第2部 最終話「うごく者、とどまる者」
秋の終わりを告げる冷たい風が吹く、ある早朝。
―――ヴァレンティーヌ公爵家の正門前。
数台の馬車が止まっている。
レティシアは旅装に身を包み、家族に別れを告げている。
ヴィクトルは静かに娘を見つめる。吐く息が白く色づく。
(皇太子妃候補として育てるため、厳しく躾て来た娘)
……その娘が、今は自らの意志で道を選ぼうとしている。
「…本当に行くのだな」
「はい」
レティシアはヴィクトルの目を見つめ返し、迷いなく頷いた。
ヴィクトルはしばらく黙り込み、やがて言う。
「お前は小さい頃から好奇心が旺盛だったな」
ヴィクトルは隣にいる妻のセラフィーナに同意を求めるように、にやりと笑う。
「そうですわ、貴方はおてんばで。私たちはいつも将来を案じていましたよ」
セラフィーナはレティシアを優しい目で見つめ、そっと抱きしめる。
(お母さま……)
「結局、誰も止められませんでしたわね。ええ、まったく無駄な労力でした」
じろりとヴィクトルとアレクシスをにらむセラフィーナ。
レティシアがふふふ、と笑う。
「可愛い子には旅をさせよという言い伝えがあってな…」
天下のヴィクトル閣下が、妻には頭が上がらないようだ。
当たり前だった家族の時間。
それを離れるのだと思うと、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「ありがとうございます。行ってまいります。」
両親にはっきりとした声で挨拶をした。両親は寂しそうに頷いていた。
兄のアレクシスを見る。
「無茶だけはするな」
アレクシスもさすがに寂しそうに見える。
「お兄様も」
わざといたずらそうにおどけて見せる。
「何だ?」
「ちゃんとお休みになってくださいね」
「それは難しい相談だな」
兄妹は少しだけ笑った。ほほえましく見つめる両親。
…そこへノエルが慌てて走ってくる。後ろからガレスがゆっくりと歩いてくる。
「待って待って待って!」
「僕、さっき聞いたんだけど!?」
全員がノエルを見る。
「姉上がガレス殿の弟子だって!?しかも八歳から!?」
「僕だけ知らなかったの!?ねぇ!」
ガレスは腕を組んだまま答える。
「お前が勝手に気づかんだのだ」
「師匠まで!」
全員が大笑いする。緊張が少しだけ解ける。
そこへマリアが大きな荷物を抱えて走ってくる。
「お嬢様!お待たせしました!」
「マリア?」
「もちろんお供いたします!」
セラフィーナが目配せする。レティシアは目を丸くし、そして笑う。
「ありがとう」
そして馬車が動き出す。
窓から見える家族の姿が少しずつ遠ざかっていく。
レティシアはそっと呟いた。
「行ってきます」
―――皇宮。
「レティシア嬢が?」
グレイスンの報告にアルフォンスが顔を上げた。
「はい。本日、ヴァレリア辺境領へ向かわれるそうです」
一瞬だけ思考が止まる。
(ヴァレリア辺境領…遠い土地)
銀花祭の記憶がふいによぎる。
焼きとうもろこしにかじりつくレティシアの笑顔が急に浮かぶ―――
次々に浮かんできそうな”それら”を振り払うように、
「そうか」
とだけ言った。その語尾は強く、グレイスンは少し眉を上げた。
(関係ない――私は正しい判断をした)
しかし胸の奥に残る違和感だけは消えなかった。
―――宰相府
「今日の出発か」
宰相のエドモンが眉をひそめ、小声で確認する。
「はい、皇命によりヴァレリア辺境領へ、本日、人員を派遣した模様です」
息子のセドリックが銀縁の眼鏡を神経質そうにかき上げた。
沈黙。
――小規模武装集団。
――密輸。
―――資金の流れ。
「予定より早いな」
エドモンの顔が曇る。すかさず、セドリックが言う。
「問題ありません」
しかしその声には微かな焦りが混じっていた。
―――セレスティア伯爵家
窓辺に立つルシアンは今日も外を見ていた。
伯爵夫人が静かに入室する。
「ルシアン」
ルシアンは振り向かずに答える。
「はい、奥様」
「今日、レティシア嬢がヴァレリア辺境領へ旅立たれたそうです」
ルシアンの返事はない。吹き抜ける晩秋の風がカーテンを揺らす。
部屋を出ようとした夫人は、なにか空気が違うことに気付いた。
そしてもう一度ルシアンの方を向いた。
そして息を呑む。
カーテンが舞い上がり、その間からルシアンがこちらを向いている。
伸びきっていたはずの髪は短く、そして端整な顔を隠していた髭が、綺麗に剃られていた。
ヴァレリア辺境領にて――
それぞれが失ったものの先で、新たな道が交わろうとしていた。




