第五話 Lv10
「世界最終敵を引き渡せ」
白い鎧の騎士が、門の外から告げた。
カイルは返事をしなかった。
まず人数を数える。
正面に二十。東の林に十。西の獣道にも十人ほどいる。残りは裏手へ回ったらしい。
五十人。
全員が聖銀の鎧を着け、魔獣用の拘束槍を持っている。養育所の獣を相手にする準備まで整えてきた。
「お父さん」
背後からノアの声がした。
カイルは振り返らない。
「家へ入れ」
「でも」
「ノア」
いつもより低い声で名を呼ぶ。
ノアは黙った。
「ポポと一緒に、地下の餌倉へ行け。扉を閉めて、俺が呼ぶまで出るな」
「お父さんは?」
「客と話す」
門の外で、騎士が槍の石突きを地面へ打ちつけた。
「最後の警告だ! 世界最終敵を差し出せ!」
ノアの足音が遠ざかる。
カイルはそれを確かめてから門を開けた。
「朝から大勢で来て、子供を寄こせとは礼儀がなってないな」
「カイル・ベルナーだな」
先頭の騎士が一歩出る。
四十歳前後。兜の額には、教会直属部隊の印があった。
「神託官ダリウスだ。お前が匿っている存在は、人でも子供でもない」
「鑑定には人間と出た」
「職業も見たはずだ」
ダリウスは巻物を広げた。
【職業:世界最終敵】
【Lv100到達時:世界終了】
ノアと同じ文字が浮かぶ。
「六年間、隠していた罪も問う。抵抗しなければ、お前の命までは取らん」
「ノアはどうなる」
「神殿で消滅処分を行う」
あまりに平らな声だった。
壊れた道具の処分を告げるように、騎士は六歳の子供を殺すと言った。
「本人を見たことは?」
カイルが尋ねる。
「必要ない」
「話したことは?」
「必要ない」
「何か悪いことをした記録は?」
「存在そのものが罪だ」
カイルは小さく息を吐いた。
「なら、話し合うことはない」
門を閉めようとする。
ダリウスの槍が隙間へ差し込まれた。
「力ずくでも連行する」
「やってみろ」
カイルは腰の袋を一つ地面へ落とした。
乾いた粉が舞う。
騎士たちは一斉に盾を上げた。毒か、目くらましだと思ったのだろう。
違う。
粉は発情期の沼ヤギが出す匂いを乾燥させたものだ。
東の林から、重い足音が響いた。
「何だ?」
騎士が振り向く。
野生の沼ヤギが十頭、角を下げて突っ込んできた。
「盾を東へ!」
ダリウスが命じる。
隊列が動いた。
その隙に、カイルは門を閉め、横の縄を切った。
丸太が落ち、内側から門を固定する。
「これで少しは稼げる」
窓から見ていたセラが剣を抜いた。
「あれで諦めるとは思えないけど」
「諦めさせるんじゃない。ノアを逃がす時間を作る」
「地下倉に入れたんでしょう?」
「奥に森へ抜ける穴がある。鎧猪が勝手に掘った」
「初めて役に立ったのね」
言い終わる前に、裏手で爆発が起きた。
騎士が魔法で柵を吹き飛ばした。
獣舎の魔獣たちが騒ぎ始める。
「セラ、東側を頼む。殺すな」
「五十人を相手に注文が多いわね」
「剣の腕を信じてる」
「そういう台詞は、もっと平和な時に言って」
セラは走った。
カイルは獣舎へ向かう。檻を破られれば、怯えた魔獣と聖騎士が戦う。被害が広がる前に、落ち着かせなくてはならない。
西側の柵を越えた騎士が三人、進路を塞いだ。
「武器を捨てろ!」
一人が槍を向ける。
「ここでそれを振り回すな」
カイルは足元を指した。
騎士が見下ろす。
青いスライムが靴へまとわりついていた。
「何だ、こんな低級魔物――」
騎士が踏み払おうとする。
「刺激すると分裂するぞ」
「先に言え!」
踏まれたスライムが二つになった。二つが四つ、四つが八つ。鎧の隙間へ入り込み、三人の動きを止める。
