35話 魔法使い、終幕
野良魔法使いは常に飄々としていた。
初めて王宮の廊下で会ったとき。舞踏会の夜に会ったとき。
そしておそらく、パトリシアが街で出会ったときも、シンデレラの元を訪れた時も、同じように。
そんな野良魔法使いは初めて明確な怒りを見せた。
「ふざけるなっ私が、私が飼われていただと! 馬鹿げたことを抜かすなっ、私だけでなく旦那さままで愚弄するなど、」
「愚弄などはしていませんよ。私はただ客観的事実を口にしたまで」
私が持っていた書類を無造作に投げると、周囲にいた妖精たちはくすくすと笑いながら、その紙をユーグの前に掲げてみせる。こちらに躍り掛かろうと藻掻く彼を馬鹿にするように妖精たちはユーグを縛り付ける縄をさらに締めた。
「まったく恥ずかしながら、こちらは我が家、デルフィニウム家の帳簿、いえ裏帳簿です。公式な場では税収や支出を胡麻化しながら、宙に浮いたお金をよそに回していたんです」
恥なのは事実だ。実の父親がまさか経理の目を盗んで余剰金をかき集めていたなど。道理で腐っても領地持ちの貴族だというのに資金繰りに余裕がないと思っていた。おそらく宙に浮かすために経理の人間にもある程度金を握らせていたのだろう。
「父の書斎から出てきたこの裏帳簿。金の不審な動きは複数ありましたが、主に二人の元へお金が出ていました。一人はマリーベル。あなたもご存じかと思いますが、シンデレラの実の母。父から見れば不倫相手ですね。こちらにお金が流れていました。……まあ恥はあれどこれは養育費、慰謝料と考えれば妥当でしょう。正規の手続きを踏んでいれば、こうも帳簿をごまかすなんて綱渡りせずに済んだと思うのですが。……で、二人目があなたです。ユーグ・ナスタチウム」
肩がびくりと震えた。
「デルフィニウム男爵はあなたに金銭的援助を行っていました。しかしあなたと男爵との間に血縁関係は見出せませんでした。……というより、あなた自身に戸籍がなかった。どこの誰が父なのか、どこの誰が母なのか、それすらわからない。にもかかわらず、男爵はあなたに援助を続けた。多少の援助ではなく、人ひとり、生きていくのに必要なものすべてを与えました」
父は、デルフィニウム男爵はまるで縁も所縁もない少年を養った。
森に小さな小屋を建て、必要な金を渡した。金の価値と、ものを買う方法、最低限の文字と常識を与えた。
小さな小屋には小さな机と椅子を。そして小さなベッドの横には小さな本棚を。素人が集めた魔法と神秘の本。
細々と、しかし飢えることのないよう、男爵は少年を養った。
妖精を隣人とした少年は、魔法使いの青年になった。
幼いころから変わらず、人と関わらず、ただ与えられるものを享受しながら、風に触れるように妖精の道と交わった。
ただただ、与えられるまま。
「なぜあなたが養われていたか。なぜお父様はあなたを援助していたか」
「…………、」
「あなたは重々わかっていたでしょう。わかったうえで、あなたは怠惰に享受した」
「……貴様は、私が怠惰だと」
「怠惰でしょう。与えられるまま貪り、理性の呈する疑問を見て見ぬふりをしてきたのなら」
いつの間にか、ユーグは抵抗をやめていた。無遠慮に顔を覗き込む妖精たちを振り払うでもなく、静かに目を閉じた。
「……そうだ。わかっていた。私の価値は、魔法を使えるというただそれだけ。だが旦那様は、ただそれだけを認めてくれた。魔法が使えたからこそ、旦那さまは私を支援した。何も知らず、何もできない私の生活を支え、幾何かの魔法の知識を与えた」
「……お父様は魔法を使えず、妖精を見ることもできない非魔法使いでした。ゆえに、魔法を、魔法を使える者に夢見ていた」
デルフィニウム男爵は、2周目の人生で偶然魔法を使えるようになった私を、褒めそやした。
あれほど私に興味などないように振舞っていたのに、手のひらを返し、宮廷魔法使いとなった私のことをあれやこれやと気にかけ、周囲に自慢し触れ回った。
