第七十三話
クレセント・セレス・メンシス
会った事こそないが成り行きで受けることになった妃教育の中にその名前があった。
年齢はアンシュルと同じだがメンシス国の民らしく武術が得意。
幼い頃からメンシス国の騎士団に交じって鍛錬していた結果らしいが、王族がそうホイホイ騎士団の訓練に加われるわけがない。
それは王族が弱いだとかの強さの問題ではない、偏に階級の差だ。
例えば大人ばかりで遊んでいた所に子供が混ざったとしよう、すると大人達は子供に気を遣って本来やりたい遊びではなく子供もできて尚且つ怪我もない遊びに変更するだろう。
どんな形であれ望んだ場所で遊べた子供は満足だろうが、大人達にとっては不完全燃焼以外の何物でもない。
ならば他の貴族はいいのかという疑問も浮かぶが、結果は同じ。
どこの国でも騎士団に所属している人間はその大半が平民出身者なのだ、お飾りとして貴族だけの部隊を作っている国もあると聞くが、メンシス国にそのような部隊は必要ない。
それらを総合して予想できる道筋は、騎士団が不満を飲み込んでクレセントの御守をしていたか、本当に大人顔負けの実力を持っていたかの二つだ。
(まぁ、正直どちらでもいいのだけどね…)
現実逃避気味に推察していても、時間は無常に過ぎ去る。
淑女修行の賜物である表情筋は見事な令嬢スマイルを保っており、きっとこちらを見ている参加客は私が内心物凄く動揺しているだなんて気づきもしないだろう。
だが、長い付き合いになるアンシュルとルナにはお見通しだったようでとても微笑ましいものを見る目を向けられている。
(そんな視線を向けるぐらいならいっそこの笑い飛ばしてくれた方が…いや、ダメだ。この二人にそんな反応されたら屋敷から出てこれなくなる……というか、いい加減下ろせ!!)
周りに気づかれないように暗器で刺してやろうかと暗器召喚を行おうとした瞬間に、まるで合わせたようにクレセントがこちらを見た。
美しい黄金の瞳がこちらを射抜くように見つめる光景はハッキリ言って心臓に悪い。
きっと何か裏があると分かっているのに勘違いを…いや、錯覚してしまいそうになる。
その視線に、熱があると。
「では、改めて皆に告げよう。」
「!」
鈍化していた思考がリチャードの言葉で一気に覚醒する。
この場を抜け出す千載一遇のチャンスを棒に振ったと悔し気に奥歯を噛むが、まだ退路は断たれていない。
王の宣言が終われば参加客はきっといい意味でも悪い意味でも騒ぎ出す。
その混乱に乗じてこの場から退散してしまえば、後はこちらのもの。
脳内で何通りものシミュレーションを行い、いつでも動けるように足に魔力を集中させる。
この時、私は一つ重大な見落としをしていた。
「アンシュル・メタト=ポロスとルナフィール・セレス・メンシス、並びにクレセント・セレス・メンシスとメリンダ・オートクチュールの婚約をここに宣言する。意義のある者はこの場で声を上げよ!」
「………!?!?!?!?!?!?」
(はい――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!?!?!?!?!?!?!?!?!?)
人間とは、驚きすぎると固まって動けなくなるという事を。
*
私が驚きで動けない内に婚約発表会は滞りなく終わってしまった。
両国の懸け橋となったアンシュルとルナを純粋に祝福する者もいれば、今のうちに取り入ろうとすり寄る者、身の程知らずにもルナに絡んでアンシュルを奪い取ろうとする者、その逆をする者、ありとあらゆる人種がアンシュルとルナを取り囲んでいる。
そんな光景は予想済みだったので、本当ならここで私が盾となり二人に幸せを?み締めてもらおうと考えていたのに、そんなことは許さないとばかりに私は未だクレセント・セレス・メンシスに抱きかかえられている。
「…クレセント・セレス・メンシス殿下。」
「婚約者なんだ、そんな他人行儀な呼び方はよしてくれ。」
「……殿下、そろそろ降ろしてくださいませ。このままでは殿下のご負担が増すばかりですわ。」
「この程度で?メリンダは軽すぎる、私の剣の方がよほど重いほどだ。」
「まぁ、殿下はお上手です事。けれど、尊き御身であることは変わりませんわ。メンシスの民に見つかろうものなら私はどう謝罪すれば良いのか見当がつきません。」
「なら、メンシスの民に見つからぬところへ行こうか。」
「え?」
遠回しに降ろせ、さぁ降ろせ、早く降ろせと噛みついているというのにクレセントはどこ吹く風。
それどころか、さっさと会場を抜け出し王城の中庭に移動してしまった。
いくら武術が得意とはいえ自国ではない場所で護衛も連れずに行動するだなんて無防備すぎる。
もしかしたら私が気づかないだけで傍に護衛がいるのかもしれないが、それでもすぐに視認できる状況に誰もいないという事はあらぬ話を作られかねない。
(いや、何を心配しているんだ私は…そもそも、この男が本物のクレセント・セレス・メンシスだという確証なんてないんだからこの男の外聞を気にする必要なんてないじゃない。むしろ、無理矢理迫られてー!ってこっちに有利な話に持っていきやすいじゃないの!)
