51 『愛』のかたち
その日の夜、美亞未は久しぶりに弟と会話をした。美亞未が、そろそろ寝ようかとベッドに横になったタイミングで、控えめなノックが聞こえたのだ。
聞こえなかった振りをしてもよかったのだが、やはり『血』がそうさせたのだろう。
「…なに?」
声を潜めて、扉を開ける。
「入っていいか…?」
美亞未は少しだけ逡巡した。
階下からのテレビの音が聞こえる。まだ両親は、起きている合図でもある。
「まあ…ちょっとだけなら……」
部屋に入った希亞樹は、いつものようにベッドの端に腰を下ろした。
ドアをそっと閉め、鍵をかけるかどうか少し迷ったが、結局そのままにした。
「どうしたの、急に…」
美亞未もベッドへと腰を落ち着け、弟の方へ顔を向ける。
「どうもなにも……」
希亞樹はそこで一旦言葉を区切ってしまった。
何か言いたげに、指先でシーツの端を摘まみ、強く握っては離す。その仕草が、いつもよりも幼く見えてしまい、美亞未の胸が少しだけざわめいた。
「用がないなら…もう寝たいんだけど」
「あのさ、彼氏出来たって本当なのか?」
思いもよらない問いかけに、美亞未の息が止まる。
「え」
「父ちゃんがこの間言ってた。夏休み中に彼氏が、出来たって……なあ、彼氏ってリックスのことか」
低く、抑揚がほとんどない声色――嫉妬、不安、怒り、悲しみが混じり合っている。
「そ、それは――」
もう友達と言える関係ではないことは、美亞未も自覚はしている。リックスに、弱さを見せ、甘えている。
隠しているつもりはなかった。ただ、言い出すタイミングを見計らっていただけだ、そう、美亞未は自分に言い訳するが、言葉になることはなかった。
「それは…ごめん……」
美亞未は自分の膝の上で指を強く組み、視線を逸らした。曖昧な沈黙で濁してしまう。
「なんだよ、それ…俺はずっと姉貴と話せてなかったのに……外ではリックスと笑ってるのかよ。俺のこと、完全に避けてるくせに」
「避けてるわけじゃないよ…」
「嘘付くなよ。嘘付かれるほうが傷付く」
「ごめん……」
美亞未の指先が、シーツを強く握りしめた。
「……最近ずっと考えてたんだ。姉貴が俺を避ける理由。シャルロリアが俺を拒絶した理由。みんなが『普通じゃない』って言う理由」
罪悪感が、波のように押し寄せてくる。リックスとの時間は、確かに甘く、安らぎを与えてくれるものだ。
「でも、結局、姉貴は俺じゃなくて、リックスを選んだんだな。俺より背が高くて、頭が良くて、姉貴の話にちゃんと付き合えて……血なんて繋がってないのに、俺より『普通』に姉貴の隣にいられるやつを選んだんだ」
希亞樹の声に合わせて、胸の奥で、後ろめたさがぐるぐると回っている。
「あのね、アキのことが、嫌いになったわけじゃないよ…?」
鳶色の瞳が、揺らめいた。
弟のその瞳から目を逸らせなかった。
幼い頃からずっと見つめてきた瞳。なのに、つい最近までは、その目の色さえ気付けなかった。
自分が世界の中心だった頃の、純粋で無垢な瞳。
今はその瞳に、自分が刻んだ傷が映っているような気がした。
「ただ……家族として、きょうだいとして、線を引かなきゃいけないと思ったの。アキが…希亞樹がわたしを好きだって気持ち、嬉しかったよ。本当に。でも、それが『普通』じゃないって、気づいた時、ずっと胸が痛くて……」
涙が、ぽろりと零れ落ちた。
美亞未は慌てて手の甲で拭ったが、次から次へと溢れてくる。
希亞樹の視線が痛い。
彼の瞳には、傷つきながらも、まだ自分を信じようとしているような、幼い光が残っていた。
「姉貴……」
「ご、ごめんっ…! ずるいよねっ、泣いたりなんかしてっ…!」
「姉貴…泣くなよ…。別に俺は姉貴のこと泣かせたいわけじゃなくて…ただ俺は、姉貴とは恋人になりたいなんて思ってない。きょうだいでいい、きょうだいのままがいい。姉貴はずっと俺の姉貴だろう」
