一席
奏鳴荘の共有スペース。
かつてはただの【山出しのエビ髪小僧】でしかなかった少年の背中には、いまや確かな重みが宿っていました。
ポメロ。十六歳。
ヒット曲を飛ばし、いまやかなりの稼ぎを叩き出す売れっ子となった彼は、質の良い革靴を鳴らし、一脚の椅子に深く腰を下ろしました。
その向かい側には、正装に近い身なりを整え、尊大な態度で紅茶を啜るエピタフがいました。
ポメロは真っ直ぐにライバル兼友人の瞳を見つめ、教えを請う姿勢を崩しませんでした。
かつてのきょとんとした顔の奥には、一端の表現者としての、鋭い観察眼が光っています。
「僕に最初に話を持ってきたことは評価しよう」
エピタフは、慇懃無礼な手つきでカップを置きました。
その声音には、呆れと、それを上回るほどの「ついにこの時が来たか」という奇妙な感慨が混じっています。
「【六歌仙】になるにはどうしたらいいのか。……まあ、身の程知らずの若者が良く抱く夢だな」
ふふん、と鼻で笑いながら、エピタフはわざとらしくポメロの装いに視線を落としました。
かつてのボロボロの格好ではありません。稼ぎに見合った、けれど虚飾のない、一角のトルバドールとしての佇まいです。
いつものポメロなら、ここで「音叉脳が!」とか噛みつくか、「馬鹿にしないで欲しい」とスンってなる筈です。
ですが、今の少年は唇を固く結んだまま、微動だにしません。
その落ち着き様に、エピタフはわずかに眉を寄せ、背筋を伸ばしました。
「だが君はもう身の程を知っている者だ。現実も。故、たわ言ではなく決意なのだと受け取っておく」
ポメロの瞳の奥で、静かに、けれど消えぬ炎が爆ぜているのをエピタフは見逃しませんでした。
伝統派の未来を背負う少年は、一転して教師のような厳格な口調で、楽壇の構造を説き始めました。
「まず、六歌仙とはなにか、啓蒙してやろう。六歌仙は楽壇におけるジャンル毎の頂点だ、すなわち──」
エピタフの指が、机の上に六つの境界線を引くように動きます。
伝統。革新。歌唱。演奏。作詞。編曲。
ポメロは一つひとつの言葉を、自らの商品価値と照らし合わせるように、深く脳裏に刻んでいきます。
「なぜ作曲ではなく編曲なのか、と? それは伝統と革新が作曲を担っているからだ。元々は伝統と革新の仕分けは無く、作曲という冠一つだったそうだ。六歌仙ではなく五歌仙だな。だが、40年ほど前か。反伝統派勢力の拡大が著しく、有識者会議にも反伝統の波がおしよせ、作曲に対する評価基準が割れ──結果、作曲は伝統と革新の二つの冠に分かれ、六歌仙となったわけだな」
歴史の授業を受けている子供のように、ポメロは瞬きも忘れて聞き入っています。
エピタフの口から漏れた【有識者会議】という単語に、ポメロの首がわずかに傾きました。その「きょとん」とした無言の問いかけに、エピタフは溜息を吐きます。
「有識者会議? おいおいポメロ、今更それを聞くのか。彼等こそ楽壇の支配者。楽壇のルールを定め、六歌仙を決める組織さ」
支配者。
その言葉の響きが、少年の胸に潜む熱情を波立たせました。
彼にとって、それはもはや遠い世界の伝説ではなく、自らを裁く巨大な壁の実名として響いたのです。
ポメロの視線が、さらにその深淵を──その会議に誰がいるのかを──暴こうと、エピタフに突き刺さります。
エピタフの顔から余裕が消え、声音が一段と低くなりました。
「誰が有識者会議の議員か? いいか貴様。それを誰かに尋ねてはならない。もし知ったとしても口外してはならない. 己の身が可愛ければ、ゆめゆめ忘れぬことだ」
警告。あるいは、恐怖。
楽壇の奥深くに横たわる巨大な禁忌そのものに、少年は無言のまま、迷いなく手を伸ばそうとしていました。
エピタフの忠告を受け流すことも、怯えることもなく、ポメロはただ、さらなる真実を求めて次の場所へと立ち上がりました。
───── ♬ ─────
次にポメロが訪ねたのは、かつて二番舞台の三階ロージェで、命を削るような絶唱を聴かせてくれた巨獣の住処でした。
引退したとはいえ、その存在感は未だ【歌唱】の冠を戴く【六歌仙】そのものです。
ポメロは、中小企業の重役が手土産にするような最高級の茶葉を携え、マンモスの前に音もなく座しました。
己の退路を断った者の目を向ける少年に、マンモスは穏やかに目を細めました。
「ろっかせんかー……きみはそういう冒険をけついしたんだねー」
地響きのような、それでいて温かい重低音が部屋を震わせます。
マンモスは、ポメロの背負うギターケースと、その引き締まった口元を交互に見つめました。
少年の沈黙は、もはや困惑によるものではなく、相手の言葉を一滴も漏らさず吸い上げようとする執念の現れでした。
「ぼくのうたに背中をおされたー。そうか、とどいたのだねー。メッセージをうけとめてくれて嬉しいよー」
マンモスは大きな手で、満足げに自らの恰幅の良い腹を叩きました。
伝説の舞台を見届けた少年が、その遺産を胸に次の階梯へ進もうとしています。
