40 拒絶
夏の強い朝の光を浴びながら美亞未は、足早に自宅へと向かっていた。
「ただ、いまー…っと…」
そっと玄関のドアを開けて声を掛けるが、「おかえり」という返事はない。
たたきに目を落とすと、そこには希亞樹の靴しかなかった。
――なんだ母さん……いないんだ。
これならもう少しゆっくりしておけば良かったかもしれないと、美亞未は小さくため息をついた。
――アキと二人きりかあ……。
居心地が悪いわけではないが、昨日のこともあり、今はあまり顔を合わせたくないのも本音である。
「……」
靴を脱いで、足音を立てないように忍び足でキッチンへと向かう。
冷蔵庫から麦茶を取り出して、コップに注ぎ、それを一気に飲み干して、ふぅっと一息ついた。
――そういえば、アイス買ってあるって母さん言ってったっけ……。
コップをシンクに置き、冷凍庫を開けたのと同時のこと。
「姉貴」
「わっ、ぁッ!?」
背後からいきなり声を掛けられ、大袈裟な声と共に肩が跳ねる。
「……帰ってたのかよ」
「う、うん。ついさっきね。母さんは…買い物?」
美亞未は振り返ることはしないで、カップアイスを手に取り、バタンと冷凍庫を閉める。
「…友達と会ってくるんだってよ。帰ってくんのは夕方って言ってたけど」
「そう」
素っ気ない返事をする。
「なあ、姉貴」
また呼ばれたかと思えば、そのまま後ろから抱きしめられた。
「な、なに…アキっ…! 暑いって……!」
「姉貴、俺とキスしてよ」
「え、あ……へっ?」
希亞樹の唇が、首筋へと触れた。
「ちょっ…っ…」
くすぐったさと恥ずかしさに手を滑らせてしまい、持っていたアイスを落としてしまう。
ゴっと鈍い音が鳴った。
幸いまだ蓋は開けていなかったので、中身は零れてはいない。
「…俺、丸一日姉貴と離れてすげー寂しかったんだけど……」
「アキ……」
「姉貴は…俺と離れて寂しくなかったか?」
かぷっと耳たぶ噛まれて、声が漏れてしまう。
「ぁっ…」
希亞樹の熱に、美亞未は身体がじんっと熱くなっていくのを感じていた。
「だ、ダメだ、ってアキ……っ」
希亞樹の手のひらが、服の上から両胸を掬い上げるように揉みしだく。
「あぁう……」
「キスしたい」
「だ、だめ…っだ、てば…! 母さんが、帰ってくるよッ…っ!」
「夕方まで帰ってこねえって! キスしてくれるまで、俺は離れないからなっ!」
「っ、アキ…っ、ァ…っ! だ、ダメだってば…ほら、離す…アイス溶けちゃうから…っ!」
双乳を揉みこまれていく刺激に、思わず膝から崩れ落ちそうになってしまう。
「キスしてくれたら離すってばっ! な、簡単だろう?」
ついに希亞樹の手が、服の中に入りこみ、直に美亞未の腹部を撫でてきた。
「うわ、ちょっ……!?」
ヘソの上を撫でられてしまうと、下腹部が勝手に疼いていき、内腿をすり合わせるようにもじもじと動いてしまう。
そんな美亞未に、希亞樹は耳元で囁く。
「姉貴の肌……すべすべしてて気持ちいい」
「あ、アキっ……汗かいてるし……」
「…姉貴だって最初はノリ気だったじゃん。俺とキスするのイヤになったのかよ?」
するすると、希亞樹の指が腹部から上がっていき、下着越しに乳房へと触れてくる。
「そういう、ことじゃなくて……っ」
「じゃあいいだろ……っ!」
苛立った希亞樹の声と共に、強く胸を揉まれた。
「あっ、!? ンっ、いた、いたいって…アキッ…!」
「あ、ごめん…」
希亞樹が慌てて手を離すと、解放された胸がたゆんと揺れた。
背中に感じていた温もりも離れていく。
「はぁっ…ビックリしたあ……」
鼓動がうるさいくらいに鳴っているのは、ドキドキしているせいか、痛みからなのか――。
「あっ――」
ぽろっと、不意に目尻から涙が零れ落ちてきた。
――わたし、なんでアキを拒絶しようとしているんだろう…。
愛しているのに、いや、愛しているからこそ、触れ合うことを拒否している。
その事実が、美亞未の胸を締め付けていく。
ぎゅ、っと美亞未は自分の胸元を押さえていた。
「あ、ごめん姉貴……だ、大丈夫か……?」
今は希亞樹から逃れたい、だが、希亞樹を拒絶する自分が許せなかった。
「あ、姉貴…? そんなに痛かったのかよ? ごめん…俺、そんなつもりはなかったんだ。ただ……」
涙に気付いた希亞樹が、悲しげな表情を浮かべた。
「ごめん、アキ…っ」
「なんで姉貴が謝るんだよ? イヤがってたのに…俺が…悪いんだろう? だから、俺のこと嫌いにならないで…っ!」
縋るように伸ばされた希亞樹の手を、美亞未は取ることが出来ない。
「姉貴…」
「ご、ごめん…今は、アキとキスは出来ない……かな…」
「なんで…?」
鳶色の瞳が不安げに、美亞未を見つめた。まるで、幼い時のような目だった。
「だ、だって…」
美亞未はもう、希亞樹のことを見ることが出来なかった。
希亞樹を傷付けてしまったからではない。
「…やっぱり、もうこんなことやめようよ」
「えっ――」
「やっぱりさ、きょうだいでこんなことするのおかしいよ」
「…お、おかしくないっ! 俺は、姉貴のことが好きなんだっ! 好きな子に好きって言って、触れ合うのは何もおかしくないだろっ!!」
「アキ……」
「俺はもっと姉貴に触りたいしキスもしたい。でもそれってさ、俺が姉貴のこと好きだからだぜ? 姉貴のことこんなに好きなのに、なんで、どうして…否定されなきゃいけないんだよっ…!」
希亞樹の声は、今にも泣き出しそうな弱々しいものである。その声音に、美亞未の胸がぎゅうっと締め付けられる。
「あのね、好きとか…気持ちの問題じゃなくて…家族で、姉弟でこんなことするのがおかしいんだってば…っ!」
小さな子どもを諭すように美亞未は優しい声音で、告げた。
「なんだよ……それ……」
「……アキがわたしのことを想ってくれているのは嬉しいし、わたしもアキのことは大好き」
だが美亞未も譲らない。言葉を選びながら、続ける。
「だけどわたしとアキは血の繋がった正真正銘の姉弟なんだし、家族でしょ……? だからその、こういうことをするっていうのは間違ってると思うの……。『普通』じゃないよ」
そう、普通ではない。
美亞未ははっきりと、自分の口から告げていた。
「ッ!!」
抱きしめてあげたい衝動に駆られるが、今、希亞樹の気持ちを受け止めてしまったら、きっとまた溺れてしまうだろう。
だから、突き放す。これがきっと正しい選択だと信じて――。
「…っ、姉貴までそんなこと言わないでくれよッ! 俺は、誰になんと言われようと諦めないっ…! 諦めないからなッ……!!」
希亞樹の悲痛な叫びが、心を抉る。
――ごめんっ……。
希亞樹は、そのまま玄関へと走り、外へと飛び出して行ってしまった。
そして、静寂が訪れた。