「だから言っただろ」
カイルは横を抜けた。
獣舎では、黒角熊が拘束槍を三本受けていた。聖銀の鎖が体へ巻きつき、魔力を奪っている。
ダリウスが四本目の槍を構える。
「止めろ! そいつは攻撃していない!」
カイルが叫ぶ。
「世界最終敵に従う魔獣は、すべて排除対象だ」
槍が放たれた。
カイルは横から飛びつき、柄の向きをそらす。穂先が肩をかすめ、血がにじんだ。
ダリウスはカイルを殴り倒した。
「人の身で、なぜ化け物をかばう」
「預かってるからだ」
「それだけか?」
「それで十分だ」
カイルは土をつかみ、ダリウスの目へ投げた。
立ち上がる。
黒角熊の鎖を外そうとしたが、聖印つきの錠は開かない。
背後で弓弦が鳴った。
カイルは身を伏せる。
矢は彼を越え、獣舎の扉へ刺さった。
扉の前に、ノアがいる。
「なぜ出てきた!」
「お父さんが呼ばないから」
「呼んでないなら隠れてろ!」
ノアの後ろで、地下道から出たポポが唸っている。
弓兵が二本目の矢をつがえた。
「世界最終敵を確認!」
ダリウスが声を上げる。
「捕縛は不要だ。ここで討て!」
「ノア、絶対に戦うな!」
カイルも叫んだ。
「うん!」
ノアの返事はよかった。
弓兵が矢を放つ。
ポポがノアの前へ跳んだ。
矢が白い脇腹をかすめる。
「ポポ!」
ノアが抱き上げる。深い傷ではない。それでも白い毛に赤い線が走った。
ノアの表情が消えた。
「だれがやったの」
六歳の少女の声だった。
その声だけで、養育所じゅうの魔獣が動きを止めた。
「ノア、俺を見ろ」
カイルは彼女へ近づこうとした。
騎士が間へ入る。
「動くな!」
ノアが顔を上げる。
「どいて」
騎士の鎧がきしんだ。
目に見えない力で押され、男は地面を滑った。
森が鳴る。
枝が折れ、翼が風を打ち、地面の下を巨大な何かが進む。
火竜。
グリフォン。
巨大狼。
ゴーレム。
森の奥に棲むはずの魔獣たちが、次々と養育所へ集まってきた。
十頭ではない。
百頭でも足りない。
空を覆う鳥型魔獣まで含めれば、数百に達する。
「全隊、円陣!」
ダリウスが命じた。
聖騎士は背中を合わせ、盾を構える。
しかし囲まれているのは、養育所ではなく彼らのほうだった。
「あり得ない」
若い騎士が震えた声を出す。
「これほどの魔獣を、一人で従えているのか」
ノアはポポを抱いたまま、周囲を見た。
魔獣たちの怒りが伝わっているのだろう。
彼女の黒い髪が、魔力の風で揺れる。
「みんな」
牙がのぞく。
爪が地面をえぐる。
竜の喉に炎がたまる。
「ケンカしちゃだめ!」
数百の魔獣が、一斉に止まった。
火竜は炎を飲み込み、巨大狼は上げた前脚を静かに下ろす。
空の魔獣まで、その場で翼を止めたように見えた。
完全な沈黙。
聖騎士の一人が剣を落とした。
金属音が、やけに大きく響く。
【大規模戦闘を制圧しました】
【条件:殺害数ゼロを達成】
「まずい」
カイルが呟く。
【経験値を取得しました】
【ノアのレベルが上昇しました】
【Lv9 → Lv10】
「…………上がった」
カイルの声を聞き、ノアは振り返った。
「やったー!」
「やってない!」
【節目レベルへ到達しました】
【新能力を取得しました】
【《魔物支配》】
【範囲:半径一キロメートル】
【範囲内の魔物へ強制命令が可能です】
カイルは表示と、動きを止めた魔獣たちを見比べた。
先ほどまでの《魔獣好感》とは違う。
好かれているから言うことを聞いたのではない。
拒否できない命令だった。
「ノア。その力をいったん止めろ」
「どうやって?」
