第8話「動き出した社交界」
夢のようなひと時が終わった。
(あぁ、終わってしまった...名残惜しい...)
アルフォンスがレティシアのもとを離れると、会場には一瞬だけ、妙な静けさが落ちた。
そしてまたざわめきが戻る...。
「……今のは」
「最初にヴァレンティーヌ公爵令嬢を選ばれた……これは偶然ではないでしょうね」
「最初の一曲をヴァレンティーヌ家に?」
歓談でもない会話が飛び交った。
───皇太子がファーストダンスの相手に選んだ相手は、ヴァレンティーヌ公爵令嬢
その意味を貴族たちは都合よく解釈する。
婚約者候補の中でもっとも有力なのは彼女だと。
「お噂以上ですな、公爵令嬢」
「ぜひ我が娘とも親しくしていただきたい」
今度は貴族男性たちがレティシアを囲む。
皇太子が踊り終えた舞踏会場の中心は、そのままダンスの会場となり、何組かの男女が踊っている。
ふと少し離れたところからこちらを見ている一人の壮年の男性と目が合う。
黒に銀の差した髪。派手な装飾はない。
だが周囲の貴族たちが、どこか一歩距離を取っているように見えた。
(あの方は...?)
レティシアは軽く会釈をする。
「あの方は宰相閣下だよ」
貴族たちの合間からアレクシスが現れた。
「お兄さま!」
パッと笑顔になるレティシア。
初対面の貴族たちに囲まれていたレティシアが、兄の登場にほっとした。
「帝国で皇帝陛下の次に忙しい方さ」
「ではあの方がエドモン・フォン・エーレンベルク宰相閣下、ですか」
アレクシスが頷く。
(あの方が宰相閣下...)
宰相に挨拶へ行こうとした時、ひとりの貴族男性が声をかけた。
「初めまして、ヴァレンティーヌ嬢」
背は高いが、騎士のような威圧感はない。
しかし...
妙な緊張をもたせる印象があった。
(なにか探るような目つきの方ね...)
淡い亜麻色の髪をきちんと後ろへ流し、銀縁の眼鏡を掛けている。
「セドリック・フォン・エーレンベルクと申します」
(この名前...。宰相閣下のご嫡男だわ)
「初めまして。レティシア・ヴァレンティーヌと申します。セドリックさまは宰相閣下のご子息でいらっしゃいますね」
「ええ」
セドリックは小さく微笑んだ。
「父の七光りでございます」
冗談とも本気ともつかない口調だった。
「もっとも、その恩恵を受けられるうちは素直に受けておくべきだと考えておりますが」
(なんて素直で謙虚な方...)
レティシアは微笑んだ。
(うわあ...またいつもの調子だ)
その隣でアレクシスは渋い顔をして横を向く。
アレクシスの様子を見て片眉を上げるセドリック。
しかし気にせず、にこにこしながらレティシアへ右手をスッと出した。
「もし次の曲がまだ空いておられるなら、一曲お願いできますか」
レティシアはセドリックの手を取った。
セドリックのエスコートで再び舞踏会場の中心へ向かう。
「エーレンベルク家の嫡男だ」
「宰相閣下の……」
「これはまた」
ざわつく貴族たち。
二人は音楽に合わせて踊り始めた。
真面目そうな人柄そのままのステップ。
(宰相閣下のご嫡男...初めはどんな方かと思ったけど)
セドリックはあまり踊り慣れていないように感じた。
(少し、不思議な方だわ...)
「皇后陛下とは何をお話しになったのですか」
セドリックが目を合わさずにレティシアに聞く。
「緊張しているかと聞かれました」
レティシアはセドリックを見つめ、答える。
「それだけですか」
セドリックは横を向いたままだ。
「はい」
(本当にそれだけか……?)
