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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十五幕「僕の愛するこの歌が、君の心に響かない」

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78/105

四席


 因縁の三番舞台。

 

 その興行主から呼び出しを受けたポメロが応接室の扉を開けると、そこには、かつて『僕たちのひみつきち』をポメロから奪い取った男──ネオが座っていました。


「この度ネオ殿が三番舞台にて、歌業十周年記念ライブを、なんと三セットぶち抜きで大々的に行うことになりましてな」


 興行主は揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべて説明します。

 

 女神が定め給うた【五曲の縛り】。

 

 ですが、メジャーな演者たちは五曲ずつのステージを連続で行うという抜け道を使い、事実上の長時間ライブを敢行します。それは業界の常套手段でした。


「ふん」


 尊大な態度でネオは鼻を鳴らし、二人分のソファーを占領してどっかりと腕を広げています。

 

 そのせいで、招いた側の興行主と、招かれた側のポメロが窮屈そうに並んで座るという、ありえない光景が現出していました。


 ですが、興行主はそれを窘めようともしません。むしろ、機嫌を損ねぬよう媚びるような態度でネオに接しています。

 

 金になるからだ!

 

 円熟期を迎え、数多の固定女性ファンを抱えるネオは、まさに金の生る木。三番舞台に繋ぎ止めておくためなら、興行主はいくらでも阿り、その口に極上の餌を運び続けるでしょう。


「それは……おめでとうございます」


 ポメロが辛うじて絞り出した社交辞令に、ネオは視線すら合わせず言い放ちました。


「当然だ」


「つきましては記念舞台で、ネオ様の魅力を最大限に引き立たせる新曲を発表したく思いまして……」


 興行主の言葉に、ポメロの背中に嫌な予感が走ります。王者の如く振る舞う男は、ポメロを射貫くように見据え、命じました。それは依頼でも相談でもなく、絶対的な王命に等しい響きでした。


「あの『響かない』って歌。俺様によこせ」


 ポメロの心臓が、ドクンと大きく跳ねました。

 

 デッカに拒絶され、一晩中暗く冷え切った倉庫で、血を吐くような思いで書き上げた『僕の愛したこの歌が、君の心に響かない』。

 

 巷では「失恋ソング」として誤解され、もてはやされているけれど、ポメロにとっては、デッカという一人の人間にすら届かなかった僕自身の真実そのもの。


「……あれは、あなたに扱える歌じゃないんです」


 ポメロの声が、怒りで微かに震えました。


「分かってるぜ。今の世間は、あれを湿っぽい恋の歌だと思って聴いてやがる。だが、俺様ならもっと上手くやれる。……あのみじめな失恋の響きを、完璧な【決別と敬意】にパッケージし直して、都中の観客をほろ苦い諦念に染め上げてやるよ。お前が歌うより、ずっと価値が出るはずだ」


 解っています。


 悔しいことに、この傲岸不遜な男は、ポメロが歌に込めた真意と心を、確かにつかみ取っているのです。

 

 その上で、他者の魂の結晶を、自らの輝きを増すための部品として差し出せと言っているのです。


「だから、俺様によこせ」


 ネオは、自信そのものが形になったような瞳でポメロを見据えました。その圧倒的な正論という名の暴力が、逃げ場のない応接室を冷たく支配していきました。


「……お断りします」


 ポメロの声は、自分でも驚くほど低く、静かでした。


 応接室の豪華なシャンデリアが、一瞬、その拒絶の冷たさに震えたような気がしました。


「……何と言った? 俺様を前に、拒絶の言葉を口にしたのか?」


 ネオが、大理石のような眉をわずかに動かしました。興行主もまた、手に持った葉巻を止めて目を丸くしています。


「この曲だけは、あなたには渡せません。……たとえデビュー十周年の記念舞台だろうと、どれだけの白金貨を積まれようと、絶対にだ」


「死ねよ」


 ポメロはギターケースのストラップを、指が白くなるほど強く握りしました。


 かつての『僕たちのひみつきち』の時は、曲が死ぬよりはマシだ、と自分を納得させました。

 

