第十一話 友達
「戻るぞ」
カイルは迷わなかった。
商隊の馬を一頭借り、ノアとポポを乗せる。セラとレオニスもそれぞれ馬へ飛び乗った。
「私は走るぞ」
エルドが荷車から降りる。
「置いていく」
カイルは答えた。
「年寄りを置き去りにする気か!」
「商隊と北へ行け。災害級魔獣の前へ連れていくほうが問題だ」
「わしは世界最終敵の専門家じゃぞ!」
「地竜の治療はできるか?」
「できん」
「なら、後で合流する」
エルドは不満そうだったが、隊商長が腕をつかんだ。
「先生、薬の選別を手伝ってください」
「仕方ない。死ぬなよ!」
老人の声を背に、四人は来た道を戻った。
馬は疲れている。
リーネまで半日はかかる。
「ポポ、大きくなれるか?」
カイルが尋ねる。
ノアの膝にいたポポは、耳を伏せた。
「昨日、大きくなったから疲れてるって」
「無理はさせない」
カイルは馬の首筋を撫で、《養育》で状態を見る。
【状態:疲労/軽度の脱水】
【必要:休息】
急がせれば潰れる。
それでも街では、今この瞬間にも誰かが襲われている。
ノアが馬のたてがみへ触れた。
「ごめんね。もう少しだけお願い」
馬の呼吸が少し整う。
《養育》の表示が変わった。
【状態:疲労/強い意欲】
強制ではない。
ノアの焦りを感じ、自分から走ろうとしている。
「飛ばすぞ。限界が来たら、すぐ止める」
カイルが手綱を引いた。
夕方、リーネを囲む丘へ着いた。
街の北側が燃えている。
城壁の一部は崩れ、湖岸では巨大な地竜が暴れていた。四本の脚で建物を踏み砕き、頭を振るたび、背中の岩殻が飛ぶ。
兵士たちは弩を撃っている。
矢は厚い鱗に弾かれた。
地竜が吠える。
音だけで屋根瓦が割れ、兵士が地面へ倒れた。
「ミナ」
ノアが馬から下りようとする。
カイルは腕をつかんだ。
「先に状況を見る」
「でも!」
「急ぐ時ほど、見るんだ。どこが危ない。何が必要だ。分からず飛び込めば、助けられるものも助けられない」
ノアは唇を噛み、街を見た。
カイルも観察する。
地竜は建物を無差別に壊しているように見える。
だが、進む方向が一定していた。
湖へ向かっている。
水を求めている。
「喉だ」
カイルは地竜が開いた口を見る。
舌が黒ずみ、息に青い火花が混じっている。
「地下水の魔力が腐ったんだ。飲んだ水で喉が焼けてる」
「治せる?」
セラが尋ねる。
「薬があれば。養育所に、竜用の浄化薬がある」
「遠すぎる」
レオニスが言う。
「街の薬師に材料があれば作れる。銀苔、月桂樹の樹液、冷水茸だ」
「私が捜すわ」
セラは南門へ走った。
レオニスが剣を抜く。
「私は地竜を湖岸へ誘導する」
「攻撃するな。痛みが増えれば、もっと暴れる」
「分かっている」
カイルはノアを見る。
「お前は避難を手伝え。《魔物支配》で馬や家畜を落ち着かせる。人間には、言葉で頼め」
「地竜は?」
「俺が診る」
「危ないよ」
「だから、お前は皆を助けろ」
ノアは迷い、頷いた。
四人は役目を分けた。
レオニスが崩れた門を越え、地竜の前へ出る。
「こちらだ!」
剣の腹で盾を叩き、音を鳴らす。
地竜が振り向いた。
尾が建物へ当たり、壁が崩れる。
レオニスは住民のいない湖岸へ走った。
ノアは広場へ入る。
荷馬車が横倒しになり、馬が暴れていた。
「落ち着いて」
《魔物支配》が広がる。
馬たちは止まった。
ノアはすぐ能力を解く。
「怖いけど、走れる?」
馬の一頭が鼻を鳴らす。
「怪我した人を門まで運んで。お願い」
馬は自分から荷車へつながれた。
住民たちは猫耳の外套を着た少女を不思議そうに見る。
「動ける人は、動けない人を手伝って!」
ノアの声が広場へ響く。
「北門は壊れてるから、南へ行って!」
子供の指示だ。
それでも、迷っていた人々が動き始める。
カイルは地竜へ近づいた。
レオニスが注意を引いている間に、横から口元を見る。
鱗の間にも青い光が走っていた。
魔力中毒は全身へ広がっている。
地竜の前脚が上がる。
「カイル!」
レオニスが叫んだ。
カイルは腹の下へ転がる。
足が地面を踏み砕いた。
体の下は安全ではない。
だが、巨体は急に向きを変えられない。
カイルは鱗の隙間へ治療用の印を描いた。
