敵はモンスターだけじゃない
学校の中に入ると、体育館ではなく教室棟の廊下が使われていた。窓は机や椅子で塞がれ、薄暗い廊下の奥にいくつかの教室が明かりを灯している。
見張りをしていたのは、真面目そうな山本。その奥には剣道部のキャプテン佐藤、それにヤンキーの佐伯がいた。そして美穂と仲の良かった女の子、平田奈々が隅に座り込んでいる。
美穂が「奈々ちゃん!」と叫んで駆け出していく。奈々に抱きつく美穂の顔は会えて嬉しそうに輝いている。でも、奈々のほうは顔が暗い。目もうつろだ。何か辛いことがあったんだろうな、と思った。
佐藤がニッコリ笑って前に出てきた。
「田口さん、よく来たね。ここは俺たち戦闘スキル持ちが守っているから安心してよ」
「ありがとう。私もテイムスキルが出て、ピーちゃんをテイムしたんだ」
美穂が俺を胸に抱いて見せる。佐藤が俺を一瞥して、ふうんと鼻を鳴らした。
佐伯が割り込んでくる。
「スライムじゃねーか。そんなの俺のパンチ一発で殺せるぜ!」
佐伯が拳を振ってみせる。美穂がムッとしたが、何も言わなかった。俺も黙っていた。今は下手に波風を立てないほうがいい。
佐藤が咳払いをして言った。
「戦闘は俺たちに任せてくれ。そのかわり、色々と頼みたい事があるんだ」
美穂は素直に頷く。
「うん。何でも言って。みんなで助け合って救助を待とう」
その時、山本、佐藤、佐伯の三人の顔が、ニヤッと笑った。
俺の体がプルンと震えた。あの笑い方。嫌な予感がする。
夜になった。
奈々が佐伯に「お前が最初の見張りだ」と言われている。奈々の肩がびくりと跳ねた。何かおかしい。見張りくらい男子がやればいいのに、なぜ奈々を?
美穂は教室の一つで、俺と二人きりで寝ることになった。
「硬い床で寝れるかなぁ。体痛くなりそう」
美穂がブツブツ言いながら毛布の上に横になる。
(枕くらいにはなれるだろ)
俺は美穂の頭の下に滑り込んで、体を薄く広げた。もう少し体が大きければウォーターベッドみたいになれたんだけどな。今はせいぜい低反発枕ってところか。
「ピーちゃん、枕になってくれるの?」
美穂が驚いた声を上げる。
「すごくあったかくて柔らかい。気持ちいいよ」
彼女が目を閉じて微笑んだ。その笑顔が見たくて、俺は今日も頑張っているんだ。
少しして、美穂の寝息が聞こえ始めたかと思ったその時。
コンコン。
教室のドアがノックされた。
「ピー?」
美穂が目を開ける。
「どうしたの? もう見張りの交代?」
美穂が寝起きの声で聞くと、ドアが開いて男が三人入ってきた。山本、佐藤、佐伯だ。佐伯の顔がニヤニヤしている。目が粘ついたような光を帯びていた。
佐伯が歯を見せて笑った。
「いや。さっき何でもするって言っただろう。俺たちの性欲処理をしてもらおうかと思ってな!」
美穂の顔から血の気が引いた。後退りして壁に背中をぶつける。
「何言ってるの。そんなの出来るわけないでしょ!」
山本が腕を組んで冷たい声で言った。
「ここに居たかったらやるしかないんだよ。昨日の夜は奈々もやったんだからな」
美穂の目が見開かれた。
「酷い! 奈々が暗かったのって、あなたたちのせいだったのね!」
美穂の声が震えている。怒りと恐怖が混じった声。
俺は美穂の前に躍り出た。体を精一杯大きく膨らませて、威嚇の音を叩き出す。
「ピーーーッ!!」
三人が一瞬足を止めた。そして、佐伯がケラケラ笑った。
「スライムが主人を守ろうとしてるぜ。かわいいねえ」
佐藤も笑う。
「最弱モンスターが何できるってんだよ」
美穂が俺の後ろで叫ぶ。
「ピーちゃん逃げて!」
(逃げる? 好きな子が目の前で襲われそうになっている時に逃げる? そんなこと有り得ない)
佐伯が俺に向かって足で蹴りにきた!
「邪魔だ! どけ!」
蹴りが来る。だが、俺の体はゼリーだ。佐伯の靴が俺の体にめり込むが、ダメージはない。むしろ、好都合だ。
俺は佐伯の足にべったりと張り付いた。スルスルと、足首からすね、膝、太腿へと這い上がっていく。
「うわっ! なんだこれ! 離せ!」
佐伯が俺を振り落とそうと足をバタつかせる。だが、スライムの粘着力は強い。俺はそのまま一気に佐伯の顔まで登り詰めた。
そして、佐伯の鼻の穴から体をねじ込んだ。
「ギャアアアア!!」
佐伯が絶叫した。俺は鼻の奥から喉のあたりまで体を伸ばし、気道を塞いだ。佐伯は息が出来ずに悶え始める。顔が赤くなり、やがて紫色に変わっていく。手が空を抓き、膝が崩れた。
「さ、佐伯!」
山本と佐藤が青ざめている。佐伯がガクンと床に倒れ、動かなくなった。俺は佐伯の鼻からゆっくりと抜け出した。プルンと元の丸い形に戻る。
「ピーーーッ!!」
残りの二人に向かって、精一杯の威嚇音を鳴らす。
山本の顔が引きつっている。
「ひっ…怪物だ…」
佐藤が震え声で言う。
「い、いや、俺たちは…ただ冗談で…」
「ピーーッ!」
(冗談で済むか! 美穂を怖がらせて、奈々まで傷つけやがって!)
