34話 魔法使い、終幕
「そうして、森の奥の方から走ってくる彼の忌々しい魔法使いを見つけたの。私はもう我を忘れてあの男を追ったわ。罠のある方に追い込んだり、逃げる背中に発砲したり……」
「お姉さま……」
「私はきっと、鳩を殺すためじゃない。そう、ただただあの男を狩るために銃の才能を授かったとしか思えないの……! さあそこをどいてカトレア! 勝負はまだまだついてないの!」
「お姉さま本当に落ち着いて……!」
想定外に多い情報量に眩暈がする。が、眩暈を起こしている場合じゃない。この猪突猛進、野良魔法使い絶対殺すマンを止めるべくありったけの紙虫で壁を作った。
最近の姉の外出の理由がわかってよかったような何もよくないような。少なくともどこの馬の骨ともしれない奴と不純異性交遊をしていなかったのは大変喜ばしいのだが、それはそうと殺意を滾らせ日々銃の腕を磨いては平民に教えを乞い血と泥にまみれるなど、貴族令嬢にあるまじき姿。
もはや笑えばいいのか泣けばいいのかわからない。感情と思考が渋滞している。
「パトリシア! あんたいい加減にしろ! なんであの魔法使いを殺すって話に、」
もう一つ蹄の音が聞こえたと思えば、茂みの中から馬に乗った小柄な男が飛び出してきた。茶髪の髪に金目。何年も前に、パトリシアとともに銃をならった記憶が辛うじてあった。
「エルムルスさんですね。姉が随分とお世話になったようで」
「…………魔法使いの方の妹!」
「私のことはまともに覚えていないことはわかりました」
こちらも見た目と名前程度しか覚えていないためあまり強くは言えないが、仮にも貴族令嬢たる私に対する口の利き方ではない。こういう融通が利かないからこそ、街で暮らすのが難しいのだろう。
エルムルスの登場を意にも介さずただただ野良魔法使いのいる方を凝視するパトリシアと、怒鳴りつけながらも心配そうな視線を向けるエルムルス。高飛車なパトリシアと気の回らないエルムルスではとてつもなく相性が悪そうなのに、案外関係性は悪くないらしい。最近のパトリシアが落ち着いていて、怒りを露わにすることもなくなったのは彼のおかげなのかもしれない。もっとも、恨みつらみが積み重なって今では殺意に満ち満ちているのだが。
「お姉さま。野良魔法使いに関してはお師匠が今捕縛に行っています」
「はあん!? あれは私の獲物よ!?」
「獲物て」
釣り目気味の目はさらに吊り上がり、結い上げられた茶髪はまるで獅子の鬣のよう。手に負えない。
シモンが向かった方では何のものとも知れない雄たけびや木々が薙ぎ倒される音、土煙と地響きが聞こえてくる。あちらの方こそレベルが違いすぎてとても介入できそうにない。何なら銃を持ったままのパトリシアを放っても魔法使いたちは死なない気がするが、パトリシアの方が危なくなりそうなのでいずれにせよ、離れた場所で大人しくしていてもらうほかない。
しばらくの間、今にも飛び出していきそうな狂戦士をエルムルスと二人がかりで止めていると、いつしか爆発音も地響きも止んでいた。穏やかな風に揺れ、擦れあう木々の音が聞こえた。
「終わったぞ、カトレア」
土埃に汚れながらも、傷一つないシモンが笑顔で戻ってきた。
左手に襤褸雑巾のようになった野良魔法使いを引き摺って。
「ユーグ・ナスタチウム。東の森に住む無職の25歳。職歴はなく、めぼしい親族もありません。親兄弟、交友関係の一切が不明」
「魔法使い登録どころかまさか戸籍すらないとはな……いや、戸籍もなく親もいないからこそ魔法使いの登録もないのか」
装飾も調度品もない、ただ椅子のみが置かれた部屋の真ん中に野良魔法使い、もといユーグ・ナスタチウムは座らされていた。手足は拘束され、その身体は椅子に縛られている。
魔法使いからすればこの程度の拘束など、妖精に頼めば造作もなく外すことができる。しかしこの部屋には誰より妖精に愛されているシモンがいる。彼がいる限り、一介の魔法使いでしかないユーグのお願い事を聞いてくれる妖精はいない。
