三席
九月の夜風が、奏鳴荘の屋根を低く鳴らして吹き抜けていきます。
ポメロの自室は、吐き出された熱気と、何十枚もの書き損じの五線譜で埋め尽くされていました。
中央に鎮座する少年は、一言も発さぬまま、ただ一点を見つめています。
独自の知識を持つ六人との対話で得た断片が、脳内で巨大な万華鏡のように回転し、激しい不協和音を奏でていました。
有識者会議。
有識者会議。
有識者会議──!
結局、行き着く先はそこなのです。
楽壇の心臓部を握り、血管を流れる音の一粒一粒までを支配している影の権力者組織。
「探るな」「言うな」「知るな」という呪いにも似た沈黙の掟を街中に浸透させ、絶対的な玉座にふんぞり返っています。
確かに、彼らの辣腕がこの街を音楽の都へと押し上げ、大陸中の富と才能を集めたのは事実でしょう。
だが邪魔だ!
でも必要だ!
六歌仙という頂へ至る門番が見えないという事実は、表現者としてのポメロの魂を激しく逆なでしました。
(推薦を得ろ? 過半数を頷かせれば、冠は僕のものになる? ……姿も見せない臆病者の琴線など、どこにあるというんだ!)
ポメロは意識を深く、己の内側へと沈めていきます。
そこには、いつものように猛り狂う熱情が待っているはずでした。
ですが、今夜の熱情は異様でした。
――見えない。
しかし、確実にそこに存在を感じます。
冷たい、凍てつくようなまなざしが、暗闇の向こうから自分を射抜いています。
無言の嘲笑を感じるのです。
『お前のような小僧には、俺を見つけられない』
『俺たちは影の中からお前を消費し、裁き、飽きれば捨てるだけだ』
傲慢な沈黙が、ポメロの心臓を冷たく握りつぶそうとします。
「……見えないなら、照らせばいいんだろう?」
ポメロの唇が、微かに戦慄きました。
憎い。
正体を隠し、安全圏から石を投げてくるそのやり方が、反吐が出るほどに憎い。
ポメロは、脳内にある音楽という名の照明スイッチを、一気に跳ね上げました。
光を当てろ。
逃げ場のないほどの、眩い光を!
突如として、内なる闇が爆発的な輝きに包まれました。
照らし出されたその場所で、ポメロは【熱情】を見ました。
それは、ドロドロとした粘液のようなスライムでした。
そいつは、こともあろうかポメロの胸の底に溜まった、あの「ブルーズの水たまり」の中へ潜り込み、姿を隠していたのです!
かつて、リノを救えなかった無力感。
「しかたない」という諦めの雫が、ぽたり、ぽたりと落ちて出来上がった、あの重苦しくて粘り気のあるメランコリーの深淵。
街の汚濁も、己の醜さも、すべてが泥まみれのまま写り込んだ、あの停滞した水域。
この熱情は、ポメロが最も忌避し、必要が無ければ覗き込むことのない、絶望の澱を住処にしていたのです!
僕は問う! 熱情の名を!
湧きあがるパトスの芯を!
お前は誰だ!?
なんでそんなに、薄汚く潜んでいる!?
「汝の名は──【悪役】!」
名前を呼ばれた瞬間、熱情は、急所を撃ち抜かれたかのように激しく身悶えしました。
ドロドロとした粘液が、光に焼かれてのたうち回ります。
『待て、悪かった』
『金ならやろう』
『理解し合えるはずだ!』
そんな、みっともない命乞いの幻聴が聞こえてきます。
ですが、ポメロの心に慈悲など一滴も残っていませんでした。
「……うるさいよ。お前には死がお似合いだ」
容赦なく、トドメを刺します。
熱情の心臓を刺し貫き、その醜き往生際を音で粉砕してやるのです。
正体を隠し、世界を裏から操り、自分たちの都合の良いようにルールを書き換える者。
それは、幼い頃に読み聞かされた絵本の隅で蠢く、倒すほかない悪い魔法使いや怪物の親玉そのものではありませんか!
ポメロはペンを掴み、狂ったように譜面を汚し始めました。
ですが、同時に冷徹な計算が脳を過ります。
相手は絶対的な権力者集団。
ロックの衝動に任せて、そのまま「有識者会議をぶっ潰せ」などと叫べば、明日にはこの街から、いや、歴史からポメロの名は消されるでしょう。
敵ですが、敵に回せません。
暴きたいですが、暴けません。
この、喉の奥に小骨が刺さったような、不自由で、もどかしくて、爆発しそうなフラストレーション!
(なら……矮小化してやる。お前らなんて、子供騙しの寓話に出てくる悪役で十分だ!)
ポメロの指先から、今までとは全く異なる種類の旋律が溢れ出しました。
それは重厚なクラシックでも、叙情的なフォークでもありません。
もっと単細胞で、勇壮で、聴く者の血を沸き立たせる──悪しき魔女を追い詰める騎士の足音のような、熱烈な活劇調の鼓動でした!
「行け、ストゥペンド……! 僕の代わりにお前が、あの闇を照らすんだ!」
譜面の上で、ポメロは一人の英雄を産み落としました。
その名は「ストゥペンド」。
驚嘆の光を放つ、不屈の騎士。
対するは、闇に潜み世界を腐らせる秘密結社「モルト・ペサンテ(重厚なる悪)」。
彼らがどれほど巨大な権力を持とうとも、この物語の中では、ただ光に怯えて右往左往するだけの道化に過ぎません。
アイツの正体を暴け!
アイツをやっつけろ!
悪い奴らを逃がすな、光の剣で追い詰めろ!
