第18話「私はまた剣を持つ」
ベルンの胸に、矢が刺さっている。
「ベルン、大丈夫⁉」
何が起きたの?これは、何?この矢はどこから―――?
「ベルン!」
叫んだ瞬間、視界が揺れた。
ベルンは苦しそうに膝から崩れ落ちた。
まだ薄暗くて、周りは良く見えない。どうしたらいいの?
手が震える。
ベルンが警戒していた密偵、まさか…。
「ま、守って…、あ、げ……」
ベルンが何か言おうとするけど、顔色が紫色になって息が荒くなる。
「これは…毒矢?」
そうだ、エミのお母さまなら、薬師なら、何とかしてくれるかもしれない!
「おばさま!おばさま!」
お願い、来て。できるだけ大きな声で叫んだ。
「待ってて、おば様を呼んでくるから、すぐに―――」
待ちきれずに急いで家の中に入ろうと立ち上がったとき、ベルンに右手をつかまれる。
「エミ、を、守って…」
ベルンは、苦しそうに声を絞り出していた。
ベルンの顔色は紫を通り越してみるみるうちに赤黒くなっている。
信じられない。さっきまでは普通に話していたのに?
涙が溢れて前が見えなくなる。強くつかまれた右手は振りほどけない。
「どうしたらいいの…」
手をつかまれたまま、その場にしゃがみ込んだ。
ベルンの息は、荒く、速くなっている。
そうだ、ベルンの矢を引き抜いて―――
―――ぐいっ
矢に手を触れようとしたとき、急に強い力で肩を引き寄せられ抱きかかえられた。
見上げると、おばさまが険しい顔であたりを見まわしている。
「おばさま、助けてください。急にベルンの胸に…矢が」
おばさまは、私を見つめ、そしてゆっくりと首を横に振った。
(どうして……?)
涙がこぼれ落ちた。
ベルンに握られていた手が、急にほどける。
―――どさっ
次の瞬間、ベルンは地面に倒れ込んだ。
呼吸の音が、もう聞こえない気がした。
そして―――
「ベルン!!」
叫んだと同時に、おばさまが私の腕を強く引いた。
――ヒュン
その瞬間、風を裂く音とともに地面に矢が刺さった。
おばさまが躊躇せずに私の手を強く引き、家の中へ転がり込むように入る。
その間にも何本もの矢が二人を襲った。
扉が閉まり、鍵がかかる音がする。
窓も一つずつ閉められていく。
私はただ、震えていた。
涙が止まらない。
(ベルンは……死んだの?)
目の前で起きたこの悲しい出来事が、まだ飲み込めない。
ベルンが言っていた密偵が矢を放ったのだろうか。ベルンは密偵を警戒していたのに。私が”支援者”について聞いたからベルンは殺されたの?だとしたら、ベルンが死んだのは不注意な自分のせいだ。
また涙が溢れてくる。
『エミ、を、守って…』
この言葉だけが何度も繰り返される。
そうだ、エミ。エミは大丈夫なのだろうか。
おばさまが戻って来た。
私が雪崩に合ったときに着ていた服と剣を持って。
「これは…」
ここへ来てからはずっとエミの服を借りていた。
しかし今、この服を持ってきたということは。
この服に着替えろということだろうか。
そして、ここを出ていくときだということだろうか。
服を受け取る。おばさまは、優しくほほえみ、そして頷いた。
次に剣を受け取る。
これがここにあるなんて。
雪の中で失くしたものと思っていた。
大切に、レオニスたちに見つからないように、隠してくれていたのだろうか。
初めから、全て分かっていたのだろうか。
「おばさま、ご存じだったのですね。きっと、エミも」
問いかけると、おばさまは悲しそうに笑った。
その時、大きな爆発音が遠くの方から聞こえた。
――――ドオォォォン
――――――ドォン
それは、村が攻撃を受け始めた合図だった。
「……っ」
胸が跳ねる。
(この音……)
ヴァレリアの城壁が壊れたときと同じ。
あの時の恐怖がよみがえる。
あの時は、傍にルシアンがいてくれた。
いまは、一人だ。
それでも、私は自分の力で立ち向かう。
ベルンが遺した言葉を、守るために。
「私は……エミを探してきます」
気づいたら、そう言っていた。
おばさまはすぐに首を振り、口が動く。
(に、げ、な、さ、い)
「逃げる……いいえ、そんなことはできません」
その瞬間、頭の奥に声がよみがえる。
――『お嬢、剣を持て』
すべてを失ったと思って、立ち上がれなかったあの日、ガレス先生がくれた言葉。
(はい……先生。私はまた、剣を持ちます)
剣を握る右手に力がこもる。冷たいはずの鉄が、なぜか少しだけ温かい。
まだ右足首の痛みは少しあるので、エミの調合した痛み止めを急いで飲む。
(苦い…)
でも、この薬のおかげで痛みを忘れて戦える。
(私の踏み込み足のは左だもの。ルシアンは右だけどね)
懐かしい顔を思い浮かべて、少し勇気をもらった。
「今、この命があるのはあなた方のおかげです」
こんな優しい薬師の母娘を見捨てて、自分だけ逃げるなんてできない。
おばさまは困ったような笑顔を浮かべているけれど。
―――ドオォォォン
爆発音が今度は近くで聞こえる。
窓の外を見ると、あちこちから煙が見える。
急がないと…!
おばさまは震える手で紙に文字を書いた。
『廃坑道を東へ向かって。公国へ出られる』
廃坑道……?思わず文字を見返す。
エミが……そんな話をしていた気がする。グランベル鉱山の古い道があると。それのことだろうか?
「それは……どこにあるのですか?」
おばさまは、家の裏手にある雪山を指差した。それはエミが薬草を採りに行った方角だ。
「エミを探してそちらへ向かいます。おばさまもそこへ向かってください。必ず、またお会いしましょう」
そう言って家を飛び出した。
雪で白く沈んだ世界のあちこちに、黒い煙だけが点々と噴き上がっているのが見えた。




