第27話「レティシアの現実」
―――昨日。
私は皇后候補だった“はず”の人から、ただの公爵令嬢に戻った。
それは夢から醒めても、同じ現実だった。
朝が来て夜が来てまた眠り、そしてまた夢を見る。
夢の中では殿下に手を引かれてダンスを踊る。
笑顔のふたり。
優しいアイスグレーの眼差し。
───そしてまた、目が覚める。現実が押し寄せる。
(夢の中にいたい。ずっと...)
鼻の奥がツンと痛くなる。しかし不思議と涙は出ない。
そんな朝を数日間、繰り返している。
しかしルシアンのことで寝込んでいた時と違って、不思議と身体は動いた。
食事も食べられていた。
部屋の外へも出ていくこともあった。
誰かと話もするし、時々、笑いもした。
───ただ、心はからっぽだった。
公爵邸の正門前。
「奥様、長らくお世話になりました」
長年、公爵邸でレティシアの教育係を担っていたベアトリスが解任となった。
「ずいぶんと長い間、お世話になりました。先生とお別れするのは本当に残念でなりません」
母のセラフィーナとともにベアトリスの見送りに来ていた。
「本当に、お世話になりました」
最大限の敬意を込めて、恩師に礼をする。
ベアトリスはレティシアを見つめる。
しばし見つめ合ったあと、そっと抱きしめる。
彼女は泣いていた。
「貴方様は…本来ならば、この様な形で婚約者候補から外れるような方ではございません」
後ろでマリアが鼻をすする音が聞こえる。
「もったいないお言葉です」
そう答える声は、どこか静かだった。
そして、ベアトリスは馬車に乗り込み、公爵邸を去っていった。
(先生には多くのことを教えて頂いたわ)
幼い日の思い出が込み上げる。
寂しさに涙が出そうになる。
(こんな姿を見られたくないわ)
「お母様、私は少し散歩をしてから戻ります」
母にそう告げて、マリアを伴って中庭へ向かった。
中庭を吹く風にすっかり秋の気配を感じた。
(不思議。泣くかと思ったけど、意外と泣かないものね)
涙がどんな時に出るかわからなくなっていた。
中庭を過ぎると、自然と足が東へ向かっていた。
東の中庭には古い離れがある。
そこは、かつてルシアンとともにガレスの剣術の稽古を受けていた場所だ。
(懐かしいわ…ちっとも変わってない)
東の中庭の奥、ガレスの住む離れがある場所は公爵邸の中でもさほど手入れがされておらず、あいかわらず無骨な雰囲気が漂っている。
(三年ぶりかしら)
―――ガチャ
小屋の方を見つめていると、中からガレスが出てきた。
「なんだ、お嬢か」
ガレスはぶっきらぼうに言った。
後ろでマリアが「あっ!お師匠様」と驚いていた。
ガレスを見た瞬間、色んな思いが込み上げる。
皇后教育のために剣を置いた日───
武闘会に出た日───
ルシアンと共に剣を振った日々───
そして、初めて剣を握った日───
「お嬢。立派になったな」
ガレスはそう言って背を向けた。
その瞬間、レティシアは走り、ガレスの背中に抱きついていた。
そして、泣いていた。
ガレスは何も言わない。
慰めることも、励ますこともない。
ただ一言だけ、低く言った。
「お嬢、剣を持て」
【主要登場人物です】
■ レティシア・ヴァレンティーヌ
この物語の主人公。絹糸のような淡い銀髪で紫水晶を思わせる大きな瞳をもつ
公爵令嬢。未来の皇后候補として厳しく育てられ全てに秀でた“完璧令嬢”として
知られていた。
■ アルフォンス・ルーヴェル
ルーヴェル帝国の第一皇子で、次代の皇帝として期待される存在。
金髪でアイスグレーの瞳をもつ端正な顔立ちをしている。
■ ルシアン・エヴラール
隣国であり友好国であるラヴィエール公国の小公爵。レティシアの幼なじみ。
軽薄そうで何を考えているかわからない。黒髪の危険な色気があり女性からもてる。
レティシアの本性を知る数少ない人物。
■ベアトリス・ローエン
レティシアの教育係。
帝国最高の淑女を育て上げることに強い誇りを持っている。
■ガレス・オルディン
かつて帝国騎士団を率いていた元騎士団長。
熊のように大柄な体格と、頬に走る古傷のせいで恐れられることも多いが、その剣技は
帝国内でも伝説的と語られている。




