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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十七幕「トホホのトの字は徒労のト」

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一席


 『いいことばかりはありゃしない』


 ふと、そんなフレーズが誰の頭をよぎったでしょうか。

 

 騒動の発端は、エレクトラによる不穏な目撃情報でした。


「フォルテちゃん、良くない連中とつるんでいるわ」


 それは、八番舞台でのステージを終えた彼女が、自衛のためにあえて避けて通る界隈──街の華やかさが途切れ、湿った腐臭が漂い始める裏路地のさらに奥でした。

 

 そこから、複数の下卑た男たちの笑い声に混じって、聞こえてきたというのです。

 

 凛々しくも可愛らしい、あの独特な「ヤー!」という威勢のいい掛け声が。


「そういえば、夕食を食べに来ないね」


 言われてみれば、ここのところ、廊下をドタバタと走る薄パープルの嵐の気配がめっきり薄まっていました。


 確かにポメロは、新曲『楽園』の製作に没頭していた頃から、二か月ほどフォルテへの目を離していました。


「確かに。最近ヤーじゃないが!って言った覚えがない」


 誰かがあいつの御守をしてくれているだろう。そんな風に無責任に楽観していたのです。


「最近、階下が静かなので、ようやく音楽理論の尊さに目覚めて黙読でもしているのかと思っていましたが……」


 直上の部屋で暮らすエピタフが眉間に深いしわを寄せ、冷徹な手つきで手帳を広げました。


「状況証拠を整理すると、彼女はここ数日、夕食後すぐに外出しています。部屋で騒がないのではなく、単に部屋に居なかっただけ。論理的な帰結です」


 そして、極めつけはデッカの、重く沈んだ言葉でした。


「エレクトラさんが避けてるのって、俺ちゃんとポメロがおっさんずフェスティバルで盛り上がった居酒屋の、さらに裏路地だろ? だとしたら、マジでヤバいかもな。あそこはただの遊び場じゃねえ。精神状態に影響する摂取物を回して、うたかたの夢に溺れる悪い子たちの夜会会場コートだ」


 静まり返る奏鳴荘の食堂です。

 

 ポメロの脳裏に、偽物の光に踊らされる人々の姿が過ります。


「精神状態に影響する摂取物」


「悪い子たちのコート……」


 極力関わりたくありません。責任など負いたくありません。

 

 他人に押し付けられるものなら、熨斗を付けて押し付けたいところです。

 

 ですが。


「奏鳴荘心得!」


 ドリーが火掻き棒を床に突き立てた音に、全員の肩が跳ねました。


「「「「「寮母は母親、同宿は兄弟」」」」」


 フォルテはどう考えても陽の者です。

 

 不気味に息を潜めた闇のコートなど、似合うはずもありません。


「……探しに行きましょう」


 ポメロはギターを背負い直しました。

 

 力強くうなずく、奏鳴荘の兄弟たち。


 闇に迷い込んだ身内を、無理やり現実に引きずり戻すための──奏鳴荘住人総出による夜の捜索が今、始まりました。



───── ♬ ─────



「一時間だ。一時間経っても戻らなけりゃ、アタシが直接警備隊へ駆け込むからね」


 ドリーの火掻き棒に見送られ、一行が辿り着いたのは、地図からも、そして良識からも消し去られたような袋小路でした。

 

 そこは、大型の焚火が狂った太陽のように影を踊らせる「夜会会場コート」です。


 立ち昇るキャンプファイヤーの煙は、禍々しい七色の虹を描き、あたりにはヘドロを砂糖で包み込んだかのような、甘ったるくも吐き気を催す腐敗臭が充満していました。


 そこは、地獄の釜をひっくり返したような混沌の極致でした。


「俺は人間戦車だ! それ以上は何も聞くな!」

 

 叫びながら、延々とでんぐり返しを繰り返す男。

  

