第八話 ラスボスと遠足
「指名手配されたから、街へ行くぞ」
出発の朝、カイルが告げた。
ノアは荷造りの手を止める。
「どうして?」
「顔を隠す道具と、旅の食料を買う」
「遠足だ!」
「違う」
「おやつは?」
「買う」
「遠足だよ」
「違うと言ってる」
養育所はハンナと町の者たちへ任せることになった。
ノアと特に仲のよい魔獣は連れていきたがったが、数百頭で旅をすれば居場所を知らせて歩くようなものだ。
同行するのはポポだけ。
セラは護衛として加わった。
レオニスもついてくると言った。
「監視のためだ」
「勝手にしろ。ただし、旅費は自分で払え」
カイルが答える。
四人と一匹は、養育所から西へ向かった。
目的地は湖畔の街リーネ。
大きな市場があり、旅人も多い。顔を隠していても不自然に見られにくい。
ノアにとって初めての長旅だった。
道端の花を見つけるたびに止まり、雲の形が変わるたびに空を指さす。
「あれ、パンみたい」
「さっきは魚と言ってなかったか」
カイルが空を見る。
「泳いでるパン」
「腹が減ってるだけだ」
昼前、ノアは三度目の休憩を求めた。
「おやつの時間」
「まだ早い」
「さっきの休憩から、いっぱい歩いたよ」
「二十分だ」
「子供の二十分は長いの」
セラが笑う。
「その言い方、ハンナさんに教わったでしょう」
ノアは答えず、ポポと一緒に木陰へ座った。
レオニスは周囲を警戒している。
「追手はいない」
彼が言う。
「今のところはな」
カイルはパンを分けた。
ノアは自分の分を半分、ポポへ渡す。
ポポは一口で飲み込んだ後、残りも欲しそうに見た。
「だめ。これは私の」
「きゅう」
「かわいい声でもだめ」
言いながら、もう一切れ渡している。
「甘いな」
カイルが指摘する。
「お父さんも、私に甘いよ」
「誰が言った」
「セラお姉ちゃん」
カイルはセラを見る。
「事実でしょう?」
セラは悪びれない。
レオニスが口を挟む。
「甘やかすことと育てることは違う」
「分かってる」
カイルが答える。
「では、なぜ菓子を三袋も持たせた」
「緊急用だ」
「何の緊急だ」
「ノアの機嫌が悪い時」
「甘やかしているだけではないか」
午後、リーネへ着いた。
湖から吹く風には、水と焼き魚の匂いが混じっている。石畳の道を馬車が行き交い、露店の呼び声が重なっていた。
ノアは入り口で立ち止まった。
「人がいっぱい」
「怖いか?」
カイルが尋ねる。
「ううん。お店もいっぱい」
ノアの目は菓子屋へ向いていた。
顔を隠す外套を先に買う予定だったが、気づけば焼き菓子の列へ並んでいた。
「緊急事態か?」
レオニスが真顔で尋ねる。
「長旅を終えた子供には必要だ」
「さっき甘やかしていないと言ったな」
「今日は例外だ」
セラが肩をすくめる。
「毎日、例外になりそうね」
ノアは蜂蜜菓子を選んだ。
最後の一つだった。
同時に、隣から伸びた小さな手も菓子をつかむ。
「あ」
ノアと、栗色の三つ編みをした少女が顔を見合わせた。
年齢は同じくらいだ。
「私が先だった」
少女が言う。
「私も触ったよ」
ノアは菓子から手を離さない。
「じゃんけんする?」
「じゃんけんって?」
「知らないの?」
少女は驚き、すぐに三つの手の形を教えた。
一回目はノアが後出しをした。
二回目は二人とも同じ手だった。
三回目、少女が勝った。
ノアは蜂蜜菓子を渡す。
「半分あげる」
少女は菓子を割った。
「勝ったのに?」
「一緒に食べたほうがおいしいから」
ノアは笑い、半分を受け取った。
「私、ノア」
「ミナ。お母さんが布屋をやってるの」
二人は菓子を食べながら話し始めた。
好きな食べ物。
飼ってみたい動物。
行ってみたい場所。
ミナは海を見たことがある。ノアは湖さえ今日が初めてだった。
「海はね、向こう岸が見えないくらい大きいよ」
ミナが両手を広げる。
「魚、いっぱいいる?」
「いっぱいいる。大きい船もある」
「お父さんと行きたい」
ノアはカイルを振り返った。
「いつかね」
カイルは答える。
世界の終わりを隠し、レベルを恐れ、追手から逃げる生活の中で、「いつか」という言葉は重かった。
