二席
「痛いですわー! ぷりちーなお尻が八等分されてしまいますわーっ!」
奏鳴荘の居間に、ドリー婆さんの火掻き棒がフルスイングで連打されていました。
ポメロも、エピタフも、デッカやエレクトラまでもが、今の今までフォルテのことを夢に破れて自暴自棄になった悲劇のヒロインだと思っていました。
慣れない都会の壁にぶち当たり、孤独と挫折感から魔が差してしまったのだと、同情の眼差しを向けていたのです。
ところが!
【フォルテの輝かしい(?)二ヶ月間・回想】
───── ♬ ─────
「オシャレたーのしー!」
──最新モードのドレスを買い込み、街中をランウェイにするフォルテ。
───── ♬ ─────
「食べ歩きたーのしー!」
──林業都市にはない色とりどりのスイーツ屋を片っ端から制覇するフォルテ。
───── ♬ ─────
「ライブたーのしー!」
──七番舞台のみならず、アンダーグラウンドからストリートまで「つまみ食い」して踊り狂うフォルテ。
───── ♬ ─────
「夜遊びたーのしー!」
──ナイトクラブで「ヤーッ!」と叫びながらシャンパンコールに混ざり、ホスト相手に豪遊するフォルテ!
───── ♬ ─────
「未だ公的に禁止されていない菌糸類たーのしー!」
──ついには裏路地で非合法スレスレの胞子がもたらす幻光に身を任せ、「相生相尅の説盛んに、後世雑多の迷信と断じた」学術的な錯乱の果てに悟りを得るフォルテ!!
───── ♬ ─────
【回想終了】
「…………つまり、あんたは」
ドリーの拳が、怒りでワナワナと震えています。
裏路地から救い出したその背景にあったのは、崇高な挫折などではなく、ただの「全方位的な遊び倒し」だったのです。
「この二か月間、ただ遊び呆けていただけだったのかい!!」
ドリー渾身の連続火掻き棒がフォルテの尻を16分割!
「ヤー! 勘弁してくださいまし!? 誘惑が! 都会には誘惑が多すぎるのですわっ! あたくしは被害者、煌びやかなカーネギーの街に翻弄された可憐な被害者ですのっ!」
「うるさい! どの口が言うんだい! あんたみたいな箱をブチ破った箱入り娘を翻弄できる街なんて、この世にありゃしないよ!」
「ひぎゃあ! ヤーッ! ヤーッ!(命乞い)」
ポメロとエピタフは、遠い目でその光景を眺めていました。
「……エピタフ。僕たちが命がけで助けたのは、何だったんだろうね」
「……ああ。理論的に言えば、我々の善意はドブに捨てられ、つまり……まあ、徒労だったということだ」
───── ♬ ─────
「……ああ、しんど。やる気なくすわ」
ポメロは漆塗りの相棒を床に転がし、ベッドに倒れ込みました。
【六歌仙】になる。歴史に名を残す。
都の深淵で、そう固く決意した途端にこれです。
「なんだあの疫病神! 意気込んだ僕に、お前なんかの歌を最初に作らせやがって! わかってるのかフォルテ! ……わかるわけないよね、フォルテだし」
虚空に向かって不満を吐き散らしますが、跳ね返ってくるのは静寂だけでした。
その静寂の中に、そいつはいました。
部屋の中央、あろうことか床のど真ん中に、ぐでーっと、まるで骨が抜けたスライムのように寝っ転がり、時折思い出したように「はー……」と、重く、そして面倒くさそうな溜息を吐いている熱情が。
「なんだよ、お前。……ああ、そうか。わかったよ。汝の名は……【徒労】だ。看破、看破」
ポメロが投げやりに、これ以上ないほど雑にその名を呼ぶと、熱情は「やれやれ、バレちゃったか」と言わんばかりのジェスチャーで肩をすくめ、霧のように消えていきました。
虚脱と、脱力と、やるせなさ。
看破しちゃったからには、一曲書き上げなくちゃいけないのがポメロの強迫観念であり作家性です。
ポメロが鼻歌混じりに、救いようのない旋律を書き殴り始めた、その時でした。
コン、コン。
「どうぞ」
「ポメロちゃん。あいつのために走った距離さぁ、全部無駄だったなー」
デッカでした。彼はポメロの手元を覗き込み、
「作曲か、アレの?」
「うん、アレの」
「だったらここは、もっと間の抜けた三拍子にしたほうが、何も成し遂げられなかったマヌケさが出るぜ」
