好きな子とホテル
大きな公園に着いた。
だが、避難所どころか誰もいない。ブランコが風に揺れて軋む音だけが響いている。
「誰もいないね…」
美穂が茫然と言う。
「やっぱり生き残ってる人って少ないのかな…」
奈々が不安そうに周囲を見回す。
その時、奈々がハッとして身を固くした。
「あっ! 一つ、大きな気配がこっちに走ってくる!」
俺は即座に美穂の肩から飛び降りて戦闘態勢をとった。体を膨らませて、いつでも変形できるように身構える。
公園の植え込みの奥から、黒い毛の大きな犬が飛び出してきた。
(こいつだ! 昨日のやつだ!)
「ピーちゃん! だめ、その子大きいよ!」
美穂が悲鳴を上げる。
(昨日は逃げるしか出来なかった、けど今日は違う)
俺は体を先端が尖った形に変え、スキル『体当たり』を発動させて跳ねた。渾身の力で犬のモンスターめがけて突っ込む。
だが、犬はスッと体を逸らして俺の突進をかわした。そして、開いた口から鋭い牙を剥き出しにして俺に噛みつこうとしてきた。
「ピーちゃん!」
(速い! でも、そっちが食う気なら…)
俺は即座に判断を変えた。体当たりで勝てないなら、別のスキルを使えばいい。
『捕食』を発動する。
犬の牙が俺の体に食い込んだ瞬間、俺は逆に体を広げて犬の頭を包み込んだ。ゼリー状の体が犬の鼻先から頭、首、胴へと次々に覆っていく。
「ガルッ!? ガルルルッ!」
犬は暴れる。前足で地面を掻き、体を地面に擦り付けて俺を剥がそうとする。だが、俺は離れない。むしろ、包み込む速度を加速させる。
(お前は昨日、美穂を食おうとした!今日は俺が食う番だ)
犬の声が俺の体の中でくぐもっていき、やがて聞こえなくなった。体が激しく震動し、そして静かになった。犬のモンスターが俺の体内で溶かされていく感覚。不思議と嫌悪感はない。ただ、力が自分のものになっていく充足感だけがある。
プルン。
俺は元の丸い形に戻った。地面に緑色の石が落ちている。それも体内に取り込む。
【レベルが4に上がりました】
【スキル『気配察知』を奪いました】
「…え?」
俺の体が硬直した。
(捕食したら、相手の持っているスキルを奪えるのか?)
(あれっ、スライムって強くないか? 誰だよ最弱モンスターなんて言ったの!)
「ピーちゃん! 大丈夫?」
美穂が駆け寄って俺を拾い上げる。
「怪我はないの? 噛まれたんじゃ…」
「ピー」
(大丈夫だ。傷もない)
俺は元気よくプルンと跳ねて見せた。
「すごい…あの大きいモンスターを一人で倒しちゃった…」
奈々が目を丸くしている。
美穂が俺をしげしげと見つめた。
「ねえ、ピーちゃん、少し大きくなった?」
(大きくなった? レベルが上がったからかな)
確かに以前より体の直径が数センチ大きい気がする。手乗りサイズから、両手で包むと少しはみ出るくらいになったか。
「ほんとだ。昨日よりふっくらしてる気がする」
奈々も覗き込んでくる。
「レベルアップしたら体も大きくなるのかも。かわいいけどね」
二人が俺を撫でている間に、俺は新しいスキルを試してみた。『気配察知』を発動すると、周囲の生き物の気配がぼんやりと感覚として浮かび上がってくる。奈々の言っていたスキルと同じだ。これで俺自身でも周囲を警戒できる。
「ねえ、これからどうしようか?」
美穂が奈々に聞いた。
「うーん、まずは寝る所を探さないとね」
美穂がふと真面目な顔になった。
「奈々の家族は? 連絡とれた?」
奈々の表情が曇った。目が伏せられる。
「…多分、死んだと思う。家に帰ったら、家の中が血だらけになってて…」