それでも、約束しない理由にはしたくない。
「仕事が片づいたら行こう」
「ミナも一緒に?」
「お母さんに聞いてからだ」
ミナが嬉しそうに頷いた。
「お母さんなら、あそこにいるよ」
ミナは市場の向かいを指さした。
色とりどりの布を並べた露店で、三つ編みの女性が客へ商品を広げている。娘と同じ栗色の髪だった。
「連れていって」
ノアはカイルの手を引く。
「今日は買い物がある」
「すぐ終わるよ」
「子供の『すぐ』は信用できない」
「お父さんの『いつか』も信用できないよ」
痛いところを突かれた。
セラが笑う。
「挨拶くらい、いいでしょう。友達のお母さんに会うのも父親の仕事よ」
「お前は、どちらの味方だ」
「ノア」
「即答か」
レオニスは周囲を警戒したまま言う。
「滞在時間が延びれば、発見される危険も増える」
「レオ兄は来なくていいよ」
ノアがあっさり答えた。
「なぜだ」
「ずっと怖い顔してるから。ミナのお母さんが心配する」
「これは普通の顔だ」
「笑ってみて」
レオニスは黙った。
口元を少し上げようとしたが、失敗したらしい。いつもより怖い顔になった。
「やっぱり待ってて」
「……そうしよう」
布屋の女性は、ミナから事情を聞くと深く頭を下げた。
「娘が菓子を取り合って、すみません」
「半分ずつ食べたから、取り合ってないよ」
ミナが訂正する。
「ノアが後出しをした」
カイルも補足した。
「一回だけだよ!」
「一回でも後出しだ」
ミナの母は笑った。
「私はリサです。湖の近くで小さな布屋をしています」
「カイルだ。こっちは娘のノア」
「知ってるよ。さっき言ったもん」
「自己紹介は相手が変わるたびにする」
「面倒だね」
「人と暮らすのは、だいたい面倒だ」
ノアは意味を考え、リサへ頭を下げた。
「ノアです。ミナと友達になりました」
「こちらこそ、よろしくね」
リサは自然に答えた。
世界最終敵だとは知らない。
ただ、娘の新しい友達としてノアを見ている。
カイルは、その当たり前がありがたかった。
「今日は店を閉めた後、湖で灯舟祭があるんです」
リサが小さな紙の舟を見せる。
「舟へろうそくを載せて流すだけの祭りですけど、よかったら皆さんも」
「行きたい!」
ノアが返事をした。
カイルはまだ答えていない。
「顔を隠す外套を買った後だ」
「じゃあ行っていい?」
「追手がいないことを確かめてからだ」
ノアはカイルの両手を取った。
「行けたら、うれしい」
「分かった。目を大きくするな」
セラが小声で笑う。
「甘いわね」
「今日は例外だ」
「さっきも聞いた台詞ね」
夕刻までに必要な品を買った。
保存食、薬、地図、着替え。
ノアは猫耳の外套に加え、ポポ用の小さな外套も見つけた。
「必要ない」
カイルが止める。
「ポポも顔を隠したほうがいいよ」
「犬と竜の中間みたいな魔獣が猫耳をつけたら、余計に目立つ」
「かわいいのに」
「否定はしてない。必要ないと言ってる」
店を出た時、ポポは猫耳の外套を着ていた。
「誰が買った」
カイルが全員を見る。
セラは空を見た。
レオニスは店の看板を調べるふりをした。
「二人とも目をそらすな」
日が沈む頃、湖岸へ向かった。
灯舟祭は、祭りと呼ぶには静かだった。
家族や恋人が小さな舟へ火をともし、一つずつ水へ流す。湖面には星のような光が広がっている。
ミナが紙の舟を二つ持ってきた。
「一緒に作ろう」
ノアは隣へ座った。
紙を折った経験がないらしく、一度目は舟ではなく、つぶれた帽子になった。
「違うよ。ここを半分」
ミナが手を添える。
「こう?」
「そっちじゃない」
「難しい」
「世界を終わらせる力より、紙の舟のほうが難しそうだな」
カイルが呟く。
レオニスが横へ立っていた。
「世界を終わらせる力は、まだ使っていない」
「例えだ」
「正確に言え」
「お前は祭りでも堅いな」
二人が話している間に、ノアの舟が完成した。
左右の大きさが違い、水へ浮かべれば曲がりそうだ。
「何を願うの?」
ノアがミナへ尋ねる。
「願い事じゃないよ」
ミナはろうそくへ火をつけた。
「今年なくしたものへ、ありがとうって言うの」
「なくしたもの?」
