第五十六話
「ごきげんよう、でん……か?」
「やぁ、メリンダ…」
ルナとの楽しい料理教室を満喫し、いつの間にかお出かけになられていたお兄様を欠いた三人での夕食を済ませてから就寝すればそこは夢の庵。
珍しく私の方が早かったようで夢の景色を眺めながらアンシュルを待つこと暫く。
視界の隅にその姿を見て振り返れば、そこにいたのはげっそりとやつれたアンシュルだった。
思わず疑問形の言葉となってしまう程に草臥れた姿に、一体何があったのかと不安にある。
この状況でアンシュルがここまで疲弊するような出来事となると、かなり穏やかではない。
まさか、メンシス国が宣戦布告でもしてきたのかと顔を青くさせる。
「どうなさったのですか?まさか、何か不測の事態でも?」
「いいや…そんな大それたことじゃない…メリンダ…」
「はい。」
「君の気持ち、痛いほどわかったよ…」
「はい…?」
一体どういうこと?と首を傾げれば、ゆっくりとアンシュルが経緯を話してくれた。
私とアンシュルが惹かれあっているという噂は王妃が流したということ。
王妃がそんな噂を流したのはアンシュルの為だったこと。
自分の世界に閉じこもりがちだったアンシュルがアンシュルになる前のアンシュルに王妃が自分の幼い頃を重ねていたこと。
そんなアンシュルが変わったきっかけが私であると勘違いしたこと。
そして、それらからなる一連の騒動に終止符を打つべく直談判したこと。
その全てをゆっくりと話してくれた。
「と、いうわけだ…」
「な、なるほど…」
正直、かける言葉が見つからない。
私も両親から婚約の話が出た時は混乱よりも怒りのほうが強かったのでその場は何とか取り繕えたのだ。
だが冷静になればなるほど望まない現実に打ちのめされる。
しかもそれが善意からくるのだ、遣る瀬無いったらない。
私のように絶望に飲まれず、冷静さを保てたアンシュルに拍手を送りたいぐらいだがそれもまたアンシュルはきっと望まないだろう。
私がアンシュルの立場なら望まないからというのもあるが、決して栄誉とは思えないからだ。
「そ、それでその…その後はどうなったかお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ…何とか母上も分かってくれたんだが、随分と消沈していてな…もう暫くオートクチュール公爵夫人を借り受けることになりそうだ…」
「お母様を?」
「あの後、アイツに調べてもらったんだがあの二人、本当ただの親友だったようでな…消沈した母上を元気づけるついでにオートクチュール公爵夫人の愚痴を解消するという名目で酒盛りをするらしい。」
「さ、酒盛り…」
「一夜で回復すればいいが、あれは暫くかかりそうだと言っていた…」
仕事を疎かにする人ではないから飲んで仕事してまた飲んでという感じだろうなと、アンシュルは遠い目をしながら呟いた。
私はアンシュルやクーが手を回してくれたからよかったけど、そうでなかったきっと私がアンシュルの様になっていたことだろう。
同情を禁じ得ない、というよりほかにどんな感情を向ければいいかわからない。
「で、でもこれであとはメンシス国の動向さえどうにかなれば万事問題なく進められるということですよね!!」
「まぁな…」
「でしたら気分転換もかねて我が公爵家においでになりませんか?実は、ルナとお菓子作りに励んでいましねて。ルナの作るお菓子、とても美味しいんですよ!」
「ルナの、お菓子…?」
どんよりとしていたアンシュルの瞳が、僅かに輝きだす。
食いついた!と見るな否や、さらに畳みかける。
「まだまだ練習中なのですが、お菓子以外にも学んでいる最中なんですが料理の上達には誰かに食べてもらうのが一番!この名目を使えば、頻繁にルナに会うことができますしルナの手料理も堪能できますよ!!」
「ルナの…手料理…」
「さらにさらに!!今我がオートクチュール公爵家のガゼボは美しさの盛り!!雰囲気抜群のあの場所でならいい雰囲気になること間違いなしです!!」
「ルナと…」
まるで通信販売の販売員かの様な口調ではあるが、アンシュルの脳内ではルナとの甘い逢瀬の光景が再生されているようで草臥れていた顔に生気が戻っていく。
(こんなに効果があるならやっぱりカメラを開発するべきかしらね…何か応用できそうな魔道具あったっけ?)
