第26話「兄の静かな抗議」
会議室の扉が閉まった瞬間──空気が少しだけ軽くなるのを感じた。
「殿下」
後ろから声をかけたのはアレクシスだった。
静かな声。
「ひとつだけ、よろしいでしょうか」
アルフォンスが振り返る。
アレクシスの表情はいつもと同じ──ようには見えるが。
「先ほどのご判断ですが」
一拍置いて、淡々と続けるアレクシス。
「随分と……早く結論をお出しになりましたね」
アレクシスの視線にわずかな鋭さが宿る。
彼の表情は穏やかなまま変わらない。
─さらに言葉を重ねる。
「婚約というのは、国家の中でも特に重い部類の取り決めです」
「それを、“状況を理解していなかった”という一点で切り捨てるのは……正直、軽い判断に見えます」
一歩、距離を詰め寄られる。
その場の空気がわずかに張り詰める。
「殿下は、あの場をご覧になっていない」
「見えているものだけで、人の資質を断じるのは……少々危ういかと存じます」
そこで、ほんの少しだけ間を置き──低く言う。
「それとも」
「すでに別の理由を、別のところでお持ちだったのでしょうか」
空気が止まる。
後ろに控える護衛の気配が一瞬だけ緊張する。
アレクシスはそこで初めて視線を逸らした。
「……失礼いたしました」
歩き去ろうとしながら、最後に一言だけ落とす。
「妹は、政治のための駒としては優秀すぎるくらいですよ、アル」
一拍。
「その点だけは……どうかお忘れなく」
そしてそのまま、静かに一礼して去る。
アレクシスが去っていった廊下に、アルフォンスは立ち尽くしていた。
銀花祭の光景が頭によぎる。
とうもろこしにかじりつくレティシアの笑顔。
──ざらり
黙り込むレティシア。「承知しました」と言う。
──ざらり
『状況を理解していなかったという一点で切り捨てるのは』『軽い判断に見えます』
──ざらり
ルシアンとダンスを踊るレティシアの横顔。
──ざらり
(いや、正しい)
「判断に誤りはない」
そう言葉にする。
だが胸の奥に残るこのざらつきは──
“正しい判断をしたはずなのに、何かを取りこぼした感覚”ではないのか。
(いや)
(正しいと思うことを優先すべきだ)
アルフォンスは歩き出す。
その足取りは、わずかに重い。
(私は、この帝国の皇太子なのだから)
自分を信じるしか、生きるすべはない。




