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57/60

57 答え

 帰る間際に、シャルロリアが少し前に学校で美亞未と話をしたことを教えてくれた。


 ✦︎

 

 先輩と、後ろから声を掛けられ、振り返ると、見慣れないブロンドの髪が視界に映った。

「羽衣……美亞未さん、ですよね」

「あ」

 シャルロリアだ。

「えと、一年生のシャルロリアさんだよね。どうかしたの?」

 間接的に、シャルロリアとは繋がりはあったものの、こうして面と向かって会話をするのは始めてのことであり、美亞未の身体は緊張からか硬直してしまう。

 まさかトイレでの顔合わせになるとは思いもしない。

「グーテン・ターク」

 軽い挨拶と共に、一歩距離を詰められる。

 美亞未の背中が、こつんと洗面台に当たる。

 表面上はにこやかではあるが、『喋るな』と言われているようで、妙な緊張感に美亞未の身体が包まれる。

「ねえ、先輩は留学生の先輩と仲が良いみたいですね」

 思いも寄らぬ問いかけに、美亞未の心臓がドキリと跳ね上がる。

「…な、なあにいきなり。恋バナ?」

「ふふ、そうかも」

 シャルロリアはくす、と口元の微笑みを深くする。

 その微笑は、何故か美亞未の不安を煽ってきた。

 ――なんだろう、この感じ…。

「この間、二人で歩いていたから気になって」

「あ、ああ……まあ、お世話にはなってる人かなー? なんて……」

「恋人?」

「え、も、もうっ! 人のプライベートなことあなたには関係ないでしょっ」

 無遠慮に踏み込んでくるシャルロリアに、思わず声を荒らげてしまった。

 背後の洗面台の蛇口からポタポタと垂れる落ちる雫の音が、やけに大きく聞こえる。

「怒っちゃった……。ごめんなさい、先輩。でもさ……」

 シャルロリアは悪びれる様子もなく、小首をかしげて見せた。

 その人形のように整った顔立ちからは、感情の機微が読み取れない。ただ、澄んだ瞳の奥に、冷徹なまでの観察眼が光っていた。

「関係なくはないんですよ。ボク、きあきくんのことが好きだから」

 投げかけられたされた弟の名前に、美亞未の心臓が跳ね上がる。

「だからね、きあきくんを傷つけるような人は、ボク、許せないんです」

 シャルロリアは一歩、さらに距離を詰めた。

 上級生である美亞未を見上げる形になるはずなのに、そのプレッシャーはどちらが上か分からなくなるほどだった。

「すべてのことに 支配的であれ、すべてのことを信じ、すべてのことを希望し、すべてのことを耐え忍べ…。きあきくんはね、先輩しか見ていない。世界で一番、先輩の熱を求めている。なのに、先輩は違う男の人の隣で、その熱を分け与えている。それって……裏切り、って言うんじゃないですか?」

