第六十七話
「お父様、正直にお答えください。隠し子だなんていませんですわね?」
「ゲッホ!ゲホッゴホッ!!」
私の言葉にお父様が盛大に咽た。
まぁそうだろう。
自分で言うのもなんだが、デビュタントを終えて帰宅した娘の第一声が隠し子の有無確認だなんて突拍子もない事驚愕しかないだろう。
私だって状況が状況ならこんな馬鹿正直に問いただしたりなんてしない、お父様は潔白だと分かっているからこその問いかけだ。
「ゲホッ……なにがあった。」
「デビュタントにてシリーという令嬢に殿下の婚約者はシェリンダという秘されたオートクチュール公爵令嬢が内定したと言われました。情報源は王宮の上級使用人とのことです。」
「なんということだ…」
概要を述べた後、デビュタントで起きた一連の騒動を伝えれば頭を抱えるお父様。
その心情は、いや、心労はかなりのものだろう。
あの場で私が覚えた怒りやら呆れやらツッコミやらを更に上乗せし、それを二倍かそれ以上のものを感じているに違いない。
お父様だけでなく、オートクチュール公爵家と家族になれたあの日より前からお父様が愛妻家であり子煩悩の気があることは薄々察していた。
そんな人間が、遠まわしに隠し子が居るのではと疑いをかけられたのだ、無理もない。
「念のため、いや、私の名誉のために言おう。隠し子なんていない、名に誓っても国王陛下に誓っても構わない。」
「はい、私もそのお言葉が聞きたかっただけです。お父様がそのような不義理をなさるだなんて思っていませんわ。」
「そう言ってくれてとても嬉しいよ…だが、看過できない事だ。」
「はい。」
いつからそんな噂が流れたのか分からないが、このまま放置すればオートクチュール公爵家の威信にも関わるし何より、アンシュルトルナの婚約の弊害になりかねない。
なんとしてでも主犯を見つけ火消をしなければとは思うが、噂とは殊更厄介なのだ。
鎮火したと思っても何かの拍子に倍以上の勢いで再熱することもあれば、沈静化しただけで認識に根強く残る場合もある。
つまり、噂を完全に根絶するには人々の記憶を直接操作する以外方法がないのだ。
魔法が存在するこの世界においてもそんな都合のいい魔法は存在しないし、もしあったとしても十中八九禁術に指定される代物だろう。
ならばどうするか、方法は二つ。
別の噂で上書きしてしまうか、噂自体の信憑性を地に落とすことだ。
王宮の上級使用人が発生源だとしても、国王陛下が正式にアンシュルの婚約者を指名すればこの噂はただの噂だとすぐに知れ渡る。
その裏にどのような陰謀が張り巡らされているのではないかだのなんだのという憶測は残るだろうが、国王がこれと言うのであればそれが正解なのだ。
ある意味これが最も簡単な事ではあるが、現在アンシュルはガルツ国へ外交に赴いている。
このタイミングで国王がルナを指名したとしても、あの手この手で妨害してくるかもしれないし最悪の場合、暗殺だなんてことになりかねない。
勿論ルナは必ず守るが、感じなくていい恐怖は感じさせたくはなかった。
もう一つの方法である噂の信憑性を地に落とすと言うのは簡単に言えば断罪だ。
噂を流した本人の罪を明らかにすることで、その人自体の価値を落とす。
デビュタントで無様を晒したシリーがいい例だろう、運よく貴族牢から引き取られとしても社交界でもう彼女の言葉に耳を貸す者はいないし、誰も信じない。
私やお父様の怒りを発散するにはこちらの方がいいのだが、犯人探しは骨が折れそうだ。
(どちらを選ぶにしても情報が少なすぎる…そういえば、アンシュルはこの事知っているのかしら?もし知っているなら情報を回してもらえるかもしれないし、そうでなくともクーの手も借りられ…)
クーの諜報能力があればすぐにある程度の情報は集まるだろうと考えた途端、クーに抱きしめられた光景がフラッシュバックする。
逞しい男性の腕と安心する体温なのに何故か不自然に暴れる心臓までも思い出してしまい、顔に熱が集まるのがわかる。
「お姉様?」
「な、なんでもないわ!お父様、私の方でも少し探ってみますわ。」
「私も。微力ながら。」
「ああ、頼んだよ二人とも。私の方でも少し手を回しておこう。」
