第六十五話
「えーっと…とりあえず、座りませんか?」
「ああ…」
室内の温度が下がった頃、示し合わせた様にシアがお茶の準備を始めた。
私の好きな紅茶と、まだ残りがあったらしいメンシス国のお菓子をテキパキと準備し終えるとレイモンド共々そそくさと退室する。
部屋の扉を閉めない所に気遣いを感じるが、気遣いをするのならこの部屋で二人きりにしないで欲しい。
仕事がスムーズに熟せない事への苛立ち故に危険が急降下しているのか、いつもよりクーの口数が少ない。
今回に関して私には何の非もないはずなのに、なんだか私が悪いように感じてしまうから不思議だ。
(一応謝罪しといた方がいいのかな…?取り違えたのはルナの責任だとしても現状、私はルナの姉なんだから妹の不祥事は監督不行き届きで私の責任になるかもだし…)
「お嬢。」
「は、はい!」
「体調は、もういいのか?」
「あ…はい、お陰様で。」
ぐるぐる思考が乱れていた私に、クーが徐に訪ねてくる。
それは不機嫌と言うよりも、心配と不安が綯交ぜになった迷子の子供が帰り道を探している時の様で不思議と荒れていた思考が冷静さを取り戻してくる。
「魂に関しては恥ずかしながら知識不足で今の状態を正確に把握することはできていません。ですが、ダフィール魔術師団長に薬を処方して頂いてますのでもう何年も眠り続ける様な事態にはならないでしょう。」
「正確に把握できてないって言った傍からそんな希望的観測を言うとはな。」
「状況から推察したと言ってください。そうでなければダフィール魔術師団長に薬を処方してもらっている意味がありません。」
「確証がねぇことには変わりねぇだろうが。」
「それはそうですけど、おいそれと診察をお願いできるような方ではないのはクーだって知っているでしょう?」
「さてね。それこそ、王子様に言えばいいじゃねぇか。有能な相棒の体調管理は十分利益っつーのに該当するだろうしな。」
「現在進行形で蚊帳の外に置いてる人に言えと?」
「お、自覚あんのか。」
「やっぱり態とですか!!」
先程まで何処か余所余所しかったのに、気づけばいつものやり取りができている。
それが嬉しくて、楽しくて、自然と笑みが零れた。
アンシュルと話している時とも、ルナと話している時とも、シアと話している時とも違う。
クーと話していると、なんだか自分の感情を素直に出すことが出来るから不思議だ。
「そりゃあそうだろうよ。五年も眠りこけてたんだぞ?それともお嬢は言う状況になった相手でも起きたら酷使すんのか?」
「しませんよ、むしろ暫くは養生に勤めてほしいと思います。でもそれはそれ、これはこれです。」
「勤勉つーかなんつーか…あれか、お嬢は仕事してねぇとダメな質か?」
「そういう訳じゃないですよ、むしろ自堕落な生活大歓迎です。」
「信憑性が無さすぎて笑えるな。」
「本心ですよ。ただ、それを凌駕するだけの願いがあるってだけです。」
「…王子様とルナの未来、か?」
「ええ。」
この世界に転生したのが私一人だけだったら、私はさっさと王家からも公爵家からも逃げていた事だろう。
生き残る事だけを念頭に置いて、唯々自分の為だけの悠々自適なスローライフを獲得する為に邁進する光景が容易に想像できるし、今だってそんな生活を手に入れたいって思っている。
でも、それよりもアンシュルとルナの結婚式を最前列で見たいという願いの方が大きいのだ。
幸せそうな二人を見ながら、よかったと感動に打ちひしがれる心地はきっと最高だろう。
それこそ、スローライフでは一生味合う事が出来ない感情だ。
それを得る為ならば、多少の忙しさには目を瞑れる。
「…なぁ、お嬢。」
「はい?」
「なんでそこまでして二人の未来を願うんだ?そこに、お嬢はいないんだろ?」
クーの言う通り、アンシュルとルナが結婚すると言う事はアンシュルの隣にもルナの隣にも私の居場所はないと言う事になる。
でもそれは大した問題ではない、重要なのは二人が幸せである事だ。
「そうですが、別に大した問題ではありませんよ?二人が幸せならばそれが一番ですから。」
「どうしてそこまで二人の幸せを願えるんだ?二人が不幸になるならまだしも、幸福になる事でお嬢が得する事なんて一つもねぇだろ。」
「ありますよ!二人が幸せそうに笑っていてくれるだけで、私は報われるんですから!というか、不幸になられたら方が私にとって大損です。」
心外なと頬を膨らませる私に、クーは納得いかないというか分からないと表情を歪ませる。
そこまで難解な事を言っているつもりはないので、逆にどうしてここまでクーが不可解そうにするのかの方が分からない。
大切な人には幸せになって欲しいと願うのは、至極自然なことではないのだろうか。
「クーは何がそんなに不思議なんですか?私は唯、大切な人達に幸せになって欲しいだけです。」
「……好き、なのか?」
「はい?」
「王子様を好きだから、そこまで幸せを願えるのか?」
クーの言葉が一瞬、理解できなかった。
好き?私が?誰を?