 ですが、この曲だけは違う。

 

 これはデッカさんに「好きじゃない」と切り捨てられ、その痛みを一滴もこぼさずに、自分一人の孤独の中で結晶にさせた歌。


「……ネオさん。あなたはさっき、この歌をパッケージし直して「都中の観客をほろ苦い諦念に染め上げてやるよ」と言いましたね。でも、この歌の正体は、そんな綺麗なもんじゃない。泥臭くて、救いがなくて、誰にも分かってもらえない【僕の】みじめな真実そのものなんです」


 ポメロはネオの方へ身を乗り出しました。


 王者のような振る舞いの男。

 言葉の強さとは裏腹の「いいひと」な本性が見え隠れする男。

 歌唱による表現者の業が仄見える男。

 有言実行の男。

 ポメロの歌詞の理解者。


 ですが。


「あなたのような正解を歌う人は、いつだって「誰か」が抱く「誰か」への想いを、美しく代弁してみせる。でも……この歌は、違う。これは抽象的な誰かへの【決別と敬意】なんかじゃない。【僕が抱く、デッカ先輩への想い】そのものなんです。あの人に届かなかったからこそ、この旋律には価値がある。誰の心にも響かなくていい。――僕と、あの人の間だけの絶望なんです」


 ポメロはネオを睨みつけて、想いを叩きつけます。


「あなたには、絶対に歌えない。絶対に! 誰にも渡せない! 誰にもだ!」


「……不遜だな、ポメロ君」


 興行主が低く、脅すような声を出しました。


「君のキャリアを潰すことなど、このわたくしの指先一つで……」


「黙れ」


 ネオの低く鋭い一喝が、脅しの匂わせによる上から商談の続きを切り出そうとした興行主の言葉を叩き切りました。金貨の触れ合う音しか聞こえなかった応接室が、一瞬で真空のような静寂に包まれます。


 ネオは椅子の背にもたれかかったまま、初めて「一人の男」として、ポメロの泥臭い瞳を真っ向から見据えました。


「……俺様は勘違いしていたぜ」


 ネオの唇に浮かんだのは、自嘲か、あるいは獲物を仕留め損ねた猟師のような、奇妙な愉悦の笑みでした。


「お前も、この楽壇に屯する有象無象と同じく、音楽によるサクセスを求める人間だと思っていた。その曲がより良く歌われ、より遠くまで届き、相応の見返りを得ることができるなら、それを良しとするものだとな。……だが、違うんだな」


 ネオはゆっくりと立ち上がり、ポメロの使い古されたギターケース──あちこちが剥げ、継ぎ接ぎだらけのその相棒を指差しました。


「お前は【表現者】なんだな? 楽曲と歌詞……それは切り売りできる商品ではなく、己の一部だと。……【楽曲と歌詞、そして己】。その三つが揃うことで初めて完成されるものだと、そう考えているのだな」


 ネオの一言一言が、ポメロの胸の奥にある灯火を正確に射抜いていきます。やはりこの傲岸不遜の男はポメロの理解者でした。


「……です」


 ポメロの声は、震えてはいましたが、揺るぎませんでした。


「デッカさんに好きじゃないって言われたあの瞬間の、あの寒さ。それを体験したのは、ネオさん、あなたじゃない。僕なんです。僕が、僕の指で、僕の喉で鳴らさない限り、この歌はただの死んだ音符になっちゃうんだ」


 ネオは鼻で笑いました。ですが、その瞳にはポメロに対する明らかな敬意が宿っていました。


「滑稽だぜ、ポメロ。……富も名声も、未来への足掛かりすらも、その『プライド』という一点のためにドブに捨てるのか。効率が悪すぎて、吐き気がするほどに純粋だ」


 ネオは興行主に向き直り、冷淡に言い放ちました。


「この件は白紙だ。……ポメロを潰そうなんて考えるなよ。こいつの真実を無理やり奪って歌ったところで、俺の喉には一滴の蜜も流れない。そんな醜い在り方、俺の美学に反する」


