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ラスボスの養育係  作者: 藤崎聖子


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3/12

第三話 ラスボス、歩く

「お父さん、ドラゴン飼っていい?」


「駄目だ」


 カイルは鍋のスープをかき混ぜながら答えた。


 朝食前である。


 相談の時刻として早すぎるし、内容もよくない。


「どうして?」


 六歳になったノアは、厨房の椅子へ座って足を揺らしている。黒い髪は寝癖で片側だけ跳ね、口元にはつまみ食いしたパンくずがついていた。


「うちには、もう火竜が三頭いる」


「あの子たちは預かってるだけでしょ?」


「預かってるだけでも餌は食うし、屋根は焦がすし、寝床は壊す。増やす余裕はない」


「でも、もういるよ」


 カイルの手が止まった。


 聞き覚えのある嫌な流れだった。


「どこに?」


 ノアは天井を指さした。


 直後、屋根が抜けた。


 板と藁が厨房へ降る。


 カイルは鍋を抱えて飛び退いた。さっきまで鍋があった場所へ、青い竜の頭が逆さに突き出る。


「グオオオオ!」


 竜が元気よく吠えた。


「朝から屋根を壊すな!」


 カイルも負けずに怒鳴った。


「この子、ルル」


 ノアは椅子から降り、竜の鼻先を撫でた。


「名前をつけるな。情が移る」


「もう友達だよ」


「友達なら、家へ帰るよう説得しろ」


「ルルのお家、ここがいいって」


「本人に聞いたのか?」


「うん」


 青竜がもう一度吠えた。


 カイルには「ここがいい」と聞こえない。ただ、ノアには魔獣の感情が言葉に近い形で分かるらしい。


 六年前、黒角熊まで頭を下げさせた《魔獣好感》。成長した今では、森の魔獣の半分と顔見知りだった。


 友達が増えるたび、餌代も増えた。


「ルルは野生の水竜だ。川へ返す」


 カイルが言い切ると、ノアは唇を尖らせた。


「屋根、直してから?」


「当然だ」


 青竜は屋根を直さなかった。


 水を吐いて厨房を水浸しにし、ノアと一緒に逃げた。


「待て、二人とも!」


 カイルが追って庭へ出ると、朝の養育所はすでに騒がしかった。


 火竜のマルタは日向で翼を広げている。六年前の卵から孵った子竜は、人に慣れ、今では山間の運送隊で働いていた。


 鎧猪は泥浴び場を掘りすぎて、柵の下へ穴を開けている。


 三つ目梟は夜勤明けで、片目ずつ順番に眠っていた。


 小さな白い魔獣が、ノアの後ろを走る。


 犬のような体に、竜の角と翼。名はポポ。


 三年前、森で怪我をしていたところをノアが拾った。それ以来、彼女の寝台の下を自分の巣だと思っている。


「ポポ、ルルを止めて!」


 ノアが叫んだ。


 ポポは勢いよく青竜へ飛びつき、尻尾にぶら下がった。


 体格差は百倍以上ある。


 当然、引きずられた。


「きゅううう!」


「ポポ、頑張って!」


「応援する前に離させろ!」


 カイルは餌桶を持ち上げた。水竜が好む銀魚の匂いを風上から流す。


 ルルの足が止まる。


 鼻先が餌桶へ向いた。


「まず屋根だ。直したら食わせる」


 カイルは折れた板を見せ、屋根を指した。


 ルルは少し考え、翼で風を起こした。散らばった板が浮き、穴の上へ重なる。


 雑ではあるが、屋根らしい形へ戻る。


「よし」


 銀魚を一匹投げる。


 ルルは空中で飲み込んだ。


 ノアが目を輝かせる。


「お父さん、すごい」


「魔獣は悪さをした後のほうが、言うことを聞く。自分でも少し気まずいからな」


 青竜は目をそらした。


「ルル、気まずいの?」


 ノアが顔をのぞき込む。


 ルルは残りの魚をくわえ、そのまま川の方角へ飛び去った。


「逃げたね」


「帰ったと言え」


 朝食を終える頃、養育所へ女剣士が来た。


 栗色の髪を首の後ろでまとめ、旅装の上から革鎧を着ている。腰には細身の長剣。歩き方に無駄がない。


「カイル・ベルナーさん?」


 女剣士が門の前で尋ねた。


「そうだ」


 カイルは壊れた屋根を見上げていた。


「魔獣養育所への依頼で来たのだけど、取り込み中?」


