6 本当の心
『ミミは弟と仲いいよね~』
『ケンカとかもしないの? うらやましい~』
友達からよく言われる言葉だ。
古典の授業はいつも眠くなるが、今日だけは美亞未の目は覚めていた。
板書の文字をノートに書き写しながら、希亞樹との関係を改めて考えていた。
確かに、ケンカらしいケンカはしたことはない。
勝手に部屋の物を持っていただとか、先にお風呂に入っただとか、軽い言い争いのようなものは多々あるが、本当の意味では――記憶を遡っても、あまり出てこない。
希亞樹とのキスが始まったのは、いつ頃からだったか。
幼い頃の「おまじない」が起点だとすれば、あれは完全に美亞未の方から与えたものだった。泣いている弟に、どうにかしてやりたくて、母親が自分にしてくれたことをそのままやった。ただそれだけだった。
おまじないは、しばらく続いた。
希亞樹が怖い夢を見たとき、擦り傷を作ったとき、テストで悪い点を取って落ち込んでいたとき。美亞未は姉として、そうしてきた。
でも、それはいつの間にか、別の何かに変わっていた。
気づいたのはいつだったろう。
希亞樹の背が伸びて、美亞未の目線を越えた頃か。
声が低くなって、「お姉ちゃん」ではなく「姉貴」と呼ぶようになった頃か。
『仲良くするのは程ほどにしとけよ』ぐるぐるとリックスの言葉が、美亞未の脳内を巡る。
「仲良くなんて…」
美亞未は誰にいうでもなく言い放った。
希亞樹とのキスは、気持ちがいいと美亞未は感じている。それを、素直に口にすることはしない。
思春期となれば、やはり『そういうこと』に興味を持つのはごく自然なことだ。ただ、たまたまその相手が美亞未にとっての希亞樹であり、希亞樹にとっての美亞未であるだけだ。
けれども、友達たちの恋バナを聞くにつれ、時折この関係に疑問を抱くこともある。
『仲がいい』そう言われると、何故だが美亞未の心は氷のように固まってしまう。
決して悪いことを言われているわけではないのに、咎められているように聞こえるのだ。
と、ここまで考えてパキンっとシャープペンの芯が折れた。
希亞樹との不自然で歪な関係が、周囲にバレたらなぜいけないのだろうか。 それは単なる羞恥心からなのか?
何故、不自然だと思う? 歪だと思う?
美亞未は自問自答する。
それは、姉弟だからだ。
仲が良ければスキンシップの一つや二つはするであろう。
だが、あのキスは違う。
美亞未は、希亞樹の唇の感触を思い出す。
柔らかいが少しだけカサついたあの感触――……。香ったシャンプーの香りは同じものだ。
希亞樹とのキスに意味はあるのだろうか。
あの好きだという言葉。希亞樹は自分のことをどう思っているのだろう――……。
家族やきょうだい以上の想いを、弟から感じたのは嘘ではない。だが、と美亞未は手を止めて思考する。
このままロマンチックな関係に、希亞樹となるのだろうか。
希亞樹のことを許容してしまうのは、怖かった。それは、漠然とした恐怖だ。
――だから、これ以上は……。
美亞未は、自分の唇に指を当ててみる。
じんわりと熱を帯びてきて、またあの感触が思い出されていく。
キスは、とても心地の良い温かさだった。
キスに嫌悪感はない。胸を触れることも身体を触れることも、嬉しい。むしろ、もっとしたいという衝動があるからこそ、キスを受け入れている。
キスは、どんな意味があるのかと、美亞未はずっと考えていた。
額へのキスは、慰めだった。だが、唇は?
初めてのキスは、特別なものだとテレビで聞いたことがある。
なれば、それ以降のキスは特別なものではないのか。
希亞樹から求められると、結局拒むことなく受け入れてしまう。
希亞樹にとってのキスは、ある種の精神安定剤のようなものだと、美亞未は思っている。
だからこそ、キスの意味を深く考えることは、無意味なのだと思い込むことにしていた。
だから、弟がどんな気持ちでキスを求めているのか、聞くことはしていない。
リックスの言葉が、まだ耳の奥に残っている。あれは、ただの忠告だったのか。それとも、何かを見透かしているのか――。
カチカチと無意味にシャープペンをノックしていく。
「…ミミ…ねえミミってば」
隣の席から友達が小声で話しかけてきた。
返事をする前に、教師の鋭い声が飛んだ。
「羽衣っ!」
美亞未はビクリと肩を跳ねさせた。
クラス中の視線が一斉に自分に集まる。
「は、はいッ…!」
「さっきから三回も名前呼んだぞ。何を考え込んでいたんだ? 古典のこの一節、どう訳す?」
黒板に書かれた古文の文章を指さされ、美亞未は言葉に詰まった。
頭の中は希亞樹の唇の感触と、リックスの青い瞳でいっぱいだった。
「え、えーと……」
教室に気まずい沈黙が落ちる。
後ろの方から小さな笑い声が漏れた。友達が慌てて小声でヒントをくれるが、間に合わない。
――もう…これもう全部アキのせいだ……っ!
「わかりません……」




