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30 熱帯夜

「…つうかさあ」

 希亞樹の声は、どこか不機嫌であった。低く、尖っていて、いつもの甘えた調子は完全に消えている。

「いきなりなに」

 風呂上がりの熱気が残る肌と髪に、首にタオルを掛けたまま、シャツの肩が少し湿って張り付いている。

 部屋の扉を開けるなりずかずかと部屋へと入り込み、我が物顔でベッドに腰を下ろしてきた。

 美亞未も弟の隣に座る。

「この間、リックスとなにやってんだよ?」

 怒ろうとした言葉も、希亞樹の吐き捨てるような声に飲み込まれてしまう。

「…なにもないよ。ちょっと進路相談とかしてもらっただけ。…というか、なんで知ってるのよ?」

「クラスのやつが言ってたぜ。留学生とお前の姉貴がデートしてた、って……」

「だから、デートじゃないってばっ!」

 つい、大声を出してしまった。

 扉は閉まっているが、リビングにいる両親たちに聞こえてしまったかもしれない。

「嘘くさい」

 希亞樹にじっと睨まれる。濡れた前髪の奥の鳶色の目が、いつもより暗いように美亞未には思えた。

「嘘じゃないよ。リックスくんはそういう人じゃないから」

「そういう人って、どういう人だよ」

「え、っと、下心とかない人……?」

「なんだよそれ」

 希亞樹はさらに身体を寄せ、濡れたままの髪から滴る水滴がシーツに落ちていく。 

 美亞未は思わず後ずさりそうになったが、ベッドのヘッドボードに背中が当たって逃げ場がない。

「もう……アキ、嫉妬してるの?」

「してるよ! 当たり前だろ!」 

 希亞樹が声を荒げた。熱を持った手が、美亞未の肩を掴む。

「俺は姉貴のことばっか考えてんのに、姉貴はあの金髪野郎と二人きりで楽しそうにしてたんだろ? 笑ってたんだろ?」

「そ、それは友達付き合いの一環だし……」 

 事実を突き付けられ、胸のざわめきが大きくなっていく。

 確かにリックスと話している時は、希亞樹といる時とは違う高揚感がある。だが、それはまだ認めたくはない。

『君は、自分を罰したいのか? それとも、ただ誰かに肯定してほしいのか?』

 リックスの問いに、美亞未は答えることが出来なかった。

 希亞樹とのこの『普通』の関係を、誰かに「悪いことだ」と突きつけられて、強く責められて、罰を受けたい気持ちがある。罪の重さを全身で感じて、胸が張り裂けそうになるまで追い詰められたい。

 そうすれば、もしかしたらこの気持ちに区切りをつけられるのかもしれないと思った。

 だが同時に誰かに「それでもいい」と肯定してほしいという、甘くて弱い欲求も確かにあった。

 特にリックスには。

 冷静で、知性的で、家族の愛と恋愛の愛を同じ根源から見つめているような彼に、「君の気持ちは自然なものだ」と、優しく肯定されたい。 

 罰されたい。

 肯定されたい。  

 相反する二つの願いが、美亞未の中で渦を巻いていた。

 罰されることで贖罪し、肯定されることで救われたい。

 その狭間で、自分がどれだけ醜く揺れているのかを、美亞未は痛いほど自覚していた。

「……姉貴?」 

 希亞樹の声に、はっと我に返る。 

 弟が心配そうに顔を覗き込んでいる。濡れた前髪の間から見える鳶色の瞳は、いつもの甘えん坊のそれではなく、純粋な不安と苛立ちが入り混じっていた。 

 美亞未は小さく息を吐き出す。

「隠していたわけじゃないよ。ちょっと言い出しにくかったというか……アキに言う必要はないというか……」

「なんでだよ?」

「こんなことするから」

 そう言うと、肩を掴んでいた手が離れていった。

「でもさ……アキこそ」

 美亞未とて言われっぱなしは、癪に障る。

 ここぞとばかりに、希亞樹の目を真っ直ぐに見つめ返した。

「転校生の…なんだっけシャル、シャルロッテ…? だっけ…?」

「シャルロリア」

「そう。その子と仲良いって噂いっぱい聞くけどお?」 

 希亞樹の眉がぴくりと上がった。

「それとこれとは……」

「違うの? アキは毎日あの可愛い子と二人きりで、ご飯食べてるんでしょ〜? それでわたしがリックスくんと少し話しただけで怒るのはズルくな~い?」

 美亞未は少し意地悪な笑みを浮かべながら、希亞樹を追い詰めていく。

「可愛いよねえ~シャルロリアちゃん。わたしもこの間ちょっと見かけたけど、やっぱり外国人ってオーラが違うよねっ! アキ超ラッキーじゃん、美少女お嬢様に懐かれて!」

 美亞未が詰め寄ると、希亞樹は目を逸らした。耳が赤くなっている。

「くそ……姉貴、意地悪」

「アキが意地悪したからでしょっ」

「あいつはただのクラスメイトだし、それに向こうが勝手にくっついてくるだけで、俺はなんとも思ってねえよ」

「ふーん。ホントに?」

 美亞未は目を細めて、弟の顔をじっと見つめた。風呂上がりの湿った熱気が、まだ肌にまとわりついている。

「ほんとだよっ! あーもうっ!」

 勢いのままに、希亞樹にキスをされる。

「俺が好きなのは、姉貴だけだよっ!」

 真っ直ぐに美亞未を見つめる希亞樹の目に、嘘偽りはない。

「アキ……」

「だから…っ! あんまり他のやつと喋るなよっ」

「う、うん。というか、声、大声出すと母さんや父さんにバレるかもだし……」

「あ、悪い…」

「いいよ…ほら」

 ちゅっと、今度は美亞未の方から希亞樹へとキスをした。

「んっ…姉貴…っ」

「あっ、アキ……、ン…っ」

 そのまま二人して、ベッドへと倒れ込む。

 キスすることで、互いの熱を分かち合い、深い絆を刻んでいくのだ。

「姉貴……」

「ン……」

 パジャマの上から、胸を練り込むように希亞樹の指先が動いた。

「んっ、あ、姉貴…は、はだか…みたい……」

 ぽすっと、希亞樹は美亞未の胸元に顔を埋めながら、甘え出した。

「はー…はー……。んっ、いい、よっ……」

 羞恥心がない訳ではないが、希亞樹ならいいと、希亞樹にだけならいいと美亞未は思うのだ。

 美亞未は熱の篭もった瞳で、希亞樹を見つめる。その瞳は、早くと言いたげであった。

「じゃあ、…っ」

 希亞樹は短い返事をして、パジャマのボタンへ指を掛ける。

 震える指先が一つ、また一つとボタンを外し、美亞未の肌が露わになっていく。

「ぁ、っ…」

 すべてのボタンが外されていき、アイボリーのブラジャーが露わになった。

「ん……っ、はぁ……アキ、ちょっと待って……」

「…っ、待てねえよ」 

 希亞樹の唇が鎖骨に移動し、ちゅっと軽く吸い付いた。

 美亞未は弟の背中に腕を回しながら、小さく息を漏らした。

 「……あの…たまにはさ…名前で呼んでみてよ……」

 「え、…ああ…。みぅみ……」 

 二人の吐息が部屋に重く混ざり合う。

 リックスとの出来事も、シャルロリアの影も、今は二人だけの熱に溶かされていく。

 外は静かな夜だ。

 だが、危うい均衡がぎりぎりと音を立てていた。


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