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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十六幕「あなたとお昼寝がしたい」

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三席


 その手にギターはありません。お互いに、震わせる喉があるだけです。

  

 ですが、それで十分でした。


 リノの喉から、せき止めていたダムが決壊するように、純粋な想いが溢れ出しています。


 ♪──


 リノが紡ぐメロディーに、決まったタイトルはありません。それは今、この瞬間の彼女の心そのものです。

  

(頑張ってる! ほめてほめて!)


 ポメロが愛おしそうにその白髪を撫でると、歌は甘えるように弾みます。


(でも淋しかった。ぎゅーってして!)


 ポメロはリノを抱きしめます。

 

 小さな体温が、正装越しに伝わってきます。


(新しい家族は、みんな優しい人! ちゃんと私を家族って認めてくれてる!)


 ポメロは「よかったね」と微笑みかけます。

 

 その胸の奥に、政治的な洗脳装置として利用されている事への怒りや悲しみを押し込めて。

 

 ハルモニアが贈ってくれたあの冬の絵画──暖炉の前で微笑む家族の温もりだけを信じることにして。


 リノは、自分の一番嬉しい情景を歌い上げます。


 仲間たちが輪になって踊る歌。

 

 かつてはその輪に奏鳴荘の面々しかいませんでしたが、今のリノの情景には、領主夫妻やハルモニアも加わっていました。

 

 彼女は、新しいステージで幸せに生きているのです。


「僕もね、公園で出来た友達たちと一緒に、回って踊る歌をやってるんだ」


 リノの目が好奇心に輝きます。歌で催促が飛んできます。


(歌って歌って。教えて教えて。踊ろう踊ろう!)


 感覚の渋滞。曲への大興奮です。


「まってまって、まずは歌いながら踊り方を教えるから、よく見てて!」


 こくこく!



───── ♬ ─────



 そして二人は歌いました。

 狭いロージェ席で、輪になって。

 なんども、なんども。


 リノがポメロを見て笑い、ポメロがリノを見て笑います。

 互いの存在を、呼吸を、確かめながら。

 半年間の空白を埋めるように感じ合い、笑い転げました。


 やがて踊り疲れた二人は、自然と動きを止めて席につきました。


 リノが、小さくあくびをしました。


 流石にこの高価なドレスとタキシードで床に寝転がることは躊躇われましたし、部屋の隅にある簡易ベッドを広げることも、別の気恥ずかしさから手が伸びませんでした。


 また、リノがあくびをします。ポメロもつられて大あくびです。


 リノがくすくすと笑います。


(やっぱり、少し違う……)


 リノはリノですが、確実に大人に近づいています。

 

 ポメロがそう感じた時、リノは眠たげな目をこすりながら、あの懐かしい旋律を口ずさみました。


 ♪──


 出会いの歌です。

 太陽の匂いをたっぷり吸い込んだ毛布。ふわふわ。ぽかぽか。


 『おひるねがしたいうた』。


 ですが、その安らかなメロディーは途中で途切れました。


「すー……すー……」


 リノは、ポメロの袖をぎゅっと握ったまま、歌の途中で眠りに落ちてしまったのです。


 ポメロは静かに目を閉じ、思いを巡らせました。そして、音を立てないようにそっと言葉を紡ぎ出します。


 ♪── ほんとうにあなたは、こねこみたいだね。


 即興の詩です。

 それに、今しがたリノが歌っていたメロディーを重ねます。

 一年越しのアンサーソングでした。


 ♪── 疲れたらすぐにおやすみをして。


 太陽の匂い。毛布。ふわふわ。ぽかぽか。

  

 ベランダでのびやかに歌い、シーツを手にくるくると回るリノ。太陽に透けて銀色に輝く、あの真っ白な髪。はにかんだ笑顔。こねこのようなしぐさ。


 ♪── あなたの寝顔を見ているだけで、僕は幸せな気分になれる。

  

 ポメロは自覚しました。


 手持ち無沙汰な夜に、いつも浮かんでくるのはリノでした。

 伸ばした手が届かなくて、淋しくて、震えていました。


 『あなたとお昼寝がしたい』


 それが、この歌のタイトルです。

 誰よりも傍にいるのに、眠る君には決して届かないのです。


 ♪── いつまでもこの寝息を感じていたいな。

  

 ポメロが人生で初めて描き上げた、初恋を歌うラブソングでした。



 ───── ♬ ─────



(図られた!)

 

 ハルモニアは、完璧に作り込まれた困り顔の裏側で、激しい舌打ちをしました。

  

 巨星、マンモス。リノの六歌仙就任という政治的な決着のために、有識者会議によって強引にその冠を剥ぎ取られた楽壇の古強者です。

 

 四十年にわたりカーネギーの歌劇界をリードしてきたその男の影響力と、何よりその影響力の大きさを、ハルモニアは甘く見ていました。


 『六歌仙の冠を継いだ者に、リレーのバトンを渡したい』


 それは完璧な理屈でした。

 

 衆目にリノを晒したくない領主サイドの思惑とも合致した「三階貸し切り」という提案に、断る理由などどこにもありませんでした。


 ですが、それなのに。


「三階への階段は全て押さえられています」


「窓にも雨戸! 内鍵も掛けられています」


「天井裏、侵入困難!」


 手の者から次々と報告される絶望的な状況。

 

 リノしか立ち入れないはずの不可侵の場に、鼠が、それも最優先監視対象であるポメロが潜り込んでいようとは。


 ハルモニアはほぞを噛みました。


 一人の音楽家としてならば、ポメロには敬意も好意もあります。

 

 ですが、諜報部実働部隊隊長としてのハルモニアにとって、ポメロは危険因子の筆頭です。

 

 リノの心を揺さぶり、その親愛を独占し、体制側の政治利用を嫌悪するその少年は、彼女を管理する上で最も排除すべき標的に他なりません。


 今日の動向も把握していたはずでした。マンモスがドリーに渡したチケットは、一階最前列の連番。

 

 ポメロはそこに座るはずだったのです。

  

 ですが、幕が開いてみればそこは空席でした。


 ハルモニアはそこでようやく気づきました。

 

 マンモスに恩義を感じている者は、この二番舞台にはいくらでもいます。

 

 アッシャーから裏方に至るまで、全員がグルだったのです。


「隊長、如何致しますか?」


 気づいた時には遅すぎました。

 

 領主直属といえども影の者に過ぎない自分たちが、二番舞台の誇り高き面々に命令などできるはずもありません。

 

 ここで諍いを起こせば、真っ先に領主に切り捨てられるのは自分たちの方です。


「いつでも動けるよう、待機を」


 待つしかありません。舞台が掃け、三階の「内鍵」が開かれるその瞬間を。


 そして。ついにその時が訪れました。


 アンコールを告げる拍手の嵐が止み、アッシャーの手によって重厚な木戸が開かれます。


「リノお嬢様!」


 ハルモニアは滑り込むようにロージェ内へと足を踏み入れました。


「お、じょう……」


 そこで目にしたのは、想定していた密談でも密会でもありませんでした。


 タキシードの袖をぎゅっと掴んだまま、あどけない寝息を立てる深紅のドレスの少女。

 

 そして、その傍らで祈るように目を閉じ、静かにメロディーを口ずさんでいた少年の姿でした。


 そこには、政治も、策略も、洗脳も入り込む余地のない、あまりに無防備で純粋なお昼寝の時間が流れていました。



───── ♬ ─────



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