10 夜はひみつ
いつも部屋の扉を叩くのは、希亞樹の方だ。
だが、今日だけは違った。
希亞樹が風呂から上がってすぐの後のこと、コンコンと控えめなノックがしたのだ。
「入るよ」
いいともダメとも言ってないが、姉はドアノブを回していた。希亞樹は椅子に座ったまま、髪を乾かすこともせずにタブレットの画面を見つめていた。
「で、今日はどうしたわけ?」
ギシ、と美亞未がベッドへと腰を掛けた音がした。
「べーつーにー。たまには早起きしてみたくなったんだよ」
画面に映し出されているのは、野球の試合のハイライトだ。ボールが飛ぶ度に画面から歓声が上がる。
「ホントに?」
希亞樹は思わず振り返りそうになってしまう。美亞未がどんな表情でその言葉を言ったのか、見たいという衝動に駆られたが、それをしたら負けだ、と自分に言い聞かせる。
「だから、姉貴には関係ないことだってっ!!」
つい叫んでしまう。
そう、美亞未には関係のないことだ。
これは小さな嫉妬心と、大きな独占欲なのだから。
「……リックスくんのこと?」
「なんでそいつが出てくるんだよ」
「アキが不機嫌な理由なんてそれしかないでしょ」
「違う」
「リックスくんはただの友達だよ。アキは変なことばっか考えるよね」
「友達…?」
「あ…やっとこっち見た」
「……!」
引っ掛けられた。悔しげに唇を噛み締める希亞樹に、美亞未は苦笑する。
「アキってほんと単純ー。ねえ、胸、触ってもいいよ…?」
「なっ……!? いきなり、何言い出すんだよ、姉貴っ!」
姉の口から触ってもいいという、肯定の言葉が発せられ、希亞樹は思わずむせそうになる。
「な、なにってアキがしてきた事じゃん…!」
美亞未も言ったそばから頬を赤らめた。
「それは、そうだけどさ…。姉貴から言ってくるなんてどうしたんだよってことだよ」
「……気分? うぅん、まあアキに心配かけたし……」
美亞未も美亞未なりに希亞樹のことを気遣っているのだ。
「…しない」
「へ?」
希亞樹はくるんっと身体を回転させ、再び画面と向き合う。
本音を言えば、希亞樹とて美亞未に触れたい欲求はある。
ただ、それだと求めているのは身体だけ――なような気がして、希亞樹の矜持が許さないのだ。
「……」
しばらく美亞未は、希亞樹の言葉を反芻するかのように押し黙っていた。分かってくれたのならば、今はひとりにして欲しいと思う希亞樹である。
姉の熱が近くにあると、落ち着かないのだ。ましてや、美亞未から誘われた嬉しさがまだ残っている。
自分の気が変わる前に、と――……。
「アキ」
すぐ近くで、美亞未の声がした。
なに、と希亞樹が口を開ける前に腕を取られて、そのままくにゅん、っと胸を押し付けられた。
「へ、っ!? な……っ、ちょ……っ、ァ、あねき……っ!?」
あまりにも予想外な出来事に、口内が一気に乾いていくのを感じた。だが、美亞未の腕を振り払おうとしないのは、希亞樹の心が素直だからだ。
「いいって言ってんじゃん」
「でも……」
「いつもはぐいぐいくるくせに、案外ヘタレなんだ?」
「ヘタレじゃねえよ……」
「じゃあ、しようよ」
「で、でも、母ちゃんも父ちゃんもまだ起きてるだろ……バレたら……」
言いかけて、希亞樹は口を閉じる。
バレたら?
口から出かかった言葉を、頭の中で反芻していく。なぜ、そう思ったのだろうか。
美亞未との関係を、美亞未を好きでいるという気持ちをなぜ、悪いものだと考えたのだろうか。
――オレが誰を好きだろうと、関係ないだろ……。
二人の間に、気まずい沈黙が流れた。
「アキ……別に悪いことなんてしてないじゃん、私たち。それにさ」
先に口を開いたのは、美亞未からだ。
「それに?」
「バレなきゃいいんだよ」
希亞樹は、姉が大胆な提案してきた事が何よりも驚いた。
自分と違って生真面目な姉がバレなければいい、なんてことを言うのだから。まるで、悪い子である。
――バレたらなんで悪いんだ? 別にオレたちは何も悪いことしてないよな……?