「いつもこんなものだ。要件は?」


 女剣士は懐から冒険者組合の札を出した。


「セラ・ミルフォード。護衛と討伐を専門にしている。森の街道に鎧猪が出たわ。荷馬車を三台壊している」


 泥浴び場にいた鎧猪が、聞こえないふりをして背を向けた。


 セラはそちらを見た。


「……ここにもいるわね」


「あれは別の個体だ。荷馬車を壊す度胸はない」


 鎧猪が小さく鳴いた。


「本人もそう言ってる」


 カイルが説明すると、セラは怪しむ目を向けた。


「魔獣の言葉が分かるの?」


「習性が分かるだけだ。街道の個体も、理由があって暴れている可能性がある。討伐の前に見たい」


「人が死んでからでは遅い」


「だから今日行く」


 二人が話していると、ノアがポポを抱いて出てきた。


「お父さん、お出かけ?」


「仕事だ。お前はハンナの店で留守番」


「私も行く」


「駄目だ」


「どうして?」


「危険だからだ」


「お父さんも危険だよ」


「俺は仕事」


「私もお手伝いする」


 同じやり取りを三度繰り返した。


 最後には、ノアが荷車の下へ隠れた。カイルが気づかないと思ったらしい。靴が二本とも外へ出ている。


 セラは笑いをこらえながら尋ねた。


「娘さん?」


「そうだ」


「ずいぶん好かれてるのね」


「魔獣にも、子供にも、甘く見られてる」


 カイルは荷車の下をのぞいた。


「ノア。出てこい」


「いないよ」


「返事をした時点で負けだ」


 結局、ハンナの店は臨時休業だった。


 養育所へ置けば、ノアは一人で追ってくる。過去に二度あった。


 カイルは条件つきで同行を認めた。


「俺のそばから離れない。勝手に魔獣へ触らない。危険だと思ったら、すぐ木の陰へ隠れる」


「分かった!」


 ノアが元気よく答える。


 カイルはしゃがみ、目線を合わせた。


「今言った三つを繰り返せ」


「お父さんのそば。勝手に触らない。危ない時は隠れる」


「よし」


 セラが感心したように見る。


「慣れてるわね」


「魔獣も子供も、返事だけなら上手い」


「私、ちゃんとできるよ」


 ノアが抗議した。


「期待してる」


 三人と一匹は街道へ入った。


 森は昨夜の雨で濡れている。木の葉から落ちる雫が光り、土には多くの足跡が残っていた。


 カイルは壊れた荷車を調べた。


 車輪が砕け、荷台が横倒しになっている。積んでいた麦袋には手をつけた跡がない。


「食料目的ではないな」


 カイルが呟くと、セラは折れた車軸を示した。


「荷車へ体当たりしている。十分に危険よ」


「襲った方向が変だ」


「方向?」


「街道の外へ押し出してる。人を狙うなら、荷台の側面ではなく御者席へ来る」


 ノアが地面へしゃがんだ。


「小さい足あとがあるよ」


 泥の中に、鎧猪の幼体らしい跡がいくつも続いていた。


 街道を横切り、反対側の森へ消えている。


「子供を通していたのか」


 親の鎧猪は、荷車から幼体を守ろうとしていた。


 カイルは足跡を追った。


 森の奥で、低い唸り声がする。


 木々の間に大きな鎧猪がいた。体は牛より大きく、背を覆う甲殻には古い傷がある。


 四頭の子が、その腹の下へ隠れていた。


「討伐の必要はない」


 カイルが小声で告げた。


「巣と水場の間に、新しい街道ができたんだ。子を渡らせるために荷車を止めていた」


「理由は分かった。でも、放っておけばまた襲うわ」


 セラは剣の柄へ手を置いている。


「別の道を覚えさせる。鎧猪は匂いの道標を使う」


 カイルは袋から乾燥果実を出した。少しずつ地面へ置き、安全な獣道まで誘導する。


 親猪は警戒していたが、攻撃してこない。


 順調だった。


 最後の一頭が崖の上から姿を現すまでは。


 雄の鎧猪。


 体のあちこちに矢が刺さり、片目が血で潰れている。


 セラが息をのんだ。


「討伐隊に追われた個体よ」


 痛みと恐怖で我を失っている。


 雄猪はセラへ狙いを定めた。


「下がれ!」


 カイルが叫ぶ。


 セラは横へ跳び、牙をかわした。剣で甲殻の隙間を狙うが、傷ついた猪は止まらない。


 カイルは走り方を見る。


 右後脚をかばっている。


「セラ、左へ誘導しろ! 右には曲がりにくい!」