「お母さんは、お父さんに流す」
ミナの父は、三年前に病で亡くなったという。
「会いたい?」
「会いたいよ」
ミナは湖面を見た。
「でも、お母さんが、お父さんは私の中にもいるって」
「どうやって入るの?」
「体の中じゃなくて、覚えてるから」
ミナは胸を指した。
「声とか、笑い方とか。お母さんに叱られた時、こっそりお菓子をくれたこととか」
ノアは自分の胸へ手を置く。
「覚えてたら、いなくならない?」
「たぶんね」
後ろで聞いていたカイルは、その言葉を覚えた。
ただ、失うことと、なかったことになるのは違う。
ミナの小さな言葉は、カイルの胸の奥へ残った。
ノアは舟へ火をつけた。
「何へ流すの?」
ミナが聞く。
「分からない」
ノアは少し考える。
「まだ、なくしたくないものばっかり」
「じゃあ、これからありがとうって言いたいものへ流そう」
「そんなのでもいい?」
「私たちの舟だから、いいよ」
二人は舟を水へ置いた。
形の悪い舟は、やはり真っすぐ進まない。
ミナの舟の周りをぐるぐる回る。
「私の、迷子になってる」
「一緒に行きたいんじゃない?」
ミナが指で水を押す。
二つの舟が並んだ。
湖の中央へ進んでいく。
「海にも、こういうお祭りある?」
ノアが尋ねる。
「あるよ。もっと大きな舟を流すの」
「見たい」
「一緒に行こう」
「約束ね」
二人は小指を結んだ。
祭りの後、リサの家で夕食をごちそうになった。
魚の香草焼き、根菜のスープ、柔らかい白パン。
ノアは魚を三皿食べた。
「食べすぎだ」
カイルが止める。
「旅はお腹すくよ」
「まだ一日しか歩いてない」
「子供の一日は長いの」
「その言い方を気に入ったな」
レオニスは食卓の端へ座っていた。
最初は断ったが、ミナが「レオ兄も」と呼んだため、断りきれなかった。
「お兄さん、騎士なの?」
ミナが白銀の鎧を見る。
「元騎士団長だ」
「強い?」
「一般的には」
「おじさんより?」
ミナはカイルを指した。
「おじさんではない」
カイルが先に訂正する。
「剣なら私が上だ」
レオニスが答えた。
「でも、お父さんは魔獣のことなら何でも知ってるよ」
ノアが胸を張る。
「何でもではない」
「レオ兄は、魔獣のうんちで体調分かる?」
「なぜそれを私へ聞く」
「お父さんは分かるよ」
「食事中にする話ではない」
リサとセラが笑った。
レオニスは困ったようにノアを見る。
世界最終敵を見極めると言って養育所へ来た男は、今、子供二人から嫌いな野菜を押しつけられている。
「人参も食べなさい」
リサが娘へ言う。
「レオ兄がほしいって」
ミナは人参を彼の皿へ置く。
「私は言っていない」
「ノアちゃんも」
ノアも同じように人参を移した。
「二人とも、自分で食べろ」
「騎士は、困ってる人を助けるんでしょ?」
ノアが真顔で聞く。
「人参を食べるのは人助けではない」
「私たち、困ってるよ」
レオニスは言葉に詰まり、二人分の人参を食べた。
カイルは、その光景を見ていた。
ノアが普通の家の食卓で笑っている。
魔獣の鳴き声も、鑑定板の警告もない。
これまで避けてきた人の暮らしの中へ、娘は自然になじんでいた。
隠し続ければ安全だと思った。
同時に、こうした時間を奪っていたのかもしれない。
帰り道、セラが隣へ並んだ。
「何を考えてるの?」
「養育所へ閉じ込めていたことが、正しかったのか」
「危険から守ったんでしょう」
「守ることと、経験を奪うことは近い」
「今日から変えればいいわ」
「簡単に言うな」
「難しく考えすぎるからよ」
セラは湖面へ目を向ける。
「閉じ込めない。危険なら一緒に行く。あなたがずっとしてきたことでしょう?」
「魔獣にはな」
「娘にも同じでいいのよ」
少し先では、ノアとミナが手をつないで歩いている。
レオニスはポポに猫耳の外套を着せ直していた。
騎士団長としての威厳は、ほとんど残っていない。
「あいつも変わったな」
カイルが言う。
「あなたもね」
「俺は変わってない」
「それ、自分では気づかないものよ」
宿へ戻る前、ミナと別れた。
「明日も遊べる?」
ミナが聞く。
カイルは追手の可能性を考えた。
