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トルバドーれ!  作者: 袴田八峰
第二十五幕「僕の愛するこの歌が、君の心に響かない」

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二席


 ポメロは、夜の闇に溶けていくデッカの背中を、ただ黙って見つめていました。


 胸の奥を鋭いナイフで抉られたような、ひりつくような悲しみ。


 ですが、その痛みと同時に、ポメロの理性はすとんと腑に落ちる納得を掴んでいました。


(……そうだ。僕だって、そうじゃないか)


 エピタフたちが心血を注ぐ【伝統派】の整然とした世界は、ポメロにとっては息が詰まるほど窮屈で、面白味に欠けるものでした。

 

 かつて十三番舞台で浴びたパンクやヒップホップの咆哮には、共感よりも先に拒絶感を抱いたことさえあります。


 「応援している」「評価している」という理性的な敬意の光と、「その歌が好きじゃない」「ノリが合わない」という生理的な拒絶の影。


 それは一見相反するように見えて、音楽という名の鏡の前ではごく自然に両立し得るという残酷な真実。


 上京したてのポメロであれば、泣き喚きながら「僕の歌の良さを分からせてやる!」と、熱情のギターを武器に突っ込んでいったかもしれません。


 ですが、音楽の都でのたうち回ったこの一年が、彼を幾分か大人にしていました。


(熱情を押し付けるのは、人をぶん殴って無理やり振り向かせるのと同じだ……)


 灯火というものは、焼くためのものではありません。凍えた肌を、少しだけ温めるためのものです。


 ですが、理屈でどれだけ悲しみの土壌を埋め立てようとしても、溢れ出す水のように、悲しみは余り、足元を濡らしていきます。

 

 視界がじわりと滲み、春の夜風が、さっきまでよりもずっと冷たくポメロの肌を刺しました。


「……なんだよ、畜生」


 ポメロは、震える手でギターのネックを強く握りしめました。


「こんなに悲しいのに。こんなに寒々しいのに……。この想いさえ、歌にしたいって思っちゃったじゃないか」


 悔しさと、情けなさと、そして業の深い表現者の本能。


 デッカに拒絶されたその瞬間すらも、ポメロの中の音楽は栄養にして食らい尽くそうとしていました。



───── ♬ ─────



 ポメロは奏鳴荘へは帰りませんでした。


 今、この胸に突き刺さっている拒絶の冷たさを。デッカに背を向けられた瞬間の、あの心臓が凍りつくような孤独を。

 

 それを一滴もこぼさずに形にするためには、あそこの温もりはあまりに不都合でした。


 ドリーおばさんに厳しく諭されたら、エレクトラに温かいティーを出されたら、エピタフと何気ない言い合いをしてしまったら───。

 

 寮母は母親、同宿は兄弟。その家族たちは、今の僕の顔を見たらきっとそうしてしまう。この寒さを優しさで霧散させてしまう。


 この歌は、孤独のうちに、震える指先だけで完成させなければならない。

 

 これは一人きりの暗闇で、凍えながら研ぎ澄まさなければならない楽曲なのだと。

 

 【熱情】ではなく【ブルーズの水たまり】から掬い出すべき歌なのだと、ポメロの本能が叫んでいました。


 ポメロは、重い足取りで十三番舞台へと向かいました。

 

 かつて自分を缶詰にし、創作者としての【野心】を求めてのたうち回ったあの場所なら、この凍てつく心をそのまま楽曲に打ちなおせる場所であると信じて。


「アータ、一体どうしたの? オーディエンス過激派どもに見られたら、五体満足じゃ帰れなくなるかもよ?」


 暗い路地裏、じゃらじゃらとシルバーアクセの音をさせてメルダックが現れました。


 ダークブルーの唇に咥えた手巻き煙草から、カラフルな煙がたゆたいます。

 

 彼女はアシンメトリーなウルフカットを揺らし、針のように尖ったハイヒールで石畳を鳴らしながら、ポメロの前に立ち塞がりました。


「うたを…… 歌をつくりたくて。一人で」


 ポメロ第一のファンを自称する彼女は、彼の項垂れつつも冷たく燃え上がっている瞳を見るや、感覚で求めていることを理解しました。

 

 フェイストゥフェイス。

 

 音楽とは演奏者と向かい合ってこそ真にしゃぶりつくすことが出来る物。そう信じている彼女だからこその、素早い理解と対応。


「前のゲストハウス、鍵渡しとくわ。いつでも使っていいわよ。だって私は最初のアータのファ───」


「メルダックさん! ダメです、言わないで!」


 ポメロはわーわーと大声を出し、耳を塞いで彼女の言葉を遮りました。


「優しいのはダメ! 今だけは、今だからダメなんです! 歌が逃げちゃうから! この冷たさが、消えちゃうから!」


 必死な形相で耳を塞ぐ少年を、メルダックはライトブルーの瞼を細めてじっと見つめました。その鋭い眼光が、ポメロの震える肩を貫きます。


彼女は鼻の脇のピアスを指先で弄び、酒焼けした声で短く笑いました。


「気持ちで曲を作る子だからねアータ。今のその、凍死しそうな絶望感……いいわ。びしょびしょになるのが出来そうじゃない」


 メルダックは真鍮の鍵をポメロの足元へ無造作に放り投げました。


「優しさなんて、音楽を聴く耳が腐った奴にでも食わせておきな。アーシが惚れたのは、そんなフヤけたアータじゃないわ。……せいぜい孤独に、その身を削って凍えなさいな」


 メルダックは満足げに深く煙を吸い込むと、ポメロに背を向け、闇の中へと消えていきました。


 足元に転がった鍵。


 ポメロはそれを震える指で拾い上げ、かつて『俺で塗れ!』を産み落とした、あの殺伐の痕跡著しいゲストルームへと歩き出しました。


 ——逃げ場のない、あの部屋へ。



───── ♬ ─────




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