アンシュルを?確かに好きよ?相棒として。
でもクーが言う好きはこの好きじゃない。
簡単に言えばアレだ、likeかloveかってことだ。
love…?
「はぁああ?!」
「!?」
「何でそうなるんですか!!確かに人として殿下の事は尊敬していますし慕ってもいますが恋愛感情は皆無です!!むしろ論外です!!!」
「そ、そこまで言うか…?」
「言いますとも!!というか殿下も同意見だと思いますよ!?私と殿下は相棒であり主従ですがそれ以上でもそれ以下でもありません!!」
レイモンドといいなんという勘違いをしているのやら。
相手を真に大切に想う感情は必ずしも恋情に直結はしない。
相手を大切に想うという感情だけが共通しているだけで家族愛、友愛、敬愛と愛の形は様々なのだ。
「じゃあお嬢にとって王子様ってなんなんだよ。」
「推しです!!」
「オシ…?」
前世、私には沢山の推しが居た。
精神を病んで、家族に多大な迷惑をかけて、それでも何とか前を向けたのは推しの存在があったから。
迷惑をかけた家族に報いりたいと思ったのだって本当だが、そこまで自分で考えられるようになったのは推しのお陰だ。
家族と推し、そのどちらかが一つでも欠けていたら私は私と言う自我を保てず死んでいた事だろう。
もしかしたら、メリンダに転生することもなかったかもしれない。
「オシってなんだ?」
「人によって捉え方は様々ですが、私にとって推しとは生き甲斐です!推しが居るから前を向ける、生きようと思える!!」
「お、おお…」
「私は基本的に推しは二次元だけでしたが、殿下とルナは初めての三次元の推しと言う事になりますね!でも、ガチ恋勢でない事は変わらないので推しが健やかであればそれでいいのです!!」
熱く語る私に若干引き気味のクーだが、どうしても理解してもらわなくてはならない。
私は推しに恋をするガチ恋勢ではなく、推しを愛でたい勢なのだ。
春の木漏れ日の下で穏やかに笑っている光景をただ見守っていたい、時折ちょっとしたスパイスがあれば尚いいがそれも最終的に幸せそうな笑顔に繋がればの話だ。
「東方の国に”高嶺の花”と言う言葉があります。遠くから見るだけで手に入れることのできないもの、憧れるだけで自分には程遠いものの例えとして使われる言葉です。」
「ああ…」
「私にとって、推しとは高嶺の花なのです!遠くから憧れを見守るだけで満たされるのです!それが幸福な光景ならば尚の事、私の心は満たされる…だというのに手に入れたいだなんて、考えるわけがないのです!!」
「そ、そうか…」
「ご理解いただけましたか!?」
「ああ、分かった…お嬢にとって王子様とルナはオシで、恋愛感情は皆無だってことはよーーっく分かった。」
「ご理解いただけたならよかった。」
伝わったことの安堵と満足感に晴れやかな笑顔を浮かべれば、クーは苦笑いを浮かべながらもどこか安心した様だった。
どうしてクーがそんな反応をするのかが分からなかったが、もしかしたら私がアンシュルに恋慕しているかもしれないと勘繰ったのかもしれない。
アンシュルの望みはルナとの結婚、アンシュルの懐刀であるクーはその望みを叶える使命がある。
その為に、私がアンシュルに恋慕していると不都合が生じると考えたのだろう。
(そんな心配は無用よ。)
そう言ってやりたいが、遠回しに聞いてきたと言う事は多少なりとも私に配慮してくれたのだろう。
折角の心遣いを蔑ろにするのは失礼だろうと、喉元まで出かかった言葉を紅茶とお菓子を口にすることで飲み込む。
「まぁ、そういう訳で。私は殿下とルナが幸せならそれでいいんです。近くでその光景を見られるならそれはそれで嬉しいですが、遠目からでも十分なのです。」
二人が結婚したら私はおいそれと会う事は出来なくなる。
でも、手紙ぐらいはやり取りできるかもしれない。
大変なこともあるだろうけど、こちらが砂糖を吐くぐらい甘くて幸せな日常を手紙に認めてくれたならきっと私は満たされる。
その活力を胸に、前を向ける。
(でも、クーは手紙も無理そうよね…)
懐刀という立場上、痕跡を残す様な行為は推奨されないだろう。
そうなれば、私とクーの関係は完全に断たれる。
それだけが、少しだけ、寂しかった。
