第9話「変わりゆく二人の関係」
レティシアは14歳になった。
以前のドレスが少し窮屈になった。
思春期に入り背が伸び身体は大人に向かっていた。特にドレスを着た時に胸の圧迫感を感じるようになっていた。
レティシアは、もう落ち着きのない子どもではなかった。
授業中にそわそわしたり、窓の外ばかり眺めたり、物思いにふけることはなくなった。
(アルフォンス殿下に皇太子妃として選ばれるためには、わたしはもっと完璧にならなければならない)
アルフォンスへのあこがれが、レテシィアの心の底にあった。
それが厳しい皇太子妃教育へと向かわせていた。
「随分と淑女らしくなったと聞いておりますよ、母はうれしく思います」
「私は信じていたぞ。レテシィアは年頃になれば立派な淑女となることを。」
両親も安心し、とくに父ヴィクトルは安堵していた。
皇太子妃候補、すなわち皇后候補としての教育は、さらにすすめられていた。
ー食事マナー、ダンス、お茶会などの礼儀作法では
「食事の所作が美しく、どんな食べ物もレティシア様が召し上がればご馳走に見えてしまいます」
「レティシア様が舞踏会でダンスを踊れば、殿方はもちろん、ご令嬢の方々もそのダンスのふるまいの美しさにくぎ付けとなるでしょう」
「もう、お茶会にどの様な方をお招きしても心配ないレベルでございます。マナーはもちろん、招待状の作り方、会場の飾りつけ、お客様の出迎えも素晴らしいです」
ー貴族家系・外交・帝国法・政治学などの学問では
「意見交換においても、ご自身の意見をしっかりと述べられ、学問分野の理解の深さを感じます」
「兄のアレクシス様との共同研究は、すぐに学術大会で発表できるレベルにございます」
レテシィアの教育にかかわった講師や教授だちからも絶賛されていた。
さらに社交界デビューに向けて、貴族の力関係を知ることや、会話練習、感情を表情に出さない訓練が強化された。
「どの家門とどの家門が友好関係か。どこにどういった政治的な敵対関係があるのか。そこに至るまでの経緯なども知っておく必要がございます」
「分かったわベアトリス先生。すべて教えて」
そして今後は最も重要となる、民の生活理解、市民の生活を知ること、民への振る舞いが学ぶべき課題となっていた。
(机上の学習や貴族相手の礼儀作法とはまた別物よね、それをしっかり理解しなきゃ)
アルフォンスとは、最後のお茶会の日から個別に会えることはなかった。
(会いたい…、アルフォンス殿下。また二人でお話ししたい。あの笑顔を見たい…)
最後のお茶会から何度か手紙を送って、アルフォンスからも返事が届いていたが、いつの間にかアルフォンスからの返事が来なくなっていた。
代わりにアルフォンスの執事グレイスンから、皇太子教育がさらに多忙を極めたため、返事をする暇もないことを理解してほしいという知らせがあった。
(殿下も皇太子教育でお忙しいのだわ。私もがんばらなくては)
レテシィアは寂しかったが、理解することにした。
アルフォンスは、ヴァレンティーヌ公爵家の後継者である兄のアレクシスと、政治学や経済学で学びをともにしていた。
「レティシア様、明日はアレクシス様をたずねて、アルフォンス殿下がお忍びでいらっしゃいます」
侍女マリアの情報はいつも正確で抜けがなかった。
お互い気が合うため、アルフォンスがアレクシスを訪ねてヴァレンティーヌ公爵家に遊びに来ることがあった。
「お願いマリア、今日はもう少し大人ぽく見えるように、髪はアップスタイルにしてね。リボンはやめて、サファイアの髪留めにしてね」
アルフォンスがやって来ると、レティシアは胸のときめきをおさえながら、兄の応接室をたずねた。
「久しぶりだねレテシィア。手紙の返事をかけなくてごめんよ」
「ははは、来ると思っていたよレテシィア。殿下、妹の訪問をお許しください」
