第六十一話
『さぁ!神の御使いよ!この場にいる全ての人間の魂を喰らい、我が願いを叶えたまえ!!』
不快な声が聞こえる。
愉悦に満ちた表情で狂ったように笑い声をあげる男が黒光りする美しい狼を差し向ける。
圧倒的なまでのオーラを持つ狼が一歩、また一歩と私に近寄ってくる。
脅威を退けようと暗器を投げたり、魔法を放ったりするが全く太刀打ちできない。
このままではマズイ、直観で悟ると同時に逃げ出す私を狼は足取りそのままに追いかける。
その歩みはゆっくりのはずなのに、急いで逃げる私にどんどん追いつきついには追いつめられる。
肌に感じる息遣い、眼前に迫る牙、そして嫌に赤く見える舌がスローモーションで近づいてくる。
嫌だ、嫌…嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌いや…
「いやぁあああぁあぁ!!!」
「お嬢!!」
逃げたいのに体は何かに拘束されているように動かない。
早く逃げないとあの牙が私の魂を喰らってしまう。
魂が失われればそれは次なんてない、本当の死、本当の終わりだ。
そんなのは嫌だと藻掻き続けるが、体は自由にならずさらに恐怖が増す。
「落ち着け!ここに敵はいない!!お嬢を傷つける奴なんていない!!」
「やめて!!離して!!」
「メリンダ!!…くそっ!」
恐怖が目と耳を塞ぎ、思考を放棄させる。
兎に角ここから逃げ出したい一心で身を捩る私に温かい何かが触れる。
それは酷く柔らかくて、一瞬恐怖が刺激されるがそれを上回る程の優しさが包み込んでくれる。
(…?)
それが何かを判断することはできなかったが、降り注いだ優しさは恐怖によって塞がれていた目と耳を解き放ってくれた。
私は拘束されていたのではない、悲鳴をあげる私を抱きしめてくれていたのだ。
怖くてたまらなくてガタガタ震える私を、しっかりと抱きしめてくれる腕はとても安心できて次第に震えが収まっていく。
震えが収まれば次に意識が晴れていき、どうして私が怯えているのかも、私を呼んだ声が誰なのかも理解し始める。
「くー……?」
「ああ、ここにいるぞ。」
恐る恐る見上げた先には執事の姿をしたクーが心配そうに私を見ていた。
容姿は全く違うのに、私に向ける視線は変わらないように思えて酷く落ち着く。
その余波だろうか、目尻に貯まった涙が一筋零れた。
「わたし…」
「お茶会が襲撃にあってその後、倒れたんだ。おそらく、神気に当てられたんだろう。」
「神気…」
その言葉で一気に記憶が蘇る。
黒狼が去った事とクーが来たことで緊張の糸が完全に切れ、処理落ちしたのだと理解しても身体の奥底に燻る冷たい感覚は抜けてくれない。
この感覚がクーの言う神気に当てられたという事なのかもしれないと頭では分かるのに、心は悲鳴を上げ続けている。
クーが私を抱きしめてくれていなければ、未だに錯乱状態が続き自傷行為に発展していたかもしれない。
「その様子だと思い出したか。」
「は、い…でも、すみません…まだ…」
「いい、分かってる。心配しなくともお嬢が落ち着くまでずっとここに居るから。」
「すみません…」
「こういう時に言うセリフか?それ。」
「ぇ…ぁ……ありがとう…」
「ん。」
まるで幼子にするかのように頭を撫でられる。
常ならば馬鹿にしているのかとか、からかっているのかだとか噛み付くような行為ではあるが今はそれがとても心地いい。
もっとして欲しくて無意識に頭を摺り寄せれば、クーは嬉しそうに口角を上げてくれる。
それがなんだか嬉しくて、次第に凪いでいく意識が優しい眠りに落ちるまでクーの掌を甘受していた。
「んっ…」
「!お姉様!気が付かれましたか!」
「ルナ…」
次に目を覚ました時、傍にはルナが居た。
心配そうに表情を歪めていたルナは私が目覚めたことで安堵したのだろう、目じりに若干涙を浮かべている。
クーに宥められながら眠りについてからどれぐらい経ったのかは分からないが、周囲の状況に目を向けられる程に回復した余裕を見るにかなりの時間眠っていたのかもしれない。
「私、どれぐらい眠っていたの?」
「三日です。」
「三日!?」
「はい…アンシュル様の見立てでは神気を至近距離で浴びたことで魂が疲弊したのだろうから意識さえ戻れば大丈夫だとおっしゃっていました。」
クーが言っていたのと同じことを告げられ、改めて自信を顧みれば体の奥底に燻っていた冷たい感覚はなくなっていた。