 ポメロは、ネオの背中に向かって小さく一礼しました。


 奪われた『ひみつきち』の時とは違う。


 今のポメロは、自分だけの誇りを守り抜いた確信を持って、堂々とその場を去――


「ぴぇえ、怖かったよー」


 ――涙目になりながら小走りで去りました。


 主人公ちょっとさぁ。あるじゃん決め時ってもんがさぁ。



───── ♬ ─────



 街角の安酒場【銀の弦亭】。

 

 その猥雑な喧騒のなか、デッカは馴染みのカウンターの隅で、一人静かに激安「瓶底残りもんチャンポン」を煽っていました。


 ふいに店内に流れてきたのは、三つ向こうの席の酔っ払いが歌う『僕の愛するこの歌が、君の心に響かない』。


「……ハッ、冗談だろ」


 デッカは思わず、持っていたグラスを置き、自嘲気味に鼻で笑いました。


 外を歩く十代の乙女たちが「エモい」「泣ける」と涙を流し、今や「究極の失恋ソング」として街中を席巻しているこの曲。

 

 ですが、デッカには分かっていました。

 

 この曲の奥底で、ポメロがどれだけ無様にのたうち回り、どれほど鋭い孤独の刃で自分自身の指を切り刻んだのかを。


(失恋、か。界隈女子ってのはなんでもかんでも恋愛に結び付けちまって、まあ)


 歌詞に綴られた届かぬ想いや諦めの納得。少女たちはそれを、甘酸っぱい恋の終わりとして消費しています。


(だから俺ちゃんが付け入る隙が生まれるんだけども♪)

 

 ですがデッカの耳に届くのは、あの夜、自分がポメロに突きつけた「好きじゃない」という拒絶に対するアンサーでした。


 デッカにだけ向けられた音楽でした。


 ポメロは、デッカに拒絶されたその瞬間の寒さを、一滴もこぼさずにこの譜面に閉じ込めているのです。


 納得していると言いながら、その実、心の底ではどうして分かってくれないんだと俯いて泣いている。

 

 そのあまりにも重苦しい、あまりにも生々しい個人の執着が、皮肉にも大衆の安っぽい感傷と共鳴してしまったのです。


「お前さあポメロちゃん、あんなに突き放してやったのに…… 俺ちゃんを恨めばそれで済む話なのに…… なんでこんな、逃げ場のない音を鳴らすんだよ」


 デッカは、自分の右手の指を、テーブルの上でリズムを刻むように動かしました。


 自分の【くすぐる】リズム。相手に寄り添い、楽しませるための、チャラいけれど温かい鼓動。

 

 それとは対極にある、ポメロのこの独りよがりで、剥き出しで、救いようのないほど真剣な音。


「俺ちゃんみたいなへらへらコウモリ野郎に、そこまで感情向ける必要なんてねぇのによ。なんでパッと切り捨てて次へ行かねーんだか」


 もし自分がこの曲に伴奏をつけるなら──。そんな想像をした瞬間、デッカの指先はぴたりと止まりました。


 無理です。この孤独に、誰かのリズムを混ぜる隙間なんて、一ミリも残っていません。


 ポメロは、デッカを『楽園』に誘うことを諦めた。

 

 その代わりに、デッカすら入り込めない、自分一人の完結した世界を創り上げてしまったのです。


「……ほんと、スゲーよ。スゲーけどさ」


 デッカは最後の一口を飲み干し、少しだけ寂しそうな、けれどどこか清々しい顔で、手元の空いたグラスをじっと見つめました。


 騒がしい酒場の片隅。


 あの日、自分が投げた拒絶の礫が、これほどまでに鋭く透き通った結晶となって返ってきました。


 デッカは小さく首を振り、心の中で、ポメロの新しい旋律に向けて、精いっぱいの返答を返しました。


「やっぱお前の歌は苦手だわ、俺」


 嫌いだわ、ではありませんでした。



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