美穂が奈々の手を握った。
「私の家も同じ状態だったんだ。ママが…いなくて…」
「あの血はもう見たくないから、家には帰りたくない」
奈々が震える声で言う。
「うん。私も帰りたくない」
美穂も頷く。二人の顔に深い悲しみが漂っている。俺は美穂の手の中で小さく震えた。
(二人とも辛かったんだな。俺は一瞬で死んで、気づいたらスライムだったから、あまり実感がない。でも二人は現実を見続けている。それに耐えてここまで来たんだ)
「とりあえず、寝る所を探そうか」
美穂が立ち上がる。奈々も頷いて並ぶ。
これだけ歩いても人間には会っていない。どこかに集まっているのか、それとも家から出てきていないのか。俺の気配察知にも、モンスターの気配は点々と感じるが、人間の気配は反応しない。
二人は駅の方に歩き始めた。俺は美穂の肩に乗って周囲を警戒する。
途中、またゴブリンに遭遇した。三体だ。俺は美穂の肩から飛び降りて、針の形に変形して次々と仕留めた。ゴブリンを捕食するが、スキルは奪えなかった。コイツらはスキルを持っていないらしい。
【レベルが5に上がりました】
【異空間がレベル2になりました。容量が拡大されました。時間停止機能が追加されました】
(おお! 時間が止まるようになったのか。これなら賞味期限を気にせずに食べ物を保管できるぞ。大型スーパーにでも連れて行ってもらいたいな)
「ピーちゃん、また強くなった?」
美穂が拾い上げて聞く。
「ピー!」
(元気いっぱいだよ。それよりスーパーに寄りたいな)
だが言葉は通じない。俺は美穂の肩に戻って、とりあえず駅への道を進んだ。
駅に着いたが、やっぱり電車は動いていない。改札のゲートが閉まったままで、ホームには誰もいない。ただ電子掲示板が「運休」の文字を点滅させている。
「電車、動いてないね…」
美穂ががっかりした顔をする。
奈々がふと視線を上げて、駅前の建物を指差した。
「あそこ、ホテルだよ。泊まろうか?」
美穂も顔を上げる。
「そうだね。歩き疲れたよ。今日はゆっくり休みたい」
二人は駅前のホテルに向かった。俺は気配察知を発動する。ホテルの中にはモンスターの気配はない。人間の気配もない。
「ピー」
(安全だ。中は空っぽみたいだ)
「うん、気配察知には反応ない。大丈夫そう」
ホテルの入り口はガラスのドアだが、鍵がかかっている。俺は美穂の肩から飛び降りて、ドアの隙間に体を滑り込ませた。スライムの体だからわずかな隙間があれば通り抜けられる。内側から鍵を外してドアを開けた。
「ピーちゃん、いつもありがとね」
美穂が微笑みながら入ってくる。奈々も続く。
ロビーは静まり返っている。フロントのカウンターには誰もいないが、電気はまだ通っているようだ。天井の照明がぼんやりと灯っている。
俺はカウンターに跳ね上がって、そこに並んでいたカードキーを一つ拾った。口で咥えるわけにもいかないから、体の上に乗せて美穂に渡す。
「え、カードキー取ってくれたの? すごい」
美穂がカードキーを受け取る。
「何階にする?」
奈々がエレベーターのボタンを押す。
「上の階の方が安全かな。窓から周りも見えるし」
美穂が言う。
エレベーターは動いた。よかった、電気は生きている。五階を選んで上がる。
廊下に出て、カードキーをかざすと「かちゃん」と音を立ててドアの鍵が開いた
「開いた!」
美穂がドアを押し開ける。
中はツインルームだった。ベッドが二つ。バスルームもある。テレビも冷蔵庫もついている。普通のホテルの部屋だ。世界が崩壊した後でも、この部屋だけは変わっていない。