「ありがとう、メリンダ。お陰で活力が湧いてきた。」
「それはよろしゅうございます。」
「日程については追って知らせる!そうと決まれば今抱えている案件を早々に片づけるぞ!!と、言うことで今宵はこれで失礼する!」
「え、あ、殿下!?」
来たときは打って変わって爽やかな笑顔で夢の庵を飛び出していくアンシュル。
少し元気にさせすぎたか?と強制的に白く染まっていく夢の光景を目にしながら呆気にとられるのであった。
*
「んっ…」
目が覚めると、まだ空は夜の帳が降りていた。
さながら嵐のように去っていったアンシュルに引っ張られたからなのか、いつもなら寝ているはずの時間に目が覚めてしまった。
加えて、変に力の入った熱弁をしてしまったからか眠気が全くない。
だからと言ってシアに温かい飲み物を頼むにも憚られる時間だし、夜の散歩と洒落こもうかとも思ったが身投げ未遂を起こして以来、自室のテラスは厳重に施錠されるようになってしまった。
身から出た錆と言われれば何とも言えないが、こういう時は不便だ。
(書庫から本でも持ってこようかな…ん?)
眠くなるまで本でも読もうかと身を起こすと、枕元に備え付けられているドレッサーが目に入る。
なんとなく一番大きな引き出しを引けば、そこにはレイを保護した日に購入した帽子が綺麗に収められていた。
(…忘れてたぁああ?―――――――――――――――!!!!)
結晶の意味をレイから教えられ、これはアンシュル経由ではなくルナに直接渡したほうがいいと判断してすぐに取り出せるようにクローゼットからこちらに移しておいたということ自体を失念していた。
あれから絶望したり驚愕したりと色々あったのは確かだが、まさか今の今まで綺麗さっぱり忘れているとは、思わず膝をつく。
今夜の様なことがなければ、下手をするとずっと忘れていた可能性すらある。
(でも、このタイミングで思い出せたのならまだ大丈夫…むしろいい機会ともいえるかもしれないわ!明日の練習後のお茶会ででも渡しましょう!)
まだ慌てる時じゃないと自分を落ち着かせながら、夜は更けていった。
「ルナ、貴方に返さなくてはならないものがあるの。」
「返すもの、ですか?」
翌日、講義を終えてからの料理教室後のお茶会で真っ先に切り出した。
もう忘れることはないと思いたいが、不安ならさっさと済ませてしまうに限る。
お菓子を一口食べ、落ち着いたところで早速切り出せば、何のことだと首をかしげるルナの前にあの帽子を置いた。
「これよ。」
「これは…!」
「色々あって遅くなってしまったけれど、ルナが売り払った宝石はこれで間違いないかしら?」
「はい…間違いありません…あの日、私が手放した“月の雫”です…」
(月の雫…?)
どこかで聞いたことがあるようなある響きに思考を持っていかれそうになるが、感極まったように結晶を見つめるルナに何とか踏みとどまる。
気になることは後で考えればいい、今は何よりも目の前のルナだ。
「よかったわ。これで、ようやく貴女に返すことができる。」
「で、でも本当によろしいのですか?この帽子はお姉様が購入されたものですし、こんな素敵に作られているというのにいくら宝石が私の物だったからと言って…」
「いいのよ。確かに素敵な帽子だけれどこの宝石はルナにとってとても大切な物でしょう?」
「どうして…」
「ごめんなさい、レイに教えてもらったの。この宝石の意味を。」
「!」
私がそういうと目を大きく見開きながら頬を染める。
その様子にやはりレイから聞いておいてよかったと内心で呟く。
転生者というのもあるが、何よりもポロス国の住人にとってこの宝石に宝石以上の意味を見出すことはきっと困難だ。
ならばなおの事、ルナの手にあったほうがいい。
(そしてその方が、私にとっても都合がいい。)
「だからこそ、これを貴女に返したいと思うのよ。ルナが心から想う方にきちんと渡せるように。」
「お姉様…」
「私が帽子に払った対価を気にしているのなら、貴女がその宝石を贈った相手が誰なのかを一番に報告してちょうだい。それでチャラよ。」
「っはい…必ず、ご報告いたします。」
目尻に涙を貯めながら、ルナは嬉しそうに笑う。
この笑顔を見れたのだから本当は交換条件じみたものなんて要らないのだが、それではルナが納得しないだろう。
結果として、ルナとアンシュルの祝事を一番に知る権利という幸福を手にしたのだからむしろ私の方が貰いすぎている気がするので余剰分はきっちり働いて貢献することにしよう。
(やっぱりカメラ作ろう。日常のワンシーンを保存しておくのも大切だけど二人の結婚式という一生に一度の場面を記録しておくには必需品だものね!そのためなら多少法に触れることだって…いざとなればアンシュルの権力で…)
「そういえば、お姉様はこの宝石の意味をレイから教えられたのですよね?」
「!ええ、とても興味深い話だったわ。」
若干暴走しかけた思考がルナの声で軌道修正される。
まるで、黒いことを考えるなと窘められた気がして少し表情が苦くなるが運よくルナは気づかなかった。