希亞樹の脳裏には、初めて姉の身体に触れた日のことが思い出されていた。まだ、身体の奥底に、柔らかく甘い感触が残っている。
「……オレは別に悪いことなんて思ってねえよ。ただ、母ちゃんたちがいると気が散るって言うか……」
「そっか。そうだよね。でもさ、なんか、今のアキを見てると放っておけなくて……」
「な、なんだよそれ……」
姉の言葉に、むっとしてしまう。
電車の中で手を繋いでくれた時も、そんな気持ちだったのかと思うと、何だか複雑な気持ちになる。
同情――だったのだろうか。
心を通い合わせることは、心地良いことだと、希亞樹は思っている。
ならば、美亞未とは、どうだろうか。
――オレたちは…どうなりたいんだろう。
ふと、希亞樹はそんな疑問を浮かべる。
「…姉貴、オレさ」
「でも……」
姉と弟の声が重なり、希亞樹が言葉を止めて、姉の続きを待った。
「アキと初めてキスした時……もっと触って欲しいって思ったんだよ」
気付けば美亞未の身体を、カーペットへと押し倒していた。
「……姉貴に触りたい」
感情が昂ぶっていく。
視線がバチっと絡み合う。
「でも、触ったら……なんか、もう押さえられなくなっちまうかも……」
「悩むなんてアキらしくない…」
美亞未の腕が希亞樹の頭を引き寄せて、二人の唇が合わさった。
ちゅ、っと静かに触れて離れて、また触れて……小さなキスを何度も繰り返す。
「ん……」
美亞未の口から漏れる声に、希亞樹は耳たぶまで赤くなっていく。
「姉貴…。背中痛いだろうし…ベッドにいこう」
「ん…」
頷く小さな声にさえ、心臓は大きく跳ね上がる。
ベッドに二人で横になると、どちらからともなくもう一度キスをした。
何度も口付けながらパジャマ越しに姉の身体へと触れる。
ふっくらとした胸の感触を堪能するように、手を這わせていく。
「……ん……ッ……」
キスの合間に姉の口から零れる甘い声が、希亞樹の鼓膜を震わせた。
その声だけで、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「あねき……ッ……」
パジャマの裾から手を滑り込ませて直接素肌へと触れていく。直に感じる肌は、滑らかで熱くて柔らかくて気持ちがいい。
やわやわと触れているうちに、希亞樹の手は自然と胸の方へと行き着ついた。
「あれ…」
「どうした…?」
「いや、なんか……」
さわっとした手触り。肌の滑らかさではない。
これは――……。
下着。
「……!!」
希亞樹はぱっと身体を離すと、美亞未に背を向けた。
「な、なに……?」
美亞未は突然離れた希亞樹に驚き、不安げな声で名前を呼んでくる。
「あ……あねき……」
「ん?」
「その……あの……ッ」
「なんだよ」
「し、下着……つ、つけてんのかよ…!?」
「え……!? あ、あ、当たり前でしょ…! なに今さら照れてんのよっ!!」
希亞樹はふつふつと何かが沸き上がってくるのを感じていた。
「いや、その……なんていうか、意外だったってゆーか……。初めてブラとか触ったから……」
「な……ッ」
照れている理由に、美亞未が声を詰まらせる。
「ば、バカじゃないの……!」
「その、そういうのって、苦しくねぇの?」
改めて美亞未と向き合う。
「別に…むしろないと揺れたりして気持ち悪いし…」
「ゆ、ゆれ……」
「変なこと考えない」
「姉貴が変なこと言うからだろ!」
希亞樹は頭を振って邪念を追い払うとするも、
一度強く意識してしまうと、年頃である以上もうどうしようもないのである。
自分の知らない所で、姉は成長をしている。
一つ上なのだから、美亞未の方が成長が早いのは当たり前のことだ。
それでも、自分の知らない姉が増えていく。
そのことが堪らなく嫌だった。
希亞樹は漸く自分の中のもやもやの正体を知る。
「アキ……?」
急に黙り込んだ希亞樹を不審に思ったのか、美亞未が顔を覗き込んでくる。
くりっとした丸い瞳が、無防備だ。
「姉貴」
「どうしたの、っと、わっ……」
ぎゅっと美亞未の身体を抱きしめると、勢いのままにベッドへと押し倒していた。
「ぁ、あき……」
姉の身体に触れているのに、自分の中のモヤモヤが治まらない。むしろ、大きくなっていく感じがした。
治まらない気持ちを落ち着かせようと、希亞樹は美亞未の首筋に顔を埋め、すん、っと息を吸う。
シャンプーの香りがした。同じ匂いだ。
「アキっ……」
「姉貴……」
「ん、んっ」
「はっ、ァッ……」
また貪るようにキスを繰り返していく。