浴びた神気が抜けた事で疲弊した魂が回復し、意識を取り戻すことができたのだと理解する。
「それは心配をかけたわね、ごめんなさい。」
「いいえ。お姉様が目覚めてくれたのなら、私はそれ以上を望みません。むしろ、あの時お力になれず申し訳ありません…」
「ルナが気にする事じゃないわ。それに、それを言うなら私の方よ。」
しゅんとしながら謝罪するルナに、苦く笑いかける。
緊急事態だったとはいえ、碌な説明もせずに強制卒倒させたのは決して褒められる事じゃない。
というか当初私が予想していた事態は外れていたのだ、悪手ではないにせよ最善ともいえない事を強行したのだから謝罪すべきはこちらだ。
「事情があったとはいえ電撃で貴女や他の皆様を卒倒させてしまって本当にごめんなさい。」
「あ、頭をお上げくださいお姉様!お姉様が動いてくださらなかったら今頃、私達はここに居ません!」
「でも、痛かったでしょう?加減を間違えたのか防御していた私も痺れるほどだったし…」
「それは…否定しませんがそれだけで済んでよかったと思うべきです。神の御使いと相対するだなんて常人には不可能ですし、何よりあそこで私達の意識を刈り取らなければ即座に魂を入れ替えられていたかもしれませんから。」
「どういうこと?」
「それは、私から説明しよう。」
「お父様。」
ルナの言葉にそっと顔を上げれば、いつの間に来ていたのかお父様がすぐ近くにいた。
ルナの近くに控えていたレイがお父様に私の目覚めを知らせてくれたらしいのだが、目が覚めてから今までレイが近くにいたことに私はまるで気づいていなかった。
周りの状況に目を向けることができるようになったと思っていたが、どうやらまだ本調子ではないらしい。
「目が覚めて安心したよ、メリンダ。」
「ご心配をおかけしました。」
「本当はこのまま休むように言いたいのだが、事情が変わってね。少し話をさせてほしい。」
「勿論です。」
私を慮ってルナが背にクッションを置いてくれたのをありがたく使いながら、お父様の言葉に耳を傾ける。
お茶会の襲撃者たるあの男はクーが衛兵と共に突入したことで無事に捕縛されたが、茫然自失の状態らしく意思の疎通がままならないらしい。
他に事情を知っていそうなミドル伯爵令嬢は一命こそ取り留めたが重度の魔力欠損に陥っていて意識不明、とても事情聴取なんてできる状態ではない。
そんなわけで矛先が私へと向けられたのだ。
とは言っても私は被害者であり、魂が疲弊するという重症を負っている身なので事情聴取はお父様が代行することになったらしい。
「あの時、一体何があったんだい?」
「余興としてあの男がミドル伯爵令嬢に特殊な鉱山で採れた水晶玉を手渡しました。ですがそれは、ミドル伯爵令嬢の全魔力で魔道具を精製するため。その魔道具の効果についての詳細は分かりませんが、あの男の口振りからすると魂の入れ替えを可能にするもの、もしくはそれに該当する何かだと思われます。」
「魂の入れ替えなんて、可能なのですか?」
「本来は不可能よ、だけどあの男ならそれが可能なのでしょう。だってあの男は、おそらく…ネクロマンサーだから。」
「なんだと!?」
私の言葉に驚愕するお父様とネクロマンサーという言葉の意味が分からず首をかしげるルナ。
両極端な反応だが、ルナの反応の方が一般的だ。
何故ならネクロマンサーとは、禁忌の存在として闇に葬られた。
ネクロマンサー、前世で言う所の死霊使いでありこの世界においても同じ力を持つとされている。
だが、過去にその力を悪用したことで存在自体を禁忌とされ、詳細な実態や経緯などと共に葬られた。
それによりネクロマンサーという言葉自体が消滅しているのだが、極々一部の人間は今日までその知識を継承している。
万が一にも、悪夢の再来を防ぐために。
「何故、その名を知っているんだ?」
「…書物から。」
いくら継承しているとはいえ、それは本当に極々一部でありその中に勿論私の様な子供はいない。
本来なら知らないはずの知識を知っている私にお父様が疑念を抱くのは当たり前だ。
だからと言って情報源を告げることもできない。
前世でこの世界に酷似した小説を読んだことがあるからと馬鹿正直に言えば、頭がおかしくなったと思われるのがオチなので嘘じゃないが正確でもない答えを言ってみたがお父様は納得してはくれなかった。
