第5話「社交界という名の戦場」
皇帝が玉座に就くと、貴族たちは次々と皇室への挨拶に向かった。
(いよいよご挨拶ね……)
レティシアは心の準備をする。
しかし父のヴィクトルは、動く様子もなくその場でワインを楽しんでいた。
(あら……?)
兄のアレクシスも慌てる様子はなく、皇室使用人に料理を頼んでいた。
レティシアが落ち着かない様子でいることに、アレクシスが気付いた。
「レティ、落ち着かないようだね」
「お兄様、ご挨拶に行かなくてよいのですか?公爵家はまず一番に皇室にご挨拶に伺うと習いました」
「うん、レティ、覚えておいて。ヴァレンティーヌ公爵家は特別なんだ」
皇室騎士を代々輩出し、皇帝からの信頼も厚い帝国屈指の名門。
「つまり、順番を争う家ではないということさ」
(なるほど。社交界のかけひきは机上の学習では学べないものなのね)
アレクシスはレティシアに、王座を見るよう促した。
ちょうど婚約者候補たちの家門が、皇室に挨拶するところだった。
「ロシュフォール家は宮廷政治で帝国を支えている」
―――カミーユは落ち着いた様子で皇帝と会話していた。
「モンフォール家は社交界に絶大な影響力を持つ」
―――イザベルは自然な笑顔で場を和ませている。
「ヴァレリア家は国境を守る武門の名家だ」
―――エレオノールは一歩も臆する様子がなかった。
食事を楽しむアレクシスとワインを楽しむ父の隣で、レティシアは他の婚約者候補を観察していた。
(みなさま、すごいわ……)
「そして我がヴァレンティーヌ家は、代々皇室に剣を捧げてきた」
アレクシスは優しく微笑んだ。
「父上は、呼ばれる時を知っているんだよ」
他の婚約者候補である令嬢たちの様子を見て、レティシアは衝撃を受けていた。
(婚約者候補というのは、ただ美しく立っていればいい訳ではないのね。)
皇帝、皇后、そして皇太子と会話し、印象を残し、己を知っていただく。
(ここは、社交界という名の戦場なのね)
レティシアが兄と話している時、アルフォンスはほんの一瞬だけレティシアを見た。
そして...わずかに目を細めた。
すぐに視線をそらす。
レティシアは、気が付かなかった。
しかし、ルシアンだけが、少し離れた場所にいたがアルフォンスのその視線に気がついていた。
ルシアンは、表情を変えないままグラスを持ち上げる。
(今のは……)
喉の奥で、言葉にならない感情が沈む。
グラスを持つ指先に、わずかな力が入っていた。
しばらくほかの貴族たちが挨拶をしたのち、ふと皇帝が大きな声で呼びかけた。
「やあヴィクトル、こちらへ!」
歓談を楽しんでいた貴族たちの声が一瞬だけ止んだ。
父とアレクシスは速やかに食器を皇室使用人へ渡した。
「行こうか、レティシア」
父と兄に続いて、皇室が座する王座へと続く階段を上ってゆく。
レティシアは緊張のあまり心臓が口から飛び出してきそうだった。
【主要登場人物です】
■ レティシア・ヴァレンティーヌ
この物語の主人公。絹糸のような淡い銀髪で紫水晶を思わせる大きな瞳をもつ公爵令嬢。未来の皇后候補として厳しく育てられ全てに秀でた“完璧令嬢”として知られていた。
■ アルフォンス・ルーヴェル
ルーヴェル帝国の第一皇子で、次代の皇帝として期待される存在。金髪でアイスグレーの瞳をもつ端正な顔立ちをしている。
■ ルシアン・エヴラール
隣国であり友好国であるラヴィエール公国の小公爵。レティシアの幼なじみ。軽薄そうで何を考えているかわからない。黒髪の危険な色気があり女性からもてる。レティシアの本性を知る数少ない人物。
【ルーヴェル帝国 関係者】
■クラウディウス皇帝
ルーヴェル帝国を長年統治している偉大な皇帝。理性的で威厳があり、民から敬愛されている。
【 ヴァレンティーヌ公爵家】
広大な領地を持つ帝国屈指の超名門公爵家であり、代々皇室騎士を輩出している武門の家系でもある。
■ ヴィクトル・ヴァレンティーヌ
ヴァレンティーヌ公爵家当主。厳格で威厳ある人物で皇室からの信頼も厚い。
■ セラフィーナ・ヴァレンティーヌ
ヴィクトルの妻であり知性と品格にあふれる公爵夫人。
■ アレクシス・ヴァレンティーヌ
3歳年上のレティシアの兄。ヴァレンティーヌ家の後継者。聡明で冷静。
■ ノエル・ヴァレンティーヌ
1歳年下のレティシアの弟。剣術好きで明るい性格。
【アルフォンスの婚約者候補】
■イザベル・ド・モンフォール侯爵令嬢。
金髪碧眼の華やかな美人。社交界の華。
■カミーユ・ド・ラ・ロシュフォール公爵令嬢
黒髪で切れ長の瞳。知的で冷静で政務や外交に精通している。レティシアの最大のライバル候補。
■エレオノール・ド・ヴァレリア辺境伯令嬢
赤銅色の髪で背が高い。武門の名家出身。馬術や軍略にも詳しい。