俺は佐藤の方へピョンと一歩跳ねた。佐藤が悲鳴を上げて後ずさりする。
「わかった! わかったよ! 出ていく! 佐伯も連れていく!」
山本と佐藤が、意識のない佐伯の腕を担いで、教室から逃げ出した。ドアがバタンと閉まる。
静寂が戻った。
美穂がへたり込んでいる。震えている。俺はそっと彼女の足元に近づいた。
「ピー…」
美穂が俺を両手で拾い上げて、胸に抱きしめた。彼女の心臓がドキドキと激しく鳴っているのが伝わってくる。
「ありがとう、ピーちゃん」
彼女の声が震えていた。涙声だ。
「私、怖かった…」
(俺も怖かったよ。でも、お前を守らなきゃと思ったら、体が勝手に動いたんだ)
「ピー」
小さく鳴いて、彼女の腕の中でプルンと震えた。
美穂が深呼吸をして、震えを鎮めようとしている。そして、突然顔を上げた。
「奈々を探さないと」
そうだ。奈々ちゃんが一人で教室にいる。あの三人がまた奈々の所に行くかもしれない。
美穂が立ち上がる。俺も彼女の肩に乗って、廊下へ出た。
廊下は薄暗い。非常口の緑の明かりだけが点滅している。美穂が足音を忍ばせて、奈々がいるはずの教室へ向かう。ドアが少し開いていた。
「奈々ちゃん?」
美穂が小声で呼ぶ。
中から、うずくまっている奈々の姿が見えた。膝を抱えて、壁に背を預けている。
「美穂…」
奈々が顔を上げる。目が赤い。泣いていたのがわかる。
美穂が駆け寄って、奈々に抱きついた。
「奈々ちゃん、辛かったね」
奈々の目から涙が溢れ出した。
「美穂…ごめん。何も言うなって脅されてて…」
「うん、わかってる。もう大丈夫だよ」
美穂が奈々の頭を撫でる。
「ピーちゃんが助けてくれたから大丈夫だよ」
奈々が美穂の腕の中で泣き続けている。俺はその光景を見守りながら、二人のために何か出来ないか考えた。
(そうだ。食料だ)
俺は美穂の肩から飛び降りて、床に着地した。そして『異空間』のスキルを発動させる。コンビニで収納しておいたパンとジュースを取り出して、二人の前に置いた。
ポヨン。ポヨン。ポヨン。
パンが二つ、ジュースが二本。
奈々が涙で濡れた顔を上げて、目を丸くした。
「え…これ、私にもくれるの?」
俺は肯定の意味で「ピー!」と鳴いた。
「ピーちゃん、すごいね。どこに隠してたの?」
美穂が驚いている。
(アイテムボックスだよ。まあ、言葉で説明できないけどな)
「ピー」
奈々がパンを一口かじった。すると、堰を切ったように泣き出した。
「ごめん…ありがとう…美穂…ピーちゃん…」
美穂も泣きながらパンをかじっている。
俺は二人の前に座って、プルプルと体を揺らしていた。言葉は通じないけれど、こうしてそばにいるだけで、少しは役に立てるらしい。
食べ終わった後、二人並んで横になった。毛布が一枚しかないから、二人で寄り添って寝るらしい。
(よし、枕だな)
俺は二人の頭の下に体を滑り込ませた。左半分が美穂、右半分が奈々。薄く広がって、二つの頭を優しく包み込む。
「ピーちゃん…本当にあったかいね」
奈々がぽつりと言う。
「うん。まるで人みたいに温かいの」
美穂が目を閉じて微笑む。
(人だよ。俺は人間だったんだよ。名前は小野秀治。好きだった女の子の枕になってる男だよ)
「ピー」
小さく鳴いて、目を閉じた。
俺は寝ない。スライムに睡眠は必要ないらしい。代わりに、聴覚と振動に神経を研ぎ澄ませる。廊下の足音、外の遠くの咆哮、風の音。何か異変があれば、すぐに二人を起こして逃がせるように。
(美穂、奈々ちゃん。俺が見張っているから安心して休んでくれ)
ポヨン。
静かな夜だった。二人の寝息が聞こえる。美穂の心臓の鼓動が、俺の体を通じて伝わってくる。ゆっくりと、穏やかに。
明日はどうするか。あの三人はまた絡んでくるだろう。それとも学校を出て別の場所を探すか。美穂が起きたら相談しよう。いや、相談というより、俺が勝手に決めて引っ張っていくことになるだろうけど。
(まずは、もっと強くならなきゃな。レベル2じゃ足りない。ゴブリン以上のモンスターを食べて、もっと力をつける。美穂を守れるくらいに。奈々ちゃんも守れるくらいに)
俺は暗い教室の中で、二人の少女の頭を支えながら、静かに決意を固めた。
小野秀治、18歳。死因はモンスターに食われた。現在は最弱スライム。好きな子の枕兼護衛。
2度目の人生は、いやスライム生はこんな風に始まった。
でも悪くない。彼女の温もりを感じながら、俺は今日も跳ねる。
ポヨン。
ポヨン。