「心の中で、みんな自由にしていいと言え」
ノアは目を閉じた。
張り詰めていた空気が緩む。
魔獣たちが顔を見合わせ、自由に動き始めた。それでも帰ろうとはしない。ノアを心配して残っている。
「できた」
「よし。今後、俺の許可なく使うな」
「どうして?」
「相手が嫌だと言えない力だからだ」
ノアは周囲の魔獣を見た。
「みんな、嫌だった?」
黒角熊が首を振り、火竜が鼻を鳴らす。
「今回はな。でも、嫌じゃないことと、断れないことは違う」
「難しい」
「だから一緒に覚える」
カイルはポポの傷を診た。矢はかすっただけで、薬を塗れば治る。
ダリウスが立ち上がった。
「見たか! これが世界最終敵だ!」
彼は恐怖を怒りへ変え、騎士たちを振り返る。
「今ここで殺さねば、次は人間を支配する!」
騎士たちは動かなかった。
数百の魔獣へ囲まれ、それを一言で止めた少女を前に、戦意を失っている。
「帰れ」
カイルがダリウスへ告げた。
「次はない」
「それはこちらの台詞だ」
ダリウスは撤退を命じた。
白い鎧の列が森へ消えていく。
最後尾に、一人だけ残った騎士がいた。
ほかの者より若い。白銀の兜を外すと、短い金髪と冷たい青い目が現れた。
「聖騎士団長、レオニスだ」
セラが険しい顔になる。
「団長が後列に隠れていたの?」
「私は攻撃命令に反対した。監視役として同行しただけだ」
レオニスはノアを見る。
「だが、危険だという判断は変わらない」
ノアはポポを抱き直した。
「あなたも、私を殺すの?」
「世界を守るために必要なら」
レオニスは迷わず答えた。
ただし、剣は抜かなかった。
「次に会う時までに答えを出す。お前が子供なのか、災厄なのか」
「両方だったら?」
ノアの問いに、レオニスは初めて言葉を失った。
「帰れ」
カイルが繰り返す。
レオニスは兜をかぶり、仲間を追った。
緊張が解けた途端、養育所の庭を見たセラがため息をついた。
柵は壊れ、餌袋は散らばり、泥だらけの足跡が建物を一周している。
「勝ったのはいいけど、ひどい有様ね」
ノアが周囲の魔獣へ顔を向けた。
「みんな、お片づけして」
「待て、ノア」
カイルが止めるより早く、《魔物支配》が発動した。
火竜が材木を運ぶ。
ゴーレムが柵を立てる。
スライムが床を磨く。
巨大狼は雑巾をくわえ、窓を拭こうとしてガラスを割った。
「あ」
ノアが声を漏らす。
「使うなと言った直後だぞ!」
「お片づけは、ケンカじゃないよ?」
「そういう問題じゃない!」
夕方には、養育所は以前より立派になった。
ただし屋根には、火竜が勝手につけた煙突が七本もある。
カイルがそれを外している間、ノアは魔獣一頭ずつに礼を言って回った。
強制したままにしない。
その姿に、少しだけ安心する。
夜、ノアは寝台の中から尋ねた。
「お父さん。レベルが上がったら、怖い?」
カイルは椅子へ座り、毛布を直した。
「怖い」
「私が?」
「お前を怖がってるんじゃない。お前が持つ力と、その先に何があるか分からないことが怖い」
ノアは少し考える。
「私も怖いって言ったら、怒る?」
「怒らない」
「みんな、止まったの。私が言ったら、自分で動けなくなった」
ノアは自分の手を見た。
「すごいって思った。でも、ちょっと嫌だった」
「その嫌だと思った気持ちを覚えておけ」
カイルは小さな手を包んだ。
「力より、それをどう使うかのほうが大事だ」
ノアは頷き、目を閉じた。
寝息を立て始めた頃、窓の外で人影が動いた。
撤退したはずの聖騎士が一人、森から養育所を見ている。
その手には、油の入った壺があった。




