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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第三十二幕「しかたなくエチュード」

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98/105

一席


 二年目の冬。吐く息の白さが、劇場の重厚な石造りの壁に溶けていく季節。


 ポメロにとって、四番舞台の楽屋裏はもう庭のようなものでした。

 

 かつては迷路のように感じられた入り組んだ廊下も、今では埃っぽい匂いさえ心地よく感じられるほど、その身体に馴染んでいます。


 毎週土曜の恒例、音楽ランキング番組【ザ・上から10!】。


 ポメロは、漆塗りのケースを背負ったまま、騒がしいスタッフたちの間を縫って歩いていました。

 

 向こうから、取り巻きを数人連れた、見紛うことなき王者の風格を纏った男が歩いてきます。


「……また貴様か」


 失敬。王者ではなく王子様でした。


 「スーパーダーリン」との通称を持つ男性ボーカル・ネオが、傲慢さと親愛が入り混じったような、絶妙な角度で眉を上げました。


「どもです、ネオさん」


 ポメロは軽く会釈を返します。

 

 この一年の間に、二人の距離感は【イキリと小動物】から【腐れ縁の戦友同士】へと、静かに、けれど確実に変質していました。


「新曲か?」


 ネオが、ポメロの背負ったギターケースを顎で指しました。

 

 その視線は、ライバルの動向を冷徹に探る表現者のそれです。


「いいえ。今日は10位返り咲きですね、『ストゥペンド』の。リクエストがまた増えたみたいで」


「フン、あれも息長えよな。ゾンビか、貴様の曲は」


「お陰様で、しぶとく生き残らせてもらってます」


 皮肉をさらりと受け流す術も、ポメロはいつの間にか身につけていました。


「ネオさんは」


「久々に一位だよ。……いや、当然の結果だな」


 ネオは、自らの金髪を軽くかき上げ、鼻で笑いました。

 

 けれどその口元には、隠しきれない達成感が滲んでいます。


「一位、おめでとうございます! さすがですね」


「まあ当然だ。ようやく新六歌仙のお披露目も済んで、政治介入が無くなったようだしな」


「ポメロさーん、スタンバイお願いしまーす!」


 舞台監督の声が、喧騒を突き抜けて響きました。

 

 ポメロは「はい!」と短く応え、ネオに向き直ります。


「ではネオさん、お先に。下からしっかり温めておきますから」


「おう。前座として、せいぜい盛り上げろ。退屈させたら殺すぞ」


 背中でネオの不遜な激励を聞きながら、ポメロは舞台へと続く暗い通路に足を踏み入れました。



───── ♬ ─────



 ステージの袖から客席を覗き見れば、親に連れられた子供たちの姿が一時期より減っているように思われます。


(……『ストゥペンド』の人気も、そろそろ落ち着き時かな)


 そんなことをぼんやりと考えながら、ポメロは出演者専用の「例の黒革のソファー」に深く腰を下ろしました。

 

 隣には9位にランクインしたベテランの演歌歌手が座っており、「最近の若い子は喉が強いわねぇ」なんて他愛のない雑談を交わしています。


 穏やかな舞台端の空気でした。


 しかし、その平穏は突如として破られました。


「大変です! 8位の『ピアノロール』のお二人が、積雪による馬車渋滞で到着できません!」


 スタッフの悲鳴に近い報告に、現場に戦慄が走ります。

 

 あらゆるステージには、女神の定めたもうた絶対の掟──【五曲の縛り】というルールが存在します。

 

 誰かが欠席し、そのまま進行してしまえば、今日のステージは合計9曲になってしまいます。

 

 それは明白なルール違反であり、女神の不興を買う禁忌です。


 ゆえに、代打は必然でした。


「急遽、エキシビション枠を投入します! ランキング外ですが、今、界隈で花丸急上昇中の大注目株です!」


 司会者の威勢のいい声が響き、ステージの照明が眩いピンク色に弾けました。


「ご紹介しましょう! 今もっとも「危うい」アイドルグループ、【カスタネットくらいしす】の皆さんです!」


「ウォォォォッ!」


 地響きのような歓声……を期待した会場でしたが、実際に声を上げたのは最前列付近に陣取った、わずか五人程度の熱狂的なオーディエンスのみでした。

 

 残りの観客は「……誰?」という戸惑いの表情でステージを見つめています。


 ていうか何で緊急代打の強火ファンがスタンバってるん?


 そんな業界摩訶不思議はさておいて、司会者の次の言葉が、ソファーでくつろいでいたポメロの心臓を跳ね上がらせました。


「本日披露していただくのは、なんと現在10位にランクイン中のポメロさんによる楽曲提供作品となります!」


「なんて?」


 耳を疑うとはこのことです。ポメロはソファーからずり落ちそうになりながら、ステージ中央を凝視しました。

 

 寝耳に水どころか、頭から氷水をぶっかけられた気分でした。


「歌いますのは──『元気が有ってたいへんよろしい!』」


「なんて?」


 それは、かつて奏鳴荘でフォルテを煽るためだけに作った、あの救いようのない「太鼓持ち」の歌ではありませんか。

 

 あんな内輪ノリの極地のような曲を、誰が、いつ、どこで、アイドルに横流ししたというのでしょうか。


「ではご登場ください、どうぞ!」


 鼓膜を突き破らんばかりの絶叫と共に、極彩色の衣装を纏った少女たちがバネのように跳ね出してきました。

 

