第12話「恋の自覚」
ルシアンは、今日ほど“待つ時間が長く感じる日”を知らなかった。
帝都西区にあるプリュメ街は、皇宮西門にもヴィクトール家にも近い。
騎士団の街らしく、どこかで剣を打ち合う音が響いている。
今日、このプリュメ街で行われる銀花祭は、帝都に春の終わりを告げる祭りである。
広場の方からは、祭りの楽団の音色が微かに聞こえてきた。
「ルシアーン!お待たせー!」
噴水の向こうから、レティシアの姿が見えた。
白ブラウスにベスト、パンツスタイルに黒いブーツで走ってくるレティシアにルシアンは目が釘付けになった。
(......やば)
風に揺れるはずの長い髪は、今日はきちんと編み上げられている。
走るレティシアを見て、ルシアンはあることに気がついた。
(さらし...巻いてる)
ルシアンは自分でも理由の分からない敗北感を覚えた。
レティシアは笑顔で手を振りながらルシアンの前に飛び込んできた。
「どう?似合う?」
「おう……似合ってる」
声が少しだけ裏返った。
「でしょ!わたし、この格好とっても気に入ってるの」
満面の笑みである。
「マリア、ありがとう。ここからは大丈夫だから、予定通りあなたはガレス先生のお供をお願いね」
「ハアッ……お嬢様……」
遅れてマリアが息を切らしながら到着する。
「ハアハア、はい、お嬢様。ハアハア、十八時に、ここで待ち合わせ、と言うことで。」
少し遅れて走ってきたマリアは、息を切らせながら答えた。
「ハアハア......、では、ルシアン様。お嬢様を、ハアハア......お願いいたします」
そう言い残して、マリアは人混みへと消えていった。
街はすでに祭りの色に染まってたくさんの人が楽しそうに行き交っていた。
街の中心部には屋台や楽団も並び、 甘い焼き菓子と花を浮かべた淡い銀色の花酒の甘い匂いが漂っている。
「こうやって街へ来るのが初めてなのに、それがお祭りだなんて最高ね!」
レティシアは目を輝かせながら、あちこちを見回していた。
既にその両手は焼いたトウモロコシと、花蜜りんご飴で塞がっていた。
(お前が最高だよ……)
トウモロコシとりんご飴を交互に食べているレティシアを見ながら、ルシアンは得意気に説明する。
「ほら、あれが銀花だ」
通りの上には白銀の花飾りが吊るされている。
風に揺れるたび、かすかに光を返す。
「夜になると、月の光を反射するんだ。帝都で一番綺麗な景色になるって言われてる」
「へぇ……見てみたい」
レティシアは少しだけ目を細めた。
「でも、今日は夜までいられないのよね……残念」
月の光を反射しきらきら揺れる銀花を見られないことにがっかりした。
「銀花祭の夜に交わした約束は、“月が見届ける”と言われ、 恋の祭りとしても人気が高いって、侍女たちが教えてくれたの」
(殿下といつか、来られたら……)
レティシアはアルフォンスのことを思い、りんご飴を食べる手を止めた。
「アルフォンス皇子殿下のこと、考えてるだろ」
ルシアンそんなレティシアをからかった。
「なんで分かったの?」
(図星かよ……)
「殿下とはしばらく会えてないんだろ?それなのにどうしてそんなに思えるんだ?」
ルシアンはレティシアのりんご飴をさっと取り上げ、シャクとひとくち食べた。
レティシアはそれを気にもとめなかった。
「……」
ルシアンはりんご飴をレティシアの手に返し、“銀花焼き菓子”の屋台に向かいかけた。
「分からないけど。」
その後ろから、レティシアは言った。
「笑顔が眩しくて、まっすぐ見られないの。でも、ずっと見ていたいの」
銀花焼き菓子の屋台に向かう足が止まった。
「思い出すだけで胸がどきどきして」
レティシアの声がルシアンの胸に甘く刺さる。
「会える……と思うと胸が苦しくなったりするの」
(胸がどきどき......。胸が苦しく......?)
そっとルシアンは振り向いた。
レティシアは胸を押さえ顔を赤らめていた。
(それって……)
「なぁ、それって、心臓が早くなるやつか!?」
ルシアンは勢いよく振り返った。
そしえレティシアの肩を両手でつかんだ。
「そ、そうね、ものすごく早くなるわ」
ルシアンの勢いにレティシアは驚いた。
(まさか……)
ルシアンの脳裏に、浮かんだもの。
──それは、稽古試合でルシアンに負けて悔しがるレティシア。
──稽古帰りに月夜の下で汗ばんで紅潮する顔で笑うレティシア。
──嬉しそうな顔、悲しそうな顔……そして目の前にいる街娘に扮したレティシアの、不思議そうに覗き込む紫の瞳。
(やっば……!!)
ルシアンは顔が赤くなるのを感じ、ばっ!と腕で顔を隠し、レティシアから少し離れた。
「?」
不思議そうな顔のレティシアが、ハッとイタズラに笑う。
「分かっちゃったわ!ルシアン」
「な、何がだよ」
ルシアンはレティシアの顔をまともに見られない。
レティシアは、にやにや笑いながら言った。
「……あなた、だれか好きな女の子がいるんでしょ?」
(……いやいや、これは)
そう言いかけて、ルシアンは言葉を飲み込んだ。
目の前のレティシアが、あまりにも無防備に笑っていたからだった。
【主要登場人物です】
■ レティシア・ヴァレンティーヌ
この物語の主人公。絹糸のような淡い銀髪で紫水晶を思わせる大きな瞳をもつ公爵令嬢。未来の皇后候補として厳しく育てられ全てに秀でた“完璧令嬢”として知られていた。
■ アルフォンス・ルーヴェル
ルーヴェル帝国の第一皇子で、次代の皇帝として期待される存在。
金髪でアイスグレーの瞳をもつ端正な顔立ちをしている。
■ ルシアン・エヴラール
隣国であり友好国であるラヴィエール公国の小公爵。レティシアの幼なじみ。
軽薄そうで何を考えているかわからない。黒髪の危険な色気があり女性からもてる。
レティシアの本性を知る数少ない人物。
【ルーヴェル帝国 関係者】
■クラウディウス皇帝
ルーヴェル帝国を長年統治している偉大な皇帝。
理性的で威厳があり、民から敬愛されている。
【 ヴァレンティーヌ公爵家】
帝国屈指の名門公爵家であり、代々皇室騎士を輩出している武門の家系でもある。
■ ヴィクトル・ヴァレンティーヌ
ヴァレンティーヌ公爵家当主。厳格で威厳ある人物で皇室からの信頼も厚い。
■ セラフィーナ・ヴァレンティーヌ
ヴィクトルの妻であり知性と品格にあふれる公爵夫人。
■ アレクシス・ヴァレンティーヌ
3歳年上のレティシアのでヴァレンティーヌ家の後継者。聡明で冷静。
■ ノエル・ヴァレンティーヌ
1歳年下のレティシアの弟。剣術好きで明るい性格。
■ベアトリス・ローエン
レティシアの教育係。
帝国最高の淑女を育て上げることに強い誇りを持っている。
■ガレス・オルディン
かつて帝国騎士団を率いていた元騎士団長。熊のように大柄な体格と、頬に走る古傷のせいで恐れられることも多いが、その剣技は帝国内でも伝説的と語られている。