それを見ていたシモンは男爵を軽蔑していた。非魔法使いに対する差別意識などないシモンが、男爵を軽蔑するに至ったのはその態度とにじみ出る過剰な期待感だった。非魔法使いが抱く魔法使いの万能性。それが妄想であり幻想でしかないことは魔法使いと深くかかわる者にしかわからない。
デルフィニウム男爵は、魔法はすべてを可能にする万能の術と思っている節があった。
母ロベリアも敢えて口にすることはなかったが、魔法を使えるようになったあとの私を、極力父から離したがっていた。その結果、幼いうちから王宮の魔法棟に入り浸ることになったのだ。
「父は、万能性に目をくらませていた。そうして、魔法の使える少年を囲った。最低限のものだけ与え、助けを求める方法も、常識を得る機会もすべて奪い、寄る辺を不安定な自身のみとし、魔法使いを閉じ込めた」
「……知っていたとも。2周目の私は、知っていた。旦那様にそういった思惑があることを。何もかもを欲しいままにすることのできる、万能人だと旦那様は思いたがっていた。気づいていたとも……。だがどうすればよかった」
静かに持ち上げられた瞼から、鮮烈な紫色がのぞく。私よりもずっと優秀なはずの魔法使いは、仲間も師も与えられぬまま、魔法に対し無理解な凡人の箱庭に閉じ込められた。
「知っていた。自分が野良魔法使いという法の外にいる者になっていることを。一般常識を持たず、ただ餌を運んでくる飼い主に依存していることを。……変わろうともせず、ただただ怠惰に、飼い魔法使いの身に甘んじたさ。だが今更どうすればいいかもわからなかった。どこに行けばいいのか、誰に相談すればいいのか。旦那様は必要なことをなにも教えて下さらなかった。妖精たちは私をからかうばかりで建設的な会話はできなかった」
「……変わる努力をすればよかったんですよ。少しでも、それが悪だと知っていたなら」
シンデレラをひたすら加害した私たちと、同じように。
加害と怠惰では、きっと加害の方が重い罪だ。けれど、怠惰が正解で最適解であるはずがないのだ。
魔法使いにも、悪役にもなぜか平等与えられた二度目のチャンス。
それをふいにしたのは魔法使い自身だ。
「変わる努力? できなかったさ! だってこの私の人生の先には哀れで美しい少女がいる。私がいなければ、彼女はどうやってマリーベルの死後旦那さまの元へたどり着くのか。どうやってパーティに行くことができるのか。どうやって王太子と結婚することができるか、」
「…………」
「私のみじめで無様な襤褸布のような人生でも、罪なき少女の救いになれるなら、そうなるなら私は、この自由に動くことができて旦那様の状況を逐一知ることのできる、子飼いの野良魔法使いでいることが……結局、都合がよかったんだ」
デルフィニウム男爵の功罪の証が、この男なのだ。
父がいたからこそ、1周目のユーグ・ナスタチウムはきっと救われた。食べることができ、生きていくことができ、そして小さく儚い少女のヒーローとなれた。
父がいたからこそ、2周目のユーグ・ナスタチウムはきっと逃げられなかった。逃げるすべを知っていても、実行することができなかった。魔法使いは、依存して、寄生することしか生き方を知らなかった。自分が救うはずの少女に縋り、自らの存在意義を証明しようとした。
惨めで無様で怠惰であると知りながら、ただ一人立って歩く人生の歩み方を、魔法使いはまるで知らなかった。
「……男爵は、罪深かった。父は決して無知ではありませんでした。殊、2周目においては。私がいたからこそ、魔法の才があるとわかればすぐに宮廷魔法使いに報告する必要があることも、無登録であることの罪も、父は知っていました。知ったうえで、男爵はあなたを飼殺そうとした」
「ええ、だが私もまたそれを良しとした。罪と知っていても、善でないと知っていても私はただ自分の都合のよさをとった」
いっそ愚直な魔法使いに、深いため息を吐いた。