「アキ……」
「きょうだいでキスするのって、そんなに悪いことか? 誰にも迷惑かけてないじゃん。それでも、俺とキス出来ない?」
希亞樹の手が美亞未の頬に添えられる。そうして、乾いた唇を慰めるように、指先が唇を撫でた。
熱い手だった。
「アキ…だめ…だ、って…」
「……触っていいか? 今だけ……少しだけ、前みたいに」
今までも問題なかった。
壁一枚隔てた部屋で、夜にこうして静かに触れ合うことは、特別なことじゃなかったはずだ。
「…なんで?」
「だって泣いてるし……俺、姉貴には笑っていて欲しいんだ。だから、泣くなって…」
慰め――それはかつてのおまじない。
その言葉が、美亞未の胸に温かく、しかし痛く甦ってきた。
幼い頃から、弟が泣いたとき、怖がったとき、寂しかったときに、美亞未はいつも「特別なおまじない」をしていた。
額にキスをして、頬にキスをして、指と指を絡めて「大丈夫」と囁く。
それが、二人の間だけの秘密の儀式だった。
血の繋がった姉弟だからこそ許される、純粋で無垢な触れ合い。
希亞樹に抱き寄せられ、首筋に震える吐息が当たる。
「姉貴の匂い……変わってない……」
「アキ…」
美亞未は弟の手を振り払うことが出来ずにいた、その背に腕を回して、ゆっくりと目を閉じる。
リックスの温もりと、弟の熱。
二つの感触が、美亞未の中で混ざり合っていく。
互いの体温を分け合うような、触れ合うだけの、静かな時間。
これが『普通』だった。
誰も咎めない、誰も疑わない、ただの家族の温もり。
「姉貴……いいか?」
希亞樹の声は掠れていた。
だが、今は――
言葉が出なかった。変わりに、小さく頷いていた。
弟の唇が、額に触れる。
昔と同じ、優しいキス。
しかし、その唇はすぐに頬へ、耳元へ、そして首筋へと滑り落ちていく。
熱い息が肌を焦がす。
「……ン」
リックスとの時間は『新しい普通』を教えてくれた。
希亞樹との時間は、ずっと昔からあった『普通』そのものだった。
血の繋がりという、絶対に切り離せない、温かくも重い鎖。
どちらが本当の『普通』なのか、もう美亞未には分からなかった。
ただ、今この瞬間、弟のことを拒んでしまえば、また希亞樹のことを傷付けてしまう――。
夏の間、言葉をかけずに過ごした日々。
希亞樹の背中が、日に日に小さく、寂しげになっていくのを見ていた。
それでも『正しいこと』を選んだつもりだった。
必死に自分を求める弟の姿を目の当たりにしてしまえば、その『正しさ』も簡単に崩れていってしまう。
美亞未は希亞樹の頭を、そっと抱き寄せた。幼い頃のように、弟の髪を優しく撫でる。
その仕草が、自然に、昔のおまじないへと繋がっていく。
これが、今の自分にできる、唯一の『正しさ』のように思えた。
「姉貴は…俺とキスするのイヤか?」
「……イヤ、じゃ、ない…」
「なら…」
その言葉と同時に、希亞樹に再び唇を塞がれた。先ほどの刹那的なものではなく、互いの存在を確かめ合うように深く長いものである。
ちゅ、く、ぷちゅ、と、どちらともなく自然に舌を絡め合わせて、唾液を混じり合わせていく。
「ンっ、ぁ……きっ」
「あねき……」
唇を離せば、つぅ、と長く細い透明な糸が2人を繋ぐ。
それはまるで、二人の情熱を表しているようでもあった。
「姉貴、好き…大好きだ」
ちゅっと、また軽くキスをしてくる。想いを伝えられる度に心が満たされていく。
「アキ……」
「俺が側にいてやるからさ…。だから、もう俺の前で泣くなよ」
「うん…ありがとう…」
いつの間にか、希亞樹の手が美亞未のパジャマのボタンを外していた。
「ぁっ…」
だが、美亞未はもう希亞樹を止めることはしなかった。じっと、希亞樹の顔を見つめる。
