44 そうして
いつから人は『それ』を忌避するようになったのか。
歴史の中で、それは『悪』とされている。
しかし、古代エジプト王朝では、それは容認されていた。
『あなたがたは、だれも、その肉親の者に近づいて、これを犯してはならない』
教えを、守るものはいない。
犯した者は、異端者だ。
その教えが、今を生きる自分たちに深く根付いていることも事実だ。近代の医学的観点からしても、遺伝的リスクとして身体に害を及ぼすからと忌避される。
だが、人は『それ』から逃れられない。
それは麻薬のように人を蝕み、深みに嵌っていくのだ。美亞未の体温を全身で感じながら、リックスは思考していく。
セックスの感触を想像するのは、容易い。唇の感触も、手の温もりも、腿の肉の瑞々しさも、リックスはすべて知っている。
しかし、それはあの弟も同じである。
――あんな子どもみたいなやつが……。いや子どもだからか…。
リックスよりも先に『知った』のだ。
リックスの中で、希亞樹に対する強い嫉妬が募っていく。
「……美亞未、キスをしていいか?」
「え…っ!?」
今日一日、美亞未は驚いてばかりだ。
抱きしめていた腕を、美亞未の顎へと滑らせ、その華奢な輪郭をそっと上向かせる。
戸惑いに揺れる瞳が、至近距離でリックスを映している。その唇は小さく開かれ、拒絶とも、あるいは期待ともつかない吐息が漏れていた。
指先に少しだけ力を込め、美亞未の逃げ道を塞ぐように顔を近づけた。
「……弟とはキス出来て、オレとはキス出来ないのか?」
狡い言い草だと、自嘲しながら美亞未が小さく息を呑んだその瞬間、リックスは躊躇いなく自分の唇を重ねた。
「ん……っ、」
重なり合った唇は驚くほど柔らかく、そして熱い。
顎を支えていた手が髪の隙間に滑り込み、彼女の頭を固定する。深く、貪るような角度で何度も唇を食み、隙間から侵入した舌が、美亞未の甘い蜜を容赦なく奪い去っていく。
「ふあ……、リッ、く……っ」
呼吸を奪われた美亞未が、苦しげに、けれど強まる愛撫に応えるようにリックスの肩にしがみついてくる。その手のひらの熱が、リックスの背中を、そして下腹部をさらに熱く狂わせていく。
この肌の柔らかさも、鼻腔をくすぐる特有の甘い香りも、今この瞬間はすべて自分のものだ。
弟の影を頭から完全に消し去るように、リックスは狂おしいほどの情熱を込めて、彼女のすべてを塗り替えるための口づけを繰り返した。
舌に絡まる唾液はまるで、極上の葡萄を限界まで凝縮し、熟成させた果実酒のようだった。豊潤で、ひどく官能的な味。彼女がただ息を潜めて生きているだけで分泌されるその蜜は、一口含んだだけでリックスの理性を完全に狂わせるに十分な、禁断の毒だった。
「ん、む……っ、ふあ……」
呼吸を奪われた美亞未が、リックスの胸元を弱々しく掴んでくる。
じわりと広がる甘美な味の奥から、再び黒い嫉妬が鎌首をもたげる。
あの弟も、この甘い蜜に溺れたのだとしたら――。
「あ……リ、ックス……」
ようやく唇を離したとき、美亞未の瞳は潤み、視線が定まっていなかった。
二人の間に、細い銀の糸が揺れては儚く切れる。
その口元に残る甘い名残を見つめながら、リックスは、自らの内に巣食う衝動の手綱を完全に引きちぎっていた。
「……神は人を作った。エデンの園に。人は大地の塵だ。だが、人は孤独だった。だから、動物たちが造られた。それでも、人は孤独だった。だから、神は男を眠らせて、肋骨の一本から女を造り出した。わたしの骨の骨、わたしの肉の肉」
美亞未の身体をシーツへと押し倒していく。
彼女は驚きの表情を見せるが、抵抗はしなかった。
「善と悪を知る木――禁断の果実を初めに口にしたのはイブだ。…だが、アダムもその場にいた。何故、アダムは蛇に唆されるイブを黙ってみていた? 何故、共に果実を口にした?」
「ぁ、な、なんの…はなし……っ?」
「罪を犯さない人間は存在しない――……」
ビクっと、リックスの下で、美亞未の身体が跳ねる。
「ンっ、ぁ…な、に……」
無防備に晒されている白い足を撫でながら、リックスは続ける。
「…これはオレの考えだが、アダムがなぜイブを引き留めなかったのか…それは『愛』を与えられたからだ。それまで、神からの『アガペー』のみで生きてきた男は、イブから果実を与えられたことで初めて神以外の『愛』を知った」
美亞未の瞳の奥を覗き込んだ。
揺らめく双眸は、戸惑いと熱に溶け合い、初心な女神のようでもある。
「アダムは、ただイブが欲しかったんだ……。神の掟よりも、彼女の与える果実が欲しかった。……オレも同じだ。オレは神より、君を選ぶよ」
美亞未の心はすでに開かれている。だから、中に入ることは簡単であった。
雨粒が乾いた大地の表面を優しく叩き、徐々に染み込み、根の奥深くまで浸透していくように、溶け合っていくような錯覚――。
二つの体温は境界を溶かし合い、雨雲と大地が触れ合う瞬間のごとく、静かで、しかし容赦なく混ざり合っていく。
美亞未の声が雨粒のように細かく砕け、部屋に散らばる。
これは、禁断の園で交わされる、二度目の原罪。
神が禁じた果実ではなく、人が人に与える果実。甘く、熟れすぎて、ひとたび口にすれば理性という枝をへし折り、魂ごと堕とす毒りんご。リックスはそれを貪りながら、希亞樹という影を、塗りつぶしたいと強く思った。
二つの唇は溶岩のように熱く、絹のように滑らかで、生き物のように包み込み、貪り、求めてきた。
きっと星なのだと思う。
互いの重力を無視できず、引かれ合い、衝突し、融合しようとする。
火花が散り、銀河が螺旋を描く。
そうして、爪が肩に深く食い込んだ。
生命の源泉のような収縮が幾度も続く。
窓の外では、まだ雨が降り続けていた。
まるで、この罪を洗い流すかのように。
そして、この罪を祝福するかのように。