 シャルロリアの言葉は、まるで鋭い針のように美亞未の胸に突き刺さった。

 リックスとの関係、希亞樹への後ろめたさ、隠し通せていると思っていたすべてが、この目の前の年下の少女に見透かされている。

 指先が小刻みに震えていく。

「な、なによ……いきなり……」

「きあきくんはね、ボクに教えてくれたよ。お姉さんのことが好きだ、って…きょうだいでも好きだって」

「……!」

 シャルロリアが言うように、希亞樹は美亞未に対してずっと『好きだ』と言い続けていた。

「だからボクはね……アナタのこと許せないんだよ」

 シャルロリアの微笑みは消えており、美亞未を見つめる瞳は、氷のように冷たい。

「きあきくんのこと傷付けて楽しい?」

「な、に言って…」

「だってそうだろう? きあきくんの気持ちを知っているくせに、他の男にうつつを抜かしてさ」

「……そんなこと」

 ない――と、否定することが出来ないのが、何よりも悔しい。

 言い返すことも出来ずに、美亞未はただ唇を噛み締める。

「きあきくんは一途だよね。ずっとお姉さんのことばかり見て、ボクのこと見てくれない。…でも、アナタはどうかな?」

「……」

「…なに? だんまり?」

 押し黙ったままの美亞未に、シャルロリアは眉を顰める。

「いいよねえ、お姉さんは。きあきくんにもボーイフレンドにも愛されてさ」

 煽るようなシャルロリアの言葉に、美亞未の中で苛立ちが募っていく。

 だが、それもシャルロリアの『策』なのだろうと、美亞未は感じていた。

 こうして挑発し、自分を怒らせて本音を引き摺り出そうとしている。

 ここで感情的になる訳にはいかない、と美亞未は自分に言い聞かせる。

 ――冷静に…。冷静になれ……。

 ふぅ、っと美亞未は深く呼吸をし、心を落ち着かせる。だが――

「あ、もしかして怒ってる? でもさ、全部アナタが悪いよね。きあきくんの気持ちに応えられないのに、期待させておいて……」

 はぁ、っとシャルロリアがわざとらしいため息を吐く。

「それってさ、つまり…日本語で、浮気とか二股、言い換えればキープって言うんじゃない?」

「っ!」

 シャルロリアの言葉に、美亞未はカっと頭に血が上るのを感じた。

「ちがうっ! そんなのじゃ…っ!」

 言いかけて、美亞未は口を噤んだ。

「あれ? 何が違うの? ボクなにか変なこと言ったかなあ。じゃあさ、そのボーイフレンドときあきくん、どっちが好きなわけ? 浮気や二股じゃないなら…答えられるよね」

「え……」

 突然の質問に、美亞未は言葉を詰まらせる。

「ねえ、答えてよ」

 シャルロリアの瞳に射抜かれ、美亞未はつい目を逸らしてしまう。

「…あなたには関係ないことでしょ」

 そう返すのが精一杯であった。

「ふーん、そうやって可哀想な自分に酔ってるわけ?」

「っ」

 シャルロリアの言葉に、美亞未の頭の中で何かが弾ける音がした。

「なに、それ…どういう意味……?」

 怒りを抑えているからか、美亞未の声色は微かに震えている。

「だってそうだろう」

 シャルロリアは美亞未の顔を覗き込み、たたみ掛けるように続ける。それはまるで毒のようだと美亞未は思う。じわじわと蝕み、心を犯していくのだ。

「きあきくんのことは無視して、ボーイフレンドには尻尾振ってさ。二人の王子様から想われて、おとぎ話みたいなのに、自分が傷付くのがイヤだから、どちらかを選ぶことも出来ない……。まるで悲劇のヒロイン気取りだね」

