26 一時の休息
流行曲のイントロが流れるカラオケの室内に、希亞樹の姿はあった。
「はぁ…疲れた……」
メロンソーダのグラスを掴み、ストローを勢いよく吸い込んだ。
放課後、ホームルームが終わるや否や「きあきくん、この後――」と言いかけたシャルロリアの手をすり抜け、友人たちの腕を引っ掴んで、ここまで猛ダッシュで逃げてきたのだ。
「か~~っ贅沢な悩みだなッ!」
隣のソファに座る友人が、マイクを握り締めながら血の涙を流さんばかりの形相で、睨み付けてくる。
「なら、変わってやってもいいぜ…まっ、向こうが嫌がるだろうが……」
「おーおー希亞樹くん。それ嫌味で言ってないなら才能あるぜえ?」
対面に座るもう一人の友人は、ポテトを摘まみながらニヤニヤと笑っていた。
「シャルロリアちゃん! ドイツから来た超絶美少女! しかもあっちの由緒正しい貴族の血筋で、完全無欠のガチガチのお嬢様っ!」
「つまり、希亞樹がこのままシャルちゃんを一本釣りすれば、自動的に『超格上の逆玉』ゴールインなわけ。将来働かなくてもいい権利をドブに捨てる気か? かわいいし、どこが不満なんだよ、この贅沢陰キャめっ!」
二人の猛烈な嫉妬混じりのブーイングを受けながら、希亞樹は背もたれにどっかりと体重を預け、天井を仰いだ。
「家柄とか別に俺はどうでもいいよ。逆玉だろうが、俺は将来を見据えるより、今を大切にしたいんだよ」
「はあ~~~カッコつけやがってっ!」
「あんな子との出会い一生に一度あるかないかだぜ!? 何が不満なんだよっ! 家柄よしっ! 顔よしっ! 性格よしっ! 天使だろっ!」
「顔は……まぁ、確かにびっくりするくらい可愛いけどさ」
脳裏に、昼休みに至近距離で見た彼女の顔が浮かぶ。
自分の手のひらにすっぽり収まってしまう、あの小さな顔。驚いたように見開かれた、吸い込まれそうな翡翠色の瞳。長いまつ毛と、柔らかな唇の感触は、まだ手のひらに残っているような気がして、希亞樹は無意識に手を動かしていた。
「単純に……俺の好みじゃないんだよ」
希亞樹はぽつりと呟いた。
「はぁ? あんな人類の奇跡みたいな美少女が好みじゃない?」
「ハッ、お前それ、全男子生徒を敵に回す発言だからな」
友人たちは本気で呆れたような声を出す。
「あーでも確かに希亞樹は、妹系より姉系が好きそうだもんなあっ!」
「ははっ、言われてみりゃいつも『姉貴が~』って言ってるもんな」
「なんだよ。その妹系姉系って……」
希亞樹は適当に笑い飛ばしながらも、頭の中では美亞未の姿を思い浮かべていた。
シャルロリアと美亞未を、比べてしまっているのは事実だ。
「つかさあ…」
メロンソーダの氷を掻き回しながら、希亞樹は話題を変える。
シャルロリアのあの雰囲気、どう考えても、普通の家庭が通うようなこの学校に馴染む存在ではない。
「なんであいつはこの学校にいるわけ? ガチお嬢様ならお上品な私立の国際学校とかの方がお似合いじゃねえの」
「ああ、それオレもちょっと気になって調べてみたんだ」
「成果は?」
「あったぜ」
友人たちの言葉に耳を傾けながら、希亞樹は端末でレモンスカッシュを追加で頼んだ。
「シャルちゃん最初は超お嬢様学校に編入してたみたいだけど、まあこれ……噂レベルだけどな? その学校で、なんかハブられてたらしいんだわ。要するに、イジメ」
最後の声はとても小さなものになっていた。そのせいで、隣の部屋の音が聞こえてくる。
耳を打った単語に、希亞樹は眉を顰める。
明るくて、誰にでも人懐っこく笑いかける少女がイジメられるなんて、想像もつかなかった。
「あの学校ってほら、昔ながらの家柄とか親の権力闘争みたいなのがドロドロしてるって噂あるし。そこにドイツのガチ名家、しかも規格外の美少女がドカンと入ってきたわけじゃん。そりゃあ、周囲のプライド高いお嬢様方の嫉妬を買うには十分すぎるだろ。……で、陰湿な嫌がらせが始まったらしい。無視されたり、わざと聞こえるように陰口言われたりさ」
言いながら、友人は肩をすくめてみせた。
「たださ、面白いのが……シャルちゃん本人、自分がイジメられてることに全く気付いてなかったらしいんだよね」
「……は?」
希亞樹は目を丸くした。
「シャルちゃんって良くも悪くもポジティブっていうか、浮世離れしてるじゃん? 挨拶して無視されても『聞こえなかったのかな?』とか、陰口言われても『ボクのこと、そんなに見てくれてるんだあ』って笑顔で返しちゃうらしくてさ。嫌がらせが全部不発に終わったらしいぜ。で、それを知った親御さんかメイドさんあたりが『この環境は精神衛生上よろしくない』って判断して、もっと普通の、のびのびした学校に行かせようってことで、ウチに転校させてきたらしい。っていう噂」
「なんだそれ、強すぎだろシャルちゃん」
話を聞き終えた友人が、ぷはっと笑い出す。
「あいつ、ただの天然お気楽お嬢様かと思ってたけど、色々あんだな」
希亞樹は手元のグラスを見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「お、何だ何だ? 希亞樹さん、ちょっと同情しちゃいました?」
「うるせえ。……ただ、まぁ」
あんなに眩しくて、正直自分の好みとは真逆のタイプだけど。
せっかく「楽しい」と思える場所がここなら、もうちょっとくらい、優しくしてやってもいいのかもしれない、と思うのだ。
そんなことを考えていると、テーブルの上に置いていたスマホが短い通知音を響かせた。
画面を見ると、SNSの通知マーク。
『おじいちゃん骨折して母さん病院行った。夕飯のおかずなんか買ってきて。チキンライスね』
適当にスタンプを返して、希亞樹は一曲歌うことにした。