「そうですか」
「はい...」
(この方、ちっとも目が合わないわ)
結局、ダンスが終わるまで一度も目を合わせないセドリックだった。
ダンスが終わりセドリックと別れたレティシアは、飲み物を頼んだ。
セドリックは父のエーレンベルクの元へ向かった。
「公爵令嬢は予想外でした」
「どういう意味だ」
「あまりにも真っ直ぐです」
「そうか...」
エーレンベルクはドリンクを飲んでいるレティシアを見た。
「少なくとも...、ロシュフォール嬢とは違うようだな」
舞踏会場の中央では、アルフォンスが婚約者候補のひとり、イザベルとダンスを踊ろうとしていた。
「次はモンフォール家のご令嬢を選ばれたわ」
「モンフォール嬢は相変わらずお美しい」
「モンフォール嬢が皇太子妃になれば社交界は安泰でしょうな」
レティシアは貴族たちのざわめきが聞こえ舞踏会場の中央を見る。
何組かの男女に交じって、優雅に踊るアルフォンスとイザベル。
おそろいの美しいブロンドヘアーの二人。
(......お似合いだわ)
そう思った瞬間、胸の奥がチクチクする。
アルフォンスには他にも婚約者候補がいる。
そんなことは最初から分かっていた。
分かっていたはずなのに。
なぜだろう。
先ほどまであんなに嬉しかったのに。
胸の奥に黒いものが沈んでいく。
イザベルの笑顔が眩しい。
アルフォンスも楽しそうに見える。
それを見ているのが、少しだけ苦しかった。
(......変ね)
自分でも理由が分からないまま、レティシアは視線を落とした。
そこへひとりの男が小さく声をかけた。
「久しぶりだね、レティ」
聞き覚えのある声だった。
レティシアの肩がぴくりと揺れる。
レティシアはゆっくりと振り返った。
【主要登場人物です】
■ レティシア・ヴァレンティーヌ
この物語の主人公。絹糸のような淡い銀髪で紫水晶を思わせる大きな瞳をもつ公爵令嬢。未来の皇后候補として厳しく育てられ全てに秀でた“完璧令嬢”として知られていた。
■ アルフォンス・ルーヴェル
ルーヴェル帝国の第一皇子で、次代の皇帝として期待される存在。金髪でアイスグレーの瞳をもつ端正な顔立ちをしている。
■ ルシアン・エヴラール
隣国であり友好国であるラヴィエール公国のエブラール公爵家嫡男。レティシアの幼なじみ。軽薄そうで何を考えているかわからない。黒髪の危険な色気があり女性からもてる。レティシアの本性を知る数少ない人物。
【ルーヴェル帝国 関係者】
■クラウディウス皇帝
ルーヴェル帝国を長年統治している偉大な皇帝。理性的で威厳があり、民から敬愛されている。
【 ヴァレンティーヌ公爵家】
広大な領地を持つ帝国屈指の超名門公爵家であり、代々皇室騎士を輩出している武門の家系でもある。
■ ヴィクトル・ヴァレンティーヌ
ヴァレンティーヌ公爵家当主。厳格で威厳ある人物で皇室からの信頼も厚い。
■ セラフィーナ・ヴァレンティーヌ
ヴィクトルの妻であり知性と品格にあふれる公爵夫人。
■ アレクシス・ヴァレンティーヌ
3歳年上のレティシアの兄。ヴァレンティーヌ家の後継者。聡明で冷静。
■ ノエル・ヴァレンティーヌ
1歳年下のレティシアの弟。剣術好きで明るい性格。
【アルフォンスの婚約者候補】
■イザベル・ド・モンフォール侯爵令嬢。
金髪碧眼の華やかな美人。社交界の華。
■カミーユ・ド・ラ・ロシュフォール公爵令嬢
黒髪で切れ長の瞳。知的で冷静で政務や外交に精通している。レティシアの最大のライバル候補。
■エレオノール・ド・ヴァレリア辺境伯令嬢
赤銅色の髪で背が高い。武門の名家出身。馬術や軍略にも詳しい。
【ラヴィエール公国】
■ アーネスト・エヴラール
エヴラール公爵家の嫡男でルシアンの弟。誠実で率直な性格。幼少期より兄の存在を家門内で禁忌として扱われ、兄のことは何も知らない。このため兄に対しては「確かめたい」という強い衝動を抱いている。