というよりも、外の事に気を取られているようで言葉を選ぶようにゆっくりと口を開く。
「その中に、その…求婚を現す彫り模様の話って、ありましたか…?」
「あったわよ。それを聞いてとても驚いたけれど同時にとてもロマンチックだと思ったわ。」
「本当ですか!?」
「え、ええ…」
身を乗り出すルナに驚くが、あの時の感想を素直に言葉にする。
この世界の住人がどのように感じるかは分からないが、私にしてみれば前世で言う所の結婚指輪の様な感覚なので純粋に憧れる。
前世では結局、縁がなかったけれど。
「特別な彫り模様を刻んで相手に渡すのでしょう?それってとても素敵なことだと思うわ。だって、その宝石は世界にただ一つだけなんだもの。」
「では…その彫り模様を実際にご覧になられたことは?」
「ないわ。だからルナ、いつか貴女が贈った時にでも見せてもらえたら嬉しいわ。」
モノ作り好きとしては是非とも彫り模様を見ておきたい。
流石に宝石は知識が浅いから分からないが、帽子に使われていたルナの宝石はそれほどまでの硬度ではないように感じた。
力加減を間違えれば瞬時に粉砕されてしまいかねない宝石に装飾を加えることは至難の業だ。
「え~っと、お姉様が望むのであればやぶさかではありませんが…きっと、私のではなくともお姉様はご覧になられる気がしますというか、ご覧になって欲しいというか…」
「見せづらいものならいいのよって…ルナ…?」
もごもごと言いにくそうにするルナに、もしかして彫り模様を見せることは恥ずかしい事なのだろうかと心配になり、問いかけようとするが何やらそれどころではないようでブツブツと何かを呟いている。
呟く言葉の最後らへんは聞き取れなかったけれど、なんだかその姿がアンシュルと似ていて場違いながらも和んでしまう私だった。
*
夜、就寝準備を終えてさぁ寝るかとベッドに潜り込もうとしていた時、コツンと音が鳴った。
音の発生方向はテラス、それだけで私は察した。
「こんばんは、クー。」
「厳重になってんな、お嬢。」
窓の外にいたのはやはりクーだった。
魔法を使った厳重な施錠だからか、クーは無理に侵入しようとはしてこない。
ただの予想だが、おそらくクーならば突破することができるだろう。
それをしないのは、この施錠を無理に突破すればすぐにお父様や公爵家に仕える騎士達に連絡が行くことを見抜いているから。
やはり、只者ではない。
「まぁ、予想通りっちゃ予想通りだな。あんなことをしたんだからな。」
「そのことに関しては身に染みているわ。」
「ならいい。んじゃ、今夜の本題だ。王子様から伝言だぜ、三日後に訪問するので二日は良く休むようにだとさ。」
「承知したわ。でも、二日もだなんて…そんなに王宮はゴタついているの?」
「王宮というか王妃だな。仕事はしてるみたいだがここんとこの夫人を巻き込んで酒浸りだ。」
「えぇー…」
事情はアンシュルから聞いていたが、そこまでなのかと思わざるを得ない。
子を持ったことがないから余計に王妃の心情が分からないのだろうが、王妃だけの問題でここまでなるとは思えなかった。
あまり会話はしたことはなかったが、実際に初めて会った時の王妃はとても理知的に見えたのだ。
とても消沈するような出来事があったとしても、うまく折り合いをつける術を知っている人だと。
きっとそれが酒盛りなのだろうが、そういう人は一日や二日飲んだら切り替えるイメージがあるので余計に違和感がある。
まぁそのイメージが私の勝手な思い込みだと言われればそれまでなのだが。
「ま、なんにせよそういうことだから準備しとけよ。当日は俺も護衛として同席するんで。」
「クーも?」
「なんだ?俺がいちゃマズいのか?」
「いいえ、ちょうどいいと思って。ねぇ、クーはどんな味が好みかしら。殿下が参加されるお茶会だからハンバーグみたいなのは出せないけど、可能な限り要望には応えるわよ。」
「!」
不貞腐れた様な表情から一変、期待に満ちた表情に変わる。
擬音が付くなら間違いなくパァアという音が付くほどの見事な変わりように、思わず笑みが零れる。
「なら、そうだな……チョコレートを使った菓子がいい。」
「チョコレート?」
「ああ。チョコレートを使った苦くない奴がいいな!!」
「分かったわ。」
私が頷けば、クーは本当に嬉しいと言わんばかりの笑みを浮かべる。
ハンバーグの時もそうだがいつものとギャップに思わず手が動こうとする。
きっと、目の前に窓がなければ頭を撫で繰り回していたに違いない。
「たくさん用意しておくから、楽しみにしておいてね。」
「ああ!期待してるぜ、お嬢!」
これ以上このギャップを浴びていると私が施錠を破壊しかねないので、勿体ないがお開きへと誘導する。
案の定、クーはその誘導に乗り嬉しそうな表情のままテラスを後にした。
(アンシュルやルナ以外に、もう少し見て居たいと思う人ができるだなんてね…)
その後姿が見えなくなっても、私は暫くの間その場に佇んでいた。
読んでいただきありがとうございました!
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