《養育》の対象として接続する。
【養育対象:大地竜】
【状態:重度の魔力中毒/喉部損傷/錯乱】
【感情:苦痛/渇き/帰巣願望】
「やっぱり、故郷へ帰りたいだけか」
地竜の故郷は湖の底だ。
そこへ戻ろうとして街を横切っている。
セラが薬袋を抱えて戻った。
「材料はそろった!」
「薬師の工房へ行け。銀苔二、樹液一、茸三。火にかけるな。混ぜるだけだ!」
「分かった!」
問題は、完成した薬を地竜へ飲ませる方法だった。
錯乱した巨体の口へ近づく必要がある。
ノアなら、力で止められる。
だが経験値が入る。
迷っている場合ではない。
カイルは広場へ走り、ノアを捜した。
彼女は崩れた家から子供を運び出している。
「ノア! 地竜を止められるか!」
「やってみる!」
二人は湖岸へ戻った。
セラも薬を持って合流する。
「三十秒でいい。口を開けたまま止めろ」
カイルが指示する。
ノアは地竜の前へ立った。
「痛いの、治すから。少しだけ我慢して」
地竜が吠える。
ノアの髪が風で後ろへ流れた。
彼女は両手を上げる。
地面から蔓が伸び、地竜の四肢へ巻きつく。
《魔物支配》も同時に使う。
「止まって!」
巨体が止まった。
ただし頭は激しく振っている。
「レオニス、右の角! セラは左!」
カイルが叫ぶ。
二人が角へ縄をかけ、別方向へ引いた。
ノアが下顎を持ち上げる。
六歳の腕で、家より大きな地竜の口が開いた。
「入れるぞ!」
カイルは薬瓶を喉へ投げ込んだ。
ノアが顎を閉じる。
地竜は薬を飲み込んだ。
一秒。
二秒。
青い光が鱗の下を走る。
大地竜が苦しげに吠え、蔓を引きちぎった。
「効いてない?」
ノアの顔が強張る。
「待て!」
カイルは地竜の目を見る。
濁っていた瞳が、少しずつ澄んでいく。
青い火花も消えた。
地竜は腹を地面へつけ、大きく息を吐く。
暴走が止まった。
街の者たちから歓声が上がる。
ノアは地竜の鼻へ抱きついた。
「よかった」
地竜は目を閉じ、喉を鳴らした。
【災害級魔獣を鎮静しました】
【都市リーネを救助しました】
【経験値を取得しました】
【Lv24 → Lv29】
「五つも上がった……」
カイルは頭を抱えた。
「まだ二十九よ」
セラが励ます。
「次が三十なんだ」
地竜は湖へ帰った。
夕暮れの水面へ、大きな背中が沈んでいく。
街は助かった。
皆がそう思った。
ノアはミナを捜していた。
布屋は北区にある。
被害が最も大きい場所だった。
店は半分崩れている。
「ミナ!」
ノアが瓦礫を越えた。
ミナの母親が、壊れた柱の前で泣いている。
「ノアちゃん……」
「ミナは?」
母親は答えられなかった。
瓦礫の下から、赤い靴が見えた。
市場でミナが履いていたものだ。
ノアは石をどけ始めた。
「手伝って!」
カイルたちも加わる。
大きな梁をレオニスとセラが持ち上げ、カイルが隙間へ潜る。
ミナは、母親をかばうように倒れていた。
胸へ瓦礫が当たっている。
カイルは首へ指を当てた。
脈はない。
呼吸もない。
体は、もう冷え始めていた。
「治して」
ノアが言う。
「お父さん、地竜も治したでしょ」
カイルは治癒薬を使った。
傷口はふさがる。
ミナは目を開けない。
胸を押し、息を吹き込む。
何度繰り返しても、戻らなかった。
「どうして起きないの?」
「ノア」
「海へ行くって約束したよ」
カイルは手を止めた。
嘘はつけない。
「間に合わなかった」
ノアは意味が分からない顔をした。
「何に?」
「助けるのに」
「でも、私、強くなったよ」
空には、まだLv29の表示が残っている。
「強くなったら、助けられるんじゃないの?」
カイルは答えられなかった。
ノアはミナの手を握った。
「あと一つ上がったら?」
「分からない」
「三十になったら、助けられる?」
「分からない」
「じゃあ、やってみる」
ノアは立ち上がった。
「何をする気だ」
「強くなる」
「待て。目的もなく経験値を得る方法なんて――」
街の北から、悲鳴が聞こえた。
地竜が壊した墓地から、死霊があふれている。
地下水の腐敗は、埋葬された者たちにも届いていた。
ノアは声の方角へ走った。
「ノア!」
カイルも追う。
少女は初めて、父の制止を聞かなかった。