すべては男爵のせいだと、軽薄そうな見た目のままそういえばいいのに、ユーグ・ナスタチウムは決して他人のせいにはしなかった。罪も罰も、自らものだというように。死んだ人間に義理立てする意味など、自分を道具としてしか見なかった者への恩など、とうにないだろうに。
人と関わらな過ぎた魔法使いは、まともな保身の術すら知らないようであった。
軽く両手を打つと、妖精たちは面白くなさそうに書類をカバンの中へと戻した。
「ユーグ・ナスタチウム。私たちを襲い、私たちを殺した張本人。末の妹を救おうと何もかも投げ出した人。……私は、いえ私たちは、心からあなたのことを恨み、恐れています。この憎しみは、嫌悪は、そう簡単には消えないでしょう」
「ははっ、それはそうだろうな。だが私はそうすべきだと思った――」
「ですがそれはそれとして、あなたには私たちを恨む理由がある」
「……は?」
虚を突かれたようにユーグはぽっかりと口を開けた。
「私たち、というよりもデルフィニウム家をですが。デルフィニウム男爵はあなたから人として生きる権利を奪った。半強制的に依存するように、飼殺した。……あなたには生きる道が他にもあったはずです。それを父が、すべて奪った」
「そんなことは、」
「あなたにはデルフィニウム男爵家を恨む正当な理由がある」
「正当なものかっ」
「『魔法使いの少年を拾った。この子は財産だ』」
今度こそ、ユーグは言葉を失った。
「『隠さなければ、他の誰かに奪われないように。囲わねば、他のどこにも行かないように』」
すり切れ古びた父の日記帳。凡人が夢見た、泥濘のような欲望。
「『いずれ莫大な富となる』」
「……旦那様、」
紫の目から静かに涙が転がり落ちた。
ほんの数行だけでも十分なのはわかった。すり切れた日記帳を閉じる。
魔法使いを人と思わない、いや人を人と思わない悍ましい男の日記帳。
「デルフィニウム男爵の日記です。ここにあなたの出会いから、死亡する前までのことが書かれています。何を思いあなたを拾ったのか、何を夢見ていたのか。……凡人の妄執ですが、あなたに差し上げます。どうするかはまあ、お任せしましょう」
依存し、信頼し、囲われることに甘んじていたというのに、ユーグは恐ろしいものを見るような眼差しを日記帳に向けた。心酔していても、疑ってはいたのだろう、裏の思惑には気づいていたのだろう。ただ、これほどまでに腹の底を露わにすることはなかったはずだ。
そんな風に、デルフィニウム男爵は孤独な子に声をかけ続け、生きるのに最低限の金銭を与えた。ユーグのように、エルムルスのように。
「さて、いつまでも傷ついていないでください。時間は有限です。大前提として、1週目のデルフィニウム男爵家は一人残らず屑でした。不倫するわ、他人の子を囲うわ、少女を虐めるわ。まったく言い逃れようもありません。シンデレラは非常識で純真な子でした。そしてあなたは屑に囲われながらも、少女を救うヒーローでした。しかし2周目、デルフィニウム男爵は相変わらず屑ですが、母、姉、私は生きるために心を入れ替え、シンデレラに大層親切にしました。そしてあなたは、囲われた魔法使いでありながら、シンデレラの幸福には無用の長物でした」
「無用の、」
「ええ、私たちがきちんと手伝えば、不思議な魔法使いの手助けなど不要です。あなたはただただシンデレラの周辺を歩き回る不審者と化していました」
私たちが変わったせいで、ユーグは存在意義を失った。
「それゆえに今、ここで私たちに捕まっています。野良魔法使いの不審者として」
「だが今、問題がある。森の中で魔法を行使し、少女を助けようとした。その後貴族令嬢に狙われ複数回銃撃を受け、森を破壊しながら俺と交戦した。かなり派手にな。怪しさから家探しまでした」
傍観していたシモンが口を開く。
「今のお前には決定的な罪状がない」
私はユーグを縛り付けていた縄をすべて切った。