「それはどんな本なんだ?この屋敷にある本か?」
「いえ、この屋敷ではありません。」
「ではどこで見たんだ?」
「えーっと…その…」
事が事だからか追及の手を緩めてくれないお父様にどうしようかと冷や汗を流していると、脳裏に電球が光った。
「正確な場所は分からないのですが、ガルツ国に向かう道中で読みました。」
「ガルツ国に向かう途中というと、囮として赴いた時かい?」
「はい。どこかの小屋らしき所に押し込められていた時に見つけた本に書いてありました。」
あの時のことをお父様は知らないし、もし調べられたとしても闇ギルドが関わっていればいくらでも言い訳ができる。
何故なら、闇ギルドの中には本物のネクロマンサーが在籍しているのだ。
小説に登場するキャラの一人で、最後にちゃっかり美味しい思いをする奴なのでこの程度の押しつけは許されるだろう。
「そうか…メリンダ、知ってしまったのならば仕方がないが決してその名を外で口にしてはいけないよ。」
「はい、お父様。」
「そしてルナも。意味は分からなくていい、いや、むしろ知ろうとしてはいけない。いいね?」
「はい。」
念を押すお父様に素直に頷く。
世の中、知らないほうが幸せなこともあるのだ。
「しかし、これで合点がいった。ソレが居たのならば神の御使い疑似降臨させたのにも納得がいく。」
「疑似…ということは、やはりあれは正式な降臨ではなかったのですね。」
「ああ。メリンダが運ばれてから殿下が現場検証を行ってね、正式にそれが立証されたよ。」
メリンダが眠っている間にアンシュルが現場に駆け付け、残った神気から神の御使いが降臨していたことが判明した。
本来ならこのような事件に王族は関与しないがクーから報告でも上がったのだろう、結果として常人には判別できない神気を感知し捜査に大いに貢献されることとなった。
加えて、ミドル伯爵令嬢に渡された水晶玉の残骸から王族の魔力の残滓も検出された。
とはいえ、こちらに関しては殆どミドル伯爵令嬢の魔力と融合してしまっているので誰から採取されたのかの特定はかなり時間がかかるらしいが、アンシュルの指示のもと急ピッチで見分が行われている。
「アレの力について詳しく教えることはできないが、現状存在する材料を使えば疑似降臨を可能にしてしまうんだ。」
「なるほど…」
「しかし、そんなことをしてアレは何がしたかったのかメリンダは分かるかい?」
「誰かからの命令で中立派の貴族を傀儡にしようとしていたようです。」
「中立派ばかり揃った所を狙われたということか。となると、そんなことをするのは自ずと限られる。」
私からの情報でお父様も同じ推察に行き着いたらしいが、その表情は険しい。
アンシュルから情報を貰っているが、私よりもポロス国内の情勢について詳しいお父様はこの情報で私よりも由々しき仮説を立てたのかもしれない。
アンシュルとルナの平穏の為にも力になりたいが、目覚めてから今まで喋っただけでかなり疲弊してしまっている。
この屋敷に所蔵されている本を粗方読んだとはいえ、まだまだ魂についての見識は深くないのでどうすれば回復が促進されるかもわからない。
こんな状態では足手まといどころか、単なるお荷物だ。
「ありがとう、お陰で捜査がはかどりそうだ。」
「お役に立てたのなら幸いです。」
「これ以上ないほどだとも。さて、そろそろ私達は退散するとしようかルナ。魂の回復には静養が一番だからね。」
「あ…はい…」
お父様の言葉に名残惜しそうにするルナ。
その表情は私に最も必要なことが何かは分かっているが、それでも傍に居たいとハッキリ書かれていて思わず和んでしまう。
思わずここにいてもいいと言ってしまいそうになるが、そうすればルナの性格上ずっと張り付きかねないし、そんなことをしたらルナの方が参ってしまう。
それは嫌なので申し訳ないが、ルナの気持ちには気付かぬふりを貫き通させてもらう。
「お姉様…」
「大丈夫よ、ルナ。お父様の言う通りに静かに寝ていれば時期に回復するわ、安心して。」
「はい…」
回復した暁にはめいっぱいお願いを聞くからと、内心で言い訳しながら名残惜しそうに退室するルナとお父様を見送った。
読んでいただきありがとうございました!
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