「わあ、ベッドだよ! ふかふかだ!」
奈々がベッドに飛び込む。
「いいなあ。昨日は硬い床だったからね」
美穂ももう一つのベッドに座り込んで、ため息を吐いた。
俺は部屋の中を見回す。窓の外には廃墟となった街が広がっている。遠くで黒い煙が上がっているのが見える。でも、この部屋の中だけは平和だ。
(どうしよう。同級生の女の子とホテルに来ちゃったよ)
俺の体が微妙に震えた。高校生の男子なら誰でも想像するシチュエーションだが、俺はスライムだ。何も起こるわけがない。でも何かこう、背徳感というか、申し訳なさというか。
「ピーちゃんも休んでいいよ。今日はいっぱい戦ったから疲れたでしょ」
美穂がベッドの上に俺を乗せてくれた。ふかふかのベッドの上にスライムの体が沈む。プルンプルン。
「あはは、ピーちゃんベッドの上で跳ねてる。かわいい」
奈々がくすくす笑う。
「ねえ、お風呂入ろうか。汗だくで気持ち悪いよ」
美穂が言う。
「いいね。お湯は出るかな」
奈々がバスルームに行って蛇口をひねる。しゃあしゃあとお湯が出る音がした。
「出た! お湯出たよ!」
奈々が喜んで叫ぶ。
「よかった。じゃあ私先に入るね」
美穂が着替えを探してバスローブを見つけた
「ラッキー、バスローブあるよ奈々にも貸してあげる」
「ありがとう美穂」
美穂がバスルームに入っていった。奈々はベッドの上に寝転がって天井を見上げている。
俺は窓の近くに移動して、気配察知を発動したまま周囲を警戒する。
(美穂が風呂に入っている間、俺が見張りだ。奈々ちゃんも疲れてるし、俺が気配察知を持ってるから安全だ)
「ピーちゃん、見張りしてくれてるの?」
奈々が俺を見て微笑む。
「ピー」
(ああ。安心して休んでくれ)
「ありがとう。ピーちゃんってほんとに優しいね」
奈々がぽつりと言う。
(人間だよ。俺は人間だったんだよ。でも今はただのスライムだ。お前と美穂を守るスライムだ)
「ピー」
奈々が目を閉じる。しばらくして美穂がバスルームから出てきた。湯上がりの顔が少し赤い。濡れた髪をタオルで拭いている。
「ピーちゃん、お風呂空いたよ。入る? ってスライムだもんね。お風呂に入ったら溶けたりしない?」
美穂が心配そうに聞く。
(溶けないよ。たぶん)
「ピー」
「そっか。じゃあ見張りお願いね。奈々、交代で入っておいで」
「うん。ありがとう美穂」
奈々がバスルームに入っていった。美穂がベッドに腰かけて、窓の近くにいる俺を見つめる。
「ねえピーちゃん」
「ピー?」
「今日、本当にありがとう。もしピーちゃんがいなかったら、私どうなってたかな…」
美穂の声が少し震えている。
「ピー」
(俺がいるよ。ずっとそばにいるよ)
美穂が俺をそっと持ち上げて、頬ずりする。温かい。
「ピーちゃん、あったかいね。まるで人みたいに温かい。不思議だな…」
(俺はお前を守るスライムだ)
「ピーちゃんがいてくれてよかった。おやすみ、ピーちゃん」
美穂が俺を枕元に置いて、ベッドに潛り込んだ。
奈々も風呂から上がって、もう一つのベッドに横になる。
「おやすみ美穂。おやすみピーちゃん」
「おやすみ奈々」
二人の寝息が聞こえ始めた。俺は二つのベッドの間で、気配察知を研ぎ澄ませて夜を見守る。
(俺が見張っているから安心して休んでくれ。美穂、奈々ちゃん。明日もまた歩き出そう。この壊れた世界で、生き延びるために)
「うーーーーん」
バスローブ姿の美穂が寝返りを打つ、バスローブがはだけて…
(コイツ、下着もつけてないじゃないか!)