「どうしよう……お前が小さくなったり大きくなったりしてる……」


 隣人を指さし、良くない揺り戻しに怯える若者。

  

「未だ公的に禁止されていない菌糸類を煮ようぜ!」


 真っ赤な下地に白い水玉の傘を持つ、見るからに致死性の未だ公的に禁止されていない菌糸類を鍋にぽいぽいと投入する狂人。

  

「センキュー! ピューピュー! お前ら愛してるぜー!」


 弦のすべて切れたベースギターをエア掻き鳴らし、見えないエア観客に熱狂的なアピールを続ける男。

  

「断髪式だア!」


 意識が朦朧としている仲間の頭を、錆びたバリカンで嬉々として刈り取っていく通り魔まで──。


 どこをとっても良くない連中が、どこをとっても良くない行為を行っています。


 よくない。あまりにも、よくない!


「あそこにいるわ」


 エレクトラの指差す先に、確かに彼女はいました。


 フォルテ。


 ですが、その姿は奏鳴荘で見るヤーヤーと騒ぐ変な生き物ではありません。


「節理も無く禍殃を語る人閒に心を許さぬ。齊しく、其れを辯疏する亊にも」


 力なく、うつろに呟くその姿。

 

 ポメロが知る凛々しくもやかましい彼女の面影はありません。

 

 魂がどこか別の場所へ漂白されてしまったような、不気味な静寂とよくわからん知性。


 本当によくわからん知性だな!


「……畜生、やっぱりか」


 デッカが苦い表情で吐き捨てました。

 

 彼はナイフなど持っていません。

 

 多勢に無勢のこの状況で、正面から突っ込むほどの蛮勇も、デッカにはありませんでした。


「ドリー婆さんの通報まで、あと少し。……でも、それまで保つのか? 今すぐにでも偽物の楽園から彼女を引き剥がさないと、彼女の心が知性に飲まれてしまうのではないか?」


 エピタフが理論書を握りしめ、珍しく激昂して震えています。

 

 ポメロもギターのネックを握り直しますが、どう動くべきか足がすくみます。


 騒ぎを起こせばフォルテまで警備兵に捕まってしまう。

 

 人数的にもこちらは不利。

 

 そもそもこちらはケンカをこなせる腕っぷしを誰も持っていないのです。


 奏鳴荘の兄弟たちの膝が崩れ落ちる、その直前でした。


「ふっふっふっ……お困りかな、少年たち?」


「誰だ!?」


 月影を背負い、焚火の照り返しの中に忽然と現れたのは、一つの奇妙なシルエットでした。


 目に眩しい全身白タイツ。ぴったり馴染む鼻眼鏡。

 

 ボディのほどよい地点には、季節のお野菜が一本と二個!


 さらにその付け根には、おお、なんということか!


 放射状に広がる青々とした森を凝縮したかのようなサラダの主役の影!

 

 熱帯雨林!


「おゲフィンですんましぇ~~ん!!」


 ゲフィンが、かの冴えないおっさんずお下劣フェスティバルの主催者が。

 

 今、白タイツを月光に光らせて戦場へと舞い降りました。


「……ゲフィン?」


「ゲフィンおぢさん来た!」


 かの者を知るデッカとポメロは大感激!


「警備兵を呼んで!」


 かの者を知らぬエレクトラは身の危険を感じて絶叫!


「君の恰好はなんだ? 下品にもほどがある! 恥を知れ!」


 エピタフは大激怒!


「そこまでいわれると傷つく」


 ゲフィンは素が出てしまった!


「お前, ゲフィンさんを無礼るなよ?」


「ありがとうゲフィンさん! あなたとの祭りのおかげで僕は一皮むけました!」


 デッカとポメロにほめそやされて、ゲフィン復活!