その事実に、老いた巨獣は惜しみなく知識の宝庫を開放しました。
「そうだねー。けっきょくは有識者会議がきめることだからー、ぜったいの条件とはいえないのだけどー、ぼくのけいけんと肌感覚からするとー」
マンモスの声が、わずかにトーンを落とします。
ポメロのきょとんとした眼差しが、本能的に核心を察知して細められました。
有識者会議という巨大な不透明さを前に、経験という光が道を照らしていきます。
「とくていジャンルに特化しているだけではダメだねー」
その言葉は、既にノンジャンルで売っているポメロの心に吹く、強い追い風と感じられました。マンモスは、自らの輝かしい、けれど停滞していた過去を回想するように遠くを見つめます。
「ぼくははやくからオペラ界のトップに君臨していたんだけどー。それを十年つづけていても六歌仙にはなれなかったんだー」
十年。
ポメロの指先が、無意識に膝の上でピクリと動きました。
一朝一夕の努力では届かぬ壁。
ですが、マンモスが冠を掴んだきっかけは、意外なところにありました。
「でもー。ソロで歌謡曲や演歌にてをだしたらー、歌唱のかんむりをいただけたんだー」
専門性だけではなく、多様性が必要なのでしょうか。
ポメロは深く、深く頷きました。
沈黙を守る少年の脳内では、マンモスの言葉が音符となり、複雑な和音を形成し始めています。
歌唱の頂点が語った、審査の裏側にある不文律。
ポメロはマンモスに深く一礼すると、声を発さぬまま、さらなる極意を求めて次の場所へと足を進めました。
───── ♬ ─────
熱気と狂気が渦巻く十三番舞台。
その舞台裏、興行主メルダックの私室は、強烈な香水の匂いとじゃらじゃらと鳴るシルバーアクセサリーの音に支配されていました。
ポメロは、毒々しいほど鮮やかな照明の下で、メルダックと対峙していました。
かつて彼がこの場所で『俺で塗れ!』を叫び、メルダックを絶頂させた狂乱は記憶に新しいものです。
ですが、今のポメロは、まるで深海のように静かでした。
一言も発さず、ただ真っ直ぐに、派手な化粧を施した興行主の瞳を射抜いています。
「【六歌仙】な。アータそういう世俗的な野心は抱かないと思ってたんだがね。『俺で塗れ!』を聞く限りはさ」
メルダックは、先端が針のように尖ったハイヒールで床を小刻みに叩きました。不敵な笑みを浮かべ、ダークブルーの唇を歪めます。
ポメロは否定も肯定もしません。
ただ、そのきょとんとした表情の奥で、エピタフやマンモスから得た情報を、メルダックというフィルターを通して精査していました。
沈黙する少年の瞳が、無言でこれは野心ではないと告げているのを、メルダックは鋭く読み取りました。
「ア? 野心の為じゃなくて人生の為? ハハハ! 頭おかしいんじゃないの、アータ! だからアーシはアータのファンをやってるんだ!」
メルダックは喉を鳴らして笑い、指先に挟んだ細い煙草を灰皿に押し付けました。
彼女にとって、音楽は生きるための悦楽そのものです。
ポメロの抱く純粋すぎる、ゆえに狂気すら孕んだ人生の決意に、彼女は最上級の歓喜を覚えたようでした。
「そうだね……有識者会議が決めてる。これは間違いないよ」
ふいに、メルダックの声から嘲笑が消えました。
興行主として楽壇の裏表を歩いてきた彼女の言葉には、抗いようのない制度への冷ややかさが宿ります。
ポメロは身を乗り出し、無言で核心を問いかけました。議員は一体、誰なのでしょうか。
「アーシの知る限りは有識者会議の議員は【興行主にはいない】」
メルダックは、じゃらじゃらとブレスレットを鳴らしながら、自らの爪を眺めました。
その消去法による情報は、ポメロの脳内にある支配者の地図を僅かに、けれど確実に塗り替えていきます。
「そしておそらくは【現役で舞台に立っている者にもいない】ハズ」
現役の奏者でもなく、カネを動かす興行主でもありません。ならば、一体何者が、神のごとき視座から音楽を裁いているのでしょうか。
ポメロの視線が、エピタフから受けた口外厳禁の警告を思い出したように、僅かにメルダックを案じて揺れました。
「ア? 議員の情報は口外無用? 人の話はよく聞きな。アーシは議員の正体を明かしたんじゃない。議員じゃないヤツを明かしただけだ」
メルダックは、アシンメトリーな髪をかき上げ、不敵に笑いました。
ルールを破らず、しかしルールの隙間を縫って体制の鼻を明かす。
狡猾な反骨精神。
「うっせーな。アーシは興行主ではあるけれど、楽壇のルーツはロックにあるんだ。体制に反抗しねぇでどうすんだよ!」
彼女の吐き出した紫煙が、ポメロの視界を白く染めました。
沈黙を守り通したまま、ポメロは席を立ちました。
議員ではない者、すなわち支配者の輪の外側を知ったことで、逆説的に闇の輪郭が浮かび上がってきます。
少年は、その闇の中心へと、足音を立てずに踏み出していきました。
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