恨めし気に私たちを睨み上げるユーグの目は美しいアメジスト色だった。きっと普通に魔法使いの登録をしていたなら優秀な宮廷魔法使いになったに違いない。
おもむろにシモンが口を開く。
「ユーグ・ナスタチウム。若い銀髪の魔法使いよ。お前の目的はなんだ」
「……私は正しいことを成したいだけだ」
「正しいことだと? 無許可で魔法を行使し、登録を怠り、働くことも人と関わることもないお前の正しさとはいったいなんだ。行動原理がわからん」
「わからないということは貴様がこの世界にとって不要だという証左だ」
「……話にならんな」
鼻白んだ様子でシモンがため息をつく。妖精たちはユーグの言葉に苛立つように、あるいは面白がるように、その銀髪を好き勝手に引っ張った。
シンデレラ誘拐事件の直後、パトリシアに追い回されていたユーグは完膚なきまでにシモンにボコボコにされた。襤褸雑巾のようにされたユーグはそのまま王宮に連行され、数日間拘禁された。
しかしこの男はその間、まともにものを語らなかった。
体力がなく話せないわけでもなく、拘束されたことに打ちひしがれているでもなく、ただ明確な意思をもって何も語らなかった。まるで共犯者を守る、あるいは真犯人を庇うように。
交代だとでも言うようにシモンが私をユーグの前に押し出す。じろりとにらみ上げられるが、鳩も何も持たないこの男を私が恐れることはない。
「こんにちは。あなたの大好きなシンデレラの義姉です。実際に会話をするのはお久しぶりですね」
「…………」
「だんまりですか。少しは建設的なお話をさせてもらいたいところですね。さて、正しさという問答に戻りましょうか。あなたの行動原理はことごとくシンデレラ。あの子を守るために、あの子を幸せにするために、あなたは尽力してきた。まるであの子をこの世の主人公にするように」
「…………」
「貧しくも、優しい母、慎ましい暮らし。貧民街での夢を見るような出会い。……母親の死、実の父親の存在とその死。そして貴族令嬢としての暮らし、優しく新しい家族。王子との再会と求婚。苦楽あるけれど無事にハッピーエンドを迎えられました。これが、私の描いた結末です。しかしあなたは言いましたよね。「どちらの結末が正しいか勝負しよう」と。であればあなたにはあなたの筋書きがあったんですよね」
ユーグは興味なさげに私から視線を外した。相変わらず何も語ろうとはしない。
適当にうっちゃってしまいたいのだが、これも仕事だ。普段の雑用よりはるかに気が重い。
「あなたの筋書きは、貧しい暮らし、両親の死、意地悪な義姉に義母、王子との再会、義姉と義母からの妨害を乗り超えたハッピーエンド、ですよね。さらに言えばその舞台装置として自身が組み込まれた」
「なっ……!」
ユーグは初めて驚愕の色を露わにした。
見開かれた紫の目を見ても、溜飲が下がることはない。
「あなたはもっとシンデレラに困難を与えたかった。困難があればあるほど、幸福な結末を迎えた時の思いは一入だから、ですかね。困難があれど、自分がアシストすれば導けると。悪役がいれば勧善懲悪で善人が報われたように見えるとでも思ったんでしょう」
「……貴様も二周目かっ」
決定的な言葉に一瞬次に何を言おうとしていたか忘れた。
そんな気はしていたのだ。
野良魔法使いの口ぶりからして、別のシナリオを知っているのだろうと感じていた。それが私たちの体験した1周目の人生だろうとも、想像はついていた。
もし私が野良魔法使いなら、きっと1周目と同じようにしただろう。そうすればシンデレラの幸福は約束されたも同然なのだから。余計なことはせず、悪役は死にゆく。これがきっとベストだろう。
けれど2周目を迎えたのは、私たちだけでも、野良魔法使いだけでもなかった。必死に生き残ろうとあがく私たちにより、野良魔法使いのシナリオは大きくゆがんだ。
「シンデレラに困難がなければないほど、彼女が幸せであればあるほど、不思議な魔法使いの出番はなくなる。シンデレラという主人公が生活する世界に不要となります」
「違うっ何を言ってるんだ貴様は!」