 セラが木々の間を走る。


 猪は追った。


 カイルは縄を幹へかけ、進路へ輪を投げる。前脚へ引っかかれば転ばせられる。


 だが猪は予想より早く向きを変えた。


 セラではない。


 ノアを見た。


「ノア、木の陰へ!」


 ノアは動かなかった。


 ポポが彼女の前へ立ち、毛を逆立てている。


 雄猪が地面を蹴った。


「ノア!」


 カイルは間に合わない。


 セラの剣も届かない。


 突進がノアへ迫る。


「だめ!」


 ノアが両手を突き出した。


 地面が割れた。


 太い蔓が何十本も噴き出し、雄猪の胴へ巻きつく。突進の勢いごと巨体を持ち上げ、頭上の枝から逆さに吊った。


 森が静まる。


 セラは剣を構えたまま、口を開けていた。


「いまのは、何?」


 彼女が尋ねる。


 カイルにも分からない。


 ノアは吊られた猪を見上げた。


「みんなを、いじめちゃだめ」


 雄猪が情けない声で鳴く。


 怒りが収まったらしい。


「お父さん。下ろしていい?」


「待て。先に矢を抜く」


 カイルは蔓へ命じる方法をノアに聞き、猪を動かない高さまで下げた。傷へ鎮静薬を塗り、一本ずつ矢を抜く。


 最後の矢が抜けると、雄猪の呼吸が落ち着いた。


 ノアが手を振る。


 蔓がほどけ、猪は地面へ降りた。


 雄猪はノアの前へ来た。


 カイルとセラが身構える。


 猪は頭を下げた。


 雌と子供たちも後ろへ並ぶ。


「お父さん。これで街道を襲わない?」


「新しい道を覚えればな。よくやった」


 ノアの顔が明るくなる。


 その笑顔を見て、カイルは褒めたことを後悔しそうになった。


 空中に光が集まったからだ。


【危険を突破しました】


【経験値を取得しました】


「待て」


 カイルが表示へ手を伸ばす。


 触れて止められるものではない。


【ノアのレベルが上昇しました】


【Lv1 → Lv2】


 六年間、日々の成長だけではレベルは動かなかった。最初の《危険突破》が、眠っていた成長の仕組みを起こしたらしい。


 ノアは文字を読み、両手を上げた。


「やったあ!」


「やってない!」


 カイルの叫びに、森の鳥が一斉に飛び立った。


 セラは驚いて彼を見る。


「普通、娘のレベルが上がったら喜ぶところじゃないの?」


「うちは違う」


「どう違うの?」


「家庭の事情だ」


 ノアは自分の手を見つめた。


「私、強くなった?」


 嬉しそうな声だった。


 カイルは答えに詰まる。


 ノアは危険を退け、セラと鎧猪を助けた。成長を喜ぶのは当然だ。


「少しな」


 カイルは慎重に答えた。


「でも、強くなったことより、力を止められたことのほうが立派だ」


「猪さん、痛そうだったから」


「その気持ちを忘れるな」


 帰り道、ノアは上機嫌だった。


 セラは何度もカイルを見たが、事情を聞かなかった。


 森の出口へ着いた時、三つ目の黒い鳥が枝へ止まった。


 養育所にいる梟とは違う。羽毛が石のように硬く、額に古い文字がある。


 鳥はノアを見下ろした。


「始まりの子が、歩き始めた」


 人の言葉だった。


 セラが剣を抜く。


「誰?」


 彼女が問いかけると、黒い鳥は羽ばたいた。


「終わりを恐れる者が、まもなく来る」


 鳥は黒い羽根を一枚残し、空へ消えた。


「今の鳥、しゃべったわね」


 セラは剣を抜いたまま、枝の揺れを見ていた。


「見れば分かる」


 カイルは黒い羽根を拾う。


 石のように硬く、表面に小さな文字が刻まれている。


【始まりを守れ】


 誰へ向けた言葉かは分からない。


「それより、聞きたいことがあるの」


 セラの声から軽さが消えた。


「どうして、娘さんのレベルが上がって悲鳴を上げたの?」


「家庭の事情だと言った」


「その事情は、しゃべる古代魔獣と関係がある?」


 カイルは答えない。


 ノアはポポと一緒に少し先を歩いている。鎧猪の子供たちが森の奥まで見送るらしく、足元へ並んでいた。


「私は、仕事でここへ来た」


 セラは続ける。


「森の魔獣が一か所へ集まっている理由を調べるために。もし、あの子が魔獣を暴走させる危険を持っているなら、黙って帰れない」