 くす、っとシャルロリアが笑う。

「っ、…!」

 美亞未が何か言おうと口を開いた時、シャルロリアは自身の唇に人差し指を当てた。

「しー……」

 静かに、と諭すような仕草で口元に笑みを浮かべる。だが、その目は笑っていない。

「怒るってことは、図星、なんだね」

 美亞未は何も言えず、ただシャルロリアを睨むことしか出来ないでいた。

「…へえ、そういう顔も出来るんだ」

 美亞未が怒りを露わにすると、シャルロリアもまた冷めた目で美亞未を見返す。

 最初は、氷のようだと感じていたその瞳も、今は燃えさかる炎のように、ギラついており、それが逆に恐ろしいとさえ思う。

「ズルいよね。きあきくんは何もかも覚悟しているのに、アナタはボーイフレンドに逃げたんだもん」

 シャルロリアが呟く。

『覚悟はしていたんだろう?』

 リックスの声と、シャルロリアの声が重なっていく。

「そんなのはね、ただのわがままだよ」

「……っ!」

 今まで抑えてきた感情が、堰を切ったように溢れ出していった。

「うるさいなっ! うるさいっ…! うるさい…っ!! わたしは…ッ…! わたしだって……っ!! そんなの分かってたよっ!」

 美亞未は声を荒らげると、シャルロリアを睨み付ける。

「だからって、どうして見ず知らずのあなたにそこまで言われなきゃいけないのっ! わたしの気持ちなんて、何も分からないくせにっ…!! 知らないくせに…っ!」

 弟を愛していることは事実だが、それは恋ではなかった。

 愛することの罪悪感、恋を知った喜び。

 愛されることの幸福、恋をしてしまった苦しみ。

 それでも、離れていく弟の背を繋ぎ止めたいと、自分の側にいて欲しいと我が儘な想いを抱いてしまった。

 その葛藤は、美亞未の胸の中で今でも渦巻いている。

 この感情を、他人に理解して欲しいとも思わない。

 希亞樹を愛してることの罪悪感も幸福感も、リックスを好きになってしまったことも、すべて、自分だけのものだ。

 悲劇のヒロイン気取り――シャルロリアに言われるまでもなく、自分が一番よく分かっていた。

 リックスへの想いが募る度に、希亞樹に対する後ろめたさや、罪悪感に苛まれていく。

 希亞樹を離したくなかったはずなのに、希亞樹を突き放さなければならない現実――。

「そうだね」

 美亞未の激情とは裏腹に、シャルロリアは淡々と答えた。

「だってボクはきあきくんのお姉さんじゃないから分からないよ。きょうだいだっていないから、家族を今以上に愛する気持ちだって分かりたいとは思わないね。美しくないよ」

 シャルロリアは、美亞未を真っ直ぐ見据えた。その目には、美亞未に対する嫉妬や憎悪が宿っており、美亞未は射竦められる。

「でもね、ボクの好きな人が傷付いてるのは分かるよ」

 シャルロリアが腕を振り上げた。

「……なに? 叩くなら叩いていいけど。その方がお互いすっきりするだろうし……」

「アナタにそんな価値ないよ。きあきくんは、お姉さんへの想いを諦めてはいないよ。どれだけ否定されても、世界から否定されても、きあきくんの中にはずっとアナタがいる。…そんなきあきくんだから、ボクはきっと惹かれたんだと思う」

 シャルロリアは愛おしそうに、希亞樹の名前を呟いた。

 嘘偽りのない確かな愛情を、美亞未は感じていた。

「……シャルロリアちゃんみたいな子に想われて、希亞樹も幸せだと思うよ」

 美亞未の言葉は、紛れもない本音だ。

「ありがとう。きあきくんのお姉さんにそう言ってもらえるなら光栄だよ」

 シャルロリアの微笑は、まるで天使のようだと美亞未は思う。

 先ほどまで感じていたシャルロリアの荒々しさはなく、穏やかなものになっていた。

「じゃあね、と言ってももう先輩とは会わないけどね」

 そう言うと、シャルロリアは美亞未に背を向け、トイレを後にする。

 一人残された美亞未は考える。

 ――わたしはどうしたい? どうなりたい?

 リックスに言われたことを、改めて反芻する。 

 リックスとの未来。

 希亞樹との未来。

 美亞未の心は、もう決まっている。

 選ばないという選択肢は『ない』

 時間は有限だ。

 だが美亞未は、あと一歩を踏み出すことが出来なかった。

 足を進めては立ち止まりを繰り返し、時間だけが過ぎていく。

 どちらを選ぼうと、自分はその未来を背負っていくことになる。

『それでも後悔しないのか?』

 誰かの声が聞こえた気がした。

 しかしそれは幻聴に過ぎない。

 己に問い質した答えは――。


 ✦︎


 触れ合ったシャルロリアの指先が冷たかったので、希亞樹はそっと握り返していた。

「きあきくん…」

 シャルロリアが驚いたように、希亞樹を見つめる。

「…きあきくん、キス、して欲しいな」

 傷口を舐め合う関係に、名前はない。

 希亞樹は、そっとシャルロリアの華奢な肩に手を添える。

「あ……」

 甘えるような声で、シャルロリアはそっと目を閉じて、口付けを待っていた。

 そして、希亞樹は――。



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