「ふ~ん…」
「そう言えば、クーはどうなのです?」
「あ?俺?」
「今ならともかく、ルナの出自が判明する前はどうするつもりだったんですか?クーだって殿下の幸せを願っているのでしょう?」
「あー…」
転生者である私とは違ってクーは元からこの世界の人間だ、多様性の価値観を持つ私と違って階級社会の価値観を持つクーには平民のルナと王族のアンシュルの恋はさぞ無謀に見えたことだろう。
アンシュルがどんなに多くの功績を打ち立てたとしても、平民のルナを伴侶に迎え入れられる確率はかなり低い。
例えば、ゲームによくある魔王を打ち倒すとかいう世界規模の功績でようやく半分にまで確率が上昇する程に難しい事なのだ。
だからこそ、最初から平民のルナを伴侶にするのではなくルナの階級を平民から徐々に上げていくための交渉を行う方向で計画を進めていたのだ。
それならば、いくつかの功績や実績を積み立てるだけで済む。
その交渉が上手くいくかどうかは未知数だったけれど、あの時点ではこれが最も可能性のある手だった。
しかし蓋を開けてみればルナはまさかの王族、しかも交渉もなにもすっ飛ばしてすぐに婚約を結べるほどに好条件。
諸手を上げて歓迎できる存在まで格上げされたが、それ以前はどう感じていたのか純粋に気になった。
「正直、俺はそこまで危惧してなかったぜ。」
「まぁ、応援していたのですか?」
「いいや、応援も批判も肯定も否定もなーんもしなかった。選ぶのは当人だ、当人が選んだのなら俺がとやかく言う義理はねぇよ。」
「なんと…」
おざなりな回答だが、アンシュルが何を選んだとしてもクーは懐刀のままその選択に従うつもりだったのだろう。
アンシュルがルナと共に居る事を選び、交渉に失敗して王家を追われたとしても、クーはクーのままアンシュルの傍を選ぶ。
なんという忠臣ぶりかと仄かに口角を上げる。
「貴方だって私に負けず劣らずではないですか。」
「そんな大層なもんじゃねぇよ。ただ…」
「ただ?」
「…少し、似てるんだよ。」
「似てる?」
「……親友に。」
言いにくそうに口にしたのは、初めて聞くクーについての情報。
闇ギルドに在籍していた事からなにか事情持ちであることは分かり切っていたので、あえて突っ込んで聞いたことはなかった。
気にならないと言えば嘘になるが、無遠慮に踏み込んでクーを傷つけたくなかったから知らぬふりをしていたというのに初めて見せてくれた。
「親友、ですか。」
「王子様と同じで賢い奴でさ、でも王子様と違って我が強いというか物怖じしねぇで自分の意見をずけずけ言うから、人によってはかなり煙たがられてたな。」
「強い方なのですね。」
「ああ…信念ってやつが一本通ったような奴だった。自信と誇りを持って胸を張れる…あれでもちっと素直だったら可愛げというか、扱いやすくなっただろうに。」
懐かしむように目を細めるクーの顔はとても優し気で、憎まれ口の様なことを言いながらもその親友の事が大切だったことが伝わってくる。
でも、だからこそクーがその親友の事を話すときに過去形になる事が気になった。
「その方は…」
「……」
「ぁ…ごめ「俺を庇って、死んだ。」…!!」
聞かなければ良かったと咄嗟に思った。
きっとこれはクーにとって一番深い心の傷だ、私なんかが無遠慮に触れていい場所じゃない。
それなのに、クーは隠すどころか続けた。
「未熟だった俺が慢心して敵を煽ったんだ。あいつは止めたのに、俺は止まらなかった…その結果、敵の攻撃から俺を庇った…賢いくせに、なにやってんだかな…」
「…私は、その方がどういう方なのかを知りません。ですが、聞く限りではその方が、クーの事を本当に理解しているからこその行動なのではないかと思います。」
「俺を理解している?俺は自分を庇って誰かが死んでも何も感じねぇってことか?」
「違います。クーは強さに胡坐をかくことはしない、相手との力量を見誤っていたとしても考えなしに相手の間合いに足を踏み入れることはしません。」
「……」
「それでもなお、クーが敵を煽ったのであればそうしなければならない状況だったから。クーの親友さんはクーが敵を煽るのを止めようとしたんじゃない、自分が敵を煽ろうとしていたのではありませんか?」