「朝、何もなければ」
「大人の言い方だ」
ノアが不満そうにする。
「約束できないことを約束しないだけだ」
ミナは紙と小さな封筒を渡した。
「会えなくても、手紙を書いて」
「私も書く」
「海へ行く日が決まったら、絶対教えてね」
「約束」
二人はもう一度、指切りをした。
ノアに同年代の友達ができたのは、初めてだった。
養育所では魔獣と大人に囲まれている。本人が寂しいと言ったことはない。それでも、じゃんけん一つで笑う二人を見て、カイルは気づいた。
ノアへ与えられていないものは、まだ多い。
菓子屋を離れ、四人は外套の店へ向かった。
ノアが選んだのは、頭に猫の耳がついた外套だった。
「目立つ」
カイルはすぐに却下する。
「顔は隠れるよ」
「耳が目立つ」
「かわいいわね」
セラが賛成した。
「目的を忘れるな」
レオニスは黒い無地の外套を選ぶ。
ノアは両方を見比べ、猫耳を抱きしめた。
「こっちがいい」
結局、猫耳になった。
「甘やかしていないと言ったな」
店を出た後、レオニスが確認する。
「顔は隠れている」
「耳が目立つ」
「同じことを言うな」
市場の中央まで来た時、ポポが低く唸った。
カイルも気づく。
尾行が三人。
武器屋の前に一人、果物の屋台に二人。視線を合わせないようにしながら、一定の距離を保っている。
「賞金稼ぎだ」
セラが小声で言った。
「街の外まで待つ気はないらしい」
レオニスは剣へ手を置く。
「ここでは抜くな」
カイルが止めた。
「人が多い。こちらから騒ぎを起こせば、衛兵まで敵になる」
カイルは露店で赤い布を買った。
それをポポの首へ巻き、耳元で指示する。
「走って、噴水を一周して戻れ」
「きゅう」
ポポが人混みへ駆け出した。
賞金稼ぎの一人が追う。
猫耳の外套を着たノアは、セラの外套の中へ隠れた。
もう一人は気づかず、似た背丈の子供を追いかける。
最後の一人だけがカイルを見ていた。
「あんたがカイルだな」
男が短剣を抜く。
「世界最終敵はどこだ?」
「教えると思うか」
男が踏み込む。
カイルは屋台の林檎を一つ投げた。
短剣が反射的に林檎を切る。
果汁が男の目へ入った。
「今だ!」
セラが男の足を払い、地面へ押さえつける。
レオニスは残りの二人を連れて戻った。二人とも襟をつかまれ、抵抗する気を失っている。
「弱いな」
レオニスが言う。
「金額だけ見て来た連中だ」
賞金稼ぎは衛兵へ引き渡した。
幸い、ノアの正体は街へ知られなかった。
宿へ向かう途中、古道具屋の前から老人が声をかけてきた。
「よい友を得たな、世界最終敵」
カイルたちは一斉に身構えた。
老人は六十代後半。白い髪は好き勝手に跳ね、丸眼鏡の片方へひびが入っている。武器は持っていない。代わりに本を五冊も抱えていた。
「誰だ」
カイルが尋ねる。
「エルド・ハーゲン。古代史と終末職の研究者じゃ」
「声が大きい」
「耳が遠くてな」
「自分の声は聞こえるだろ」
カイルは老人を店の奥へ押し込んだ。
エルドは怒らず、机へ星図を広げる。
「一万年前にも、世界最終敵がいた」
「何?」
レオニスが真っ先に反応した。
「教会の記録にはない」
「禁書にした連中が、何を言う」
エルドは古びた写本を開いた。
卵形の世界と、その前に立つ少女が描かれている。
「前回の出現は、およそ一万年前。記録では、その個体も百へ到達した」
セラが図をのぞく。
「でも、世界は残っている」
「そこが謎じゃ」
エルドは二枚の星図を並べた。
一枚は百年前。
もう一枚は現在。
カイルには違いが分からない。
ノアが先に指さした。
「星が少ない」
「七つ消えた」
エルドが頷く。
「魔力井戸も各地で枯れ始めておる。大地の温度は下がり、季節は少しずつ乱れている」
「ノアが生まれたからか?」
カイルは尋ねた。
「逆かもしれん」
老人は声を落とす。
「滅びは、この子が生まれるより前から始まっていた」
店の外で、鐘が鳴った。
夕刻の鐘ではない。
警報だった。
続いて、空に光の文字が浮かぶ。
【賞金対象の所在を確認】
【湖畔都市リーネ】
正体が知られた。
通りの人々が、一斉に周囲を見回した。