アンシュルとルナの手前、派手な大立ち回りはできないけれど水面下でこの男との婚約を穏便に丸め込めることはできるかもしれない。
その場合、令嬢の私には致命的なダメージが残るがそうなれば綺麗さっぱり貴族はやめて平民として生きよう。
冒険者になれば食べていくぐらいはできるかもしれないし、そうでなくとも学園で得た知識を使えば路頭に迷うこともない。
脳内で急ピッチに今後の身の振り方を考えていると、もう我慢の限界とばかりにクレセントが吹き出した。
「くっ…あっははは!」
「なっ、なんですか?!」
「くっくっくっ…変わらないな、メリンダは。最後に会った日から四年以上も経ってるってのにあの頃と同じで考えに没頭すると周りが見えなくなるし、深く考えれば考えるほど表情がコロコロ変わる。見てて本当、飽きねぇわ。」
肩を震わせながら笑うクレセントに若干の居心地の悪さを感じるが、それよりも先ほど聞き捨てならない事を聞いた。
最後に会った?私、この男とどこかで会ったか?
「あの…不敬を承知で申し上げます。」
「ん?なんだ?」
「その、私は殿下とお会いしたことがないと記憶しているのですが…もしかして、どなたかと勘違いなさっておられるのでは?」
そう考えれば全て納得できる。
アンシュルとルナの婚約は表向き両国の関係修復を象徴しているのだ。
だがルナがポロス国へ嫁ぐという事は、ポロス国はメンシス国という強力な後ろ盾と踏破者という強力な力を持つことになる。
大国というわけではないが小国でもないという規模のポロス国にこの二つの力は過剰と言わざるを得ない。
裏事情を知っているガルツ国が?みついて来ることはないが、この世界には当たり前だがポロス国、メンシス国、ガルツ国以外にも国が存在する。
その中には虎視眈々と侵略の機会を伺っている国もあるし、小国を守ろうと必死な国もある。
アンシュルとルナが婚約するという事はそんな国々を刺激する事と同義なのだ。
だからポロス国の強力なカードである私をメンシス国に嫁がせることで均衡を保とうと考えたのだろう。
強力な武力を持つメンシス国も防げる諍いは回避したい事だろうし、何より踏破者をクレセントが望んだとなれば断る理由もない。
しかし、もしクレセントが望んだ令嬢と私を勘違いしていたとしたら?
「勘違い?」
「はい…あ、ですがご安心ください。お恥ずかしながらあの時は混乱してしまい取り乱してしまいましたが状況は理解しました。なので、メンシス国に嫁ぐことに拒絶はありませんので今からでも適性のある方との縁談を取り持…って、いた、だ……け……れ、ば…」
「この俺が?別の男を?メリンダに?俺以外の奴との縁を結べと?」
「あ、いや…その…」
綺麗な笑顔を浮かべているが、その背後には般若が見えるし何なら幻聴で何なら幻聴で地響きが聞こえてきそうなほどだ。
一体何がクレセントの地雷を踏んだのか見当がつかず、顔を青くさせながら小刻みに震えていると大きくため息を吐かれた。
「勘弁してくれ、想像しただけで腸が煮えくり返りそうだ…ここまで来るのに何年かかったと思っているんだ…俺は、お嬢以外の女を隣に置く気はねぇぞ。」
「は、はぁ………ん?」
拗ねた子供の様に私の肩に頭をぐりぐり擦り付けるクレセントに、緊張から体がビクリと震える。
だからきっと聞き間違いだ、だってその愛称は彼しか─
「なぁ、お嬢はどうなんだよ。」
「わ、私、ですか?」
「お嬢はさ、令嬢だから俺以外の奴の隣にだって笑顔貼り付けて立てるだろうよ。けどさ、絶対そいつお嬢の事道具としてしか見ねぇと思うぜ?」
「!」
「お嬢だって薄々気づいてるんだろ?踏破者という称号がどれほど厄介なものか。」
「…」
それは、ここに来るまでに嫌というほど痛感してきた。
誹謗中傷やすり寄りは当たり前、中には既成事実を作って無理矢理家に取り込もうとする家まであった。
実力があろうがなかろうが、その肩書があれば国の中枢に食い込み甘い蜜を吸うことが出来る。
(人間扱いをしてくれたのは、家族とルナとアンシュルぐらいだったな…)
思い出される学園やお茶会での記憶に顔を俯かせる。
それでもそんな日々を耐えられたのはアンシュルとルナの未来と、クーがあの夜に贈ってくれた簪があったから。
本当はクーにだけ見せればいいかと思っていた簪をシアに頼んで度々身に着けていたぐらいには心の支えとなってくれた。
そして、今も。
「…ええ、分かっています……!」
そっと身に着けた簪に触れると少しだけクレセントの力が強くなった気がして顔を上げる。
クレセントの表情は先ほどとは違い、どこか嬉しそうに微笑んでいる。
その微笑に、一瞬クーが見えた。
「貴方、まさか……いえ、そんな都合のいい事、あるわけが……」