 センターと思しきゴージャス縦ロールに至っては、フォルテのように丸太を抱えて。


「なんて?」


 フォルテのような鳴き声で。


「ヤー!」


「なんて?」


 ポメロの呆然とした呟きは、容赦なく鳴り響くカスタネットの乾いた音にかき消されていきました。


「「「「「カスタネットぷりちー♪」」」」」


「「「「「ををををぷりちーっ!!」」」」」


 ピンクの閃光と共に放たれた決めポーズ。

 

 最前列の熱狂的な5人以外を置き去りにして、会場の空気は一瞬、北極圏のような静寂に包まれました。

 

 無理もありません。

 

 若さが爆発している煌びやかなアイドルグループ……のはずが、そのセンターに、あまりにも見覚えのあるハジケリストが鎮座していたからです。


「参りましたわよ!」


 吠えるその生き物は、ゴージャスな金髪の縦ロールを揺らし、これまたゴージャスなドレスに身を包んだ、奏鳴荘の暴君──フォルテでした。


 他のメンバー4人は、対照的に地味なゴシックメイド服を纏った黒髪の少女たちです。白漆喰のようなホワイトブリムが、センターのお嬢様を際立たせるための装置として完璧に機能しています。

 

 コンセプトは一目瞭然。

 

 高慢なお嬢様と、それに傅く哀れな従者たち。


「おおーーーーーっほっほっほ!」


 フォルテ、案の定、地声がデカすぎました。


「おおーーー」


キィィィィィィィィン!


 凄まじいハウリングがスピーカーを突き抜け、客席の子供たちが耳を塞ぎます。

 

 慌ててミキサー席のスタッフがフェーダーを絞り、ピンマイクを調整する修羅場でした。

 

 そこへ、熟練の男性MCが苦笑いを浮かべて割って入りました。


「いやー、タイトル通りに、本当に元気が有り余ってらっしゃる! その縦ロール、実にお似合いですね」


「これ、ヅラですけどブチ気に入ってますの!」


「言わんでいいことを……っ!」


 お供のメイドの一人が、目にも留まらぬ速さでスリッパを振り抜き、フォルテの後頭部を快音と共にブチ抜きました。パンッ!


「なにしやがんですの! 痛いですわ!」


「頭にハエが止まっていましたので」


「サンキューですわ!」


 会場にドッと笑いが起きました。MCの顔にも安堵の笑みが浮かびます。

 

 もはやここが音楽番組のスタジオなのか、場外乱闘のコント会場なのか判然としませんが、これも「フォルテだから」という理由ですべて解決してしまいます。

 

 それにしても、お供たちのフォルテの扱いの手慣れたことよ。ご愁傷さまです。


 『セットOK』


 ステージに設置されたカンペが「歌の準備」を急かします。


「さて、ここから一体どんな【元気】が飛び出すのか、目が離せませんね」


 女性MCが、どこか祈るような表情でタイトルをコールしました。


「カスタネットくらいしすの皆さんで──『元気が有ってたいへんよろしい!』」


 ステージ中央、一段高く設えられたいかにも豪華そうに見える塩ビ製の椅子に、フォルテがお嬢様然としてどっしり腰を下ろしました。

 

 その足元には、四人の従者が恭しく跪いています。


 完全なる静寂。


「よくってよ、よくってよ」


 フォルテが羽の扇をバッと広げた瞬間、軽快なイントロが爆発しました。

 

 従者たちが一斉に立ち上がり、どこか「頑張っている感」が滲み出る、拙くも一生懸命なダンスを披露します。


 そして歌い始めたのは──従者たちでした。


 フォルテは座ったまま、扇をパタパタさせながら「おーほっほ!」と合いの手を入れるだけ。完全に太鼓持ちをさせています。


 曲がBパートに差し掛かったとき、お嬢様はおもむろに立ち上がると、何を思ったか巨大なモニタースピーカーに歩み寄りました。


「これ、音で体がブルブルですの! すごいですわー!」


「座ってなさいって!」


 端っこにいたお供が、必死にフォルテの腕を引っ張って椅子に引き戻します。

 

 しかし、お嬢様の暴走は止まりません。


「あら! こんなところにポメロ兄さま! お久しぶりですわー! ヤー!」


「このバカ姫様!」


 二番目のお供が取り出したハリセンが、フォルテの脳天を直撃しました。


「痛いですわ!」


「本番中です」


「そうでしたわ!」


 お嬢様はようやく椅子に戻り、従者たちも何事もなかったかのようにフォーメーションを復帰させます。

 

 そして、怒濤のフィナーレへ。


 ♪── こ・う


 ♪── い・う


 ♪── し・か


 ♪── な・い


 ♪── のー……


「「「「元気が有ってたいへんよろしい!」」」」


「おーっほっほっほ!」


 フォルテは結局最後まで歌いませんでした。


 斬新! 歌わないセンター!


「「「「「カスタネットぷりちー♪」」」」」


 決め台詞に決めポーズ。そろってかちかちかち!


「「「「「ををををぷりちーっ!!」」」」」


 地鳴りのような歓声。会場は、登場時とは比較にならないほどの熱気に包まれていました。

 

 それは、ポメロが『ストゥペンド』を歌ったときよりも、明らかに温度が高かったのです。


「ポメロ兄さーん、改めておひさですわー!」


 スポットライトを浴びたフォルテが、ソファーで硬直しているポメロに向かって、親指を立てながら満面の笑みを送ってきました。



───── ♬ ─────



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