「暴走させてない。今日も止めただろ」


「あの蔓は普通じゃなかった」


「ノアは普通の子供だ」


「普通の子供は、鎧猪を木から吊らない」


 反論できなかった。


 セラは剣を鞘へ戻す。


「隠したいなら、もっと上手く隠しなさい。あなた、嘘が下手よ」


「よく言われる」


「今夜、話を聞かせて。聞くまでは組合へ報告しない」


「聞いた後は?」


「自分で決める」


 その答えが、カイルには一番怖かった。


 規則や命令へ従うだけの相手なら、行動を予想できる。


 自分で決める者が何を選ぶかは、分からない。


 養育所へ戻ると、ノアは鎧猪の件を魔獣たちへ話して回った。


「おっきい猪さんを、蔓でこうしたの」


 両手を上げ、逆さに吊る動きを見せる。


 黒角熊が感心したように鼻を鳴らした。


「自慢するな」


 カイルはノアの頭を軽く押す。


「助けた話だよ」


「最後にレベルが上がった」


「一つだけ」


「一つでも上がった」


 ノアは首を傾げた。


「レベル、嫌い?」


「嫌いというか……」


 カイルは言葉を探す。


 まだ真実を話せない。


 六歳の子供へ、百になれば世界が終わると伝えて何になる。


 毎日の成長を、自分で怖がらせるだけだ。


「刃物と同じだ。便利だが、使い方を知らないと危ない」


「包丁?」


「そうだ」


「私、包丁使えるよ」


「前にまな板ごと切っただろ」


「野菜は切れた」


「台所を二日使えなくした」


「今度は上手くできる」


「だから、覚えてから使えと言ってる」


 ノアは納得したような、していないような顔で頷いた。


 夕食後、ハンナがノアを自分の家へ連れていった。


「泊まりは久しぶりだね」


 ノアは寝巻きとポポを抱えている。


「お父さんも来る?」


「今日はセラと話がある」


「何の?」


「大人の話だ」


「それ、子供に教えたくない時に言う言葉だよ」


「誰に教わった」


「ハンナおばちゃん」


「本人の前で言うんじゃないよ」


 ハンナは笑い、ノアの背を押した。


「行くよ。今夜は孫たちもいる。枕投げでもしな」


「枕、投げていいの?」


「家を壊さない程度にね」


 カイルは不安になった。


「ハンナ。絶対に魔力を使わせるな」


「分かってるよ」


「前に、孫へ木登りを教えただろ」


「子供は木に登るものさ」


「落ちたらどうする」


「下で受け止める」


「最初から登らせるな」


 ノアがカイルを見上げた。


「お父さん、心配しすぎ」


「誰のせいだ」


「お父さんの性格?」


 セラが吹き出した。


 ハンナたちが帰ると、養育所は急に静かになった。


 カイルは書斎へセラを通した。


 机に鑑定板を置く。


「話す前に、約束してほしい」


「内容を聞かずにはできない」


「ノア本人へ、俺の許可なく話さない」


 セラは少し考えた。


「命へ直接関わることでない限り、約束する」


「関わる」


「なら、なおさら無条件では約束できない」


 彼女はまっすぐカイルを見る。


 強情だ。


 同時に信頼できる。


「分かった。まず見せる」


 カイルは六年前、ノアを最初に鑑定した記録を再生した。


【個体名:未設定】


【種族:人間】


【Lv:1】


【職業:世界最終敵】


【Lv100到達時:世界終了】


 セラは一度読み、もう一度読んだ。


「偽物では?」


「俺も最初にそう思った」


「鑑定板の故障は?」


「自分と魔獣へ使った。正常だった」


「別の鑑定は?」


「町へ連れていけば記録が残る。試せなかった」


 セラは椅子へ座った。


 手を組み、長く黙る。


「だから、レベルが上がるのを恐れたのね」


「百へ着かなければ、何も起きない」


「今は二」


「九九まで余裕がある」


 口にした途端、セラが信じられない顔をした。


「それを余裕と言うの?」


「六年間、一のままだった」


「今日、初めて戦って上がった」


「だから二度と戦わせない」


「今日の猪は、ノアを狙った。避けて暮らすだけでは無理よ」


「分かってる」


「分かっていないわ」


 セラの声が厳しくなる。


「あの子を世界から隠して、何もさせず、何も知らないまま育てるつもり?」