「おぢさんも自分のテリトリーを、最近増長しているあいつらにちょいと荒らされてね。共同戦線と行こうじゃないか。あのような不純なケミカルによる多幸感など、私のマリンバが奏でる【ほどよい】グルーヴ感の足元にも及ばん! 躍らせてあげよう、この熱帯雨林ジャングルの奏ででね!」



 ───── ♬ ─────



 ♪―― この腰つきがぁ~♪ この腰つきのぉ~♪」


 裏路地の闇を切り裂いたのは、月光に輝く白タイツと、あまりに場違いで強烈な熱帯雨林ジャングルへの誘いでした。


「なんだ? だれだ?」

「よく見ろ! あいつメタファーを仕込んでやがる!」


 ♪── 振るえぬ夜に~ むせび泣き~


 響かせるはゲフィンの十八番! 『一人寝にスライム』!


「我が無限軌道を止めようとてか!」

「季節のお野菜が大きくなったり…… まだまた大きくなるよぅ」


 ♪── 指先濡れて~ 塵とたはむる~


「その季節のお野菜、未だ法的に禁止されていない菌糸類で迎え撃つ!」

「俺のエアベースをお前のマリンバにライドオン!」


 ♪── スライムを~ アツアツ湯船で温めて~♪


 アッパー系の薬物で脳みそがお留守になっていた輩どもにとって、ゲフィンのむき出しのシモネタはまさに特効!


「「「「ぎゃはははは!!」」」」

 

 偽物の多幸感など一瞬で吹き飛び、あまりの衝撃と笑撃に、腹を抱えてミミズのように地面をのたうち回る男たちが続出します。


「ほどよい! ほどよいと唱和するのだよ諸君!!」


 夜空をつんざくゲフィンの遠吠えです。


「……最低。本当、この世の終わりだわ」


 わかりますエレクトラさん。あなたと握手がしたい。


 エレクトラは込み上げる嫌悪感のやり場を探し、隣で口笑い転げていたデッカの頭に連続チョップを叩き込みます。


「八つ当たり反対!」


 役割放棄!

 

 ♪── 白い秋桜固めの45秒、しだれ桜はとろとろ20秒! ホイ!


「ほどよい!(ほどよい!)」


「ほどよい!(ほどよい!)」


 その隙を突き、ポメロとエピタフは、きょとんとするフォルテを両脇から抱え上げ、救出に成功しました!


 役割完遂!


「ちょっと! スライムをどうするって言うんですの? スライムがなんでそんなにおかしいんですの? ヤー!」


 おぢさん登場の衝撃に知性をニュートラルに戻したフォルテは、純情な山出し令嬢にしか許されない無垢な質問を、二人に投げつけます。


「白い秋桜は四十五秒で、枝垂桜は二十秒? 何かのアナグラムか? 妙な格調高さも感じられるし…… 何者なのだ、ヤツは!?」


 エピタフまでもが大真面目に問い詰めますが、ポメロはただ口を真一文字に結び、ひたすら前だけを見て走り続けました。


 かつて居酒屋で、一人寝のプロフェッショナルな酔客たちに寄ってたかってその答えを叩き込まれた地獄の記憶を、必死に封印しながら。


 気になる君への合言葉は「花言葉」。


 遠ざかる下品の饗宴。

 

 背後からは、なおも狂乱に咽ぶアホ共の声が響いてきます。


「あちいっ! シンボルがあっ!? シンボルがあっ!?」


「ぎゃはは、沸騰した薬缶のお湯を注ぐからだ!」


「うむ。温度はアツアツ湯船の温度。それがほどよいほどよさを生むのだ! 復唱したまえ!」


「「ほどよい!! ほどよい!!」」


 悪徳の社交場だったはずの裏路地は、いつの間にか「ほどよい温度」を唱和する奇妙な修練場へと変貌していました。

 

 ポメロたちは、その狂気の饗宴から命からがらフォルテを救出し、夜の静寂へと逃げ込みました。


 フォルテ救出作戦、これにて完了!



───── ♬ ─────



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