一瞬唇が離れ、美亞未が苦しげに息を吐いた。
その息が熱くて、希亞樹の頭も身体もくらくらとのぼせたように熱を帯びていく。
ピピっ、とエアコンのスイッチを入れると、すぐに冷たい風がそよそよと二人の熱を冷ますように吹き付けては、通りすぎていく。
暫く抱き合ったまま、何度かお互いの名前を呼び合っていくと、身体がじっとりと汗ばんでいく。
「……あのさ、リックスくんとは、なにもないよ。ホントに。ただの友達だから……この間連絡先交換して……」
「……いいよ。そいつの名前出さなくて。もう分かってるから」
姉の口から何度も出てくる名前に、希亞樹は苛立ちを隠せなかった。
こうして、二人きりの時だって邪魔をしてくる。
あの男は敵だ。
希亞樹の本能が告げていた。
「……姉貴……その、裸、みたい……」
苛立ちを紛らわすように、思い切って言ってみる。
本能的に、裸がみたいと思ったのだ。手に触れた肌の感触が、どんな形をしているのか知りたい。
「えっ――……」
美亞未は、一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐに「いいよ」と頷いた。
「じゃあ…アキが脱がせてよ…」
「えっ、はっ……!?」
あまりにも挑発的な台詞に、心臓が飛び出してしまいそうなほどに高鳴りを上げた。
「脱がしてくれないなら、これで終わり」
あまりにもあっさり言うので、希亞樹の方が戸惑ってしまう。
「わ、分かったよ!」
焦りながらも希亞樹も頷いていた。ここまできて終わりは、あまりにも中途半端だ。
美亞未に試されている、希亞樹はそう感じていた。
――据え膳食わぬはなんちゃらってやつだな!
「よし…っ! 行くぞ…脱がすからな……っ!」
「う、うん……」
姉を押し倒したまま希亞樹は、パジャマのボタンを上から外すか、下から外すか迷ってしまう。
上から外せば、ブラジャーが見える。
初めてみるブラジャーだ。洗濯の時などは意識しないようにしていた。
下から外すば、肌色がすぐに見られる。美亞未のヘソ、つまりは裸だ。
緊張からから、希亞樹の指先はプルプルと震えていた。元から不器用な希亞樹だ。
「い、いくぞッ……!」
意を決してボタンに手を掛ける。
希亞樹は、下からボタンを外していくことにした。
一つ、二つ、三つ……と指先が上に移動するごとに、少しづつ美亞未の身体がさらけ出されていく。
白い肌色が希亞樹の目に飛び込んでくる。
姉弟は黙ったまま、お互いの息遣いを耳朶に響かせていた。
希亞樹の呼吸が早いのは、やはり緊張からだろう。反面、美亞未の呼吸は深く落ち着いており、胸が規則正しく上下していた。
「……ぁ」
小さな声を上げたのは、美亞未の方である。
ちょうど、希亞樹の指がパジャマの第二ボタンを外そうとした時のことだ。
「あっ」
希亞樹も気付いたのか、声を上げた。
「やべ、っ!」
ポタっ、と重力に引かれるまま落ちた鼻血はちょうど美亞未の腹の窪み――……臍へと落ちていった。
「……アキ」
「だ、だってっ!」
緊張の糸が切れたのか希亞樹も美亞未もいつもの調子で声を出した。
垂れ落ちる鼻血は美亞未の白い腹部に、斑点を作り上げた。
あと少しという所で、お預けとなってしまった。
とりあえず希亞樹は鼻にティッシュを詰め、美亞未は汚れた腹部を拭き上げる。
「…ごめん、姉貴」
「なんで謝るの」
美亞未は上体を起こして外されたボタンを、また閉じていった。
「うまく出来なかった……」
男として、情けなさが勝っていた。鼻血を出してしまうなんて。
「いいよ、アキらしいから」
今日はもう終わりにしようと、美亞未がベッドから降りようとしたので、待ってと咄嗟に引き留めてしまう。
「あのさ……最後に抱きしめていい?」
「ん、いいけど」
「じゃ、じゃあさ姉貴はあっち向いて横になってって!」
あっちとは壁の方である。
「…? うん」
言われた通りに、美亞未は希亞樹に背を向け、壁を見ながら横になってくれた。
「姉貴…」
希亞樹は姉の身体を、後ろから包むように抱きしめた。パジャマ越しに感じる肌の感触も、やはり柔らかく女の子の身体である。
「んっ……アキ…」
ドキドキと高鳴る鼓動が、美亞未にも聞こえてしまうのではないかと思った。
だが、この音が伝わって欲しいとも思うのだ。更に抱きしめる腕に力を込める。
何も不安になることはないのだ。
美亞未は今だってこうして、自分だけを見てくれている。
それでいい。
それ以上の幸せなんて、きっとないだろう、と希亞樹の意識が強く訴えていく。