「ああそれと、お父様。例の令嬢達の処遇ですが、お任せしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、勿論だ。」
急に顔を赤くした私を心配したルナを何とか誤魔化し、そのまま黒い笑みを浮かべるお父様の執務室を後にした。
「ふぅ…」
心配するルナを何とか躱し、湯浴みを済ませてベッドに潜り込む。
晴れやかな日として終わるはずだったのに、面倒なことが一気に舞い込んできた疲労感にウトウトしてきた視界の隅で何かが不自然に光った気がした。
何だと身を起してみれば、アンシュルとの連絡手段である魔法便箋の横に見た事のない箱が置いてあった。
朝は勿論、湯浴みをする前にもなかったはずの箱に若干の警戒心をいだきつつ、便箋に目を移す。
”やぁ、メリンダ。
無事にデビュタントを迎えられたこと、嬉しく思うよ。
さて、本当はもう少し祝いがてら歓談と洒落込みたいところだが少々厄介なことになったらしくてね、もう聞いているかもしれないが俺の婚約者にどこの馬の骨とも知れない令嬢モドキが内定しただなんて噂が流れているんだ。
噂を流した奴の心当たりはあるから、帰国次第ツブ…調べてみるよ。”
「潰すって言いかけたわね…」
これは相当腹に据えかねているなと少しだけ気持ちが軽くなる。
ここで許容するようなことを書きでもしたら即座に嫌味の限りを認めるところだった。
可愛いルナの旦那様ならば、ルナを悲しませることも不安にさせることも許しはしないのだ。
”動くのは俺が帰国してからだから、メリンダの方でも情報を集めておいてほしい。
残念ながら今、アイツは動かせない状況でね。”
「…え?」
”ああ、心配しないでくれ。怪我とかじゃないんだ。
別件でどうしても手が離せないだけで元気だよ、厄介なほどにな。”
アンシュルの言うアイツとは間違いなくクーの事だ。
クーが動かせない状況だなんて何かあったのかと背筋が冷たくなるが、すぐに違うと説明があり胸を撫で下ろす。
クーが手練れであることは知っているし分かってはいるけれど、人間である以上絶対はない。
ほんの少しのミスや油断、そして誤算が大惨事を招くこともあるのだ。
それでも、アンシュルがそれらを否定してくれるのであれば信じられる。
動揺した心を落ち着かせ、さらに便箋を読み進める。
”その証拠、という訳じゃないがアイツから贈り物を預かったんだ。
多分、この便箋の近くに箱が転送されていると思うから受け取ってやってほしい。
アイツが自分で選んだものだから何が入っているかは分からないが、アイツがメリンダの事を考えて選んだことは保障する。”
「クーが、私に…?」
全く予想していなかった贈り物に目を白黒させながら、そっと箱を開く。
中に入っていたのは、見事な細工が施された月を象った美しい簪だった。
宝石があしらわれた直接的な美を訴えかけはしないが、施された繊細な細工はその一つ一つが光を吸収するように計算されていて簪そのものが輝いているかのような嫋やかな美を醸し出している。
素晴らしい、その言葉以外表現できないほどの簪だ。
“デビュタントの祝いだそうだ。
もし気に入ったなら、ここぞという時にでも付けて見せてやれ。”
「…こんな素晴らしいもの、気に入らないほうが難しいでしょう…」
素晴らしいものを貰ってしまった感動からなのか、純粋にクーからの気持ちが嬉しいのか、よく分からないまま目頭が熱くなる。
簪を傷つけないようにそっと抱きしめながら、私は暫く胸を震わせる感情と戦っていた。
*
翌日からオートクチュール公爵家は慌ただしく動くことになった。
お父様が放った諜報が得た情報だと、例の噂は私達の予想を遥かに上回る規模にまで広がっていたからだ。
やはり発信源が上級使用人というのが大きいらしく、誰しもが居るはずのないシェリンダという令嬢に興味を抱いていた。
オートクチュール公爵のお気に入りで大層美しい令嬢だとか、病弱な深窓の令嬢だとか、天使の様な優しさにアンシュルが一目惚れしただとか、各々が好き勝手に憶測をまき散らしている。