アレクシスはレティシアに甘く、レテシィアの訪問をいつも歓迎していた。
このためアルフォンスの訪問を、わざとマリアの耳に入るようにしていた。
「殿下はお忙しいんだ、理解をするんだよ。今日も領地経営の課題のことで相談に来てくれたんだ。すぐにおいとまするんだぞ」
アレクシスはわざとお手洗いに行くふりをして部屋を退室し、二人きりにしてくれていた。
しかし、レティシアがアルフォンスに会えるのはそれくらいであり、もう二人でゆっくり話す機会などなかった。
アルフォンスの声が大人の声になって、会うたびに背が高くなっていた。
レテシィアの好きなアイスグレーの瞳は、あいかわらず優しく笑いかけてくれていた。
でも以前とはなにか違っていた。
(なんだか…少しよそよそしい感じがするわ)
レテシィアは伸びていくアルフォンスの身長とともに、二人の距離が離れていくような寂しい気持になっていた。
レテシィアは侍女マリアの協力のもと、ガレス元騎士団長によるルシアンとの秘密の剣術稽古を続けていた。
マリアはレテシィアの手に豆ができたときはハンドトリートメントで素早くケアをしてくれた。
指に剣だこができたときは、
「お嬢様は勉学にあまりに熱心で、ペンだこができてしまいました」
というマリアの報告により、教育係ベアトリスの目をかいくぐることができた。
「あーっ!くそ、俺の負けかー」
ルシアンは剣を置き、くさむらの上にふてくされるように寝そべった。
仰向けになり夜空を仰ぐルシアンの目に、汗だくになって息を切らしながら、のぞき込むレテシィアの笑顔があった。
「右足の踏み込みがわずかにズレてるのよ」
ルシアンは星空を背に、息を切らして笑うレテシィアを見上げながら思った。
(可愛すぎるんだよ…)
レティシアの笑顔に見惚れ、しばし固まった。
「それがなかったら私が負けてたわ。ね、先生!」
レテシィアは後ろを振り向いた。
「いつまで寝そべったままだ。早くおきろ」
ガレスはあいかわらずぶっきらぼうだった。
ルシアンは顔を隠すように腕を額へ乗せた。
【主要登場人物です】
■ レティシア・ヴァレンティーヌ
この物語の主人公。絹糸のような淡い銀髪で紫水晶を思わせる大きな瞳をもつ
公爵令嬢。未来の皇后候補として厳しく育てられ全てに秀でた“完璧令嬢”として
知られていた。
■ アルフォンス・ルーヴェル
ルーヴェル帝国の第一皇子で、次代の皇帝として期待される存在。
金髪でアイスグレーの瞳をもつ端正な顔立ちをしている。
■ ルシアン・エヴラール
隣国であり友好国であるラヴィエール公国の小公爵。レティシアの幼なじみ。
軽薄そうで何を考えているかわからない。黒髪の危険な色気があり女性からもてる。
レティシアの本性を知る数少ない人物。
【ルーヴェル帝国 関係者】
■クラウディウス皇帝
ルーヴェル帝国を長年統治している偉大な皇帝。
理性的で威厳があり、民から敬愛されている。
【 ヴァレンティーヌ公爵家】
帝国屈指の名門公爵家であり、代々皇室騎士を輩出している武門の家系でもある。
■ ヴィクトル・ヴァレンティーヌ
ヴァレンティーヌ公爵家当主。厳格で威厳ある人物で皇室からの信頼も厚い。
■ セラフィーナ・ヴァレンティーヌ
ヴィクトルの妻であり知性と品格にあふれる公爵夫人。
■ アレクシス・ヴァレンティーヌ
3歳年上のレティシアのでヴァレンティーヌ家の後継者。聡明で冷静。
■ ノエル・ヴァレンティーヌ
1歳年下のレティシアの弟。剣術好きで明るい性格。
■ベアトリス・ローエン
レティシアの教育係。
帝国最高の淑女を育て上げることに強い誇りを持っている。
■ガレス・オルディン
かつて帝国騎士団を率いていた元騎士団長。
熊のように大柄な体格と、頬に走る古傷のせいで恐れられることも多いが、その剣技は
帝国内でも伝説的と語られている。




