事に(?)完了したのだった。