「殺されるよりましだ」


「生かすことと、育てることは違うでしょう」


 カイルは言い返そうとした。


 自分がいつも魔獣の飼い主へ伝えている言葉だった。


 檻へ入れ、餌を与えるだけでは育てたことにならない。


 習性に合う場所で、他者との関わりを覚え、自分の力を正しく使えるようにする。


 ノアにだけ、逆のことをしようとしていた。


「では、どうしろと言う」


 カイルは声を落とす。


「百になれば世界が終わるかもしれない。教えれば、六歳の子供が自分の成長を恐れる。教えなければ、何も知らずに上がる」


「私にも分からない」


 セラは認めた。


「答えがあると思って責めたのか」


「答えがないから、あなた一人で抱えるなと言ってる」


 その言葉に、カイルは黙った。


「なぜ、そこまで関わる」


 セラは腰の銀札へ触れた。


 まだカイルは、そこに刻まれた名を知らない。


「十二年前、弟が死んだ」


 彼女は静かに話し始めた。


「村を魔獣が襲ったの。私は弟を家へ残し、助けを呼びに走った」


「何の魔獣だ」


「飢えた森牙獣。冬が長くて、山に餌がなかった」


 カイルは習性を知っている。


 本来、人里へ近づかない臆病な魔獣だ。


「騎士が討伐した。村の人は喜んだわ。でも弟は戻らなかった」


 セラは銀札を握る。


「私は魔獣を憎んだ。剣を覚え、見つけるたびに倒した」


「過去形か」


「ある日、巣で子供を見つけた。親を殺したのは私だった」


 セラは目を伏せる。


「あの子たちも、冬を越すために里へ来た。だからといって弟が死んでいい理由にはならない。でも、魔獣を全部悪と決めても弟は戻らない」


「子供はどうした」


「組合へ連れていった。あなたの養育所を紹介されたけど、当時は顔を合わせなかった」


 カイルは思い出した。


 十年前、森牙獣の幼体を三頭預かった。


 依頼主の名は伏せられていた。


「あいつらを連れてきたのは、お前か」


「元気?」


「二頭は森へ帰った。一頭は猟師の家で、畑を荒らす鼠を追ってる」


 セラは息を吐いた。


「そう」


「ノアを殺さないのか」


 カイルは直接聞いた。


「世界を守るなら、今が一番確実だ」


 セラは鑑定板を見る。


「理屈ならね」


「理屈では、そうだ」


「でも今日、ノアは私を助けた。鎧猪も殺さなかった。まだ何もしていないどころか、もう誰かを助けてる」


 セラは板を伏せる。


「私は、職業名だけであの子を殺せない」


「世界より、今日会った子供を選ぶのか」


「選ぶんじゃない。両方を守る方法を探す」


 六年前、カイルがしたのと同じ答えだった。


「見つからなかったら?」


「その時に、また考える」


「無責任だな」


「あなたに言われたくないわ」


 二人は少しだけ笑った。


 外で、火竜が鳴いた。


 続いて馬車の音が止まる。


 ハンナが戻ってきたのかと思った。


 窓から見ると、違う。


 町の宿屋の少年が、息を切らして立っている。


「カイルさん!」


 少年は手紙を差し出した。


「ハンナさんの家の前に、白い服の人が来ています。ノアちゃんのことを聞いて回ってる!」


 セラとカイルは同時に立った。


「教会か」


「神託を受けたと言ってた!」


 カイルは鑑定板をつかむ。


「ノアを迎えに行く」


「私も行く」


 セラは剣を取った。


 この夜、彼女は調査員ではなく、ノアを守る側へ立つと決めた。


 教会の者は、ハンナの家へ踏み込む前に姿を消した。


 偵察だけだったらしい。


 ノアは何も知らず、孫たちと枕投げをしていた。


 部屋の中では枕が破れ、羽毛が雪のように舞っている。


「家を壊さない程度と言っただろ」


「壊れてないよ」


「枕が三つ死んでる」


「枕は生きてない」


「そういう問題じゃない」


 カイルはノアを抱き上げた。


「帰るぞ」


「まだ遊ぶ」


「明日だ」


「約束?」


 教会の偵察が来た以上、明日も同じ暮らしができる保証はない。


 それでもカイルは頷いた。


「約束する」


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