「いいね。それ採用」
デッカは溜息をつきながら腰を下ろしました。デッカ参戦。
コン、コン。
「どうぞ」
「ポメロ君。あいつのために心配した気持ち、全部無駄だったわ」
エレクトラでした。彼女はポメロの手元を覗き込み、
「作曲なの、アレの?」
「うん、アレの」
「だったらここは、最高にアンニュイな半音階にしたほうが、やるせない不毛さが向上するわね」
「いいね。それ採用」
エレクトラは力なく腰を下ろしました。エレクトラ参戦。
コン、コン。
「どうぞ」
「ポメロ。あいつのために費やした論理的思考、全部無駄だったな」
エピタフでした。彼はポメロの手元を覗き込み、
「作曲か、アレの?」
「うん、アレの」
「ならばここは、徹底した対位法で音を詰め込んだほうが、多忙を極めたあとの虚無感が強調されるぞ」
「いいね。それ採用」
エピタフは重々しく腰を下ろしました。エピタフ参戦。
「あいつのためにやったのに、全部あいつのせいだった。この不条理を、最も脱力した形で表現するべきだ」
「「「異議なし」」」
四人の、枯れ果てた声。
楽器を使わないアカペラ。
伝統派形式の堅牢な多声部合唱の中に、救いようのない「トホホ」が注ぎ込まれていきます。
「腹立てる気も起きやしねーわ……」
「もうフテ寝するか……」
「明日いいことないかな……」
歌詞の中に、フォルテの名は一度も出てきません。
ただ、「あいつ」という不可解な存在に振り回され、全てをドブに捨てた自分たちの疲労感。何も得られなかった空虚さを、あえて最高に美しい和声で包み込むという、究極の自虐ソングとなりました。
(なんだこれ。最低だ。一回り回ってたのしいきぶんになっちゃった)
完成したのは、かつてないほど不誠実で、かつてないほど元気を削ぎ落とした、四部合唱曲です。
譜面を眺める四人の顔には、いつの間にか、諦めきった清々しい苦笑が浮かんでいました。
「よし……。明日、あいつが起きたら真っ先にこれを聴かせてやろう」
「ええ、とびきり心を込めて、この【徒労感】を歌い上げてあげるわ」
これは、自分たちのお人好しへの鎮魂歌であり、フォルテという怪物への、白旗を掲げた上でのあてこすりでした。
「あーあ。……寝よ」
ポメロが呟くと、三人も無言で頷き、自分の部屋へと散っていきました。
部屋の外からは、まだフォルテが「ヤー!」と寝言で丸太を振っているような音が聞こえてきます。
ポメロは今度は耳を塞ぐこともなく、ただ心地よい倦怠感に身を任せ、泥のような眠りへと落ちていきました。
───── ♬ ─────
騒動の翌日、奏鳴荘の空気はようやく穏やかなものに変わりました。
薄パープルの嵐・フォルテは、ドリー婆さんの鉄の握力で引きずられ、市内にある小さなアイドルクランへと強制収容されることとなりました。
そこはドリーの古い知人が運営する、界隈でも有名な超体育会系組織。
「恋愛禁止」「夜遊び禁止」「おやつ禁止」「私語禁止」……ありとあらゆる娯楽を「とにかく禁止」し、ただひたすらストイックにレッスンに明け暮れる、まさにフォルテを更生させるためだけに存在するような楽獄でした。
「あーん! フリーダムが! わたくしのがフリーダムが死んでしまいますわー! ヤーッ! ヤーッ!(抵抗)」
断末魔のような叫び声と共に連行されていくフォルテを見送り、お疲れカルテットは、満面の笑みを浮かべてフォルテを送ったのです。
『トホホのトの字は徒労のト』。
無伴奏の、しかし洗練された虚無のハーモニーが、連行される彼女の背中に降り注ぎます。
♪―― しょうがね~(エピタフ)
♪―― しょうがね~(デッカ)
♪―― しょうがね~(エレクトラ)
♪―― ホントそれ。(ポメロ)
♪―― しょうがね~(エピタフ)
♪―― しょうがね~(デッカ)
♪―― しょうがね~(ポメロ)
♪―― ……あーあ。(エレクトラ)
お前のせいでこんなに疲れてるんだよ! という魂の叫びよ、届け。
「まあ素敵なコーラスですのね? わたくしの新たな門出にふさわしいですわ! ヤー!」
歌詞聞けよ。
「「「「ヤーじゃないが!」」」」
しょうがないよ、フォルテだし。