その中にはアンシュルの婚約者に収まったことを妬まれて私に虐待されているだとか、公爵家の威光を笠にして使用人にも辛く当たっているだとか、他者を蔑まないと満たされない悪女だとか、私に関する悪評もかなり盛り込まれていた。
この辺りから察するに、噂の標的は私。
私を悪役にしてアンシュルとシェリンダという令嬢の美談を際立たせたいのだろう。
ルナが標的ではない分、いくらか安堵したが逆にルナやお父様、お母様、いや、私を除くオートクチュール公爵家の全員の怒りに火が付いたようでデビュタントでの見せしめ以上の制裁を下している。
その中でも特に私に攻撃的だった貴族をシアが手にかけようとした場面があって肝を冷やした。
「落ち着いてシア!!」
「ご安心をお嬢様。音もなく消し去って御覧に入れましょう。」
「消さなくていいから!!あんなのにシアが手を出す価値なんてないわ!!」
「お嬢様を愚弄したのです、万死に値します。」
「止まってシア――!!」
いつの間にレイモンドから護身術、というか暗殺術を習っていたのか矢鱈素早くて止めるために暗器を使用せざるを得ない。
レイモンドも後方で弟子の成長が嬉しいみたいな顔して頷くな、止めるの手伝え!という視線は綺麗にスルーされる。
その時は何とか留まってくれたが、私の知らない所で処していそうでとても怖い。
(レイモンドよ、どうしてシアに暗殺術を教えたの…)
そのお陰で流石に私やルナの前ではそのようなことは言わないが意地の悪い連中は、姿は見えないけれど声は聞こえる場所からこれでもかと悪意を口にしている。
まぁ私だけならともかくルナも一緒に聞いているのできっちりお灸は据えられているのだが、噂が下火になることがない辺り社交界にはこの噂以上に興味を引くようなものがないのだろう。
(だとしても公爵家を敵にしたらタダじゃすまないってわかりそうなものだけどね…しかもうちのお母様、王妃様の親友様よ?)
そう、なんと私が自殺未遂をする要因を作った事を負い目に感じているのか、噂の鎮火に王妃も手を貸してくれているのだ。
王妃が手を貸してくれるという事は、国王派が味方に付いたも同然。
しかも、あのお茶会に参加していた中立派の貴族達も噂の蔓延を阻もうと動いてくれた。
どうやらあの場は私が収めたことになっているらしく、恩義を感じているらしい。
どこまで情報が伝わっているのかが気になる所ではあるが、協力してくれる者が一人でも多いことはありがたい。
だが、国王派と中立派が味方となっても未だ噂は残り続けている。
正直腹立たしいが、収穫もあった。
それは、この噂は貴族派の貴族が流しているという事。
自分の保身のためにネクロマンサーまで使うような連中だ、もしかしたら卑怯な手を使って本当にシェリンダという令嬢を作り出してしまうかもしれない。
(そんな事許すもんですか、私の妹はルナだけよ!!)
「シア。」
「はい、お嬢様。」
「屋敷の掃除はどうなっているかしら?」
「先日、粗大ごみを二つ出したと聞いております。」
「そう。」
優雅に紅茶を飲むが、シアの言葉に内心は怒り心頭だ。
懸念した通り、オートクチュール公爵家に侵入しようする不届き者が現れたのだ。
かなりのセキュリティを敷いているはずなのに、どういうわけか侵入者は後を絶たない。
今の所、全て捕縛してはいるがこのままいけばいずれは突破されてしまうかもしれない。
(私とルナ、あとお父様とお母様の近くに防御用の罠を仕掛けるべきかしらね…でもここまで警備を抜けられるという事は何らかの方法で情報が抜き取られていると見るべきだし、下手に動いて屋敷の皆を混乱させればそれこそ相手の思う壺だし…)
まるで抜いても抜いても出てくる雑草を処理している気分になり辟易する、いや、まだ雑草の方が肥料になったり資源に化ける可能性があるのだから有益だ。
すり寄りか、興味本位か、はたまた欲望かは分からないが、煮ても焼いても食えぬ無能連中にうんざりする毎日はある日、終わりを迎える。
ガルツ国から、アンシュルが帰国したのだ。
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