「不幸であればあるほど救い甲斐のあるシンデレラ。ならば意地悪な義姉たちが親切だったら? 性悪な義母が愛してくれたら? 意地悪な義姉が自分を助けてくれる魔法使いだったら? ユーグさんという野良魔法使いの存在意義はなくなってしまいました」
「やめろっ勝手なことを言うな!」
「あなたにとって、シンデレラは不幸でないといけないし、理不尽に耐えなければならない。逆に義母義姉たちはことごとく意地が悪くシンデレラを虐げる役でなければいけませんね」
ガタガタと椅子に縛られたまま暴れるユーグやはり図星だったらしい。
「だってそうでないと都合が悪い」
「貴様っ……! 私たちを愚弄する気かっ」
「へ? あっはははは。何をおっしゃるんです。……さんざん私たちのことを馬鹿にしておいて何をいまさら」
整った色白の顔を鷲掴む。
「私たちの目を潰した時はさぞ、胸がすいたことでしょうね」
「そ、れは」
「悪役が罰せられる展開になって満足ですか?」
怒りや苛立ちは押し殺す。今だけは冷徹に、冷淡に。この鼻持ちならない野良魔法使いの優位に立つために。
「あなたにとっての“正しさ”とは、きっと1周目の物語なのでしょう。けれど私たちは生きています。私たちは生き延びたいのです。……大人しく捕まったり殺されることを私たちは許可しません。その死因を決して忘れません。当然あなたの操る鳥たちも、決して」
ユーグの瞳が揺れる。
きっとこの男は何も知らないのだろう。
私やパトリシア、ロベリアは人生が2周目であることをお互いに確認することができた。しかし家族も仲間もいない彼に、確認するすべはない。ただ一人、考え、もう一度同じ道でハッピーエンドを目指すべきだと決断したのだろう。
「私が偶然魔法使いになってしまったために、あなたの存在意義はいよいよなくなってしまいました。それこそ、シンデレラを男爵家に導く以外に、あなたじゃないとできない仕事はありません」
「違うっ違う、私はただ、あの子に幸せにしたかっただけだ! 私のことなんてどうでもいい! ただ彼女のことを!」
「それだけ聞くと熱烈な愛の告白だなあ。当人と言えば、王太子との結婚が約束されたも同然で浮足立っているが」
「……それでいいんだ」
まるでひっぱたかれたように、ユーグは項垂れた。それでいい、と言ったがその様子からして、この結末は彼の望んだままではなかったのだろう。
「お前のそれは依存だ。シンデレラという他人にどうしてか依存する。だがとうのシンデレラはおまえとはさほど面識はなく、数回会ったことがあるのみ。世話になったと言えるのは男爵家に連れて来られるときくらいだと。依存にしては違和感がある。大した接触もなく、自分のことはどうでもいいとまで言えるものなのか。執着、と言った方がまだ近いかもしれん。だがそれにしても執着する理由が、シンデレラには見つからない」
「…………やめろ」
朗々と、無感動にユーグの感情を紐解こうとするシモンを、虫の鳴くような声で制止した。まるで思い当たる節があるように。人に暴かれるのを防ごうとするように。
しかしここに連れて来られ拘束され、自宅を宮廷魔法使いたちに漁られた今、ユーグの手元に情け容赦という選択肢はない。
「私はあなたのことが嫌いです。勝手に引っ掻き回したあなたが、私たちのことを間接的に殺したあなたが憎い。……けれどそれらのすべてをひっくるめたとしても、今となってはあなたに憐みさえ抱けます」
「や、めてくれ。憐れみなぞ、私にはいらないっ私は自身の信念をもって彼女を、」
強い意志を持っていたはずの紫色の瞳は揺れ、今にもその色は動揺と涙に溶けてなくなりそうだった。
男爵家に侵入者を送り込んだことを母と同様に憎んだ。
家族を弄んだことを、姉と同様に恨んだ。
けれどそのどれもを押し殺せるほどに、強い憐れみを抱いた。
書斎で見つけた、すり切れた日記。金庫を魔法でこじ開けて、中から見つけた秘密の日記。
「ユーグ・ナスタチウム。あなたはデルフィニウム男爵に飼われていたのですね」