「…!!」
私の言葉に心当たりでもあったのか、クーの瞳が見開かれる。
昔のクーがどんな人物だったかなんて私には分からないけど、これまで見て話してきたクーと人間がどういう人物なのかは分かる。
掴みどころがあるようでない人だが、情がないわけでも無慈悲なわけでもない。
そして、戦闘に関しては疑う余地もない。
(あの模擬戦闘で嫌と言う程、身に染みたしね。)
「…そうであったとしても、俺を庇った事実は変わらねぇ。」
「ええ、そこだけが親友さんも誤算だったのでしょうね。クーが賢いと評価する程の方ですから、きっと何か策があったのだとは思いますが…」
「策…!!」
「クー?」
「そう言えばあいつ、言ってたんだ。アレじゃ死なないって…」
「死なない?でも…」
「ああ。あいつが死んだことを確認したのは俺だ、時間もたっぷりかけた…見誤らねぇように…」
一体どういう事だと首を傾げる。
死なないと言いながらも現にクーの親友の死亡は確認されている。
見栄を張ってそう言った可能性もなくはないが、もし本当に言葉通りの意味だったとしたら?
「…クー、これはあくまで可能性の話なのですが。」
「なんだ。」
「もし本当に親友さんの言ったように死なないのであれば、残る可能性は封印だけになります。」
「封印?でも、そんなことが可能なのか?」
「ネクロマンサーの力を使えば、魂だけを封じ込めることが可能です。」
「!!」
正直、それをしたところで相手にどんな利益があるのか私には分からない。
魂を封印すると言う事は、殺さない方が都合が良いと言う事だ。
例えば人質にするとか、生贄にするとか、それこそ何かを錬成する為の素材にすることだってあり得る。
クーがどのような状況に立たされていたかでその目的は変わるが、私がそれを知る必要はないのかもしれない。
だって、私が可能性の話をした瞬間、クーの中で何かが繋がった様だったから。
「なるほど…そういうことかよ…」
「何か、心当たりが?」
「ああ、勿論だ…これで全ての謎が解けた…あのクソ野郎どもめ、生きる価値もないと常々思っちゃいたがとうとう死ぬ価値すらなくしたようだ…」
「…」
(おおう、わっるい顔してるなぁ…)
極悪人顔とは正にこの事かと妙に納得する傍らで、クーは途端に晴れやかな笑みを浮かべる。
例えるなら曇天から一気に晴天に変わったかのようで、少しだけ背中が粟立った。
「ありがとう、お嬢。お陰で、俺の願いも果たせそうだ。」
「クーの願い?」
「ああ。お嬢や王子様ほどじゃねぇが俺にも命を懸けるだけの願いがあった…でも、その願いは失われたと思っていたがお嬢の言葉でそうじゃないって分かったんだ。本当にありがとう!」
「!」
感極まったといった感じでクーが私を抱きしめる。
クーに抱きしめられたことはこれが初めてではないが、緊迫した状況下でも差し迫った場面でもない抱擁は初めてで心臓が不自然に飛び跳ねる。
よく分からないが、クーが心底嬉しがっているのならば私としても嬉しいが前世で同性友人とした喜びのハグとは全く違う感覚に、顔を熱くさえながらもなんとか言葉を発する。
「お、お役に、立てたなら、嬉しい、です…」
「これでようやく、仮初を脱ぎ捨てられる…」
「え?」
「薬はレイモンドにでも届けさせてくれ、あいつに言えばすぐにでも飛んでいくさ。」
「は、はぁ…」
「またな、お嬢!」
そう言うや否や、クーは窓から飛び降りていった。
結構な高さがあるにも関わらず、猫の様なしなやかさで地面に降り立つとすぐに見えなくなる。
嵐の様とは正にこの事か…と若干意識を飛ばしていたが、クーが嬉しそうならまぁいいかと思ってしまうあたり私も大概疲れているのかもしれない。
(兎も角、私は私の仕事を完遂させますか。態々レイを指定したってことは根回しはしておいてくれるってことでしょうからルナが戻ったらレイに薬を届けてもらう事に……あれ?)
ぽふんとソファに座り直し、これからの事を考えている時にふと過る疑問。
「私、クーにレイの本名教えたっけ……?」
読んでいただきありがとうございました!
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