こうして、求められることは、嬉しいことではある。
「うん…アキ…触って……」
美亞未は希亞樹を拒まなかった。
「んっ、姉貴っ…!」
希亞樹の声が弾んだ。
勢いのままにベッドへと押し倒されて、美亞未はこの瞬間だけはリックスのことを忘れてしまう。
「姉貴…気持ちいい……?」
「ぅん…アキの手、気持ちいい……」
双乳を揉み込まれると、快楽に身を任せてしまう。
「ん、ぁき…もっと、もっと…強くさわって、いいよ…」
「え、でも…」
つい出てしまったおねだりに、希亞樹は一瞬戸惑いを隠せないように動きを止めた。
「いいよ。その方がもっと、気持ちいいから…アキの好きなように、していいよ……」
「…っ、!」
希亞樹は、美亞未の言葉に誘われるがままに指先に力を込めていく。
貪欲な美亞未は、希亞樹の愛撫をもっと欲しいと強く求めてしまう。
声が一段と甘く高くなっていく。
希亞樹の手が、美亞未の下肢も暴いていた。
黒色のショーツと健康的な肌色がコントラストをなし、太ももに浮き上がる血管でさえ、希亞樹の情欲を掻き立てていく。
「あのさ…アキ」
身体を起こして、美亞未は自ら足を開き、希亞樹を深淵へと誘い込むように、膝を曲げる。
湿り気を帯びているそこを希亞樹の指が震えながらなぞると、美亞未の腰が小さく跳ねる。
希亞樹の声は掠れ、興奮で上ずっていた。
指先で布地の上から優しく擦られ、美亞未の内腿がびくびくと痙攣する。
「触って……直接……」
希亞樹は息を呑み、ゆっくりと指を伸ばした。
二人の吐息が重なる。
「はぁ……っ、姉貴の中…あったかいな……」
「んっ……アキの指、気持ちいい……」
美亞未の腰が無意識に浮き上がり、甘い喘ぎが漏れる。
「あっ……そこ、いい……もっと……」
弟の指が自分の最も敏感な部分を刺激する背徳感が、美亞未の理性の最後の糸を溶かしていく。
リックスとの時とは違う、血の繋がった確かな温もり。
罪悪感と快楽が混じり合い、頭の中が真っ白になっていく。
「姉貴……俺、もう……」
希亞樹は耐えきれなくなったように、美亞未の足をさらに広げ、自分の熱くなったものを取り出した。
「……入れて、いい、よ、な…?」
「うん……来て、アキ……」
それは小さな戯れだ。
不思議な小さな音が、互いの下から鳴り響く。透明な蜜か美亞未の太ももを濡らしていた。
夜の静けさに、湿った吐息が肌を通じて溶け合い、確かな境界線を超えていく。
希亞樹の熱が、ゆっくりと沈み込んでくる。抑えきれない欲望が、わずかに空気を震わせた。
血の繋がった確かな鼓動が、胸の奥まで響いてくる。
この温もりは、血の鎖であり、罪であり、しかし紛れもない『家族の愛』でもあった。
「ミミ~さっきから変な音してるけど、なにしてるのよ?」
ガチャ、と部屋の扉が開いた。前触れはなかった。ただ、ありきたりな家族の何気ない日常の一つ。
無遠慮にドアを開けて、中を覗き込んできたのは母であった。
「あっ――」
希亞樹に押し倒されたまま、美亞未は絶望的な声を漏らす。
「え」
しかし、その場でただ希亞樹一人だけが、状況を理解しておらずぽかんっと口を開けて、母を見つめた。
時間が止まった感覚。いや、凍りついた。
沈黙が部屋を支配する。
母も子も互いに状況を理解することを、拒んでいるようでもあった。
「…かあ、さん」
美亞未が小さく呟く。その声音は、先程まで希亞樹が聞いていた甘いものではない。
呆然としていた母が、ようやく状況を飲み込めたのか、姉から弟へと視線を移した。
そしてまたもう一度美亞未の方へと視線を戻した。
母の口元は、みるみるうち青くなり、そしてわなわなと震えていた。
「なにをしているの」
その声は、酷く冷たいものであった。