思わず呟けば、今度は悪戯を思いついた子供の様に笑う。
その笑みも知っている。
顔の造形は全く違うはずなのに、どうしてそこに彼が見えるのか。
本当に私の考えている通りなのだとしたら、私にとってあまりに都合がよすぎる。
「なぁ、お嬢。取引をしないか?」
「取引…?」
「俺の妃としてメンシス国に嫁いでくれ。勿論、俺の事、ちゃーんと愛さねぇと駄目だし、浮気も認めねぇ。」
「…見返りは?」
「俺の愛は勿論だとして、メンシス国での安全と生涯の幸福。後はそうだな…俺が叶えられる範囲なら何でもお嬢の望みを叶えてやるよ。」
不足か?と不敵な笑みを浮かべるクレセント。
その仕草や口調、何より内容がクレセントは何者なのかを物語っている。
でも、現状証拠だけじゃ、足りない。
「なら、前払いとして一つお教えください。」
「なんだ?」
「貴方は、クーなの?」
思った以上に不安そうな声で問いかけてしまったが、彼は、クレセントは穏やかに微笑みながら私の額に口づけを落とし、静かに告げる。
「ああ、そうだ。」
「っクー!」
悲しくなんてないのに、何故か目元に涙が滲みクレセントの首元に抱き着く。
ずっと見ないふりをしてきた。
アンシュルの目的が達成され、私の目的も達成された未来では私とクーの繋がりは絶たれる。
それを嫌だと叫べばきっとアンシュルは私とクーの繋がりを保ったままにしてくれたことだろう。
しかし、懐刀とただの令嬢が繋がっているという事はアンシュルの隙に、弱みになってしまう。
もしアンシュルやルナの失脚を狙う不届き者がこの弱みに気づき、あまつさえ利用しようとしてしまえば私が命を懸けて望んだ未来を私の我儘で壊してしまう。
そんなことになれば、私はきっと一生自分を許す事はできない。
アンシュルにも、ルナにも、クーにも、家族にも、誰にも見つからない場所で孤独に最も惨たらしく自害するだろう。
それだけじゃない、自分の骸を使って悪魔でも魔物でも召喚してアンシュルとルナの未来を阻もうとする輩を皆殺しにしろと命じるだろう。
何故なら、召喚の生贄となった魂は召喚されたモノが消えるまで苦痛に蝕まれるからだ。
その期間が長ければ長いほど魂を蝕む苦痛も大きくなり、最後には救済のない消滅を迎える。
第一章のラスボスなんだ、そんな最後がお似合いだと泣き笑いながら言い残して死ぬ風景を一体何度夢想したことだろう。
けれどアンシュルとクーに諭されて、それではダメだと知ってからはその頻度は減り、逆に見ないふりをして閉じ込め続けてきた。
いや、諦めようとしていた。
どちらかしか選べないのなら、答えは決まっているだろうと自分に言い聞かせながら。
だというのに、この男ときたら諦めようとした私の努力を水の泡にしてしまったのだ。
これではもう、諦めることも見ないふりもできない。
「クー…クー…っ!」
「なんだよ、そんなに寂しかったのか?」
「人の気も知らないで、揶揄わないで!!」
「それはお互い様だろ?お嬢だって俺の気持ち、全く知らねぇってか知ろうとしなかったじゃねぇか。ま、理由はなんとなくわかるけどよ。」
「クーだってそうじゃない!!これでもねぇ!昔も今もいっぱいいっぱいなのよ!あれもこれもと欲張れるほど器用じゃないの!」
「ならこれからは器用になってもらわねぇとな。王子様らの未来も、俺らの未来も、お嬢の幸せも、何一つ諦めないように。」
抱き着く私を笑いながら抱きしめ返し、あやす様に頭を撫でる。
ぽん、ぽんと一定のリズムで繰り返される労わる掌は、いつかの夜に私がクーにしたことと同じでさらに涙が溢れてくる。
きっとこの先、これまで見ないふりをしてきたものがツケを支払わせるかの如く私に返ってくるだろう。
でも、隣にクーが、クレセントが居れば何とかなる気がする。
「それで?俺との取引、受けてくれるか?」
「ええ、乗ったわ!!」
体を離し、涙を浮かべたまま笑顔で答えれば本当に嬉しそうな顔でクレセントが笑い返してくれる。
その笑顔が可愛くて、愛おしくて、さっきのお返しとばかりに今度は私からキスを贈る。
「ただし、条件を一つ付け加えさせて。」
「なんだ?」
「クーも、いえ、クレセント様も浮気はダメよ。もし破ったら、殿下やルナに言いつけてやるんだから。」
「勿論だが、する気もねぇから安心しな。」
ニカッと笑ったクレセントは、さらにお返しとキスをする。
恥ずかしさから頬にした私と違って、今度は唇に。
まだ少しだけ尾を引いてはいますが、何とか回復いたしました!
本日より更新を再開し、最終話まで走りきります!
読んでいただきありがとうございました!
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