「がんばえー、正義の使者ストゥペンドー!」
ポメロは、無意識に自分自身の幼い頃の声を重ねていました。
理不尽な大人たちや、見えない壁にぶつかるたび、絵本のページをめくりながら願っていた救世主。
有識者会議という巨大な影を、子供たちが指を指して笑う物語の敵役へと引きずり下ろし、大衆の娯楽として消費させてやるのです。
これこそが、剥き出しの反逆よりもなお反抗的な、ポメロ流の宣戦布告でした。
ジャカジャカジャカジャカッ!
ギターの弦が悲鳴を上げます。
高揚感に満ちたメジャーコードの裏側で、暗く淀んだ不快感が、騎士の必殺技によって浄化されていきます。
驚嘆という光を浴びせ、逃げ回るスライムを白日の下に晒し出す快感。
数時間後。
最後の一節を書き終えたとき、東の空が白み始めていました。
ポメロは、完成したスコアを見つめ、ふっと自嘲気味に笑いました。
「……また、男の子向けの楽曲が出来てしまったな」
六歌仙という大人の政治のど真ん中で、少年は騎士物語という最強の武器を握りしめていました。
ペンを置き、ギターを壁に立てかける。
全身を襲う凄まじい疲労感と、それ以上の達成感。
ポメロは衣服も脱がず、そのままベッドへと倒れ込みました。
眠りに落ちる直前、彼の脳裏には、まばゆい光に照らされて右往左往するモルト・ペサンテ幹部たちの滑稽な姿が、確かな勝利の予感とともに浮かんでいたのです。
───── ♬ ─────
「全カーネギーの音楽ファンが固唾を呑んで見守る興奮のひととき! 『ザ・上から10(テン)!』 後半戦も盛り上がっていくぞ!」
第四舞台を埋め尽くす観客の熱狂。その中心で、煌びやかなタキシードを纏った名物男性MCが、派手な身振りでマイクを握ります。
「今、この街で最も熱い音を鳴らしているのは誰だ!? さあ、注目のランキング、一緒に見ていこう! 本日の第5位は……こいつだああ!」
ドゥララララララッ!
腹に響くドラムロールと共に、ステージ巨大モニターのネームプレートが高速回転を始めます。
ジャンッ!
鮮やかな閃光と共に、刻まれた文字は──。
「初登場! 『闇を切り裂け!ストゥペンド!』! ポメロさん、お越しくださいー!」
割れんばかりの歓声。
特に、最前列を陣取る子供たちの「ストゥペンドー!」という叫びが会場を揺らします。
ところが、全面ミラー張りのランカー通路からポメロは出てきません。
ざわつく場内。
落ち着いているMC達。
「ストゥペンド、こない?」
「モルト・ペサンテにやられちゃったの?」
純真な子供たちに不安が募る――その時!
「とぅっ!」
舞台袖からではありません。
なんとポメロは、ステージ脇に積み上げられた巨大スピーカーの最上段から、重いギターを抱えたまま軽やかに跳躍したのです。
翻る青いマントには黄金の雷光マーク。
目元には鋭いドミノマスク。
背負っているのは、特注の尖った雷光型エレキギターでした。
着地と同時にギターのネックを突き出すと、仕込まれた超高輝度のライトが、サーチライトのごとき鋭いビームとなってMCの隣に立つアシスタントのお姉さんを直射します。
「ひゃっ、眩しっ!?」
目を覆うお姉さんに対し、ポメロはマスクの奥の瞳を鋭く光らせ、芝居がかった低い声で告げます。
「お姉さん、大変失礼した。……どうやらあなたは、秘密結社モルト・ペサンテの工作員では無かったようだ」
それはもはや、コスプレなどという生易しい遊びではありません。
完全なる「なりきり」でした。
ポメロは今、この瞬間、自らが生み出した正義の騎士ストゥペンドそのものとして、カーネギーの頂点へと続く大舞台に舞い降りたのです。
有識者会議という見えない敵、その沈黙の壁を突破するには、ただ叫ぶだけでは足りません。
かつてアップルが見せた、観客の視線を釘付けにする強烈な演出。
ネオが示した、物量とインパクトで圧倒する手数。
他者から吸収した全ての知見を、ポメロはこの騎士活劇へと注ぎ込みました。
結果は予想を遥かに超えました。
「悪い奴らを光で照らしてやっつけろ!」という単純明快なメッセージは、理屈抜きのエネルギーとして子供たちの心を鷲掴みにし、大人たちの何かを皮肉っているのではという邪推さえも、圧倒的な熱狂の中に飲み込んでしまったのです。
発表からわずか二週間。
彗星の如く現れた少年の騎士は、並み居る強豪をなぎ倒し、初登場にして第5位という快挙を成し遂げました。
出番を終えたアーティストたちが、自分たちを追い抜いていく上位者のステージを眺める【上から10ソファ】。
「……ハッ。やってくれるじゃねぇかポメロ」
そこに二人分の幅を両腕と両ひざを広げて腰掛け、不遜セクシーを撒き散らしていた「私の王子様」ネオ。
彼はステージを極彩色に染め上げるストゥペンドを見て、愉快そうに苦笑しました。
……8位の分際でエラソーに。
自分たちの順位を力技で、それも子供向けの騎士物語という斜め上の演出で追い抜いていった後輩。
その不敵な攻勢に対し、ネオの瞳には確かな敬意と、ゾクゾクするような高揚感が宿っていました。
「面白れぇ男」
激しいギターリフが闇を切り裂き、第四舞台は眩い光に包まれます。
巨大な影の首根っこを、子供たちの歓声と共に掴み上げたポメロは、今、その光の渦のど真ん中で不敵に笑っていました。
「今にみていろ! モルト・ペサンテ!」




